イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史と、ウェールズとの関わりが深いアーサー王についてのページです

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中世ウェールズの歴史 決定版

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こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。

ウェールズの中世歴史について、気合を入れて記事を書いてきました。
今回は総集編ということで、これまでの記事にコメントを入れて纏めました。

中世ウェールズの歴史の中で、どこかに興味を持っていただけると、嬉しく思います 

中世ウェールズ歴史の分かりやすい概要

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中世ウェールズの歴史の流れを、とてもシンプルに分かりやすく纏めてみました。ウェールズの歴史って面白いかもと興味を持っていただけると、有難いです。 

 

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※シンプルな中世ウェールズの歴史年表(たなかあきら、分類)

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ローマ時代(1世紀~5世紀初め)

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ウェールズだけでなく、ブリテン島の大部分がブリタニアと呼ばれていた頃の多くは、ローマ帝国に支配されていました。
・どうやってローマ帝国に征服されたのか
・どのようにローマに支配されていたのか
について、まとめました

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ブリタニア時代(5世紀初め~7世紀後半)

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ウェールズブリタニアの一部だった中世。ローマ帝国支配が終わり、5世紀中ごろに、ウェールズの王室が始まりました。
その後、ゲルマン系民族のアングロ・サクソンが侵入してきて、イングランドの元ができます。

伝説の英雄、アーサー王が登場するのもこの時代になります。


ローマが撤退してブリタニアが独立し、ブリタニアが終わるまでの時代について纏めた記事です。

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戦乱時代 (7世紀後半~9世紀前半)

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7世紀後半から9世紀の前半は、ウェールズは大いに混乱しました。
アングロサクソン7王国の1国、マーシアの継続的な侵略
ウェールズ内の後継争いによる荒廃
・伝染病、自然災害、飢饉
そんな時には救世主が現れることを人々は望みます。ウェールズの王室を変えた人物が登場しました。

北の島からやってきたその男、アーサー王物語の誕生にも大きな影響を及ぼしているそうですよ

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統一時代(9世紀前半~10世紀中盤)

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それまでのウェールズは小国に分かれて、統一感がありませんでした。また強い指導者も不在でした。この時代は、強い権力をもった大王と呼ばれる統治者が現れ、初めてウェールズが統一へと向かった時代です。グレートとグッドと呼ばれた統治者が出現しましたよ

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南北朝時代(10世紀中盤~11世紀後半)

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この時代は、戦国時代のように乱戦が続き、南北朝時代のように王室が南と北に分かれて、主導権が移っていました。さらに、イングランドが攻撃してきて、ぐちゃぐちゃの時代です。

乱れた時代が続くと、動乱を治めようとリーダー的な存在も生まれてきます。
どのようにウェールズの統治者たちは行動していたのか、そこが面白いと思います。

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プリンス・オブ・ウェールズ時代(11世紀後半~13世紀後半)

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12~13世紀になると、イングランドの侵略が激しくなってきました。そこで立ち上がったのが、プリンス・オブ・ウェールズウェールズを守るためイングランドと対立をし、活躍をします。
この時代は、プリンス・オブ・ウェールズの出現から、イングランドに乗っ取られるまでを書きました

 

ノルマン時代(13世紀末~)

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1282年にウェールズイングランドに征服されてから、自称プリンス・オブ・ウェールズを名乗る、プリンスたちがイングランドに立ち向かっていきました。

最も印象に残り、現在も語り継がれているのが、15世紀初めに旗を揚げたオウァイン・グリンドゥールです。最も偉大なイギリス人ランキングでは、ベッカムアーサー王エリザベス2世よりも上位にランクインしています。

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番外編)静かなウェールズの逆襲

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中世ウェールズの歴史、番外編です。
13世紀にウェールズイングランドに敗れて事実上、征服されました。
しかし、ウェールズの王室の血は継承され、イングランド王室のランカスター家(赤バラ)に入っていきました。(逆玉の輿で)


逆玉の輿の孫で、ウェールズの直系であるヘンリー・テューダーが、薔薇戦争に打ち勝って、ヘンリー7世になったのでした(エリザベス1世の祖父)

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全部つなげると、かなりの字数になります。書籍化を目指していきます!
ありがとうございました!

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あだ名を簡単に作れるアプリ11選です

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こんにちは。たなかあきらです。
実は、たなかあきらにはあだ名がありません。どんなあだ名が良いかなあ?
と思っていて、あだ名を簡単に作ってくれるサイトで試してみました。

このサイトは、歴史のサイトなので、ウェールズ歴史上のあだ名に関する、小話も紹介しますね。

 

中世ウェールズ王の面白いあだ名

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中世ウェールズの人たちは苗字がなく名前だけだったんだ。同じ名前もとても多く、ますます混乱してしまうので、親の名前を自分の名前の後につけたり、体の特徴をあだ名として付けたりしていたんだ

ウェールズの統治者には、とても面白いあだ名がついているんだよ。その例を紹介しよう! 

あだ名その1 「ノッポ」

Rhun Hir (the tall)

ノッポのリン(リン・ザ・トール)

6世紀のウェールズの統治者で、背が高く美男子でした。それだけでなく、とても賢くアーサー王の良き相談相手でナンバーワンのカウンセラーと呼ばれたそうだ

あだ名その2   「なが~い手」

Cadwallon Long hand長い手のカドワロン(カドワロン・ロングハンド)

武勇にも優れた6世紀ウェールズの統治者。手がとても長くて、立ったままで地面の石を拾え、敵を攻撃できたそうだ

あだ名その3  「白い歯」

Owain Ddantgwyn(white tooth)

白い歯のオウァイン(オウァイン・ホワイト・トゥース)

ロングハンドの弟で、アーサー王のモデルではないかと言われているんだ。ホワイト・トゥースとはキラリと輝く剣を意味し、伝説の剣エクスカリバーを指すのかも知れないな

あだ名その4  「ハゲ」

Idwal Foel (Idwal the Bald)

ハゲのイドワル(イドワル・ザ・ボールド)

イドワルは10世紀ウェールズ王室の中心的な統治者でしたが、あだ名はハゲ。

 

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それ以外には、こんなあだ名を持った権力者がいたんだ

・Idwal Iwrch (the Roebuck) イドワル・ザ・鹿

・Merfyn Frych (the Freckled) メルヴァン・ザ・そばかす

・Llywelyn the Last  ラウェリン・ザ・最後

 

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王だろうがあだ名で呼んでいたとすると、親しみがあっていいな

 

あだ名メーカーの紹介

 

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あだ名メーカーであだ名を作ってみました。使いやすかった、面白かった、という観点で、ランキング形式にしてみました

 

第5位 あだ名メーカー

ウェールズの統治者イドワルのあだ名は実際に「ハゲ」で、かわいそうなので、他のあだ名を作ってみました。

 

「世話焼きクィーン」

なんとも微妙になってしまいました(笑)

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usokomaker.com

 

 

 

第4位 Naker

 

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ハンドルネームを作りたい名前を入力し、文字を入れたい箇所に?にしておくと、自動で?を埋めてくれるよ

例えば、こんな感じ

アキ?ラ? ⇒ アキトラア

naker.me

 

第3位 アダナツクッター

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もう一つ、イドワル氏で挽回を試みました

怒涛のあだ名が一気に作られた!

どれにしようかな。 

これだ!

 

「イドワル学科長」

あだ名ツクッター

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第2位 ☆あだ名メーカー☆

たなかあきら、のあだ名を作ってみました。

たなかあきらを入力! たなかあきらの新あだ名、できました!

 

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こんにちは、たっぴ☆です。

ボタンを押せばいくらでも更新されるのがよいです

☆あだ名メーカー☆

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第1位 ニックネーム作成支援

 

よし、もう一度、他のサイトでもトライだ!

 かわいい、面白い、変わった、かっこいい、ニックネームがそれぞれ作れるよ。代表案と壁紙、さらに100件のあだ名を作ってくれます

 

「面白い」でやってみたよ

 

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こんにちは、「アキッドピッド」です

www.namaenomori.com

 

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という訳で、個人的な好みから、たなかあきらのあだ名は、「 たっぴ☆」にしようかな、と思います!

 

その他のあだ名メーカー6選 

オリキャラの名前キメッター

 名前を入力すると、オリジナルキャラクター風の名前をつくってくれます

オリキャラの名前決めったー

 

・いろつく

ふざけた面白いあだ名を作成

君のあだ名メーカー

 

・すごい名前生成器

名前を入れると、各国の名前が作られます

すごい名前生成器 - 創作・ゲームに使えるランダム人名ジェネレータ

 

・ニックネーム製造機

ニックネームを作り運勢まで見てくれます

ニックネーム製造機 - あなたの名前からピッタリのニックネームをつけちゃいます

 

 

・二つ名メーカー

ライトノベル風のあだ名を作ってくれます

二つ名メーカー

 

・勇者名ジェネレーター

司教様がストーリー風に勇者名をつけてくれます

 

勇者名ジェネレータ

 

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ありがとうございました!

 

チェインメイル(鎖帷子) 通販で買える本格的なカッコいい中世の武器 

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こんにちは。たなかあきらです
中世ヨーロッパの代表的な鎧、チェインメイル。ピカピカの甲冑もいきけど、チェインメイルも渋くて、カッコいいなあと思います

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チェインメイルは、鋼線でリングを作っていくつも連結させて布のようにしたものです。チェインメイルは、ピカピカの甲冑に比べると強度はないけれど、とても軽くて柔軟性に優れ、俊敏に動ける利点があります。

この動画を見ると、剣で簡単には切れず、ある程度は敵の攻撃から身を守ることもできそうですね

 

youtu.be

 

と書いていると、とてもチェインメイルを着たくなってきたので、通販でも買えるチェインメイルを集めてみました

 

本格的なチェインメイル

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これは結構、服たいなかんじがするなあ

 

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チェインメイルは衣服の下に着る、肌着としても使用されていたんですよ。刀、鎧、など中世の武器を専門に扱っているカナダのEpic Armoury Unlimited社製のチェインメイルで、中世のスタイルを手作りで再現した本格的なものです

Larp Swords and Larp Armor for live action role playing | North America's Larp store

 

 

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こちらはお、比較的買い得な商品ですよ

 

かっこいいピカピカのチェインメイル こちらも本格的

 

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こういうピカピカのチェインメイルもカッコいいなア

 

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そうですね。表面が亜鉛めっきの処理がされたスチールで作られているんですよ。

 

 

チェインメイルの被り物

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服としてのチェインメイルだけでなく、チェインメイルの被り物があると、ぐっと中世の戦士らしくなるなあ

 

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このヴァイキングの、ヘルメットにチェインメイルがついたのはかっこいいなあ

 

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ヘルメットでは隙間ができるので、首の部分をチェインメイルでカバーするんですね

 

 

コスプレ用のチェインメイルはこちら

現在でオシャレに着こなす

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これまでのチェインメイルは、戦争に使う鎧の役割でしたが、現代のファッションにも使えますよ。こちらはステンレス製のメッシュシャツ。Mサイズでは1.2kg 

 

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チェインメイルの被り物は、現代では帽子にしてみてはいかが?

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こちらは、金属ではなくて綿でできたチェインメイルTシャツです

 

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

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イギリスの王室に影響するウェールズの王室

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こんにちは。たなかあきらです。

13世末にウェールズイングランドに征服されました。その後、各地で独立の反乱は起きましたが、15世紀の初めに起きた英雄オウァイン・グリンドゥールの反乱も鎮められイングランドの支配力が強まりました。

ウェールズの王室も途絶えて終わってしまったかの様に思えますが、結果的にイングランドの王室や歴史に大きな影響を与えたのです。

その発端は、逆玉の輿に乗った、一人のウェールズ人でありました

 

連載の中世ウェールズの歴史番外編です

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逆玉の輿に乗ったウェールズ人 

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時代は、オウァイン・グリンドゥールの反乱が終わった15世紀。反乱の影響でウェールズに対するイングランドの圧力は強く、ウェールズ人というだけで逮捕されたり危険人物視されていたんだ。

 

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ウェールズ人にとっては住みにくい時代だったんですね

 

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その時代にオーウェン・テューダーと呼ばれるウェールズ人がいて、イングランド王室で使用人として働いていたんだ。

 

オーウェン・テューダー(Owen Tudur)はイングランド名で、ウェールズ語では、オウァイン・アプ・マレディズ・アプ・テューダー(Owain ap Maredudd ap Tudur)

  

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オーウェンイングランドでは使用人の暮らしだったんだけど、ウェールズ王室のラウェリン大王に仕えた執事の直系で、母方はウェールズ王室の血筋なんだ

 

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ウェールズの誇り高き家系ですね

 

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しかし、時代が時代だっただけに、オーウェンは、イングランド王ヘンリー5世の王妃キャサリンの衣装係として何とか職を得て、下っ端使用人の肩身の狭い生活をしていたんだ。しかし、ある時オーウェンの人生を大きく変える出来事が起きたんだ

 

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そこが知りたいですね。何が起きて、逆玉に乗り、それで、何が起きたんですか?

 

イングランド王妃との駆け落ち?

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イングランド王ヘンリー5世は早世し、キャサリン王妃は未亡人となっていたん。キャサリンはまだ若く名ある伯爵と恋に落ちる日々を送っていたんだよ

 

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そうですよね~元王妃のキャサリン未亡人をものにできたら、それこそ超のつく逆玉の輿ですよね

 

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ある伝説があるんだ。王室で開かれたある舞踏会のことだった。恐らくオーウェンはキャサリン王妃の前で踊っていたんだろう。キャサリン王妃は男たちが踊っているのを見ていたんだろうか。オーウェンはつまずくか何かして、キャサリン王妃の膝の上に落ちたんだ。

 

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それは一大事

 

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何とキャサリン王妃は、美男子のオーウェンに恋に落ちてしまったんだ。そして、二人は密会するようになったんだよ。この舞踏会のエピソードの他にも、プールで泳いでいるオーウェンの姿を見たキャサリン王妃が一目惚れした、という説もあるんだよ。

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えっ、使用人のオーウェンに恋ですか。未亡人となった王妃キャサリンの再婚相手には、国王に匹敵するほどの高い身分の人物が必要なんですよね

  

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そうなんだ。キャサリンと関係があったといわれる名のある伯爵でさえ、再婚できる相手としては身分が不足していたんだ

 

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イングランドに反乱を起こしたウェールズ王室の血を引くオーウェンとの再婚はもっての他じゃないですか。それで、どうしたんですか、その二人は?

  

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間違っても結婚はできない二人が選んだ道とは、駆け落ちをして法を破り、こっそり結婚することだったんだ

 

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王妃と使用人が駆け落ち!そりゃ、犯罪でしょ。王室の名誉にもかかわるので、やっきになって探すでしょうね

 

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駆け落ちの隠れた生活を続け、心労が重なったのだろうか、キャサリンは6年後に36歳の若さで世を去るんだ。そして、イングランド役人に見つかってしまったオーウェンは捕らえられ、法を破った罪で投獄されるんだよ。

 

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これは大変な逆玉の輿ですね。オーウェンはどうなっちゃうんでしょう

 

 

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オーウェンとキャサリン王妃の間には、二人の息子エドムンドとジャスパーが生まれたんだ。さらに、キャサリン王妃にはヘンリー5世との間に設けた息子がいたんだ。ヘンリー5世の跡を継いだ、イングランド王ヘンリー6世だよ

 

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ひょっ。オーウェンの息子は、イングランド王と異父兄弟!

 

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ヘンリー6世は、まだまだ遊びたい盛りの少年だったんだ。ヘンリー6世は、同じ年頃のオーウェンの息子エドムンドとジャスパーと会い、3人はとても仲良くなるんだ

 

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それは良かったよかったですね。それで、オーウェンはどうなったんですか

 

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3人が仲良くなったおかげで幸運にもオーウェンは解放されたんだ。ヘンリー6世に仕え、王宮庭園の管理人として年金をもらいながら自適の生活をすることが出来たんだよ

 

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オーウェンも良かったですね〜!

 

イングランド王室の薔薇戦争を終わらせたウェールズ

 

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ヘンリー6世(ウィキペディアより)

 

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そう言えば、ヘンリー6世は、有名な薔薇戦争を始めた人でしたよね

 

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オーウェンもヘンリー6世のランカスター家(赤薔薇)について、ヨーク家(白薔薇)と戦ったんだよ。1461年にモーティマークロスの戦いで敗れて、捕らえられ処刑されたんだ。しかし、この薔薇戦争オーウェンの血筋が大きく関わってくるんだ

 

薔薇戦争の原因は気がふれたイングランド王 

 

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薔薇戦争ってどんな戦争だったのですか?

 

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イギリス(イングランド)の15世紀に起きた王室の後継・権力争いで、赤薔薇のランカスター家の血筋と白薔薇のヨーク家の血筋が戦ったんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain何がきっかけで薔薇戦争が始まっちゃったんですか?

 

 

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当時のイングランド王は、赤薔薇のランカスター家のヘンリー6世で、フランスとの100年戦争に敗れてしまったんだ。

イングランドのフランス領土は失ってしまい、100年戦争はイングランドの敗北で終結したんだ。 ヘンリー6世は精神的に弱く、敗北のプレッシャーからか気が狂ってしまったんだ。

俺が正統なイングランド王なんだ、と白薔薇のヨーク家、ヨーク公リチャードがイングランドの王位を狙ったんだ。

これは大変と気が狂ったヘンリー6世の王妃マーガレットは、息子エドワードを擁立して立ち向かったんだ。これが薔薇戦争の始まりなんだよ。

 

※ヨーク家:ヘンリー3世の次男、ヨーク公エドムンドから始まった。ヨーク公リチャードはエドムンドの孫

※ランカスター家:ヘンリー3世の四男、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントから始まった。ジョンの息子がヘンリー4世となり、ヘンリー5世、ヘンリー6世と息子がイングランド王を後継していた。

   

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赤薔薇、白薔薇どちらが勝ったんですか?

 

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ヘンリー6世に対してヨーク公リチャードが反旗をひるがえしたのが1455年で、薔薇戦争終結したのが1485年と約30年続いたんだ。

白薔薇ヨーク家リチャードの息子エドワードが、赤薔薇ランカスター軍を破り、エドワード4世となったんだ。白バラのヨークが赤バラのランカスターに勝って、その後はエドワード4世、エドワード5世と続いたんだ。

そして悪王と言われたリチャード3世がイングランド王になり、白バラのヨーク家の天下が3代続くんだよ。

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立ち上がるランカスター家の秘密兵器

 

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赤薔薇は反撃するのですか?

 

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リチャード3世は反対派を排除し過ぎ、不満を持った貴族たちがランカスター家を復活させようとしたんだ。

ランカスター家の秘密兵器と呼ばれた、ある男を擁立したんだ。その人物は、ヘンリー・テューダーと呼ばれる人物だったんだ。

  

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テューダーって、ヘンリー6世の母、キャサリン王妃(未亡人)と駆け落ちした、逆玉の輿のオーウェン・テューダーですか?

 

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その通り! ウェールズ王室の血をひくオーウェン・テューダーとキャサリン王妃の息子エドムンドは、ヘンリー・テューダーという名の男の子をもうけるんだ。

  

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と言うことは、ヘンリー・テューダーは、ウェールズ王室の血とイングランド王室の血を両方引くわけですか?

 

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そうなんだよ。イングランド王室の血は母系からだけど、イングランド王ヘンリー6世の異父兄弟で、ランカスター家の血を引く数少ない生き残りだったんだ。

 

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薔薇戦争の最後の戦い:イギリス版の天下分け目の戦い 

 

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ヘンリー・テューダーはウェールズの南部、ペンブローク出身だったけど、ヨーク家から命を狙われる危険性があったので、フランスで暮らしていたんだ。

ヘンリー・テューダーはフランスで挙兵しイングランドに乗り込み、リチャード3世と戦ったんだ。それが有名な、イギリス版の天下分け目の戦いである、ボースワース野の戦いなんだ。

 

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この戦いで、ヘンリー・テューダーがリチャード3世に勝利し、事実上これでば薔薇戦争終結したんだ。

そして、ヘンリー・テューダーはヘンリー7世としてイングランド王になって、テューダー朝をスタートさせたってわけだ。

  

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なるほど。イングランド王室のテューダー朝は、ヘンリー・テューダーの祖父オーウェン・テューダーから来たんだ!

 

※テューダーの名前は、オーウェン・テューダーの祖父の祖父で、ウェールズ王室の血をひく14世紀の貴族、テューダー・アプ・ゴロンウィ(Tudur ap Goronwy)が始まり

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この天下分け目戦いは、薔薇戦争を単に終わらせるだけではなく、イングランドウェールズ、さらにはスコットランドの歴史にまで、大きな影響を及ぼしたんだよ。

 

薔薇戦争の最後の戦いがイギリスの歴史を変えた3つのポイント

 

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この戦いの終結によって、イギリスの歴史に与えた大きな意味を、3点にまとめて簡単に説明しよう。

まず一つ目だ。

①さっきも言ったように、ヘンリー7世の父系はウェールズ王室につながっていて、とても由緒ある血筋なんだよ。

つまり、ウェールズ王室の血を引くヘンリー7世がイングランド王になるということは、ウェールズイングランドも繋がりが強まる、ということなんだ。

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テューダー朝イングランド王)

 ウィキペディアより

テューダー朝 - Wikipedia

 

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次に二つ目だ。

②ランカスター家のヘンリー8世は、ヨーク家エドワード4世の娘、エリザベスと結婚したんだ。つまり、再び争いが起きないように、ランカスター家とヨーク家が手を結んだってことだ。これでランカスター家とヨーク家は統一され、イングランドは一つに纏まったんだよ。

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ランカスター家のヘンリー7世とヨーク家のエリザベス

 

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次に3つ目だ。

③ヘンリー7世の娘のひ孫は、ジェームズ6世としてスコットランド王になったんだ。その時代、イングランド王室の後継者が途絶えそうになったため、ジェームズ1世としてイングランド王にもなったんだ。

つまり、ウェールズ王室の血筋と、イングランド王室とスコットランドの王家が結合したってわけだ。

ジェームズ1世 (イングランド王) - Wikipedia

 

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すごい、イギリスの三国は血筋で繋がったのですね

 

 

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今回の内容をまとめると、ボーズワース野の戦いは、イングランドの統一だけでなく、将来イングランドウェールズスコットランドと一緒になる血の繋がりを作るきっかけとなった重要な戦いと言えるんだよ。

 

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天下分け目の戦いというより、未来への「王室結合の戦い」と言えますね。

 

 

最後までお読みいただき、有難うございました。

逆襲のプリンス、立ち上がる英雄、イングランドへのウェールズの抗戦

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こんにちは、たなかあきらです。
13世紀の終わり、1282年にネイティブのプリンス・オブ・ウェールズイングランドに倒されて、ウェールズイングランドに征服されてしまいました。

第8話では、13世紀後半~15世紀初めまでのウェールズの奪回をかけた反乱の時代について、お話しいたします。  

※時代の区切りや呼び方は筆者が独自に表現しているものです

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www.rekishiwales.com

 

ウェールズ反乱と自称プリンス・オブ・ウェールズ

 

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1282年にラウェリン・ザ・ラストがイングランドエドワード1世に敗れ、プリンス・オブ・ウェールズの王冠を取られ、称号も取られ、ウェールズは征服されてしまった。

 

 

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ウェールズの人々や貴族・領主たちは、イングランドに抵抗はしなかったのですか?

 

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プリンス・オブ・ウェールズウェールズの人々にとって誇りある称号で、魂を取られたのも同然だ。奪い返さないと、自分がプリンス・オブ・ウェールズだ!と非公式にも宣言し、イングランドに反乱を起こした人物もいるんだ

 

ウェールズの大規模反乱を起こしたマドック

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1282年にウェールズイングランドに征服されてすぐの1294年~1295年、ウェールズの国中に反乱が広かったんだ

反乱のリーダーはマドック・アプ・ラウェリンと言うウェールズ王室の人物で、自らプリンス・オブ・ウェールズを名乗って、ウェールズ独立を試みたんだ

 

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やっぱり、そうこなくっちゃ。マドックは活躍したのですか?

 

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マドックは結構頑張って、イングランド軍を打ち破りコンウィ城に後退させ、立てこもったエドワード1世を包囲したんだ

 

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マドックやりますね。勝ったんですか?

 

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しかし、1295年にイングランドのウォリック伯がマドックに急襲し立て直したイングランド軍に形勢を逆転され、マエス・モイドッグの戦いで敗戦し、(the battle of Maes Moydog)投獄されてしまったんだ

 

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マドック残念 !

 

フランスで活躍したオウァイン

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ラウェリン大王の曾孫にオウァイン・ラウゴッホ(Owain Lawgoch、赤い手のオウァイン)と呼ばれる人物がいたんだ

ラウゴッホはフリーカンパニーと呼ばれる政府から独立運営していた傭兵団のリーダーだったんだ

 

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オウァインの傭兵団はどんな戦いに参加して活躍したのですか?

 

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オウァインは自称プリンス・オブ・ウェールズを名乗り、14世紀のイングランドとイギリスの100年戦争でフランス側に加担して、イングランドと戦ったんだよ(ポアティエの戦いなど)

 

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フランスじゃなくイングランドとですか? 

 

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直接ウェールズイングランドじゃなく、間接的にイングランドに挑んだのかも知れないね。だからと思うが、ウェールズに戻る前にフランスで殺されたんだ 

最後の英雄、プリンス・オブ・ウェールズが現る

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オウァイン・グリンドゥール像

 

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その後、14世紀のウェールズは暫くの間はイングランドに平定されていたんだ

しかしベストが流行し、またイングランドとフランスとの100年戦争の戦費を得るために、ウェールズに重税をかけたことから、ウェールズの人々のイングランド支配に対する不満がたまってきたんだ

 

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また、だれか救世主みたいな人物がウェールズに登場するといいですね

 

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その期待に応えて、14世紀末にウェールズの支配を取り戻そうと期待がかかったウェールズ貴族がいたんだ。オウァイン・グリンドゥール(オウァイン・アプ・グリフィズ)だよ  

 

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オウァイン・グリンドゥールはどんな人物で、どんな活躍をするんですか?

 

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オウァインはウェールズの中の国、ポウィスの統治者の息子で、母親からはグウィネズとデハイバースの統治者の血筋を受け継いだんだ

 

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オウァインはバリバリのウェールズ王室の王子じゃないですか

 

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そうだな。オウァインはほとんど全てのウェールズ王室の血筋を受け継いでいたんだ。

しかし、オウァインは楽天家で、人々の期待に答えなかったんだ。なかなか救世主が現れる道のりは遠かったんだ

 

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オウァインはダメだったのですか?そんな王室の血筋を引いているのに、なぜですか?

 

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オウァインは少年時代に父親を亡くし、イングランドの貴族に引き取られて、法律家になるよう英才教育を受けたんだ

オウァインはイングランド王室へ忠誠を誓いリチャード2世に仕え、ウェールズ人でしたがイングランド法廷へも出入りを許されていたんだ

 

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ウェールズ王室だけど、イングランドで育ちイングランドに雇われていたんですね

 

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そんな中、ウェールズの人々はヘンリー4世のウェールズに対する圧政に不満を感じ、オウァインにイングランドに対抗するように懇願したんだ。 オウァインはイングランドで、何の不自由もない恵まれた暮らしをし、戦いも好まなかった。 

だから、オウァインにはイングランドと戦う理由がなく人々の要望を断ったんだ

  

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なるほど。まあ、そうですよね。イングランド派ですよね

 

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さらに隣国のイングランド侯爵が、オウァインの領土を奪い始めた時も、オウァインは、気にもかけず静かに状況をみているだけで動こうとしなかったんだ

 

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自分の領土が奪われているのに、オウァインは何という楽天家なのですか!

 

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オウァインは法律家になりたかったので、少々土地を奪われても興味なかったかもね。争いを起こすより仲間と楽しく過ごす方が良かったようだ 

 

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しかし、ウェールズとオウァインの事態はどんどん悪くなっていったんだ。イングランドウェールズでの非道ぶりに耐えきれず、司教たちがイングランド議会に訴えますが無視されたんだ。さらに、ヘンリー4世からはオウァインは反逆者だとレッテルをはられ、討伐例が下ったんだ

 

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それは大変だ。今度はオウァイン、動かざるを得ないんじゃないですか?

 

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ハーレック城

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さすがに、オウァインも堪忍袋の緒が切れた様だ。1401年、世界遺産のハーレック城を拠点に、オウァインは自らプリンス・オブ・ウェールズを名乗り、イングランドに反乱を起こしたんだ

  

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とうとう、ウェールズを率いてオウァインがイングランドに立ち向かった。どうなるか、ワクワクしますね

 

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オウァインは持ち前の優しく温かな魅力を発揮して、イングランド王に不満を持つ諸侯を仲間に取り込み、次々とイングランド軍を破り、勢力を広げたんだ。そして、フランス王の協力まで得ることができたんだ

 

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これ、ひょっとしてウェールズの大逆転ですか??

 

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オウァイン・グリンドゥールの行動を年代ごとに見てみよう

 

1400年:オウァイン・グリンドゥールの反乱が始まる
1401年:反乱は広がりイングランド軍に初めて勝利(Mynydd Hyddgenの戦い)
1402年:イングランドは法律を作り( Penal Laws against Wales)、ウェールズ討伐にのりだす

 

1402年:ブリン・グラスの戦いで(the Battle of Bryn Glas,)、エドムンド・モーティマー率いるイングランド軍に大勝利。フランスなどもオウァインの反乱を支持
1403年:本格的に反乱はウェールズ全体に広がる

1404年:ハーレックに拠点を置き、プリンス・オブ・ウェールズを宣言。議会を置き法律も見直す
1404年:ヘンリー4世に反逆した、エドムンド・モーティマー(マーチ卿)、ヘンリー・パーシー(ノーサンバーランド伯)とイングランドウェールズの領土分割計画を立てる
1405年:フランスと協定を結びイングランド王打倒に乗り出す。フランス軍イングランドに上陸

 

1405年:フランスの方針が変わり、フランス軍は撤退。イングランド軍の反撃が始まりる
1407年:アベリストウィス城がイングランド軍に降伏
1408年:ヘンリー・パーシーはグラムハム・モールの戦いで戦死(Battle of Bramham Moor)
1409年:エドムンド・モーティマーがハーレック城で戦死

グリンドゥールの反乱は続くも、勢いを落とし、自然消滅的に消える
1415年:グリンドゥールは亡くなったとされる

 

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ん~残念

 

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一時は、ほぼウェールズ全域を掌握したんだけど、フランス軍が事情により本国に帰ってしまい、もうあと一歩というところでイングランド打倒計画は流れてしまったんだ

これによりイングランド軍は立ち直り、ウェールズ軍を崩し始めたんだ。オウァインもついにイングランド軍に大敗北し、反乱の勢いは徐々に衰え始めたんだ。

1415年頃、最後のプリンス・オブ・ウェールズ、オウァイン・グリンドゥールの反乱は自然消滅していったんだよ

 

その後のウェールズ 

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最後のプリンス・オブ・ウェールズも消えた。もうこれで完全にウェールズイングランドに征服されたんですね

 

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ウェールズイングランドの一部になるのは16世紀だ。その頃、実はウェールズの勢いが復活していたんだ

 

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ウェールズイングランドに吸収されたのに?なぜ、ウェールズの勢力が増すのですか?

 

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イングランド王室の権力争いである「ばら戦争」の最後の戦いとなったボースワース野の戦いが1458年に起きるんだ

ウェールズ王室の血を引き継ぐヘンリー・テューダーは赤薔薇のランカスター軍を率い、白薔薇のヨーク軍のリチャード3世を破り、ヘンリー7世としてイングランド王となったんだ。

こうしてウェールズ王室の血はイングランド王室に受け継がれることになり、多くのウェールズ貴族がイングランドの要職についたんだよ

 

番外編へつづく

 

※オウァイン・グリンドゥールに関する記事

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最後まで読んでくださり有難うございました。

 

本当のプリンス・オブ・ウェールズ 対 ノルマンのイングランド 

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こんにちは、たなかあきらです。
プリンス・オブ・ウェールズとはもともと、中世のウェールズで生まれた統治者を意味しました

12世紀のウェールズでは、プリンス・オブ・ウェールズを名乗る強力な統治者が登場し、イギリスを征服したノルマン人のイングランドノルマン朝イングランド)との戦いを繰り広げました。第7話では、11世紀後半~13世紀末までのプリンス・オブ・ウェールズ時代について、お話しいたします。 

 

※時代の区切りや呼び方は筆者が独自に表現しているものです

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中世ウェールズの黄金期

 

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グリフィズが、グウィネズの統治を巡るアベルファラウ家とディネヴァウル家の対立や下克上を抑え、ノルマン人イングランドの侵略を防いで、新たなウェールズの歴史を始めたんだ

グリフィズはグリフィズの統治者を56年ほど務め(国を取り戻してから約35年)、つかの間ではあるがウェールズは比較的平和で、黄金期と言われる時代になったんだ

 

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これまで、ウェールズの平和がしばらく続いたのは、ロドリ大王、ハウェル良王、唯一全ウェールズを統一したグリフィズくらいと、数えるほどしかないんですよね。いずれも、長くて35年くらいですし。今回の平和はどのくらい続いたのですか?

 

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グリフィズの後は息子のオウァイン・アプ・グリフィズ(Owain ap Gruffydd)が後継したんだ。オウァインは武勇にも優れ、父から譲り受けたグウィネズにとどまらず、影響力を広げて、ウェールズ南部を除くほぼ全域に支配力を及ぼしたんだ

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へぇ、そりゃすごい 

 

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攻めてくるノルマン軍を打ち破り、逆に国境を東に押しやって勢力を広げ、南もデハイバースと提携してノルマン軍に完勝して、ノルマン軍の侵略を打ち砕いたんだ。

同盟関係にあるデハイバースの統治者アナラウドが、自分の弟に殺されたと知ると、即座に軍を送り弟を追放して、デハイバースとグウィネズを統合したんだ

 

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何か陰謀を感じますね。オウァインが弟をそそのかして、アナラウドを殺させたとも、取れますけど

 

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色々と考えられるとは思うが、デハイバースのアナラウドは、オウァインにとって同盟のキーマンで、自分の娘と結婚させる直前だったそうだ。それで、オウァインは大いに怒り、弟を成敗しという事だ。そして、オウァインはさらに勢いを増していくんだ

 

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今度は、どの方面に拡大していくんですか。西ですか、南ですか、それとも東でしょうか

 

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そうだよ、オウァインは東方面に勢力を伸ばそうとするんだ。ノルマン人のイングランドにこっぴどくやられていたけれど、イングランドでヘンリー1世が1135年に亡くなると、ヘンリー1世の甥スティーブンと娘マティルダとの後継争いが勃発して、ウェールズへの注目が薄れていたんだ

オウァインはその隙をついて、イングランドに奪われた土地をとり戻すだけでなく、ウェールズ国境を更んび東にまで広げたんだよ

 

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イングランド無政府状態の時に、うまく領土をひろげたんですね。鬼の居ぬ間に、ってところですね。ずっと、イングランドは黙っていたのでしょうか

 

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そりゃ、イングランドも黙っているはずはないよね。イングランドでは1154年に、ヘンリー1世の息子、ヘンリー2世が王に戴冠したんだ。ヘンリー2世は勢いを増していたオウァインを叩こうと、何度もウェールズに侵入してきたんだよ

ヘンリー2世 (イングランド王) - Wikipedia

 

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ヘンリー2世って、巨漢でイングランドだけでなくフランスの大部分も所有した大帝国の主ですよね。そんな猛者に攻撃をくらって、オウァインは大丈夫だったんですか

 

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いくらオウァインでも、ヘンリー2世とまともに戦ったら勝てなかったと思うよ。

1157年に、ヘンリー2世はウェールズに攻め入って各地を破壊したんだけど、オウァイン軍はじっと山林で待ち伏せをしていたんだ。オウァインはここぞ!とイングランド軍に襲い掛かり、不意を突かれたイングランド軍は総崩れになり、ヘンリー2世は命からがら逃げ帰ったんだ。

また1165年には、ヘンリー2世は奇襲作戦に出たけれど、ウェールズ中の統治者を引き連れたオウァイン連合軍に見つかり撃退され、更に大雨にも合いイングランド軍はちりじりに逃げ帰ったんだ。その後、ヘンリー2世は二度とウェールズに攻撃をしなかったんだ

 

 

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イングランドのヘンリー2世を、2度も打ち負かすとは凄い!オウァインはウェールズの英雄ですね

  

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オウァインは国の名前が付いた、オウァイン・グウィネズやオウァイン大王(オウァイン・ザ・グレート)とも呼ばれたんだ。自らをプリンス・オブ・グウィネズと呼び、これがプリンス・オブ・ウェールズのスタイルの始まりとなったんだ

 

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ウェールズの危機を救った父グリフィズと、イングランドを打ち破ったオウァインの統治時代を合わせると、約70年ほどになるんだ。その間は中世ウェールズ黄金時代であり、ウェールズの統一と独立を通した時代だったんだよ

 

大王の失敗

 

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オウァインは中世ウェールズの英雄だったけど、「英雄好色」というように、オウァインは女性が大好きだったようだ。

分かっているだけで妻と妾は最低6人以上、子供は男子は18人以上、女子は4名以上いたと言われるんだ

 

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統治者なら育てるお金はあるし、子だくさんは楽しそうで、中世でも頼り甲斐もあって良いんじゃないですか 

 

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しかし、ウェールズの統治者にたくさんの子供がいるということは、当時は大きな問題だったんだ

「正室、側室、妾の子に関わらず全ての息子に財産は均等に分け、後継者の権利がある」という当時ウェールズ法だ。これほど男子が多くては、均等割りでは自分の分け前も少なくなってしまうんだよ

  

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相続争いが起きそうですね

 

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溺愛した長男は戦死してしまったので、オウァインは片腕として活躍した次男ハウェルを後継者に指名しており、オウァインが1170年に亡くなると、ハウェルがグウィネズを後継したんだ

ところが、これを喜ばしく思わない人物がいたんだ。オウァインには妻だけでなく妾がいただろう

 

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妾かその息子たちが反対したんでしょうか?

 

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実は、ウェールズ教会から破門されても結婚した人物がいたんだ。オウァインは従妹のクリスティンと反対を押し切って結婚したんだけど、ウェールズ教会では従妹との結婚は禁止されていたんだよ

そのオウァインとクリスティンの間に生まれた六男~八男が反逆を起こしたんだ。ハウェルを殺して六男のダヴィッズが、後継者の座を奪ってしまったんだ。一説によると、オウァインが生きている時からクリスティンが狙っていたらしいよ  

 

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恐ろしいですね。さらに争いが続きそうですけど、後継争いは収拾したんですか

 

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実はこれからが地獄なんだ

 

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ダヴィッズは恐ろしい手段に出たんだよ

 

1170年 次男ハウェルを殺害
1173年 四男マエルグゥインを国外追放
1174年 懲りないマエルグゥインを投獄(獄死)
1174年 弟ロドリを投獄
1174年 三男イオルワース戦死(ダヴィッズの指金か)
1174年 八男コナン没(暗殺か)

 

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こんなにたくさん!これは極悪人

 

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兄弟たちそれぞれに、どれだけの分け前があったかは分からないけどね。ダヴィッズは弟たちも遺産を狙い、自分も殺されると思ったのか、取り分が減ると思ったのだろうか

ダヴィッズは残った兄弟たちを、殺すか投獄するかの残忍な行為におよび、全員消してオウァインの遺産を独りじめにしたんだよ

ダヴィッズはウェールズ史上でも類を見ないほど、身内を殺害しまくった恐怖の人物となったんだ

 

 

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何と非道な統治者がいたものですね。これじゃいつやられるか分からない。人望なく評判悪いし、ウェールズは統治できませんよね

 

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さらに、ダヴィッズは1174年に、イングランド王ヘンリー2世の妹エンメと結婚し、自分の地位を固めたんだ

 

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恐らくイングランドを盾に利用して、皆を黙らせたんですね。何とも卑怯な奴だなあ。グウィネズウェールズ内で、ダヴィッズを倒そうと内乱は起きなかったのですか

 

ダヴィッズの記事

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希望の星が登場

 

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そこに一筋の光が差し込んできたんだ。それは人々の唯一の希望でもあったんだ。ウェールズ教会から認められない結婚で生まれ、極悪非道を続けたダヴィッズには望みを持っておらず、打倒が計画されていたんだ

ウェールズの人々が注目したのは、オウァイン大王の孫だよ

 

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そうか、孫がいたんだ。孫たちは、ダヴィッズ打倒に一役かったのでしょうか

 

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人々が注目したのは、ラウェリン、グリフィズ、マレディズの3人の孫さ。特にラウェリンは、オウァイン大王と正妻の間に生まれた三男イウォルワルスの息子で、正当なる後継の権利を持っていたんだ

三人はラウェリンを中心に密かに打倒だダヴィッズの準備を始め、機会をうかがったんだ。グウィネズの人々も、教会もラウェリンを支持し、皆がダヴィッズを倒す事を待ち望んだんだ

  

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チャンスを待つこと6年。1194年、ラウェリンら3人は協力してダヴィッズに戦いを挑み、両軍は、現在の北ウェールズにあるアバコンウィーで激突したんだ

 

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勢いに勝るラウェリン軍はダヴィッズ軍を打ち負かし、ダヴィッズを捕らえて投獄したんだ   

 

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やりましたね。これで少しはグウィネズの人々も安心ですね

 

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ラウェリンはようやくグウィネズの統治者になったんだが、周りには手強い敵がいたんだよ

 

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ラウェリンもグウィネズの人々も気が休まりませんね。今度は誰ですか

 

希望の星と脅威との争い

 

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まずは、ウェールズ内の隣国ポウィスの統治者、グウェンウィンウィンなんだ。ウェールズに領土を持つイングランド公爵たちを追い払いウェールズのリーダーになろうと狙っており、勢力を伸ばすラウェリンが気に入らなかったんだ

1202年にラウェリンとグウェンウィンウィンの間で戦争が勃発し、ラウェリンが勝利してウェールズのリーダー的統治者になるんだ

 

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ウェールズ内での内乱、て訳ですね。他の脅威とすると、やはりイングランドですか?

 

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そう、イングランドとの関係性は重要だな。イングランド王や、国境を接するイングランド諸侯との関係が、情勢を左右するんだ。

ラウェリンの時代になると、イングランド王はヘンリー2世の息子、ジョン王になったんだ

 

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何と、悪王で名高いジョン王ですか!やはりウェールズに圧力をかけてきますよね

 

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最初は争いにはならず、ラウェリンはジョン王に忠誠を誓い、更にラウェリンはジョン王の娘ジョアンと結婚し、良好な関係を築くとともに、ラウェリンの地位を固めたんだ

 

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なるほど。ウェールズ内の歴史を見ても、婚姻で関係構築はよくやる手ですよね。これは吉に出たようですね

 

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さらにラウェリンは、国境付近で争っていたイングランド伯爵ウィリアム・デ・ブロースとも同盟を結んで、平和的に影響力を広げていこうと考えたんだ。しかし、この同盟がいけなかったんだよ

  

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平和的な同盟がなぜ、ダメなのですか?

 

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その頃、ジョン王はウィリアム公爵と対立状態にあり、ラウェリンとウィリアム公爵の同盟に激怒したんだ

ジョン王は、かつてラウェリンに敗れ去ったグウェンウィンウィンと同盟を結び、ラウェリンに攻撃を仕掛けてきたんだ。この動きを見て、ウェールズ各地の統治者たちもジョン王側についてしまったんだ

 

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ラウェリン、孤立状態になって大ピンチじゃないですか。さすがのラウェリンでも、これはお手上げでしょ

 

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1212年、多数のウェールズ軍を率いたジョン王に、ラウェリンは完敗し、殆んどの領土を没収されてしまったんだ

 

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同胞から裏切られてしまっては、ラウェリンも万事休すですね

 

希望の星、大王になる

 

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ところが、ジョン王は稀代まれなる悪王。無駄な戦いに、そのたびに課せられる重い税金。ジョン王に味方した諸侯や統治者たちからは不満の声が上がったんだ

 

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これは、ラウェリンにとって復活の助けでしょうか

 

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一時はジョン王に味方したものの、ウェールズの統治者たちは皆、ジョン王を見限り、ラウェリンの味方になったんだ。その中には、グウェンウィンウィンも含まれていたんだ

 

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おっ、そりゃすごい。よっぽどジョン王は不人気だったんですね

 

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さらに、ジョン王に不満を持つイングランドの諸侯たちも、ラウェリンを支持するようになったんだよ。ついに失政続きだったジョン王に対して、イングランドウェールズの貴族や国民たちの不満が爆発し、ジョン王は廃位のピンチに立たされたんだ。

 

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形勢が全く逆転しましたね。これでラウェリンの勢いは復活でしょうか 

 

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1215年、ジョン王は事態を収めるためにやむを得ず、国王の権限を減らした民主的な内容である、マグナカルタを制定したんだ。

 

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マグナカルタによってラウェリンには、どんな影響があったのですか

 

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ラウェリンには、ジョン王によって奪われたウェールズの領土は戻って統治権も認められ、取られていた長男グリフィズを含む人質も返ってきたんだよ

 

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よかった。これで元に戻りましたね。ラウェリン、よかったですね〜

 

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しかし、ジョン王はこのまま黙ってはいなかった。ジョン王は再び、グウェンウィンウィンと同盟を結び、ラウェリンに攻撃を仕掛けたんだ

 

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あきらめが悪いというか、しぶとい奴らですね。 

 

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でもここまでだった。ジョン王は、翌年フランスの支援を受けたイングランド貴族たちとの戦いの最中に赤痢で病死したんだ。また、グウェンウィンウィンも時を同じく亡くなったんだ

1216年、ラウェリンは勢力を増して本拠地グウィネズだけでなく、グウェンウィンウィンのポウィスも直接支配し、広範囲のウェールズを治めるようになったんだよ。こうして、ラウェリンは、ラウェリン大王と呼ばれるようになり(Llywelyn the Great)、1240年に亡くなるまでウェールズの偉大な統治者として君臨したんだ

 

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※灰色と黄色の領土を治めた。グリーンの部分はイングランドの勢力範囲。

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※ラウェリンとジョン王との関係
1197年:ウェールズのリーダ的存在となる
1201年:イングランドのジョン王と同盟
1205年:ジョン王の娘ジョアンと結婚
1208年:ジョン王と対立したウェールズ首長のグウェンウィンウィンを破り領土拡大1210年:ジョン王と仲の悪いウィリアム卿と同盟
1210年:グウェンウィンウィンと仲直りしたジョン王に攻撃を受ける
1212年:ウェールズ諸侯を味方にしたジョン王に大敗し領土の大部分を失う。
1215年:ジョン王がマグナカルタを制定。奪われた領土と人質がラウェリンに返
1216年:ジョン王、グウェンウィンウィンが亡くなり、ラウェリンがウェールズでの地位を確立する
1240年:ラウェリン没(1172年生まれ)

 

後継問題で乱れた大王 

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時代は戻りますけど、12世紀に活躍したウェールズの王であるラウェリンの祖父は、ウェールズで勢力を広げ、オウァイン大王と呼ばれたんだけど、息子が多すぎ骨肉の後継争いが起きたのでしたね

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実は、ラウェリン大王も後継者問題で大きく乱れたんだ。これがラウェリン大王の最大の汚点だなあラウェリン大王には、長男のグリフィズと次男のダヴィッズの2人の息子がいたんだ

長男のグリフィズはウェールズ人の正妻との息子で、ウェールズ法ではグリフィズが後継者としての資格があったんだ

 

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ところがラウェリン大王は、ウェールズ法では非嫡出子のダヴィッズを溺愛して後継者にしようと考えたんだ

 

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ラウェリン大王はどんな手を使ったのです?

 

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実際にラウェリン大王は何度も人質としてグリフィズをイングランドに送り付け、その間にダヴィッズを後継者にしようと、強引にも手はずを整えたんだ

 

・ローマ法皇ホノリウス三世に、ダヴィッズが後継者になれるように説得を続けた
・後継者は長男がなる、という当時のウェールズ法を一部を改定した。
イングランド王ヘンリー3世を説得し、ダヴィッズの後継を認めさせようとした。
ウェールズの諸侯たちに圧力をかけ、ダヴィッズに忠誠を誓わせた

 

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なぜここまでして、ラウェリン大王がダヴィッズを後継にしようと、考えたのでしょう。理由はあるのですか?

  

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理由は2つ考えられるな。一つ目は、グリフィズは気性が激しく、ラウェリン大王が領土を分け与えると、圧政を繰り返したんだ

もう一つの理由は、ダヴィッズは非嫡子の扱いでしたが、母ジョアンはイングランドのジョン王の娘なんだ。イングランドとの良好な関係を築くためにも、ダヴィッズが後継者になった方が、ラウェリンに都合が良かったかも知れないね

 

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なるほど〜。だけど、嫌われた長男グリフィズの立場では、あからさまに排除されたんじゃ、気分悪いですよ。反論したくなるよなあ

 

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実際は、あれこれと策略を巡らした甲斐あって、ついにダヴィッズがラウェリン大王の後継者になることを、世に認めさせたんだ

 

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強引にやってますね。その代償が大きくなければいいのですが 

 

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ウェールズの統治者となり、権力を持ったダヴィッズは偉大なタイトルを宣言しイングランドにも認めさせたんだ。公式に、ダヴィッズは初代のプリンス・オブ・ウェールズになったんだよ

 

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だけど、ウェールズは平和になったかというと、そんな気はしないですねぇ。兄のグリフィズが立ち上がっちゃったりして

 

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ラウェリン大王が1240年に亡くなると状況は変わってきたんだ。本来のウェールズ法で正当な後継者である、グリフィズを支持する人々が立ち上がり、ダヴィッズに反乱を起こしたんだ。反乱軍に怒ったダヴィッズは、グリフィズの領土を攻撃して、略奪をはたらき奪ったんだ

 

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やはり、兄弟の争いになっちゃったんですね

 

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これを見て、人質の身であったグリフィズは反撃を企てたんだ。軟禁されついたロンドン塔から脱出を図ったんだけど、不運にも転落死してしまうんだ

※グリフィズの事故死の記事 

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この一連の動きをしたたかな目で見ていた人物がいたんだ。イングランド王ヘンリー3世だよ。一度はダヴィッズを支持したけど態度を急変させたんだ

 

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ダヴィッズの地位を認めたことを覆し、ダヴィッズに攻撃を仕掛けてきたんだ。ウェールズは、イングランドに攻められて混乱に陥り、弱体化が進んでいくんだよ。さらに、ダヴィッズはヘンリー3世と反乱に対抗しようと挙兵するが、病気で急死してしまうんだ

 

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じゃあ、ウェールズはどうなってしまうんですか?誰が統治者になるんですか? まさか、イングランドに取られてしまうんですか?

  

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ウェールズ最後の砦、グリフィズの息子ラウェリン・アプ・グリフィズが、ダヴィッズの後を継いだんだ

 

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最後の砦ですか?

 

ウェールズ最後の砦

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※ラウェリン・アプ・グリフィズ像

 

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ラウェリン・アプ・グリフィズは、ラウェリン大王に嫌われたグリフィズの息子で、1146年にグウィネズを後継したんだ

ラウェリンはウェールズの独立にこだわり、イングランド王ヘンリー3世への忠誠を拒否し、1257年に反対する兄弟を投獄してグウィネズに持つ領土を奪ったんだ。

さらに隣国のポウィスやデハイバースにも武力をつかい、忠誠を誓わせ領土を奪い、ウェールズの大部分を支配下に置いたんだ。そして、1258年にヘンリー3世と協定を結び、プリンス・オブ・ウェールズを認めさせたんだよ

 

 

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おお、ウェールズ復活ですね! でもなんかラウェリンは、武力にものを言わせている感じがして、これまでの大王と比べると違ってますね

  

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そうなんだよな。ラウェリンは力づくで奪った権力で、人望が無かったことが問題だったんだ。ウェールズに対する愛国心は強かったと思うけどな。

ヘンリー3世の後、1272年にエドワード1世がイングランド王になると、ラウェリンは窮地に立たされるんだ。

ラウェリンに領土を奪われたイングランドの公爵達が反撃を始め、多くのウェールズ諸侯達までも寝返ってイングランドと平和協定を結んだんだ

 

 

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1277年に、エドワード1世に攻撃され、弱体化したラウェリンには成す術べなく敗れたんだ。イングランドに有利なアバコンウィー協定を結び、ラウェリンの領土は大幅に縮小されてしまったんだ

 

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ラウェリンは孤立し始め、立場はドンドン劣勢になってますよね。ラウェリンはやられてしまったんですか?

  

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1277年以降、諸侯たちの多くはエドワード1世に味方し、ウェールズイングランドに占領されたかの様になってしまった。

ところが、イングランドの権力やイングランド法を許容される様になり、ウェールズの人々から大きな反感が募っていったんだ。そしてついに、イングランドに対してウェールズの戦いが起きたんだ

 

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ラウェリン復活ですか!

 

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1282年にラウェリンの弟ダヴィッズが起こした反乱はウェールズ中に広がり、ラウェリンも反乱に参加したんだ。しかし、準備不足と弱体化したウェールズ軍は何れもイングランド軍に敗北してしまうんだ。

ラウェリンはイングランドに降伏してエドワード1世と協定を結ぼうとしていたが、ダヴィッズは拒否して戦いを止めなかったんだ

 

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仕方なくラウェリンも戦いを続けたんだ。しかし、準備不足は否めずオレウィン橋の戦いで敗れ、川沿いで戦死してしまうんだ。ダヴィッズはラウェリンのあとを継ぎ、戦い続けるがダヴィッドは捕らえられ処刑されてしまったんだ

 

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捕らえられ殺されるラウェリン

 

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この敗北により、ウェールズは事実上イングランド支配下に置かれるんだ

 

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あああ、これでウェールズは終わってしまったのですね

 

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ウェールズ人によるウェールズ統治が終わるんだ。それもあって、ラウェリンは、ラウェリン・ザ・ラストと呼ばれているんだ

  

プリンス・オブ・ウェールズの行方

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プリンス・オブ・ウェールズの称号は現在まで続いてますよね。これは、何故ですか

 

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ラウェリンが戦死した時に、プリンス・オブ・ウェールズの王冠も奪われイングランドに持ち去られたんだ。この出来事に、ウェールズ内では反乱が頻発したんだ。ウェールズの反感を抑えるために、エドワード1世は王子をウェールズのお城で産ませて、ウェールズの環境で育てたんだ

 

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ウェールズで生まれ育ち、ウェールズ語を話す王子(後のエドワード2世)を、プリンス・オブ・ウェールズにして、ウェールズを抑えたんだよ。以後、プリンス・オブ・ウェールズイングランド王の皇太子が務める慣わしになったんだよ

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更に最後の反乱の後、エドワード1世はウェールズを監視するために北ウェールズにコンウィ城、ビューマリス城、カナーヴォン城、ハーレック城など強大な要塞城を築くんだ。

 

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それもあって、ウェールズにはとても多くのお城が残っているんですね。

 

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ウェールズウェールズ人が作ったお城ではなく、イングランドが作ったお城が主だけどね。これら一連の城はアイアンリングとも呼ばれ、現在は世界遺産として登録されているよ 

エドワード2世が産まれたお城は、カナーヴォン城で、天空の城ラピュタの一場面のモデルとなっています。また、カナーヴォン城はチャールズ皇太子のプリンスオブウェールズ戴冠式にも使用されました

 最後までお読みいただき、ありがとうございました

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※今回のシリーズ記事

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戦国時代のように面白い 中世ウェールズの南北朝時代

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絵はウィキペディアより 

 

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こんにちは!たなかあきらです。

イギリスのウェールズの歴史についてシリーズでご紹介しています。中世のウェールズでも、王室が南と北に分裂して後継や統治を争い合った、戦乱の時代がありました

 

今回第6話は、大王が威力を発揮した時代は終わり、王家が分裂して争った、ウェールズ版の南北朝時代(950年~1181年)についてご紹介いたします。目まぐるしく、主導権が移動するのです

 

※時代の区切りや呼び方は、たなかあきらが独自に表現しているものです

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ウェールズ版の南北朝時代の幕開け

 南北朝時代の幕開け

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統一時代の最後に、ハウェル・ザ・グッド王がウェールズをほぼ統一して、平和な世を取り戻したのに、また戦乱の世になってしまったんですね

 

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残念ながらそうなんだよ。ウェールズ王室の正当性を主張する北部のグウィネズ(Gwynedd):アベルファラウ家と、優れた統治者を輩出した南部のデハイバース(Deheubarth):ディネヴァウル家に、分裂するんだ

ディナヴァウル家(Dinefwr)はウェールズをほぼ統一したハウェル・ザ・グッド王の家系。アベルファラウ家(Aberffraw)はハウェルと争い合ったイドワル・ヴォエルの家系で、それぞれの子孫が主導権を狙って争うんだよ

ウェールズの家系図

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アベルファラウ家の拠点、北ウェールズアベルファラウ(Aberffarw)と、ディナヴァウル家の拠点、南ウェールズにあるディネヴァウル城(Dinefawr)

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下剋上も同時に起こる

 

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南北朝の争いが起こるだけなく、同じ家系の中での後継争いも頻繁に起こっていたんだ。さらに家系内の内乱と南北朝の戦いのスキをついて、両方の家系以外の人物が出現してウェールズ政権を奪ったことも、しばしばあるんだ

 

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なんと、南北朝+お家争い+下剋上の三つ巴ですか。複雑ですが、おもしろそうですね

 

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南北朝時代の概要

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どんな、ぐちゃぐちゃだったか!を説明しよう。リーダー的存在であったグウィネズ国の統治者と、その家系を示すよ

 

●統一時代

・916-942年・・・イドワル・ヴォエル(アベル家)
・942-950年・・・ハウェル・ザ・グッド(ディネ家)

 

南北朝時代
①950-986年・・・イドワルの息子、孫たちの後継争い(アベル家)
②986-999年・・・マレディッズ(ディナ家)
③999-1005年・・・コナン(アベル家)
④1005-1018年・・・エダン(下剋上の略奪者)
⑤1018-1023年・・・ラウェリン(ディナ家)
⑥1023-1039年・・・イアゴアベル家)
⑦1039-1075年・・・グリフィズ、ブレディン(ディナ家)
⑧1075₋1081年・・・トラハエアルン(下剋上の略奪者)
⑨1081-1137年・・・グリフィズ(アベル家)

と続くんだよ。(同じ名前が幾つかあるけれど、みな別人です)

  

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アベルファラウ家とディネヴァウル家の、ほぼ交互にグウィネズ国の統治権が移ってるだろう。アベルファラウ家でもディネヴァウル家でも兄弟、叔父甥同士の後継争いが尽きなかったんだ

その乱れをついてエダンやトラハエアルンなどのが突然国を略奪して統治者になるなど、戦国・下剋上の時代だったんだ。それぞれの家の内部の争いを見てごらんよ

 

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こりゃ、複雑に絡み合った争いですね

 

アべルファラウ家の争い

イドワルの息子イアゴとイエワヴの争い。さらにはイアゴの息子とイエウヴの息子同士の争いへと発展。

コナンの代で収まるも、王家以外のエダンが出現し下剋上が起きた

 

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 ディネヴァウル家の争い

ハウェルの没後、ディネヴァウル家はデハイバースを中心に統治したが、息子のオウァインとエドウィンの子孫で、後継争いが起こった

マレディズが一度、勢力を広げる時期があったが、エドウィンに乗っ取られるなど、争いが続いた

その中で、外部の血縁であるが、マレディッズの娘婿ラウェリンがデハイバースだけでなく、グウィネズをも統治した。

さらにグリフィズ、ブレディンと勢いのある統治者が継承していった

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これだけ、争いが続くと、もうめちゃくちゃですね。だけど、これがストーリーとして繋がっていくと、戦国時代好きには興味ある時代ですね

 

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常に、ぐちゃぐちゃの時代だったけど、時折、有力な指導者が出現して、何度かウェールズの広範囲を統一した人物もいたんだよ

 

南北朝時代ウェールズの大部分を統一した人物

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まずは、南北朝時代の初め頃、アベルファラウ家の後継争いの隙をついて、ウェールズの勢いを広げた人物がいたんだ。殆ど注目されてないけど、ディネヴァウル家のマレディズ(Maredudd ab Owain)だ

 

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マレディズはどんな事をやった権力者ですか

 

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986年に、マレディズはグウィネズの統治者カドワロンを攻撃して領土を奪い、ポウィスまで手に入れたんだ

988年に父オウァインからデハイバースを後継したマレディズは、支配を強め南部の橙色を除いた水色部分を支配下におさめたんだ 

 

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マレディズの最大勢力範囲(水色部分、ウィキペディアより) 

 

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ウェールズの中世歴史を見ても、ウェールズ全域をほぼ掌握できた人物は殆どいないんだ
※中世で、このレベルまで支配した人物は、ハウェル・ザ・グッド、グリフィズ、オウァイン・グウィネズ、ラウェリン・ザ・グレード、ラウェリン・ザ・ラストなど、6名程度しかいない

 

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へえ、マレディズは偉大な人物なんですね

  

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ところがだ。ウェールズを掌握した数名の人物は皆、偉大な人物として称号を与えられていたんだけど、マレディズは目立たず、むしろ腰抜けなど良くは言われていないんだ

 

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勢力広げたのに腰抜けと言われていたんですか。何かマレディズは、名を汚すような行為をしたのでしょうか

  

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本来なら恐れられても良い存在なんだが、マレディズは変わってしまったようだ。頂点に登り、おごりが出たのだろうか。戦いが面倒になったのだろうか。はたまた、命が惜しくなったのだろうか。よくわからないが、まともに武力を使わなくなったんだ

 

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武力を使わずに解決しようとするのは、良いと思いますけど 

 

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ヴァイキングに何度か攻められた時、マレディズは戦わず、多くの人がヴァイキングに連れ去られてしまったんだ。その度に、マレディズは多額の身代金を払い、人質を解放してもらったんだ

 

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身代金を払って助けたのはよいですが、戦わず連れ去られたのは頼りなく、人々にとって不満でしょうね

  

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更に、甥エドウィンに領土を攻められた時も防戦で、身代金と領土の一部もエドウィンに取られてしまい、マレディズは勢いがなくなって行くんだ

 そこを狙い、敵は追い討ちをかけて来たんだ。かつてマレディズが奪ったグウィネズも、アベルファラウ家のコナンが立ち上がり、領土を奪い返されたんだ

マレディズは999年に亡くなり、その際、デハイバースもアイルランドからの侵略者ラインに奪われてしまうんだ

 

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ウェールズの人々にとっては、敵に立ち向かわず自国を守れなかった、意気地なしの評価なんですね

 

 

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中世の支配者としてはマレディズは不評だけど、むやみに戦って人の命を奪ったり損害を出すのを避けたかったのかもな

人質は取られるけど、お金を払って被害は最小限に、平和的に解決したのであれば良いけどな

 

南北朝時代に起きた下剋上

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グウィネズの統治者は、ディネヴァウル家のマレディズから、アベルファラウ家のコナンに戻ったんだけど、次は下克上が起きたんだ

農民上がりと言われたエダン(Aeddan ap Blegywryd)が、コナンが亡くなったのを狙って、1005年にグウィネズを奪ったんだ

 

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北のグウィネズも南のデハイバースも、下克上が起きて王家以外の人物に奪われてますよね。南北朝時代に、王家が共倒れじゃないですか

 

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そうだなあ。ウェールズ王家を救う人物が欲しいところだな。この時、再び下克上を起こす可能性を秘めた人物が現れたんだ。ラウェリン・アプ・セイサルと言う、血筋がよく分からない男だ

 

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ますます、ウェールズの王室は危なくなってしまうんですか

  

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ところが、このラウェリンに白羽の矢が立ったんだよ。グウィネズは略奪者のエダンにより、国が荒廃し人々の不満が大いに募っていたんだ。エダンは非常に嫌われており、エダンを倒す事が考えられていたようだ。

しかし、ウェールズ王室には能力のある相応しい人物がいなかったようだ。そこで、グウィネズの人々は、ラウェリンのもとへ集ったようだ

 

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ん?? 血筋が分からないのに、なぜウェールズの人が集まるの?ラウェリンとは、いったい何者ですか

 

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ラウェリンは、かつてウェールズの大部分を統治したマレディズの娘、アングハラドと結婚していたんだ。この際、王室と何らかの深い関係がある人物ならOKのようだな

 

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ウェールズの王室は臨機応変と言うか、ポリシーに欠けるというか。でも、柔軟な選択をしないといけない程、追い込まれていたのかもしれませんね。ラウェリンは有能だったんでしょうけど

 

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1018年、ラウェリンは兵を挙げてエダンを攻撃したんだ。そして、エダンとエダンの4人の息子たちを殺害し、戦いに勝利したんだ。

 こうして、グウィネズは救われ、ラウェリンはグウィネズとポウィスの統治者となったんだ

 

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もう一方のデハイバースはどうなったのですか

 

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ラウェリンの義父が治めた国を取り戻そうと、1022年にラウェリンは挙兵し、侵略者のラインを攻撃してアベルグウィリの戦いで破り、デハイバースを奪回したんだ

 

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そうすると、ラウェリンは侵略者のエダンとラインを両方倒して、つまりさらに下克上を起こして、奪われていたウェールズを取り戻した訳ですね。ラウェリンは王室をついだんですか

 

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ラウェリンは妻アングハラドの血筋を継ぐ形で、ディネヴァウル家になるんだ

 

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じゃあこれで、平和になったんでしょうか

 

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やはりラウェリンは有能な人物だったようで、富と住民たちで満ちていた、と言われているんだ

しかし、ラウェリンは翌年に亡くなってしまい、グウィネズは元のアベルファラウ家に戻り、デハイバースは新たな略奪者に奪われてしまうんだ

 

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また、ですか!

 

ラウェリンとラウェリン、ウェールズを制したのは

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その後、ウェールズ南北朝はどうなっちゃうんですか?

 

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北のグウィネズは、本家のアベルファラウ家出身のイアゴが統治するようになり、南のデハイバースは侵略者のリデルヒ・アプ・レスタンという、南東の隣国モルガンウィグの統治者に奪われたんだ

 

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南東にも強い国があったのですか

 

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南東は小さな国々に分かれていたんだけど、纏まってモルガンウィグとなり、さらにデハイバースを奪ったんだ。一旦は、本来のディネヴァウル家に戻りハウェル・アプ・エドウィンがおさめたんだよ

 この状況の中、ある男が立ち上がったんだ。彼はグリフィズ・アプ・ラウェリン。グリフィズは前にウェールズを救った、ラウェリンの息子だよ。グリフィズは武力を駆使して戦いに明け暮れるんだよ

 

 

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1039年にアベルファラウ家で統治者のイアゴが内乱で暗殺された隙を突いて、グウィネズを奪ったんだ

1043年にラウェリンは、更にデハイバースのハウェルを攻めて追い出して、デハイバースを奪い取ったんだ。妻まで奪われたハウェルも黙っちゃいない。デンマークヴァイキングの助けを借り船団で攻め返してきたんだ。

1044年に、ラウェリンはハウェルを撃破して殺害し、デハイバースの地位を固めたかに見えたんだ

 

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え、固めたかに見えた? またどんでん返しですか? 

 

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ところが、モルガンウィグのリデルヒの息子グリフィズが、攻めてきて、再びデハイバースを外部に奪われてしまうんだ

 

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グリフィズとしてはせっかく、奪ったのに横取りされて、残念。おや、どちらもグリフィズ。グリフィズ同士の争いですね

 

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ややこしいけど、ディネヴァウル家のグリフィズ・ラウェリンと、モルガンウィグのグリフィズ・リデルヒだな

1047年、グリフィズ・ラウェリンはグリフィズ・リデルヒに攻められ、デハイバースから追いだされて奪われたんだ。次の年、グリフィズ・ラウェリンは、奪回しようと、何度も反撃を試みるが、失敗に終わるんだ

 

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しかし、グリフィズ・ラウェリンはあきらめず、1055年にイングランドマーシア伯エルファガーの協力を得て、グリフィズ・リデルヒに攻撃を加え、デハイバースを取り戻したんだ

更に、グリフィズ・ラウェリンは勢いにのり、軍を東方に進め、南部のモーガンウィグなどを奪い去ったんだよ。こうして、グリフィズはウェールズ全土を手中に収めたんだ

 

 

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グリフィズ、ついにウェールズ統一を成し遂げましたね

 

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そうなんだ。グリフィズはウェールズ中世の歴史において全域を統治した唯一の人物だ。一時ではありましたがウェールズに平和をもたらしたんだよ

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グリフィズ・アプ・ラウェリンのウェールズ統一1058年

 

アングロ・サクソンの襲撃と、イングランドの終焉

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ところが、グリフィズとマーシア伯エルファガーとの同盟を、ハロルド(後のイングランド王ハロルド二世)が嫌っていたんだ。1160年にエルファガーが亡くなると、ハロルドは弟トスティグと共にイングランド軍を率いてウェールズに攻め込み、グリフィズを殺害したんだ

 

 

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その後、グウィネズはラウェリンの異父弟ブレダン(Bleddyn ap Cynfyn)が後継し、ハロルドに忠誠を誓ってイングランドとの関係を保ったんだよ。ブレダンは、

「すべての王で最も慈悲深いく最も愛された王 … 彼は親類に礼儀正しくて貧しい者に寛大で、巡礼者と孤児と未亡人など弱い者にとっての弁護者でした。誰も傷つけず侮辱されたものを守りました。すべての人に手を差し伸べ、戦争を嫌い平和を愛しました」と記述されるほどの人物だったんだ

 

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レダンは素晴らしい統治者みたいですね。ブレダンみたいな王ばかりがいいなあ~

 

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その後、ウェールズにとってもイングランドにとっても衝撃的な事件が起き、更にウェールズ南北朝時代も混とんとしてくるんだ

 

f:id:t-akr125:20180114150443j:plainwww.rekishiwales.com

 

 

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1066年にイングランドは大きく変わったんだ。フランスのノルマン人、ノルマンディー公ギョーム2世が、イングランドに攻め込みヘイスティングスの戦いで、イングランド王ハロルド2世を倒して、ウィリアム1世として戴冠したんだ

 

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これが、ノルマンコンクエストと言われている出来事ですね

 

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アングロ・サクソン人が統治していたイングランドが奪われ、ノルマン人の統治が始まったんだ。アングロサクソンの抵抗は続き、ブレダンもイングランドとの同盟を結んでいたので、ノルマン人と戦ったんだ。

そうこうしているうちに、ブレダンは同じディネヴァウル家のリース(Rhys ab Owain)に攻められ、1078年にGoodwickの戦いで戦死してしまうんだ

 

ウェールズ版の天下分け目の戦い

 

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また、またウェールズは混沌としてしまいましたね。北のグウィネズを治めていたディネヴァウル家のブレダンが、南のデハイバースを治めていたディネヴァウル家のリースに殺された、という状況ですね。

そういえば、北のグウィネズで本来の統治者であるアベルファラウ家の人々はどこへいったのですか

 

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そうなんだ。ウェールズで最も実力を持っていたアベルファラウ家は低迷しており、グウィネズの統治者の多くは、ディネヴァウル家から出ていたんだ。もうしばらくは、その状況が続くんだよ。ブレダンが殺られると、ウェールズで再び下剋上が起きるんだ

 

トラハエアルン・アプ・カラドグという人物が立ち上がり、ブレダンを倒したリースを撃破し、続く戦いでリースは戦死するんだ。さらにトラハエアルンはグウィネズを占領して、グウィネズの統治者になるんだよ(※トラハエアルンは、ブレダンの従兄弟という説もある)

 

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またまた下剋上ですね。アベルファラウ家の出番はないですね~

 

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ここでアベルファラウ家が動いたんだ。アベルファラウ家の直系でグリフィズ・アプ・コナンという人物が、アベルファラウ家のグウィネズを取り戻そうと、立ち上がったんだ。ここから、グリフィズとトラハエアルンとの執念深いたたかいが始まったんだ

 

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ライバル同士の戦いですね。見どころがありそうです

 

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シーン1:アイルランドに逃げていたグリフィズはアイルランド軍の助けを借り、トラハエアルンとぶつかり、トラハエアルンに勝利したんだ

 

シーン2:ところが、トラハエアルンはヴァイキングと手を組み、反撃をしてくるんだ。グリフィズは敗れ、再びアイルランドに逃避するんだ

 

シーン3:当時デハイバースはリース・アプ・テウドウルという人物が統治していた。しかし、リースは南国グウェントのカラドグ・アプ・グリフィズに攻撃され、デハイバースから脱出していた。国を追い出されたグリフィズと同じ境遇にあるリースは手を結び、さらに国を奪ったトラハエアルンは同じ境遇にあるカラドグと手を結ぶんだ

 

シーン4:1081年、ウェールズを二分する二つの同盟国はマナッズ・カルンの戦いで激突するんだ(Battle of Mynydd Carn)。グリフィズ率いる軍は、トラハエアルン軍を夜討ち急襲して勝利し、トラハエアルンとカラドグは戦死したんだ

 

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まるでウェールズ版の天下分け目の戦いですね

 

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この戦いで勝利したグリフィズ・アプ・コナンはグウィネズを、リース・アプ・テウドウルはデハイバースを奪回したんだ。こうして、グウィネズアベルファラウ家にもどり、この先もアベルファラウ家が継続して統治を行い、南北朝時代は事実上終焉したんだ

 

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これで、ウェールズもようやく安泰になりましたね

 

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しかし、新たな脅威がウェールズにも襲ってきたんだ。本当のウェールズの戦いはこれから始まるといっても過言ではないんだ。イングランドを乗っ取ったノルマン人だよ。イングランドだけじゃなく、ウェールズも支配しようと侵略を始めんたんだ

 

ノルマン人のウェールズ攻撃が始まる

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脱獄するグリフィズ(ウィキペディアより)

 

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グリフィズに危機的な状況が襲いかかってきたんだ。ウェールズイングランドの国境付近チェスターに住むノルマン人、ヒュー伯爵に攻め込まれ、グリフィズは捕らえられ、チェスター城に投獄されてしまい、グウィネズもノルマン人に占領されたんだ

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グウィネズを奪回したと思ったら、同じ年にノルマン人に捕らえられてしまったのですか。なんとも悲劇的ですね。グリフィズは牢から出て、再びグウィネズを取り戻せたのですか 

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グリフィズは12年~16年投獄されたと言われ、1093年または1097年にようやくウェールズ軍の助けを借りて脱獄できたんだ。グリフィズは軍を立て直すために、再びアイルランドへ脱出したんだ

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そんなに長く投獄されていたんですか! その間ウェールズはどうなっていたのですか

 

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グウィネズだけでなくウェールズ各地はノルマン軍に占領されていたんだ。ノルマン軍の略奪などの横暴さが目に余り、ウェールズ各地でノルマン軍に対して反乱が起こったんだ。ウェールズ軍だけでなく、農民たちも一緒になったウェールズ一体となった反乱だったようだ

これはチャンスと、グリフィズはアイルランド軍の援助を借てウェールズ全土に広がった反乱軍に加わったんだ。グリフィズはウェールズ北部を占領していたノルマン軍を打ち破り、ついに領土を奪回したんだよ
 
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グリフィズは良かったと思いますが、ノルマン軍もっ黙ってはいないでしょ。またやり返して来なかったのですか
 
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ノルマン軍は何度もウェールズを攻撃したんだよ。1121年には、イングランド王ヘンリー1世率いるノルマン大軍はウェールズに再び侵略したんだ。しかし、団結したウェールズ軍はノルマン軍を急襲して勝利を収めたんだよ
 
 
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ヘンリー1世は、ウェールズを攻めるのは領土を拡げるどころか、大きな損害を被ると悟ったんだ。以降、グリフィズの統治時代に、2度とノルマン軍はウェールズを攻めることはなかったんだ
こうしてグリフィズはグウィネズの統治者として、ウェールズの実力者として確固たる地位と力を得たんだよ
 
 
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グリフィズは波乱万丈の生涯ですが、ピンチになったウェールズを建て直した英雄なのですね

 

 

※グリフィズ・アプ・コナンに関する記事2つ

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最後まで読んでくださり有難うございました。

 

これ欲しい!

 

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