イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史と、ウェールズとの関わりが深いアーサー王についてのページです

MENU

マイナーな歴史を使った得意料理

今週のお題「得意料理」 

f:id:t-akr125:20171118141856j:plain

 

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
僕は歴史好きである。
僕の得意なことは歴史を料理することである。

良く分かっていない歴史

世の中には、興味深いんだけど、よく分かっていない歴史があり、知られていなかった歴史上の人物も多くある。その中で、特にマイナーな歴史上の人物を料理することが、僕の得意分野だ。

 

 

時代は5世紀初め頃のスコットランド。伝説上の人物が、荒れ狂う海を見て、一大決意をしていた。

「南へ向かおう、南へ」

 スコットランドエジンバラ付近で、当時はマナウ・ゴドウディンと呼ばれた地区の首長である、伝説上の人物キネダは、8人の息子と孫1人を連れて、現在のウェールズに旅立ったのである。

そして、西から攻めてくるスコット族を追い払い、グウィネズと言う国を作った。グウィネズが、現在のウェールズの原形になった。と歴史書には書かれている。

 

キネダについて、歴史書に書かれているのは、ほぼ以上である。それ以外は不明である、とされている。

ここからが、僕の得意料理が始まるのだ。

 

僕の得意料理の方法

キネダについて、色んな疑問が生じてくる。例えば、こんな点に興味がわいてくるだろう。

・いつ、キネダはウェールズに旅立ったのか? 
スコットランドの領土があるのに、なぜ放棄して、ウェールズに行ったのか
・なぜ、キネダはスコット族を追い払えたのか、強かったのか?

 

全くわからない。キネダについての情報を集めようとしても、歴史書には書かれてないし、ネットを調べても殆んど落ちていない。

他の手段で調べなければならない。
僕は、キネダが生きたとされる時代背景を調べた。キネダの父、祖父、祖先、当時の権力者、外敵を調べた。キネダの母、母の父、さらに祖先、息子たちも調べた。

 

様々な点の情報を繋げると味に面になり味に広がりがでてきた。面が重なると立体になり、深みができてきた。

立体になると、キネダの人物像が浮き出てきて、料理になってきたのである。

 

僕の料理を紹介しよう。

 

得意料理のストーリー

 

時代は4世紀後半のことである。

キネダの父はエダン、祖父はパダンと呼ばれる首長で、代々ローマ帝国に従い、スコットランド付近にやってくる外敵の攻撃を防ぐために、戦っていた。

 

キネダの母は、ウェールズ地方に住んでいた首長の家系に生まれた。母の時代の有力者は、マグヌスというローマ将校であった。マグヌスはウェールズ首長の娘と結婚し、キネダの母とは親戚関係となった。その後、マグヌスはイギリス全域を治める司令官となるのである。

 

マグヌスはスコットランドの反乱を鎮めるためにローマ軍を率いて戦い、その時に、キネダの父エダンと共に戦った。

スコットランドに好青年がいるぞ、我が親戚の娘と結婚するとよい。両国関係も密になるだろう。そんな狙いがマグヌスにあったのかも知れない。

エダンと娘は結婚し、キネダが誕生したのである。

 

 

キネダは父や祖父と同じように、若い頃からエジンバラ付近で戦いに加わり、北から攻めてくるスコット族や、海から攻めてくるヴァイキングを、やっつけていた。

 キネダは戦い好きで、メキメキと頭角を示し、猛将として名を轟かせた。敵が全滅するまで徹底的に攻撃を加え、隣国もその残忍さに震え上がったそうだ。

 

しかし、キネダの本当の強さの秘訣は他にあった。敵をも味方にするのである。海から攻めてくるヴァイキングの要望を聞き、土地と食料を提供する代わりに、自分の手下にしてしまうのだ。そして、ヴァイキングの船や戦い方なども自分のものとしてしまうのだ。

キネダは対抗勢力を打ち破り、スコットランドで影響力を広げていったのである。

 

 

西暦420年を過ぎた頃、キネダに大きな転機が訪れるのである。

 

当時のイギリス南部で勢いを持っていたのが、ヴォーティガンと呼ばれる有力者だった。ヴォーティガンは西から攻めてくるスコット族の攻撃に手を焼いており、傭兵を必要としていた。

 

キネダ殿、ウェールズに住む土地をあたえるから、スコット族を追い払ってくれぬか。

 

ウェールズは懐かしい母の生まれ故郷。それに、父方の遠い先祖もウェールズ付近に住んでいた大王と聞く。

冬は太陽も余り昇らず寒く閉ざされるスコットランドに比べ、温暖で過ごしやすい南国のウェールズ

ウェールズと聞くだけで、とても憧れを感じる。

 

キネダは決意した。スコットランドの領地を手放して、胸が踊るウェールズに行こう。ゼロからのスタートだけど、ウェールズで戦いに明け暮れ、成果をだし勢力を広げて行けばいい。

 

こうして、キネダは8人の息子と1人の孫を連れて、スコットランドから北ウェールズに移り住み、スコット族と戦いを始めた。

 

キネダ一族はみな猛者揃いであった。スコットランドで戦いに慣れ、ローマ軍の戦い方も、ヴァイキングやピクト族の戦い方も会得していた。アイルランドからやってくるスコット族は、キネダ一族にとって敵ではなかった。

スコット族はコテンパにやっつけられ、アイルランドに逃げ帰ったが、スコット族の頭領はキネダ達に殺され、全滅したのだ。

キネダはヴォーティガンから依頼された傭兵業務を見事にこなし、目的を達成した。

 

本来ならこれでおさらばなのであるが、運はキネダに向いていた。

ヴォーティガンは悪者だったのだ。主君を欺いて、王の座を奪い、悪政を行なっていた。

ヴォーティガンを倒そうと、アーサー王の叔父と言われているアンブロシウスが戦いを挑み、ヴォーティガンは窮地に立たされていたのであった。

 

キネダ一族はこのチャンスを生かしてウェールズ北部を占領し、450年頃にグウィネズ国(Gwynedd)を建国した。

 

今から1550年くらい昔のお話だ。

 

これが、僕がキネダに関連する歴史上の点を繋ぎ面にし、面を練り合わせて深みを出して、創作スパイスを振りかけて料理をした、歴史ストーリーの概要である。フルコースにすると本になるかも知れない。

面の練り合わせを変えたり、創作スパイスを選べば、料理はゲームに変化するかも知れない。

 

最後まで読んでくださり有難うございました。 

www.rekishiwales.co 

www.rekishiwales.com

 

最強の武器は魔法の音楽  〜新たたかうカムリ戦士 第13話~

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。ウェールズ中世の歴史をもとにした、創作歴史ストーリー「新たたかうカムリ戦士」、今回は第13話をお届けいたします。

 ※前話 

www.rekishiwales.com

 

カムバック

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
父上、ただいま戻りました。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
マレド、マレドか。お前どこに行っていたのだ。グウィネズ国の援軍要請は上手く纏めくれた様だが、その後大変な事になったんだ。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
やはり父上は同盟軍を作って、モーガン王を攻撃してしまったんですよね。ガクッ。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
エイニオンを総大将に、グウィネズ国のイエウヴ殿の協力で、モーガン王に攻め入ったんだが、、、

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
負けてしまったんですね

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
最悪だよ。モーガン王にはめられたよ。イングランドエドガー王と組んでいて、エイニオンは捕らえられイングランドへ連行された。イエウヴ殿は逃亡したらしい。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
兄上はどうなるんですか?イングランドは何か言ってるのですか?

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
イングランドへの服従を条件に、エイニオンの命を助ける、と要求してきたんだ。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
父上、行きましょう、イングランドへ。兄上を助けに行きましょう。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
マレド、お前の言う様に、モーガン王とは戦わず、グウィネズ国への援軍もやめとけば良かったかも知れない。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
父上、今からでも遅くありません。戦わず国を安泰にして行きましょう。僕は決意したんです。僕の弾く、魔法のハープを使って人の心を和ませ、世の中を平和にしようと、思うのです。仲間もできました。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
私達も力になりたいのです。

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
ワシはグレンと言う者じゃ。オウァイン王様の先々王である、ハウェル大王のお妃様の依頼で、ワシが作ったハープなのです。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
おお、そのハープを作ったのはあなたでしたか。マレドが弾くハープの力と秘密が知りたかったのだ。

 

一行はエイニオンが捕らえられている、イングランドエドガー王の元へ向かった。

他方・・・・

 

猛将の策略

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
エイニオン殿、貴殿の国デハイバースに使者を送ったが、まだワシに服従するか否か、返事がない様だ。

 

f:id:t-akr125:20170610163535p:plain
・・・

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
エイニオン殿、ここでワシに服従を誓い領土を差し出すと誓え。どうなんだ。

 

f:id:t-akr125:20170610163535p:plain
そっ、それは、、、

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
さもなくば、デハイバースはイングランドへ反逆を示したと、討伐軍を送るぞ。

 

f:id:t-akr125:20170610163535p:plain
うぐぐぐっ。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
エイニオン殿、貴殿ご自身のお考えを聞こう。服従か、戦い(死)か。

 

f:id:t-akr125:20170610163535p:plain
父オウァインにきかねば、お答えが・・・

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
答えられぬと申すのか。許せぬ。ならば反逆と同罪。牢にぶち込んでおけ。処刑を待っていろ。者ども、兵を集めてデハイバースに攻め込むぞ。

 

<ははっ>

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
エイニオン殿、もはや終わりだな。

 

f:id:t-akr125:20170610163535p:plain
ぐうっ。デ、デハイバースはイングランドには簡単には、ま、負けないぞ。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
それは、イングランドへの挑戦状か。ゆるせぬ。後悔させてやるぞ

 

エドガー王。デハイバースからオウァイン王が参上したようです>

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
おお、そうか。それは丁度よかった。ひっ捕らえて、連れて参れ。

 

<はっ>

最強の武器は魔法の音楽

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
いたい、いたい。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
な、何をするの

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
エイニオン! 大丈夫か。

 

f:id:t-akr125:20170610163535p:plain
父上! 申し訳ないです。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
お前が、デハイバースのオウァインか。イングランドの反逆で、逮捕する。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
お言葉ですが、エドガー王。反逆だなんて、そんな考えは全くありません。イングランドとの良好な関係を望みます。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
問答無用。貴様らの考えは、エイニオンの言葉で見え透いている。イングランド服従を認めないどころか、戦いの意思さえある。こいつらを全員捕らえられて、処刑しろ。そして、デハイバースに攻め込み占領しろ。

 

<はっ、エドガー閣下>

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
あのう~、争いは、や、やめましょうよ。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
何だ貴様は。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
ぼ、ぼくは、オウァインの息子、マレドです。と、とんでもないです。ぼくは、争うのが嫌いなだけです。エドガー王と仲良くしたい、だけなんです。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
誰か、モヤシみたいな奴を黙らせろ。切り捨ててもよい。

 

あっ危ない!

バサッ

ヒエ〜

 

 

ガガ、ガチッ。

カラン、カラン、カラン。

 

イングランド兵がマレドに振り下ろした剣が、マレドの頭上で何かに激しく当たり、はじき返されて床に転がった。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
何だそれは。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
あっ、僕のハープ。僕のハープが?

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
危ないところじゃった。でも、よかった。こんな事もあろうかと、ハープを頑丈にして、盾にも使えるようにしておいたのじゃ。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
おのれ、たてをつくとは、反逆行為。許せぬ、切り捨てよ。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
マレドさま、ハープを弾いて、ハープを

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
うん、分かった。

 

ポロリン、ポロリン・・・

 

 

f:id:t-akr125:20170610163227j:plain

水は清く、緑深く、いのちにあふれるイングランドウェールズ
小鳥は歌い、動物は踊り、人は楽器を奏でる
生き物はみな、手を取り合い、心を通じ合い
暖かな食事を感謝と共にいただく
今日のことを話し、明日の希望を語り合い
暖かい場所でぐっすりと夢の中で微笑みあう
ゆたかな国イングランドウェールズ、よろこびの国イングランドウェールズ
僕らはみんな、ひとりはみんな
すべての生き物たちが、助けあって喜びあって、感謝しあって生きていこう

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
何だこの音楽は、、、う、うう〜美しい。素晴らしい。心が洗われ、安らぎがしみわたる。私は何をやっていたのだ。まさかこの若者を斬ろうとしていたのか。戦争を起こし、この者たちの領土を奪おうとしていたのか。

争いではこの安らぎは得られない。安らぎは和平から生まれるはずだ。私は何をやっていたのだろう。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
オウァイン殿、申し訳ない。ワシが間違っていた。両国の平和と繁栄のため、争いはやめ、手を結ぼう。皆さんも、エイニオン殿も解放する。さっ、気楽して下され。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
エドガー王、皆を救ってくださり誠にありがとうございます。デハイバースの統治者オウァインは、両国の平和のため、イングランドエドガー閣下に忠誠を誓います。

 

f:id:t-akr125:20170806191148p:plain
オウァイン殿、もったいないお言葉。デハイバースとイングランドは同盟を結び、お互い協力し合うことを誓おう。

 

f:id:t-akr125:20170610163403p:plain
ありがたき幸せ。私も誓います。

 

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
すごい、すごいわ、マレド様。わたし、すごく感動したわ。

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
ワシも感動じゃ。ワシが作った魔法のハープで、平和が得られるなんて、感動じゃ。マレド様のおかげじゃ。

 

マレドの奏でるハープのおかげで、デハイバースの窮地は、危機一髪、救われたのだった。しかし、イングランドとデハイバースの間で結ばれた同盟は問題であった。先に、デハイバースと同盟を結んでいたグウィネズは、黙っているわけがなかったのである。

 

次回に続く

次回に続く 

www.rekishiwales.com
※前作たたかうカムリ戦士ストーリー一覧 

www.rekishiwales.com

  

※おススメ記事です

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com
www.rekishiwales.com

 

 最後まで読んでくださり有難うございました。

命の恩人あらわる。ハープの謎とは ~たたかうカムリ戦士 第12話~

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。ウェールズ中世の歴史をもとにした、創作歴史ストーリー「新たたかうカムリ戦士」、今回は第12話をお届けいたします。

 ※前話

www.rekishiwales.com

 

窮地の予感

f:id:t-akr125:20170610163133j:plain

南国のモーガンと戦うため、同盟国デハイバースの要請により、援軍を引き連れて参戦したイエウヴであったが、突如現れた強敵に惨敗してしまった。

デハイバース軍を率いたエイニオンは強敵イングランド軍に捕らえられたが、イエウヴは敗北と見るや否や、戦場を放棄し逃げ帰ってきたのであった。

 

f:id:t-akr125:20170610163838p:plain
イエウヴ、もう帰ってきたのか。戦いは勝ったのか?

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
兄貴ぃ・・・

 

f:id:t-akr125:20170610163838p:plain
どうなんだ。エイニオン殿に協力してきたのか。

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
実は、戦いに負けちゃったんですよぅ。最初はうまく行ったのにぃ。略奪できた戦利品もこんだけ。もう俺はいやだよう。

 

f:id:t-akr125:20170610163838p:plain
戦いに負けたって、モーガンの奴はそんなに強かったのか。エイニオン殿とお前の連合軍でもかなわなかったのか?

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
実は、兄貴ぃ。イングランド軍がやってきて・・・エドガー王ですよぅ・・・

 

f:id:t-akr125:20170610163838p:plain
なにっ、エドガー王がイングランド軍を率いて、モーガン王に加担し、エイニオン殿は連れ去れただと。イエウヴ、お前はエイニオン殿との同盟がありながら、助けずに途中で放棄して帰ってきたのか?

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
イングランド軍につかまっちゃあ、略奪品も終わりだよう。だから、逃げ帰ったんすよ。

 

f:id:t-akr125:20170610163838p:plain
うむむむ。それでは、デハイバースのエイニオン殿にもオウァイン王にも顔が立たないな。それに、お前がコソコソ逃げ帰ったと、エドガー王が知ったら、きっとイングランド軍は、我がグウィネズ国にも責任を問うて圧力をかけてくるに違いない。その時はどう言い逃れをするのだ?

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
・・・

 

f:id:t-akr125:20170610163838p:plain
んんん、頭が痛いな。イングランド軍が攻めてきたら、我が国では歯が立たないだろう。デハイバース国は推測するに、エイニオン殿を人質にしてイングランド軍に傘下に入るよう脅されてるのだろう。

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
戦うしかないよう。

 


うむむむ。ところで、イエウヴ。お前、本当にマレド殿がどこに行ったか知らないのか。オウァイン殿から、マレド殿がまだ帰らないと連絡があったぞ。マレド殿に最後にあったのは、イエウヴ、お前だろう。

 

f:id:t-akr125:20170610163713p:plain
俺は、し、しらないよぅ・・・

 

命の恩人あらわる

f:id:t-akr125:20170806193156j:plain



f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
うううっ、僕はいつまで閉じ込められているんだろう。一生、牢に入れられたまま人生を終わらないといけないのか。ううううっ。

 

<何? だれかいるの?>

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
だ、だれ?

<あっ、やっぱり。あなた人ね。何で、こんな牢で泣いているの?>

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
僕は、イエウヴに捕まっちゃったみたいだ。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
イエウヴですって。あんな奴、大嫌いよ。私たち庶民から、家も財産も取れるものはふんだくって。行くところがあれば、こんな国はやく脱出して、イングランドにでも住みたいわ。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
僕はマレドっていうんだ。君こそどうして、僕をみつけたの? 

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
私はメアリって言うの。たまたま近くを通りがかったら、人がいないところで音がしたもんですから、幽霊じゃないかって、恐る恐る見に来たのよ。もしかして、あなた、楽器を演奏するの?

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
そう。こんなバラバラだよ。イエウヴに壊されちゃったんだ。ハープが弾ければなあ。僕はもっと元気が出るのに。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
チョットかしてみて。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
うん。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
私のおじいちゃんは、ハープ作りの職人だから、治せるかもしれないわよ。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
本当? 

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
ちょっと待っててね。おじいちゃんに直してもらって、また持ってくるわ。

 

f:id:t-akr125:20171104210322j:plain

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
おお、メアリか。どうしたんじゃ。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
これを見て、おじいちゃん。この壊れたハープを直せる?

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
どれどれ、おお、かなり手荒に扱われたもんじゃ。持ち主は、ハープにひどい仕打ちをしたもんじゃのう。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
違うのおじいちゃん。マレドっていう青年のハーブで、憎たらしいイエウヴが壊したらしいの。

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
イエウヴはひどいことをするのう。ここも折れているし、そこも潰れているぞ。なんとか直せるとよいのじゃが。

ううう、このハープは・・・。まさか、これは。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
どうしたの、おじいちゃん。

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
このハーブは、昔々ワシがある方に頼まれて作ったものじゃ。懐かしいのう。ということは、このハープを持っていた、マレドという青年は、もしや・・・

 

f:id:t-akr125:20170806193156j:plain 

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
マレド、マレド。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
あっ、メアリ。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
ハープ直ったわよ。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
えっ、本当。よかったぁ~。有難う。このハープは僕の命より大切なものなんだ。ありがとう。

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
あなたが、マレド様ですか。まさかとは思うんじゃが、マレド様はウェールズの王室にゆかりがある方じゃ、ないでしょうか?

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
どういうことですか?

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
このハープ、その昔、ウェールズ王のお妃さまに頼まれて、ワシが作ったハープなんじゃ。当時のウェールズ王、ハウェル王のお妃さま、エレナ様じゃ。ハープは家宝として、子供たちに受け継ぐ、と仰られていたんじゃ。

そして、そのハープを継承される方には特別な能力が必要なんじゃ。マレド様が継承されたとすると、その秘密をご存知なのではと思うんじゃが。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
あなたが、ハープを造られた方だったんですね。僕のハープを直してくださり、ありがとうございます。母から受け継いだ、とても大切なハープなんです。

僕は、デハイバースを治めるオウァインの息子で、最弱戦士マレドって言われています。父はハウェル王の息子と聞いています。

僕がハープの秘密を知っているのか、その能力を持っているのかはわかりませんが、ハープを弾いてみます。

 

f:id:t-akr125:20170610163227j:plain

水は清く、緑深く、いのちにあふれる我がウェールズ
小鳥は歌い、動物は踊り、人は楽器を奏でる
生き物はみな、手を取り合い、心を通じ合い
暖かな食事を感謝と共にいただく
今日のことを話し、明日の希望を語り合い
暖かい場所でぐっすりと夢の中で微笑みあう
ゆたかな国ウェールズ、よろこびの国ウェールズ
僕らはみんな、ひとりはみんな
すべての生き物たちが、助けあって喜びあって、感謝しあって
生きていこう

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
うむむむ。素晴らしい音じゃ。素晴らしい演奏じゃ。心が和み、誰とも仲良くなり、平和がやってきたようになる。まさに、魔法のハープの音だ。マレドさま、あなたこそが、このハーブの継承者に間違いはない。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
うっとりしちゃうわね。すごいわ。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
へへへ。ぼくは、このハープで戦いをなくして、ウェールズの国々を平和にしたいんです。

 

f:id:t-akr125:20171104212814p:plain
マレド様こそ、わしらが待ち望んでいたお方じゃ。ワシらの国グウィネズも、マレド様の国デハイバースも、さらにウェールズ全体を平和にされるお人じゃ。

そうじゃ、まずはマレド様を牢から出れるようにしないと。

 

老いたハープ職人と孫のメアリは、持ってきた道具で牢を壊し、ついにマレドは自由の身となったのである。

 

f:id:t-akr125:20170624114345p:plain
ありがとう。おじいさんに、メアリさん。御恩は一生忘れません。おじいさんが直してくれたハープで、きっとウェールズを平和な国にしたいと思います。よし、デハイバースに帰るぞ。

 

f:id:t-akr125:20171104212505p:plain
まって、私も連れて行って。

 

次回に続く 

www.rekishiwales.com
※前作たたかうカムリ戦士ストーリー一覧 

www.rekishiwales.com

  

※おススメ記事です

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com
www.rekishiwales.com

 

 最後まで読んでくださり有難うございました。

分かりやすいスコットランドの歴史概要

f:id:t-akr125:20171028120213j:plain

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain

こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。ウェールズの歴史だけではなく、ウェールズとの大きいスコットランドイングランドの歴史についても書いていこうと思います。

スコットランドについては、ウェールズと同じケルト系民族が祖先となって、中世ごろまではウェールズスコットランドは同じ国でした。時代を経るうちに、別れていき、スコットランドウェールズは独自に変化していきました。

スコットランドの歴史は、波乱万丈であり、現在の英国に大きな影響を及ぼしています。古代から現在までの歴史の概要を、一気に駆け抜けようと思います。

 

スコットランドの登場

f:id:t-akr125:20171028113744j:plain

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain

スコットランドはいつ頃から歴史に登場するのですか?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
紀元前およそ6000年頃、氷河期が終わった後に、イベリア半島からケルト族が移住してきたんだ。その頃が今のスコットランドの始まりと言えるんじゃないかな。新石器時代の紀元前2000年頃になると、スコットランドでも巨石文化が花開くんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
イギリスでもストーンヘンジなど、作られた時代ですね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
そうだな。スコットランドは多くの石の建造物が見られ、環状に建てられた巨石、地下住居、要塞などを作ったんだ。巨石文化 スコットランド

旧石器時代の頃から、スコットランドに住むケルト系の種族たちは、いくつかの小さな国を作ったんだ。しかし、紀元前後から、スコットランドにも大きな外敵脅威が現れ始めるんだ。

 

ローマ帝国との争い

f:id:t-akr125:20170730174437p:plain 

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
スコットランドは初めからスコットランドとは呼ばれておらず、「カレドニア」と呼ばれていたんだ。このカレドニアローマ帝国が勢力を広げようと侵略してくるんだ。

当時のイギリスは、スコットランド付近を「カレドニア」、イングランドウェールズ付近を「ブリタニア」、アイルランドを「ヒルベニア」、と呼んでいたんだ。

ローマ帝国は、紀元43年にブリタニアを征服し、勢いに乗ってカレドニアにも攻めてきたわけだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
カレドニアローマ帝国に占領されてしまったんですか?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
紀元82年にローマ軍はカレドニアに押し寄せてきたんだ。この頃より、カレドニアに住むケルト系の人々は、戦うときに体を青く塗ることから、「ピクト族」呼ばれるようになるんだ。ピクト族は、ローマ軍に果敢に立ち向かい、征服を何とかしのぐことが出来たんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
ローマ軍の事だから、ブリタニアに対したように、さらにカレドニアに攻撃を仕掛けてきたんでしょうね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
いや、カレドニアブリタニアとは状況が異なったんだ。ローマ軍は天候の悪い痩せた土地を奪っても、あまり利益がないと思ったのかもしれない。支配しているブリタニアカレドニアの境界線を作ったんだ。ハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城を作ってローマ軍を駐在させ、ピクト族が南に攻めてこれないように防御したんだ。

www.rekishiwales.com

 

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
なるほど。じゃあ、カレドニアブリタニアの国境付近には、ローマ軍がうろうろしてたんですね。ローマ軍はずっと駐在していたんですか?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
二百年くらいローマ軍は国境付近にいたんだけど、410年に撤退したんだ。ローマ軍が撤退すると、新たな強敵が出現してブリテン島に侵略してきたんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
その強敵とは誰ですか?

 

スコットランド王国の誕生

f:id:t-akr125:20170730172749j:plain

f:id:t-akr125:20170730172416j:plain

6世紀頃ブリタニアの勢力地図

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
アングロサクソン人だよ。アングロサクソン人は5世紀中ごろからスコットランドよりずっと南のブリタニア南部から侵略を始め、徐々に北上してブリタニアでの領土を広げて行ったんだよ。その頃のスコットランドは、4つの領域に分かれて、それぞれの王がそれぞれの領土を支配していたんだ。

 

・北部の大部分の領土はピクト人(ピクトランド)
・二つの長城に囲まれた領土と更に南部はブリトン人(ゴドウディン、アルトクラッドなど)
・南西部はアイルランドからやってきたスコット人(ダル・リアダ)
・南部の一部はアングロサクソン

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
アングロサクソン人がどんどん北上して領土を広げたっということは、4つの領土の中で、同じようにアングロサクソン人が領土を拡大したんですか?
それとも、他の民族が領土を広げていくのですか?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
その話に入る前の準備体操として、キリスト教の話をしておこう。スコットランドは、ヨーロッパの中で早くからキリスト教が広まった場所なんだ。僅かな信者が隔離した場所で暮らしていたんだけど、563年に聖コルンバがアイルランドからやってきてから状況が変わったんだ。

スコットランドヘブリディーズ諸島のアイオナ島に修道院を建てた後、聖コルンバはそこを拠点にして布教活動を進めたんだ。スコットランドだけでなく、西ヨーロッパ各地にまで布教していったんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
へえ。キリスト教スコットランドの領土と何の関係があるんですか?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
聖コルンバはアイルランドからやって来たって言ったよね。アイルランドの人々はスコット人と呼ばれ、スコット人はどんどんスコットランドの南西部に侵略していたんだ。
このスコット人が南西部に作った国を、ダル・リアダ国と呼んだんだ。このダル・リアダ国がどんどん、勢力を広げていったんだよ。

聖コルンバが持ち込んだキリスト教スコットランドにも広がっており、同じ宗教を持った人々は統合しやすいんだ。そして、843年にケネス1世がスコット人の領土とピクト人の領土を統一して、スコットランド王国を建国したんだ。 

www.rekishiwales.com

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
アイルランドからやってきたスコット人が作った国、だからスコットランドって言うんですね。

 

強敵が続々と出現するスコットランド

 

f:id:t-akr125:20171028120446j:plain

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
こうしてスコットランドが誕生したんだけど、強敵が次々と出現してくるんだ。まずは、890年頃にヴァイキングスコットランドに侵略を始め、シェトランド諸島オークニー諸島ヴァイキングに奪われてしまったんだ。 

www.rekishiwales.com

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
ヴァイキングっていうと、イングランドヴァイキングにかなり領土を奪われしまった時期がありましたよね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
スコットランドの場合は、南部のブリトン人と同盟を結び、本土の侵略は防ぐことが出来たんだ。ついでに、この同盟によって、南から攻めてきたイングランドも打ち負かし、スコットランドと南部のブリトン人の領土は1018年に統一されることになったんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
スコットランドが強化されていくんですね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
しかし、ヴァイキングに続いて、また強敵が現れるんだよ。イングランドが黙っちゃいないんだ。しかも、戦争でなくジワリジワリとスコットランドに侵入してくるんだ。

 

歴史的な英雄たちの登場

f:id:t-akr125:20171028114427j:plain

英雄ウィリアム・ウォレスのモニュメント

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
11世紀後半のスコットランド王は、ダンカン1世の息子マルカム3世で、マルコム3世はアングロサクソン人のマーガレットを妻としアングロサクソン文化を好んだんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
マルカム3世により、スコットランドイングランドの文化が広まっていくんですか

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
そうなんだ。スコットランド南部はイングランド化していき、封建制を導入していくんだ。北部はイングランド文化が入らず、首長が部族を守っていく大家族的な古い制度が残っており、南部と北部では格差が広がるんだ。

※ダンカン1世とマルカム3世はシェイクスピア作「マクベス」の登場人物。ダンカン1世はマクベスに殺され王位を奪われるが、マルカム3世が取り戻す 

www.rekishiwales.com

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
ところが、13世紀になるとイングランドが執拗にスコットランドへ攻撃を仕掛けてくるんだ。スコットランドは、ことごとくイングランドに敗戦し窮地に追い込まれるんだよ。1296年にはスコットランド王が戴冠するとき使用する石、Stone of Destinyがエドワード1世によって奪われてしまうんだ。そこで立ち上がった英雄がいるんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
あっ、ウィリアム・ウォレス。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスは、スコットランド復権を目指してイングランドに対抗したんだ。庶民派のウォレスはイングランド軍を破り破竹の勢いだったけど、スコットランドの貴族階級の支持を得ることが出来ず、更にイングランドエドワード1世の報復に会い、勢いを失っていくんだ。とうとうウォレスは捕らえれ処刑されてしまうんだ。 

www.rekishiwales.com

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
ウィリアム・ウォレスの後継者はロバート・ザ・ブルース(スコットランド王、ロバート1世)で、バノックバーンの戦いでイングランド軍を破り、1320年にスコットランドの独立を手にしたんだ。ロバートもスコットランドの英雄の一人なんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
これでスコットランドは、イングランドからの独立できたんですね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
ところが、ロバート1世がなくなると再びイングランド軍が攻めてきて、スコットランドの独立が弱まっていくんだ。ロバートの息子デヴィッド2世は、イングランドに敗戦しフランスに追放され、またイングランドで人質に取られたりしたんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
じゃあ、スコットランドはこれでイングランドに征服されていくんですか?

 

スコットランド王室の広がり

f:id:t-akr125:20171028114757j:plain
イングランドジェームズ1世(ジェームズ6世)

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
実は、すぐには征服されず、スコットランドでは新たな王室がスタートするんだ。この王室が、逆にイングランドの王室にすり替わっていくことになるんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain

何やら、複雑なことが起こってそうですね、それに、この14世紀の頃にはウェールズイングランドに征服されてしまったけど、スコットランドは粘っているところも、すごいなあ。

ウェールズは事実上、1292年にエドワード2世によって征服されました

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
1371年、ロバート1世の娘の子供、ロバート2世がスコットランド王となり、ステュアート家がスタートしたんだ。このステュアート家が、後にイングランド王室にも大きな影響を及ぼすんだよ。

ステュアート朝 - Wikipedia

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
スコットランドは、イングランドと友好関係を築いた時期もあったけど、イングランドと度々戦争を起こしていたんだ。ジェームズ4世はフランスと同盟を結んでいたが、イングランドヘンリー8世はフランスへ侵略したため、イングランドスコットランドは戦争となりジェームス4世は戦死したんだ。

また、息子のジェームズ5世も、ヘンリー8世からローマ・カトリック教会から離脱を強要されたが拒絶し、戦争となり敗北したんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
なるほど。

 

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
ジェームズ5世を継いだのは、娘のメアリー・ステュアートだ。メアリーはスコットランド国王であり、フランス国王フランソワ2世の王妃であり、更にはイングランド王位の継承権も持っていたんだ。

※祖母はイングランド王ヘンリー7世の娘で、ヘンリー8世の姉

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
メアリーは、イングランド国王エリザベス一世の暗殺計画などの陰謀に関わったとされ、スキャンダラスな人生を送り、イングランドに亡命するも捕らえられ、1587年にエリザベス一世に処刑されるんだ。

メアリー (スコットランド女王) - Wikipedia

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
スコットランドにとっては、好ましくないことばかり起こっていますね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
メアリーの後を継いだのは息子ジェームズ6世で、1567年にスコットランド国王になったんだけど、このジェームズ6世が大きくスコットランドの存在を変えたんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
良い方向ですか、それともスコットランドの立場が弱まるのですか?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
どうだろうか。ある意味、立場を強め、ある意味存在が弱まったかも知れないな。メアリー1世の息子ジェームズ6世がスコットランド王の時、スコットランドの運命は大きく変わったんだ。

イングランド王のエリザベス1世には子供がおらずテューダー家は途絶えてしまったんだ。1567年にエリザベス1世が亡くなると、イングランド王の後継者を血縁のあるものから選ぶことになるんだ。

さっきも言ったように、メアリー1世はスコットランド王だけでなく、イングランド王を継承する資格も持っていたんだ。
 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
まさか、スコットランド王がイングランド王に?

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
そうなんだ。スコットランド王のジェームズ6世も血縁上、イングランド王を継承する資格を持っていたので、1603年にジェームス6世はイングランドジェームズ1世として即位するんだ。

※ その後のイングランド王、スコットランド王、連合国王、は現在のエリザベス2世に至るまで直系で継承している

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
形式上かもしれませんが、スコットランドイングランドを乗っ取ったような、そんな感じですね。驚きです。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
実際は、逆でスコットランドがよりイングランド寄りになっていくんだよ。

 

続く革命と、スコットランド王国の終焉

f:id:t-akr125:20171028114954j:plain

オリバー・クロムウェル

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
議会はスコットランドに残ったものの、ジェームス1世はイングランド王になったので、王家もロンドンに移ってしまったんだ。このため外交も、スコットランドではなくイングランドでコントローするようになりスコットランドの立場は弱くなっていくんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
なるほど。ジェームズ6世としてのスコットランド王の立場よりも、ジェームズ1世としてのイングランド王の立場に重きを置かざるを得なかったんですね。イングランド王としてジェームス1世はどんな政治をしたんですか?

 

ピューリタン革命

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
ジェームズ1世からのイングランド王朝をステュアート朝と呼び、ジェームズ1世と息子のチャールズ1世のときは、国王の権力を強めた独裁的な絶対王政を行ったんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
時代が逆行? イングランドで反発は出なかったのでしょうか。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
やはり、国王と議会は対立したんだ。プロテスタントピューリタン清教徒)を議会が支持し、国王はピューリタンを弾圧するんだ。

1637年にピューリタンを支持するスコットランドで反乱が起きイングランドでも1642年にピューリタンが革命を起こしたんだ。チャールズ1世は捕らえられ、処刑されるんだ(ピューリタン革命、清教徒革命)。そして、プロテスタントカルヴァン派、オリバー・クロムウェルが政治の中心人物となるんだ。
 

王政復古 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
クロムウェルが共和制をしいた約11年間は、国王が不在になっていたんだ。絶対王政を破り、民主的になったように思えたけれど、クロムウェルは独裁政治を始めてしまうんだ。

クロムウェルが亡くなると共和制は終了し、チャールズ2世が即位するんだ(1660年、王政復古)。王政復古したものの、絶対王政カトリックも復活し、再び国王と議会が対立するんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
中世のウェールズや戦国時代でも、領土を取った取られたを繰り返していたように、イングランド王を兼ねたスコットランド王と議会の間で、同じような攻防が繰り返されたんですね。

 

名誉革命

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
チャールズ2世の息子、ジェームズ2世スコットランド王としてはジェームズ7世)の時にイングランド議会との対立はさらに深まったんだ。議会はジェームズ2世の娘メアリーと夫のオランダ総督ウィレムを擁立し、1688年に革命を起こしたんだ(名誉革命)。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain

ついに、ジェームズ2世は国外に亡命し、メアリーはメアリー2世ウィレムはウィリアム3世として共同でイングランド王となったんだ。この名誉革命で、事実上スコットランドの独立は終焉し、1707年に合同法によってスコットランドイングランドと合同して、グレートブリテン王国となったんだ。
 

スコットランドの衰退

f:id:t-akr125:20171028115331j:plain
ジョージ1世

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
ステュアート朝が終わり、次の王を選ぶときに、王位継承順位の低いドイツ人ジョージ1世がイングランド王になったんだ。ジョージ1世は、殆どイングランドに滞在することはなく、王の権力は低減してしまったんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
国王の権威を重んじる人々にとっては大いに不満だったのでしょうね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
まだまだスコットランドには、名誉革命に根強く反対する勢力が残っていたんだ。名誉革命で国外亡命したジェームズ2世の直系が正当な王だと主張する勢力だ。この勢力はジャコバイトと呼ばれ、ジェームズ2世の孫チャールズ・エドワード・ステュアートを擁立し、当時のイングランドジョージ2世の廃位を企てたんだ(ジョージ2世はジョージ1世の息子)。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
そこには、スコットランドの独立の狙いもあったのでしょうか。

 
 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
そして1746年にスコットランドでカロデンの戦いが起き、フランスの支援を得たジャコバイト軍とグレートブリテン軍が争ったんだ。イングランド軍はスコットランドのジャコバイト軍を大量虐殺し、ジョージ2世が勝利したんだ。しかし、この大量虐殺は、スコットランドの対イングランド感情に影響を及ぼすんだ。さらに、カロデンの戦いの後、スコットランドの状況は大きく変わり、立場は悪くなって行くんだ。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
法律でスコットランドの伝統衣装であるタータン(格子じまの毛織物)、伝統的な楽器バグパイプが禁じられ、武器を持つことも禁じられた。

スコットランドの部族の首長は、封建領主にとって変わられ、お金を儲けるために領土では羊の放牧がおこなわれるようになった
このため、1760年に封建領主は強制的に住民を去らせる「リアランス」を始め、ときには暴力手段を使うこともあったそうだ。
リアランスは、スコットランド北部を中心に行われ、スコットランド南部では逆に
経済的に花開き、格差が広がったんだ。
 

産業革命で復活

f:id:t-akr125:20171028115655j:plain

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
18世紀のスコットランドは、たばこ貿易でヨーロッパの中心となり、さらに製糸や石炭鉱業が盛んになったんだ。ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関車産業革命を起こし、スコットランドでは、グラスゴーを中心に繁栄をもたらしたんだよ。

経済的に発展はするものの、政治的には問題があったんだ。ウエストミンスター寺院が新たな政治の中心となったため、スコットランドの政治家たちは、スコットランドを去ってイングランドに行かなければならなかった
 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
イングランドにいて、スコットランドの政治ができるんでしょうか?

 
f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
そうなんだ。スコットランドの人々の間では不満が募り、1934年にスコットランド国民党を作るに至ったんだ。 
 

スコットランドの転機~現在 

f:id:t-akr125:20171028115912j:plain

 
f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
スコットランドにも脚光を浴びる大きな出来事が起こったんだ。これによりスコットランドも徐々に光を取り戻していくように思うな。
 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
ん~スコットランドの立場が強くなる出来事。なんだろう?ひょっとして、北海油田

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
そう、その通りだ。北海油田の発掘により、スコットランドの経済は急速に成長し、イギリス全体の経済発展にも大きな貢献をしたんだ。スコットランドの経済が豊かになってくると、人々はあることを願うようになってくるんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain
スコットランドの独立ですよね。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
1296年にイングランドエドワード1世によって持ち去られてしまった、Stone of Destiny(スコットランドの古代王政のシンボルで、スコットランド王が戴冠するときに使用する石)スコットランドに返還されたんだ。現在は王冠の宝石とともにエジンバラ城で見ることができるよ。

 

f:id:t-akr125:20161210161513p:plain
1997年、英国議会は国民投票を行い、スコットランド議会を復活することが決まったんだ。そして、1999年にスコットランド議会が設置され、2003年にはエジンバラに議事堂が建てられたんだ。

そして、2014年9月18日、スコットランドの独立の是非を問う住民投票が行われ、反対票が55%を占め、独立は否決されたんだ。

 
 

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
最近は、イギリスのユーロ離脱により、再びスコットランド独立の熱が再燃しているようだな。スコットランドだけでなく、ウェールズ北アイルランドも、今後どのように動いていくのか、目が離せないと思います。

今回の記事で、スコットランドの歴史にも興味を持っていただけると、ありがたいと思います。

 
とびきり哀しいスコットランド史 (ちくま文庫)

とびきり哀しいスコットランド史 (ちくま文庫)

 
図説 スコットランド (ふくろうの本)

図説 スコットランド (ふくろうの本)

 

 

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

最後まで読んでくださり有難うございました。

時代は繰り返されるのか、次男を溺愛したウェールズ王

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
話題が満載すぎるウェールズを見守る王、という内容で、ラウェリン大王について、シリーズでお話をしております。
ラウェリン大王の特徴について簡単に表現しようと思っても、なかなか簡単になりません。こんな感じで、つかみどころがない、大王です。

話題が満載すぎる、ウェールズを見守る大王
史上例を見ない暴君を倒したウェールズの王子 -
敵が味方に、味方が敵に、昨日の友は今日の敵だったウェールズの王 
絶体絶命のピンチを嫁に助けられたウェールズの王
ジョン失地王と渡り合ったウェールズ王の活躍
次男を溺愛しすぎて、世の中と喧嘩した男

今回は、⑥つ目の最後のお話です。

 

非嫡子を愛した大王 

f:id:t-akr125:20171027203421j:plain

ラウェリン大王と2人の息子、グリフィズどダヴィッズ

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain

12世紀に活躍したウェールズの王であるラウェリンの祖父も、ウェールズで勢力を広げ、オウァイン大王と呼ばれました。オウァインは国をよく治めましたが、禁断の恋で国を混乱に陥れたのでした。

 

ラウェリンには2人の息子がいました。長男のグリフィズと次男ダヴィッズです。

長男のグリフィズはウェールズ人の正妻との息子で、ウェールズ法ではグリフィズが後継者としての資格がありました。

 

しかし、、、

 

ダヴィッズ、お前は立派で素晴らしい。ワシの後継になる素質がある」

「しかし、僕よりグリフィズ兄さんが次の王じゃ、ないですか?」

「心配するな、きっとお前を王にしてやるぞ」

 

ラウェリンは、ウェールズ法では非嫡出子のダヴィッズを溺愛したのでした。

 

ラウェリンがダヴィッズを溺愛した理由は2つ考えられました。一つ目は、グリフィズは気性が激しく、ラウェリンが領土を分け与えると、圧政を繰り返したりしていました。

 

もう一つの理由は、ダヴィッズは非嫡子の扱いでしたが、母ジョアンはイングランドのジョン王の娘(しかし非嫡子)だったのです。

 

恐らく、イングランドとの良好な関係を築くためにも、ダヴィッズが後継者になった方が、ラウェリンに都合が良かったかも知れません。

 

「グリフィズの奴は、頭を冷やさないとダメだ。ちょっとお灸を据えてやろう」

「グリフィズ、お前はイングランドに送るぞ」

 

ジョン王から人質要求があった時、ラウェリンはグリフィズを人質として差し出し、ウェールズイングランドとの良好な関係を保とうとしました。そして、グリフィズが居ない間に、ラウェリンはダヴィッズを後継者にしようと様々な口実を作り、手はずを整えていました。

 

狂気の溺愛

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain

しかし、ジョン王によってマグナカルタが制定された時、晴れてグリフィズは解放され、ウェールズに帰ってきました。

 

「グリフィズが帰って来てしまったか。もっと人質でいてくれればいいのに。他の手を考えよう」

 

そんな中、マグナカルタが制定された翌年に、ジョン王は赤痢で亡くなり、ヘンリー二世が新たなイングランド王になりました。

 

「よし、ヘンリー三世との関係を築くために、無理やりにでもグリフィズを人質に送ろう」

 

再びグリフィズはイングランドに送還され、ラウェリンは裏工作を始めました。

・ローマ法皇ホノリウス三世に、ダヴィッズが後継者になれるように説得を続けた

ウェールズでは、嫡子も非嫡子も誰でも相続権があり後継者は長男がなる、というローマ法皇が嫌っていたウェールズ法を一部を改定した。

・ヘンリー三世にも取り入り、ダヴィッズの後継を認めさせようとした。

ウェールズの諸侯たちに圧力をかけ、ダヴィッズに忠誠を誓わせた

 

などなど、あれこれと策略を巡らし、ついにダヴィッズがラウェリンの後継者になることを、世に認めさせる事ができました。

溺愛の代償

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain

こうして、父に溺愛されたダヴィッズはラウェリンの後を継ぎ王となり、初代のプリンス・オブ・ウェールズを宣言しました。

 

これで、ウェールズは平和になったかというと、そうではなかったのです。ウェールズは混沌としてしまったのでした。

ラウェリンが1240年に亡くなると状況は一変しました。本来のウェールズ法による後継者グリフィズを支持する人々が立ち上がり、ダヴィッズに対立を挑んできたのでした。

 

反乱軍に怒ったダヴィッズは、グリフィズの領土を攻撃し、占領します。

 

これに対し、捕らわれの身であったグリフィズは反撃を企てました。軟禁されついたロンドン塔から脱出を図ります。しかし、不運にも転落死してしまいました。

 

この一連の動きをしたたかな目で見ていた人物がいました。一度はダヴィッズを支持した、ヘンリー三世でしたが、ラウェリンが亡くなると、知らんわな、とばかりにダヴィッズに攻撃を仕掛けてきました。

ウェールズは大混乱に陥ります。イングランドに攻められ、弱体化が進んでいく事になったのです。

 

時代は繰り返される? 

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain

振り返ってみると、一時はウェールズの黄金時代を築いたラウェリンでしたが、ダヴィッズを溺愛し、法に従わず無理やり後継者にしたことが発端で、ウェールズを混乱に導いてしまった気がします。

祖父オウァインは従妹を溺愛し、法でも協会でも禁じられた結婚に踏み切りました。その子供が後継者になり、ウェールズは大混乱に陥りました。そんな祖父の歴史がありました。 

ラウェリンの祖父オウァインが行なった、王としての似たような過ち。やはり時代は繰り返されるのでしょうか? 

 

ダヴィッズが亡くなった後は、グリフィズの息子ラウェリン・グリフィズが、プリンス・オブ・ウェールズになりました。

※この記事は史実に基づいておりますが、会話などは筆者の想像が大いに入っております

 ※おすすめ記事
ラウェリンの父、オウァイン大王の記事

www.rekishiwales.com

 

嫌われた長男グリフィズに関する記事

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com


www.rekishiwales.comwww.rekishiwales.com
最後まで読んでくださり有難うございました。

中世ヨーロッパの食事 貴族と農民の違い

f:id:t-akr125:20171001115532p:plain

 

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。

中世ヨーロッパの人々はどんな食事をしていたのでしょうか?

 

中世ヨーロッパの人々の食事は、貴族階級と農民では大きく異なっていました。

上流階級は、野菜は殆ど食べず肉料理が中心で、すごい量の料理をちょっと食べるという食事でした。逆に農民は、野菜中心の料理で適量に食べていました。唯一の共通点は、一日に3度の食事をしていたことでした。

貴族と農民は、それぞれどんな食事をしていたのでしょうか。中世の人々はバランスのとれた食事をしていたのでしょうか。豊かな貴族ほど、バランスが取れた食事をしていなかったようです。

youtu.be

簡単な歴史的な背景

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
中世イギリスを例にあげますと、1066年にフランスからやってきたノルマンディー公ウィリアム1世イングランドを征服してから、イギリス中世の食事は大きく変わってきました。

それまでは、ローマ人の食に影響を受け、自家製の食材で料理をしていました。ところが、フランスからの食材や、十字軍の遠征により世界各国の料理や、多くのスパイスがもたらされました。貴族たちの食事は、贅沢で優美なものに変わりましたが、農民たちの料理は、殆ど変わらず自家製の野菜中心の食事でした。

貴族と農民の食器

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
貴族は銀や金食器を使用し、農民は木製やつの製の食器を使っていました。主にナイフを使い、スープなどもカップが使用されていました。当初はスプーンは使われておらず、14世紀になってから使われるようになりました。

貴族と農民の主食

f:id:t-akr125:20171025220056j:plain

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
主食はパン。領主や貴族たちは小麦から作る白いパンを好みました。小麦を作るには肥料が必要で高価になり、白いパンは上流階級しか手の届かないものでした。このため、多くの農民たちはライ麦、大麦を育ててパンにしました。不作時には、まめやドングリなどもパンに混ぜていました。

自分たちで作ったパンではありましたが、領主は農民たちに自分の家でパンを焼くことを認めていませんでした。かわりに、領主の家のオーブンを借りてお金を支払ってパンを焼く必要がありました。

 

貴族と農民の料理

貴族の料理

f:id:t-akr125:20171001162510j:plain

 

youtu.be

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
イングランドの貴族たちは、多くの異なった料理を食べましたが、地面からとれるものは貧しい人々に適していると考えられ、野菜はほとんど食べませんでした。アブラナ、玉ねぎ、ガーリック、ネギなどのみ食卓に並び、パイの中にフルーツが入る程度でした。

牛、豚、やぎ、子羊、うさぎ、野うさぎ、しか、イノシシ、鶏、七面鳥などの数多くの肉料理が食卓に並びました。魚介料理は、マス、タラ、カレイなど、オイスター二枚貝、ムラサキ貝などでした。

味付けはとてもスパイシーで、ペッパー、シナモン、ナツメグ、ジンジャー、コリアンダー、ガーリック、ターメリック、クミン、マスタード・・・・ありとあらゆるスパイスを使用していました。

貴族たちは晩餐会をホールで行い、屋敷や城から離れており、冷めた料理が多かったようです。逆に、農民は作ってすぐに食べたので温かい食事をとっていました。

農民の料理

f:id:t-akr125:20171025220416j:plain

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
イングランドの農民たちは、主にポタージュを多く食べました。ねぎの入ったポタージュが一般的でしたが、豆やカブ、パースニップ(ニンジンに似た根菜)などが入ることもありました。穀物が入ることもあり、これは農民たちが何を収穫したかにもよりました。

ポタージュ - Wikipedia

youtu.be

 

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
肉類に関しては、豚がメインでした。森で自然に落ちているドングリで育ち、飼育するのも安く済み、一年を通して肉が手に入りました。

羊、イノシシ、うさぎ、などは全て領主の所有で獲ることは許されていませんでした。密漁すると腕を切り落とされるなどの刑罰が与えられました。

魚類についても同じで勝手に獲ることは許されておらず、川のそばに住んでいる人々は領主の許可を得て、魚を取っていました。密漁すると同じく、重い刑罰が下されました。

水は多くの場合は、汚くて飲めたものではありませんでした。このため、水に浸して麦芽を作り、発酵させてエールを作り、多く飲んでいました。しかし、作ったエールは領主の許可がないと売ることが出来ず、ライセンスを取るためにお金を支払っていました。

この時代も、領主や貴族たちにお金が集まるような仕組みが作られていたのですね。

 

朝昼晩の食事の時刻とメニュー例 

youtu.be

 

朝食

・貴族の朝食
時刻:6~7時
料理:白いパン、肉料理3品、魚料理3品、ワインとエール

・農民の朝食
時刻:夜明け
料理:ライムギパンとエール

昼食

・貴族の昼食
時刻:11~14時
料理:3コースの料理。1コースには肉や魚を中心に4~6品ある。飲み物はワインやエール。いずれも少量しか食べず、大半は捨てられる。

・農民の昼食

時刻:11~12時
料理:農場で、パンとビールとチーズの簡単な食事

 

夕食

・貴族の夕食
時刻:18~19時
料理:朝食とほぼ同様のコース料理。ハトのパイ、ヤマシギチョウザメなど変わった料理も。

・農民の夕食
時刻:日没頃で季節によって変わる
料理:野菜ポタージュ、運良ければ肉料理。パンにエール。

 

中世の料理は健康的だったのだろうか?

f:id:t-akr125:20171014183836j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
農民たちは栄養価の高い、ライ麦や大麦のパンに、肉が少々で野菜が中心の食生活で、比較的食事のバランスは取れていたのではないか、と思います。

一方、貴族の食事については、肉料理が中心の贅沢なものでしたが、栄養は全く考えられておらず、ビタミンCや食物繊維が不足していました。

このため、虫歯、皮膚病、壊血病、くる病(骨の石灰化障害)に苦しむ貴族も少なくなかったようです。

イングランド王のヘンリー8世も、晩年は食べ過ぎで肥満となり、様々な病に苦しんだと言われています。

いつの時代も食べ過ぎは病の元になっているようですね。 

参考:

The medieval diet - The British Library
Food and Drink in Medieval England - History Learning Site

 

www.rekishiwales.com

 

youtu.be

 

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

 最後まで読んでくださり有難うございました。

アップルと古代ローマ人の共通点は、発明ではなく改良にあった

f:id:t-akr125:20171022191318j:plain

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain
こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。今回は、ちょっとイギリスを離れてローマ帝国の話です。

ローマ帝国が我々の生活に影響したものは、まるでアップルが世界に大きな影響を及ぼしたケースと、とても類似点があるようです。

アップルとローマ

f:id:t-akr125:20171022191624j:plainf:id:t-akr125:20161211142909p:plain
アップルはその昔にはマッキントッシュと呼ばれていた頃のデスクトップパソコンから、近年ではiPhoneipadiMacなどを次々と発売し、世界中の人々の生活の中に広く普及しました。

しかし、アップルはスマートフォンを発明したわけではないのです。音楽のダウンロードを始めて行ったのはiTunesでもないのです。タブレットipadが発売されるより、10年以上前から存在していました。

アップルは発明者ではなく改良を重ねて、世の中に広めた点が偉大なのです。
つまり、アップルがすごい点は、存在しているアイディアや物を、これまで誰もやったことがない方法で、発達・改良してきた事が、注目する点です。例えばデザインや使い方や機能など、オシャレで使いやすいくて楽しいものになっています。

 

実は古代ローマ帝国の時代に生きた、ローマ人たちもアップルと同じでした。ローマ人たちも様々なものを世の中に普及させましたが、多くのものはオリジナリティがある発明ではありませんでした。すでに存在しているアイディアを採用して、改良を重ねて、人々が利用できるものに改良したのでした。

実際に古代ローマ人は、どんな発明を利用して、どのように改良して世の中に普及してきたのでしょうか?

 

ローマ人と道路

f:id:t-akr125:20171022191659j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
道路はローマ人が発明したものではありませんでした。最初に舗装された道を作ったのは、今から約4600年前のエジプトの採石場でした。さらに、紀元前5世紀にはペルシア帝国のダイオレス1世が、約2700kmにもおよぶ「王の道」を建設しました。しかし、すべてが舗装されていたわけでもなく穴ぼこが多い泥道か砂利道が多く、まっすぐな道でもありませんでした。

古代ローマ人たちは、「道」に有用性と可能性があると、ポテンシャルを感じていました。この「道」というアイディアをローマ人たちはうまく利用したのです。

ローマ人は「道」を改良して、まっすぐで舗装された道を作りました。まっすぐで舗装された道は、通信、交易、軍隊の移動にとても有用でした。ローマ人は、ローマから放射上に走るまっすぐで舗装された軍用道を建設して地方をつなぎ、さらに113の地方間を約40万kmに及ぶ、372の道路でつなぎました。

これにより世界中で最もコネクションが優れた帝国をつくり、ローマ帝国が強力になる土台を作ったのでした。

ローマ街道 - Wikipedia

ギリシャをコピったローマ人

f:id:t-akr125:20171022191715j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
紀元前のギリシャは何世紀にも及んでさまざまな教養を身に着けてきました。紀元前2世紀にマケドニアギリシャの中心だった頃、ローマは戦いに勝利しギリシャを手中におさめました。

ローマは柱やペディメント(窓の上の装飾)など様々な建築様式をギリシャ文明を積極的に取り入れました。また、パンデオン(神殿)のギリシャの神々を大いに利用して、ローマ風に変えました。ゼウスはユーピテル、アリエスはマールスに変更されました。

ギリシャで始まったオリンピックもローマルールのもとで、盛んにおこなわれるようになりました。

ローマ神話 - Wikipedia

 

古代のコンクリートは現在より強い?

f:id:t-akr125:20171022191740j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
コンクリートはいつ頃から存在したのでしょうか? 
実はコンクリートは人口のものだけではなく、自然界に存在するコンクリートもあり、人類が誕生する前からコンクリートは存在していました。

最初にコンクリートを用いたのは紀元前1500年頃の古代ミケーネの人々で、床をコンクリートで作りました。また北アフリカベドウィン族もローマよりも前の時代に、自分たちのコンクリートを作り出していました。

しかし、コンクリートの有用性を世の中に広めたのは、古代ローマの人々でした。コンクリートの語源はラテン語のコンパクトを意味するconctetusです。ローマの人々は、橋やドームを建築するには、すぐ乾いて広い範囲で使用できる液状の材料の方が、レンガや石造りよりも適していると考えました。すぐ乾いて固まるので、コンクリートの方が工期が短くなり、しかも安いという大きなメリットがありました。

ローマの人々はコンクリートを使って様々な建造物をつくりました。ローマのパンテオン、カラカラ浴場、コロッセオローマ水道など、現在も現存するものが多くあります。ローマ人たち使ったコンクリートは、ローマンコンクリートと呼ばれ、水、酸化カルシウム、砂、火山灰を混ぜ合わせて作り、なんと寿命は数千年もあります。

これに対して、現在のコンクリートポルトランドセメントと呼ばれるもので、最初はアルカリ性ですが、年数がたつとケイ酸ポリマーが形成され、アルカリ性が中和して強度を失ってしまい、50~100年ほどしか持たないそうです。

ローマン・コンクリート - Wikipedia

 

もっとも影響を及ぼしたカレンダー

f:id:t-akr125:20171022191806j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
カレンダーはローマが発明したのでしょうか? 
やはりそうではなく、古代ギリシャ暦があり、月の満ち欠けを基として太陽の動きも参考にうるう年を入れた、1年を354日とする暦を使用していました。

ローマ人はこれを改良してヨーロッパ史に最も大きな影響を及ぼす暦(カレンダー)を作ったのです。これはユリウス暦(旧暦)と呼ばれるもので、ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日より使用されました。

ユリウス暦は1年は365日で12か月に分け、うるう年を4年に1度、2月に作るというものです。このユリウス暦は現在の私たちが使っているカレンダーにかなり近いものになっています。

正確には1年は365日+1/4日ではないので、数世紀にわたるとユリウス暦ではずれが生じてきます。1582年からはグレゴリオ暦新暦) が用いられ、太陽暦との誤差を修正しています。

ユリウス暦 - Wikipedia

 

地方分権を広めたのはローマ?

f:id:t-akr125:20171022191818j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
284年、下級軍人出身のディオクレティアヌスローマ帝国のなかで大出世を遂げ、ローマ皇帝となりました。ディオクレティアヌスはテトラルキアと呼ぶ4分割統治(帝国を4つの領土に分割し、4人の皇帝がそれぞれ統治)を行いました。

テトラルキアは、ローマ帝国で始まったのではなく、古代イスラエルで行われたのが始まりで、4人の皇帝はそれぞれ独立して国を統治しました。

ところが、ローマ帝国の場合はディオクレティアヌスが最も権力を持ち、数多くの地方の問題は各皇帝が取り扱って、ディオクレティアヌスに報告するシステムでした。4つに分けられた領土は道と呼ばれ、道は12の管区に分けられ、さらに管区は属州に分けられました。地方の問題は地方で解決する地方分権が進んだ時代でした。

テトラルキア - Wikipedia

 

ローマが発明したもの

f:id:t-akr125:20171022191845j:plain

f:id:t-akr125:20161211142909p:plain
文字は紀元前3100年にバビロニアの粘土版に記されていました。しかし、粘土板は大きく持ち運びには適していませんでした。

古代エジプトではパピルスが発明され、古代中国では紙が発明されました。これらに文字や絵などを記して巻物にしていました。持ち運びはできるようになったものの、大量の情報を記すことには適していませんでした。

持ち運びが容易にでき、大量の情報をストックできる物はないだろうか? そこでローマ人たちは大きな発明をしました。

パピルスや紙のシートは同じ大きさに切られました。長方形の形が多いと思います。シートはそろえて纏められ、ふちは綴じられました。そして、シートよりもやや大きく厚いカバーで挟まれました。

持ち運びが容易にでき、大量の情報がインプットできる本の誕生です。ローマ人たちは、本を発明しました。

本はその後1900年にわたって、現代にe-bookが出現するまで、読み書きや情報のストックに用いられてきたのです。

最後に一言

f:id:t-akr125:20161204125616p:plain

ローマ帝国、アップル社は発明であれ改良であれ、世の中に多くの影響を与えてきました。私たちの生活への貢献に敬意を表し、彼らの着眼点に注目したいと思います。

 1世紀~5世期初めまで、ブリタニアと呼ばれていた現在のイギリスの多くの部分は、ローマ帝国支配下にありました。このため、現在でもイギリスには多くのローマ人たちの遺跡が残っており、ローマ人たちの改良が生かされている部分が見つかるかもしれませんね。

 

※おすすめ記事 

www.rekishiwales.com

 

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

www.rekishiwales.com

 最後まで読んでくださり有難うございました。

取材、記事のご依頼、お問い合わせはこちらまで t.akr125@gmail.com