日本の子だくさん将軍、ウェールズの子だくさん王

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◎日本の子だくさん将軍

子だくさんの将軍!と言えば、11代将軍徳川家斉が挙げられますね。特定されるだけで16人の妻と妾を以て、男子26人・女子27人の子供をもうけました。精力増強のために、生姜を1年中毎日欠かさず食べ、またオットセイの陰茎を粉末にしたものを飲んでいたそうです。このため「オットセイ将軍」とも呼ばれました。

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お陰でいろんな問題が生じました。

・財政破たん

在職期間50年と江戸幕府将軍だけでなく歴代の征夷大将軍の中でも最長記録の間にそれだけ多くの女性と遊び回ったのでお金の使いつくし、江戸幕府負の遺産を積み上げてしまいました。

・大名たちの不満

家斉の子を養子や妻とした大名達は特別な優遇を与えられ、諸大名の不満も噴出させました。

・「改革なんか上下ともに迷惑、あんなことやるものじゃない」

と子作り以外何もせず放任政策をとり国政は不評

しかし町人文化を発展させ江戸文化の絶頂期である「化政文化」を生み出したと考えられます。

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ウェールズの子だくさん王

所は変わりイギリスのウェールズです。中世のウェールズにも子だくさんの王がいました。

オウァイン・グウィネズ(オウァイン大王)

オウァインはグウィネズと呼ばれる国の王で、現在のイギリスのウェールズの北部に住んでいました。オウァインは度重なるイングランド王ヘンリー二世のウェールズ侵略を撃退してウェールズを守りました。1157年の戦いのとき、オウァインはヘンリー二世を待ち伏せて奇襲し、イングランドに命からがら逃げ帰らせるなど、武勇にも優れていました。ウェールズのほぼ全域を支配して中世ウェールズ黄金時代を作り上げた英雄でした。

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しかし、オウァインは「英雄好色」というように、女性が大好きでした。分かっているだけで妻と妾は最低6人以上、子供は男子は16人以上、女子は4名以上(不明)t家斉より少ないかもしれません。しかし、ウェールズの王にたくさんの子供がいるということは、当時のウェールズには大きな問題だったのです。

「正室、側室、妾の子に関わらず全ての息子に財産は均等に分け、後継者の権利がある」という当時のウェールズ法です。これほど男子が多くては、均等割りでは自分の分け前も少なくなってしまいます。当然の様に、相続争いが起きます。

オウァインは生前に次男ヒウェルを後継者に指名していましたが・・・・

オウァインが亡くなると、ダヴィッドを先頭に同じ母をもつ68男が反逆を起こしヒウェルを殺して、後継者の座を奪ってしまいました。ダヴィッドは弟たちも遺産を狙っていると思い、その他の弟や兄たちを含めて全員殺すか投獄するかの残忍な行為におよび、オウァインの遺産を独り占めしました。

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この母親はクリスティンと言い、実はオウァインの従妹にあたします。ウェールズ教会では従妹との結婚は禁止されていましたが、従妹が好きになってしまったおオウァインは教会とけんかをして破門されてまでも結婚しました。オウァインな立派な王でしたがこの女性好きが原因となって、子供たちが争いウェールズが乱れ弱体化し、イングランドに侵略を許す結果となってしまいました。

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そういえば、オウァイン大王の息子の中で、この人物だけが悠々自適な生活を送っていました。オウァインの息子、プリンスマドックの生き方です。

他人の大船でなく、自作の小舟で人生の航海に出よう!! – ウェールズ歴史 偉人エクスプローラー

◎最も子だくさんのウェールズ人と言えば、もうこの人しかいません

現在の推定700万人の人類にある特有な遺伝子を持っていることが確認され、その人々の祖先をたどると、一人のある人物に突き当たりました。

その男は9世紀ごろにイギリスのウェールズ地方に住んでいた貴族、グウィリム大征服王ということが発覚しました。グウィリムは領土で世界を征服したのではなく、遺伝子で世界を征服した男なのです。

詳しくは、以前の記事をご覧ください。

www.rekishiwales.com

最後まで読んでくださり有難うございました。

また次回をお楽しみに。

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