時代は9世紀のイギリス・ウェールズ。
ウェールズ最強国のグウィネズを治めるイドワル・フォエル(あだ名:ハゲのイドワル)南部のデハイバースを治めるㇵウェル・ザ・グッド(あだ名:ヒウェル良王)の対立が続いた乱世の時代。
二人の祖父はロドリ大王で、子や孫の時代に領土争いが起きていたのであった。
この二人の戦いの行方はどうなっていくのでしょうか?
またㇵウェルはなぜ良王と呼ばれたのでしょうか?
※ウェールズ王のあだ名についてはこちら
ウェールズで続けられた因縁の戦い
二人はどんな戦いをしていたのですか?
イギリスのウェールズは主に4つの国に分かれており最強国であり王室の後継はグウィネズが担っていたんだ。そのグウィネズの王はイドワルが後継していたんだ。
南部のデハイバースはㇵウェルの父カデルが譲り受け、カデルはイドワルの父アナラウドと領土を争い合っていたんだ。
(グウィネズ:Gwynedd)
(デハイバース:Deheubarth)
なるほど、聞くだけではイドワルが強そうですね。
そうそう。当時のイギリスで最も最強な国はイングランドで初代のイングランド王にはアゼルスタンが就いていたんだ。そのアゼルスタンとイドワルは同盟を結び安定した力を誇っていたんだよ。
アゼルスタンはウェールズの他の国にも忠誠を誓わせようと、イドワルの敵であるㇵウェルとも同盟を結んだんだ。
敵同士、同じ相手と同盟を結んでしまったのですか・・・微妙な関係ですね・・・
この微妙な関係、アゼルスタンとㇵウェルの仲が良くなってしまったのがイドワルの機嫌を悪くしました。ㇵウェルは何度もアゼルスタンの元に通い、アゼルスタンに造幣所を借りて銀貨を作ったりしていたんだ。
それはイドワル焼きもちを焼いたんですね・・・
それとイドワルはㇵウェルの勢力が強くなるのを恐れるとともに妬みを持ったんだ。
イドワルはどうしたのですか?
アゼルスタンが亡くなった後、イングランドはエドムンドが後継し王となったんだ。ヒウェルは引き続きエドムンドと同盟を結んだけれど、イドワルはエドムンドと同盟は結ばなかったんだ。
そしてこのタイミングとばかりにイドワルはイングランドに攻め入ったんだ・・
イドワルはどうなったのですか?
さすがにイドワルの行動は無謀だったようで戦死してしまったんだ。その隙をついてㇵウェルがイドワルの領土グウィネズに攻め入り、ウェールズをほぼ支配したんだ。
無念のイドワル
軍配はㇵウェルに上がったわけですね。
ウェールズ法を作った英雄ㇵウェル
ㇵウェルはなぜ良王と呼ばれているのですか?
先ほど触れたようにウェールズの貨幣制度に力を入れウェールズ法も制定して
ウェールズの国造りに貢献したからなんだよ。
ウェールズ法はどうやって作ったのですか?
法律が整っていなかったので、まずㇵウェルは猛勉強をしたんだ。ウェールズの王として初めてローマ巡礼をしそこで最新の法律を学び、更にヨーロッパ、イスラム、ギリシャ、アラブ、ラテン諸国の法律も学び良いところを結びつけて独自の法律を作ったんだよ。
すごいですね。ㇵウェルは努力家でアイディアマンなんですね。ウェールズ法はどんな法律なのですか?
ㇵウェルが作った法律の内容をちょっと紹介しておこう。
・領土は非嫡子を含む息子たちに均等に分けられる
・死刑は禁止。しかし罪を犯した親族は7世代に渡って被害者に償いをする
・臭い口臭、重病、セックスレスの夫とは離婚できる
・7年以上結婚生活を続けていれば、夫の財産の半分を得る権利がある
犯罪、財産、相続の内容から女性の自由と権利まで決められている現代的な法律であったのです。
ㇵウェルは先見の目があったかも知れまんね。
今回のウェールズ歴史のまとめ
ㇵウェルの作ったウェールズ法は「ㇵウェル・ザ・グッドの法」とも呼ばれ
その後ヘンリー8世に書き換えられるまで約600年にも及び効力を発揮したという当時では最新の法律で、法律の基礎になりました。そのㇵウェルも当初は後継争いで親族と争い、その経験も生かされてたのではと思います。
しかし、領土の均等配分などの公平さはㇵウェルの時代には向かなかったのではと考えられ再び親族同士が争い合う戦乱の時代になってしまいました。
※英語とウェールズ語ですが簡単に纏められた本です。

Hywel Dda/Hywel the Good (Wonder Wales)
- 作者: Catrin Stevens
- 出版社/メーカー: Gomer Pr
- 発売日: 2004/07
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最後まで読んでくださり有難うございました。