イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史と、ウェールズとの関わりが深いアーサー王についてのページです

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ヘンリー8世 イングランド国王の中で最も教養あふれたインテリ

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こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
ウェールズの直系の血筋を引くテューダー朝テューダー朝2代目のイングランド王、ヘンリー8世(在位1509年~1547年)は稀代の悪王として名高いです。しかし、本当に悪事ばかり働いていたのでしょうか。

実は、インフランド国王の中で最もインテリで教養あふれ、魅力的な人物であった、という面もあります。ヘンリー8世はどんな人物だったのでしょうか?

ヘンリー8世の最大の不評

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ヘンリー8世を描いたドラマ、チューダーズより

 

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ヘンリー8世が悪王と言われている点について、簡単に紹介しておきましょう。ヘンリー8世は6度の結婚をして、2人は処刑し、2人は無理やり離婚した経歴を持っています。この点が、ヘンリー8世が悪王といわれている、最大のポイントです。

しかし、世の中の情勢を考えると、やむを得ない部分もあったかもしれません。ヘンリー8世は、イングランド王位を巡って争ったばら戦争の歴史を振り返り、テューダー朝は男性君主で安定化させるため、男子の世継ぎを強く願ったため、という理由もあります。

 

1.キャサリン・オブ・アラゴン
強国スペインの王女で、24年間の結婚生活をつづけ、メアリー(のちのメアリー1世)を生みます。男子に恵まれず世継ぎを欲したヘンリー8世は、結婚後数か月で亡くなった兄アーサーの妻との結婚は、宗教的に神にたたられるとして、離婚に踏み切りました。

2.アン・ブーリン
エリザベスを産みますが(のちのエリザベス1世)、姦通罪と近親相姦の罪を着せられ処刑されました。

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3.ジェーン・シーモア
エドワード1世を出産しますが死亡します。

4.アン・オブ・グレーヴィス
肖像画があまりにも美化されて実物とはかけ離れ、初対面でヘンリー8世は激怒します。結婚はしたものの、直ぐに離婚となりました。

5.キャサリン・ハワード
アン・ブーリンの姉妹。元恋人との関係を疑われ反逆罪で処刑されました。

6.キャサリン・パー
ヘンリー8世の子(メアリー、エリザベス、エドワード)とも良い関係を築き、メアリーとエリザベスの王位継承権を復活させます。ヘンリー8世の最後も看取りました。

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ヘンリー8世の功績

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ヘンリー8世は1509年に、17歳の時にイングランド王になりました。父ヘンリー7世がイングランド王室の後継争いであった薔薇戦争終結させ、テューダー朝をつくり、ヘンリー8世はその2代目でした。

テューダー朝のを強化してイングランドを強い国にしなければならない、ヘンリー8世は政治的な手腕を振るいました。

王立海軍の創立
イングランド海軍はたった3隻しか船を持っていませんでしたが、36年の統治の間に50隻に増やして強化しました。
絶対王政の確立
ウェールズスコットランドアイルランド統治権を強めて統合を進めました。特にウェールズ法諸法(1535-1542)によってウェールズイングランドに編入しました。
ヘンリー8世ウェールズ直系の血筋で、ウェールズ人を多く起用したことから、ウェールズの人々には人気があったそうです。

宗教改革
ローマカトリックから離れて、イングランドプロテスタントを分離させ、イングランド国教会を設立しました。

 

ヘンリー8世の魅力

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ヘンリー8世は、一個人としてはとても魅力あふれる教養人でした。イングランドの統治者だけでなく、武道家、文筆家、作曲家、スポーツマン、学者としても活躍した、芸術を愛するインテリだったのです。

スポーツマンとしてのヘンリー8世

ヘンリー8世は6フィート(182cm)を越える大柄な人物で、若いころはレスラーのチャンピオンになったりしました。テニス、狩猟、馬上槍試合が大好きで、自ら鎧に身を固めて試合に出たりしていました。

※ドラマ、テューダーズより

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文筆家としての、ヘンリー8世

文章を書き詩を読むことも好みました。イングランドの最も古い民謡の一つである「グリーンスリーブス(Greensleeves)」の作者はヘンリー8世ではないか、という説があります。ヘンリー8世が、2番目の妻アン・ブーリンのために書いたと言われています。

グリーンスリーブス - Wikipedia

曲になっており、誰でも知っているメロディーですね。

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作曲家としてのヘンリー8世

ヘンリー8世は、自ら楽器を演奏し作曲も行いました。ヘンリー8世が作曲したもっとも有名な曲は、「Pastime with Good Company」で、とても美しいメロディーで一度くらいは聴いたことがあるんじゃないか、と思います。

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学者としてのヘンリー8世

宗教家としても活躍し、学術的な論文を書いたりしました。1517年にルターが95か条の論題を発表すると、それに反論する論文を自ら公表しました。ルターの宗教改革に反対し、当時のローマ教皇レオ10世もヘンリー8世を支持し「信仰の擁護者」の称号を贈られました。

また、キリスト教建築にも関心があり、クライストチャーチ、パンプトンコート、ホワイトホール、トリニティカレッジなどを改修しました。

95ヶ条の論題 - Wikipedia

クライストチャーチ・カレッジ
ハンプトン・コート宮殿 - Wikipedia

ホワイトホール宮殿 - Wikipedia

トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学) - Wikipedia

 

ヘンリー8世の最後

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教養あふれ武人としても優れたヘンリー8世でしたが、45歳の時に馬上槍試合で落馬したことが原因で、健康を害します。
その後は、太り続け4年の間にウェストは17インチ(約43センチメートル)も成長したそうです。偏頭痛、痛風、潰瘍、歯茎の出血、副鼻腔のう胞など、数々の病気に悩まされ、1547年に55歳で亡くなりました。

ヘンリー8世が亡くなったとき、鉛の棺桶に入れられたましたが、埋葬される前に突然、棺桶のふたが自発的に開いたそうです。

実は、ヘンリー8世の遺体から出るガスが原因だったようです。

 

※参考記事

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.cwww.rekishiwales.com
www.rekishiwales.com

 

ヘンリー八世 (白水Uブックス (37))

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チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠> DVD-BOX1

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