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イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。歴史深いウェールズに触れて下されば嬉しいです

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名作映画「冬のライオン」の分かりやすいイングランド王室の歴史背景

イギリスの歴史

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名作映画「冬のライオン」

映画「冬のライオン」、The Lion in Winterは1968年にイギリスで制作されたイングランド王室の争いを描いた映画で、アカデミー賞7部門にノミネートされ、主演女優賞、脚色賞、作曲賞の3部門受賞した名作です。

2003年にアメリカでテレビ映画としてリメイクされ、ゴールデングローブ賞も受賞しています。

「冬のライオンは」12世紀終わり頃のイングランド王であるヘンリー2世を中心に描かれていますが、歴史的な背景をご存知でしょうか?
歴史を知らずに映画を観ると理解できない部分がでてきますが、歴史の背景だけでも知っておくと、ああこういう理由でこんな行動をとったんだな、と理解でき楽しさも増すと思います。

今回は「冬のライオン」をより楽しんで頂けるように、ヘンリー2世、王妃、息子たちの人間関係の概要をお話いたします。

 

「冬のライオン」の概要

まずネタバレしない程度に、映画の概要をご紹介いたします。
1183年のクリスマス、フランスのアキテーヌにあるシノン城が舞台となっています。アキテーヌとは当時フランスの西部に位置する国です。

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「冬のライオン」ではイングランド国王ヘンリーと王妃エレノア、二人の間の3人の息子たちとの後継争いと愛憎を描いています。

主な登場人物と配役は下記です。

・ヘンリー (イングランド王ヘンリー2世):ピーター・オトゥール
・エレノア(イングランド王妃エレアノール、前夫はフランス王ルイ7世):キャサリン・ヘプバーン

<息子たち>
・リチャード(後のイングランド王リチャード1世):アンソニー・ホプキンス
・ジェフリー(ブルターニュ公ジョフロワ2世) ジョン・キャッスル
・ジョン(後のイングランド王ジョン):ナイジェル・テリー

<その他>

・アリース(フランス王ルイ7世の娘):ジェーン・メロウ

・フィリップ(フランス王フィリップ2世、アリースの異母弟):ティモシー・ダルトン

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※丸印が映画の登場人物(アリースはアレーと書かれています)

 

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映画を見ているとヘンリーとエレノアの圧倒される迫真の論争と、その合間に見える人間味を深く感じる愛憎にグッと映画の中に引き込まれていきます。この二人のやりとりだけでも大いに見る価値があると思います。

心の底では昔ひかれあった心を残しているものの、ヘンリーはアリースを愛してエレノアと別れようとします。3人の息子たちは我こそが次期王に相応しいとヘンリーや王妃に詰め寄り言い争いになっていき、そこにアリースやフィリップが絡み様々な策略が張り巡らされていきます。イングランド王室の家庭が崩壊していく様子が感じ取れます。

 

 「冬のライオン」の歴史的背景

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冬のライオンの複雑な歴史的な背景をお話いたします。イングランド王室の話ですが、当時のイングランド王はフランス系でありフランスと深く関わりがあります。 

ヘンリー2世もエレアノールもフランス人であった

ヘンリー2世は父はフランスのアンジュー伯ジョフロワで、母はイングランドウィリアム1世の孫マティルダですがウィリアム1世もフランス系のノルマン人です。

一方、エレアノール・ダキテーヌもフランスのアキテーヌ公ギョーム十世で広い領土を所有していおり、エレアノールが領土を受け継いでいました。(アンジューとアキテーヌの領土は先ほどの地図をご覧ください)

 

フランス王と離別してヘンリーと結婚

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エレアノールは当初、フランス王ルイ七世と結婚し15年の結婚生活を送っていました。しかし、また信仰心強く学者的なルイ7世に対し自由奔放な恋愛をする家系で育ったエレアノールとの間も陰りが見え、二人の間には男の子が生まれなかったことからルイ7世は後継者問題に悩みついに結婚は無効だったとして離別させられました。

 

そこに現れたのが、エレアノールより11歳年下で18歳になる隣国アンジュー伯のヘンリーでした。ヘンリーは、がっしりとして大柄な体格で、肩幅が広く、腕は太く、胸は熱く、燃える弾丸のようにらんらんと輝く眼を持っており、野性的で激しい気性でした。このヘンリーの容姿や性格も映画ではうまく表現できていると思います。

 

またヘンリーは文人の誉れ高いアンジュー家だけあって高い教養と知性も兼ね備えていました。この二人は結婚し、エレアノールのアキテーヌとヘンリーのアンジューは統合され広大な領土となりました。

 

ヘンリーはイングランド王になる

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ヘンリーは当時のイングランド王スティーヴンとその息子ユースタスと争っていました。ヘンリーはフランスのアンジュー伯ではありましたが、イングランドウィリアム1世の曾孫、ヘンリー1世の孫でありイングランド王を後継できる立場にありました。

ヘンリー軍はイングランドに上陸してスティーヴン軍と戦い圧倒的な強さで制し、次期イングランド王はヘンリーということで和解に調印しました。その後、スティーヴンとユースタスは病気や食中毒で亡くなり、アンジュー伯ヘンリーは1154年12月19日にイングランド王ヘンリー2世として戴冠しました。

 

結婚生活にも暗雲が 

ヘンリー2世と王妃となったエレアノールは当初は幸せな結婚生活を続け、10年間に5男3女をもうけました。長男、次男は早世しましたが、三男はリチャード(後のイングランド王リチャード1世)、四男 ジェフリー、末っ子のジョン(後のイングランド王ジョン)と後継者にも恵まれました。

しかし、ジョンを懐妊したころから、ヘンリー2世はロザムンドという名の若い女性を熱愛するようになり年上のエレアノールを疎むようになりました。深く傷ついたエレアノールは子供たちを連れてイングランドを去り、自分の領土であるアキテーヌに移り住むようになりました。

エレアノールの反乱

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エレノアールは、ルイ7世をバックに息子たち(次男若ヘンリー、三男リチャード、四男ジェフリー)を父に造反させて、1173年にヘンリー2世との間に戦争を起こしました。しかし、ヘンリー2世の勝利に終わり、エレノアールはイングランドに幽閉されてしまい、この幽閉生活は15年にも及びました。この幽閉生活の状況を映画にしたのが、「冬のライオン」です。

 

ヘンリー2世の息子たち

冬のライオンには出ていない次男若ヘンリー

映画には出ていませんが、次男の若ヘンリーはヘンリー2世の後継で共同君主となっていました。しかし、ヘンリー2世から実権は与えられずまたヘンリー2世のジョンへの偏愛ぶりから、母や弟たちと父へ反乱を起こしました。
その後、ヘンリー2世と和解しますが不仲は続き、リチャードとも関係は良くなく若ヘンリーはジェフリーと組んでリチャードと交戦しました。しかし1183年に熱病でなくなり、映画には登場していません。

 

三男リチャード(後のリチャード1世) 

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三男の リチャードは、母エレノアールから最も愛されていました。次男の若ヘンリー急逝後に後継者となりましたが、父ヘンリー2世からは後継者の代わりに所有していたアキテーヌを譲渡するように命じられ拒否し対抗しました。

またリチャードは婚約していたフィリップ2世の異母姉アリースと結婚しようとすると、アリースを愛人としていたヘンリー2世は拒否し、リチャードは父に敵対しました。兄弟のように育ったフィリップ2世とはとても仲が良かったようです。

 

※ヘンリー2世の死後にリチャードはリチャード1世としてイングランド王となり、十仁軍遠征では奪回まで至りませんでしたが大活躍をし獅子王と呼ばれました。リチャードはアリースとは結局結婚せず、ナヴァール王女と結婚しました。しかし、リチャード1世は男色が走り子供はできませんでした。

 

四男ジェフリー

ジェフリーは、兄弟と共に父に反乱を起こし、また若ヘンリーと共にリチャードとも争っています(これを考えると、映画の中ではほぼ皆と不仲になっていたようです)。イングランド王の継承者にはなっておらずブルターニュ公となりますが、1186年の馬上槍試合で負傷し死亡しました。

 

五男ジョン

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末っ子のジョンは父ヘンリー2世から寵愛を受け、父は多くの領土をジョンに継がせようとしました。このため、兄弟達からは大きな反感を買いヘンリー2世との不仲の原因となりました。後に兄リチャード1世の死後にイングランド王となりますが、欠地王や失地王のあだ名がついています。

ヘンリー2世が兄弟達に領土を分配した際に、幼年のジョンに領土を与えなかったことから欠地王と呼ばれ、またイングランド王になってから両親のフランスにある領土の大半を失ったため失地王とも呼ばれています。

 

後にヨーロッパの祖母となったエレアノール

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エレアノールはヘンリー2世が亡くなり幽閉生活から解放されたときには67歳になっていました。しかし彼女の健康も気力も衰えはなくリチャード1世を支えてアンジュー王国の中枢に君臨しました。

・リチャード1世が十字軍遠征に出かけると婚約者の手を引いてシチリアに出かけた

・71歳の時にリチャード1世がオーストラリアで拉致された時には多額の身代金を携え冬のアルプス越えを敢行し釈放に成功

・78歳の時にはピレネー山脈に挑み孫娘のカスティリア王女のブランカを連れて帰りルイ8世のもとに娶せた

と年齢を感じさせない活動をしました。エレアノールの子孫はイングランド王家だけでなく、ルイ8世とブランカを通してフランス王家にも広がってヨーロッパ中に根を張り、ヨーロッパの祖母と呼ばれるようになりました。

 

冬のライオン:最後に

「冬のライオン」の背景にはとても複雑な人間関係がありますね。この記事を読んである程度、歴史的な背景を理解してから映画を観ていただけると楽しめると思います。この記事が「冬のライオン」を観る上で、また歴史を知りたい方のお役に立てれば幸いです。

 
※参考図書

イギリス 王妃たちの物語

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※関連記事

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イギリスで地震は起きるのか、イギリスのウェールズで起きた地震とは?

イギリスの歴史 ウェールズの歴史

ウェールズやイギリスで地震は起きるのか?

 2000年から2015年までにウェールズではマグニチュード2以上の地震は10回起きており、最大の地震でもマグにチュードは3.3と日本で起きる地震と比べると小規模のものです。トータルでは153件で、多くの地震は体感もしなかったそうです。

 

ウェールズの建物は殆ど全てが石造りで内装は木造です。勿論耐震構造とはなっておらず、日本のような巨大地震が起きたとするとガレキの山になってしまうと思います。

 

ウェールズだけでなくイギリスの過去の歴史を見ると地震は起きてはいますが、ここ数百年ではマグニチュードは3~5程度で深刻な被害には至っていないようです。

 

※近年ウェールズで起きた地震マグニチュード

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イギリスで近年起きた最も大きな地震

 

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1984年7月19日に、北ウェールズにあるLlyn半島を震源に起きたマグニチュード5.4の地震が起きました。イギリスで起きた観測史上最大の地震です。被害はさほどは大きくなく、ウェールズイングランドでで建物や煙突が少々壊れたり岩が滑ったりしたそうです。被害が集中したのはイングランドウェールズの国境に近いリバプールで、軽傷のけが人がでたそうです。

 

地震の原因は、ウェールズ、北西イングランドスコットランドに広がる地震帯で大西洋の下にあるプレート理論の活動によって起きたと考えられています。

 

20万年前には氷で覆われていた場所で、現在では氷が解けて地殻の重さを軽減してはいますが、以前その重さによって地殻のひずみは起きているそうです。

 

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中世に起きたウェールズ地震

 

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1247年2月20日にウェールズで起きたマグニチュード5.5と想定される地震が発生し、ブリテン島で起きた最大の地震の一つと言われています。ウェールズで中心となるSt.David教会は大きなダメージを受け、西側の壁が外側に崩れまた天井は石造りから、木製に変えたそうです。

St Davids Cathedral: History - Nave

 

最後に

イギリスで起きた地震の震度はどのくらいだろうか?と思ってしまいます。恐らく震度は2とや3くらいで、日本では日常茶飯事の程度かも知れません。しかしイギリスでは地震に人々は慣れておらず建物も耐震構造になっておらず、少々の揺れで建物が壊れ大騒ぎとなるようです。

歴史的に見ても大被害を与えるような地震は起きていない様子で、その状況も仕方がないのかと思います。地震の切り口から歴史や報道を見ると、文化の違いなど分かり興味深いです。参考になって頂けると有難いです。

 

参考:

The 10 most powerful earthquakes that have shaken Wales since the year 2000 - Wales Online
1984 Llŷn Peninsula earthquake - Wikipedia, the free encyclopedia
List of earthquakes in the British Isles - Wikipedia, the free encyclopedia

世界の震源分布地図A2版(日本語版)

世界の震源分布地図A2版(日本語版)

 

 

新たなスコットランドのアーサー王伝説を分析してみた 

アーサー王伝説

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アーサー王ウェールズ人やローマ人ではないか?という説が多くありますが、スコットランド人では?という説も出ています。これは9世紀にのウェールズ人の僧侶ネンニウス(ネンウィニウス)の記述をもとに解釈をしたものです。

アーサー王スコットランドの戦士であるとすると、どんな状況であったのでしょうか?今回、アーサー王スコットランドの戦士と仮定して話を進めて行きます。

 

アーサー王の概要の通説

アーサー王物語に書かれている広く知られたアーサー王は、5世紀後半~6世紀前半にアングロサクソン族と戦い侵入を防いだのブリタニア戦士でこれが物語化されました。

イングランドコーンウォールにあるティンタジェル城で産まれ外敵からブリタニアを守った偉大な王で、ブリタニアを統治しただけでなくノルウェーアイルランド、ゴール(フランス、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、イタリアの一部)まで勢力を広げた英雄」となっています。

 

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アーサー王スコットランド人説とは?

スコットランドといっても当時はブリタニアの一部であるストラスクライドと呼ばれる国で、ウェールズなど他のブリタニアと同じくブリトン人が住む国でした。

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※525年頃のブリタニア地図です。ブリタニアは北部にあるストラスクライド(Strathclyde)やゴドディン(Gododdin)より南の部分を指します。北側はピクトランドと呼ばれるピクト族の国です。ストラスクライドの南側にはハドリアヌス城壁(ハドリアヌスの長城)、北側にはアントニー城壁がありピクト族の侵入を防いでいました。


アーサー王に関しては以下のような記述があります

アーサー王は君主ではなく勇敢な実在の戦士
・ラテン名を持った(アーサー)
ブリトン人の言葉とラテン語を話した
・円卓に座りエクスカリバーを持っていた
アングロサクソンとは戦わず、他のブリトン人と戦った


アーサー王アングロサクソン族と12の場所で戦い、全て勝利をした偉大な戦士というのが通説ですが、今回の説はブリトン人と9つの戦場で戦い(ブリトン人同士の戦い)、そのうち7つはスコットランドにあるとされています。
そして最後の戦いが537年以前のカムランの戦いで、このカムランの戦いでアーサーは殺されたとされています。地図中にカムラン(camlan)の場所を示しており、スコットランドのカーライル付近にあるとされています。

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※映画の「キング・アーサー」は、このアーサー王スコットランド戦士説をモデルにして制作されたとも言われています。

 

スコットランド戦士のアーサーは誰? 

アーサー戦士が活躍したと言われている530年頃のストラスクライドはどんな状況であったのでしょうか?先ほどの地図でスコットランド南部だけを見てみましょう。

 

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内乱が続いていたストラスクライド

当時のストラスクライド(Strathclyde)の首長は、Tutgual Tutclyd(テュトグァル・テュトクライド)という人物でした。ストラスクライドはまだアングロサクソン族の侵入に対する戦いというより、もっぱら内乱でした。

父親のCedicの時代は兄弟間で領土争いが続き、侵略・殺人・略奪が続いた暗黒時代で
テュトグァルはウォリアーキングと呼ばれストラスクライドを平定して人々を守ったと言われています。(Defender of the People)また領土はストラスクライドにとどまらず、地図中の南隣国のGalwyddelを奪い取ったようです。

 

ストラスクライドの首長はアーサーだったのか?

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このストラスクライドの首長とアーサー戦士は関係だったのでしょうか?

私の推測ですが、アーサーがストラスクライドの戦士であったとするなら、テュトグァルに従った勇敢な戦士であったか、テュトグァルであった可能性もあると考えています。

 

スコットランドにあるエクスカリバー伝説

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このテュトグァルには剣にまつわる伝説があります。Whetstoneと呼ばれる石を持っており、

「この石を使って勇敢な人物の剣を研ぐと切れ味が非常によくなり敵を必ず死に至らしめるだろう、もし臆病者の剣を研いだなら鈍くなるだけでなく誰も傷つけることはできないだろう」という伝説があります。

 

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さらにテュトグァルにはストラスクライドの王を後継した王、リデルヒ・ハエル (正直者Rhydderch)がいます。レデルヒはDyrnwyn(別名 white tilt 白い剣)と呼ばれる剣を持っており、

「豊かで育ちの良い人物が抜くと、剣全体は炎につつまれ輝くだろう」

という伝説があります。このテュトグァルの石Whetstoneとリデルヒの剣Dyrnwynはいずれも「グレートブリテン島の13の宝物」にリストアップされています。

 

この石と剣はアーサー王物語に出てくる、石に刺さった剣の石とエクスカリバーを思い起こさせますね。ひょっとしたら深い関係があるのかもしれません。


最後に

アーサー王スコットランドにあるストラスクライドの戦士でブリトン人との戦いに明け暮れたのか?アーサー王は偉大な王でアングロサクソン族と戦い侵入を防ぎ、大帝国を築いた英雄なのか?いろんな説があり、良く分かりません。

しかし、何れの説であっても夢があり興味深いですし新たな説を考えてみることでよりアーサー王を楽しめると思います。アーサー王に興味を持っていただけますと幸いです。

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

 

参考:

King Arthur was just a Scottish general who lived most of his life in Strathclyde | Daily Mail Online

 

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現代版もう一つの「ウェールズの山」があった。ウェールズ人が丘に登り山になって下りた話

ウェールズ

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現代版もう一つのウェールズの山

イングランド人の測定者がウェールズの丘に登り、再び観測しなおし山になったという映画「ウェールズの山」。英語名は、その名のとおり

Englishman who went up a hill but came down a mountain
丘に登って山を下ったイギリス人、です。 

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 この映画は、ウェールズ南部にあるガース・ヒル(Garth、ガース・マウンテン)と呼ばれる実在の場所があり、そこでの実例がモデルとなった映画です。

しかし、ウェールズには同じように観測し直したら丘が山になった!という実例が他にもありました。この場合は、ウェールズ人が丘に登って山を下ったので、Welshman who went up a hill but came down a mountain

になります。どんな実例だったのかお話しいたします。

 

ウェールズ人が丘に登り山になった!

 

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もうひとつのウェールズの山の名前と場所

その山の名前はMynydd Graig Gochという名前で、赤い岩山(Mountain of the Red Rock)という意味です。イギリスの西部の北ウェールズには観光地のスノードニア国立公園があります。そのスノードニア国立公園にあるNantlle山脈の西側の山頂で、山岳ハイキングには最適の場所です。

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ウェールズ政府のページで一番下のリストになります
 Eryri - Snowdonia

 

もう一つのウェールズの山は疑われていた

2000フィート(609メートル)以上が山であり2000フィート以下は丘と定義されていす。地図に関するイギリスの政府機関である英国陸地測量部OS(Ordnance Survey)は100年以上にわたって、Mynydd山は1998フィートの丘としていました。

しかし、Mynyddは丘じゃなくて山じゃないか?OSの値は実際より低く書かれているのじゃないかか?という疑いが指摘されていました。そこで、2008年に再測定が行われました。

 

再測定でウェールズの丘はウェールズの山となった

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2008年9月19日に情熱的なウェールズ人によって測定が行われました。2000フィートのポイントとなる山頂の岩のポイントはここだという証拠は集められ、7000以上の衛星(GPS)から観測された結果、OS値は間違っていたと言うことが判明されました。

17~22mの強風と雨の続く中で測定は行われ、とても困難な状況であったがとても価値のある測定であった、と測定に携わったウェールズ人の1人バーナードは言いました。

測定の結果、Mynydd山の高さは 609.75 m (2000.49フィート)と修正され、ウェールズで190番目の山となりました。

OSは何故測定を間違えていたのか?山頂はごろごろとした岩で覆われており、どれが山頂なのか判別しにくかったことかも知れません。

 

映画のウェールズの山に隠されたもう一つの現代版のウェールズの山の話であり、こちらも映画にすると面白いですね。

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参考:

The Welshmen who went up a hill, but came down a mountain | UK news | The Guardian

Mynydd Graig Goch - Wikipedia, the free encyclopedia

 

ウェールズの山 (字幕版)
 

 最後まで読んでくださり有難うございました。

戦うブリタニア帝国の戦士たち:ブリタニア戦士とローマ帝国との争い

歴史創作ストーリー

<登場人物>

 

 

エウダヴ:ブリタニア帝国の首長

 

 

 

トラヘルン:ローマから派遣された司令官

 

 

 

カラドクス:ブリタニア戦士、エウダヴの親友

 

 

 

グンベルト:ノルウェー王。エウダヴを助ける

 

※登場人物は実在名となっていますがストーリーはフィクションです

ブリタニア帝国内で反乱の狼煙

 

 

何だって!貴様今何と言った?
け、けしからん、、、戦いだ!戦いの準備をしろ

 

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トラヘルンの奴はいったい何と言ってきたんだ?

 

 

はっ、ここにトラヘルンからエウダヴ様宛に受け取った文書があります。

 

 

読んでみろ!

 

 

コンスタンティン大王閣下から指名を受け、今日からトラヘルンがブリタニアの司令官となった。貴殿の領土とブリタニア全軍をに引き渡すことを命令する。

 

 

許せん!ワシらが誇るブリタニアを何だと思っているのだ?ブリタニアブリタニアだ、ローマ帝国ではない!断じてトラヘルンに従うことはできんぞ。トラヘルンにそう伝えろ!

 

 

はっ!

 

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エウダヴ様、トラヘルンからの返答です!<従わざるなら武力で従わせるのみ>とあります

 

 

おのれ、トラヘルンめ。我らブリタニア軍をなめるなよ!

 

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時代は4世紀に入ったばかりの、古代のブリタニア(現在のイギリス)。コンスタンティヌス1世は司令官としてブリタニアを統治していたが、西ローマ皇帝となりブリタニアを去った。

後にコンスタンティヌス・ザ・グレートと呼ばれ東西に分裂し4帝制を取っていたローマ帝国を統一することになる。コンスタンティヌス1世の後任としてローマから後任のブリタニア司令官が派遣されたものの、エウダヴ・ヘンというブリタニアの首長といざこざを起こし新たにトラハルンがブリタニア司令官として派遣されたのであった。

しかし、またその司令官も・・・・

 

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ウェールズ北部、セゴンティウム城>

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何を大声を上げているんだい、エウダヴよ。もっと冷静になりなよ。

 

 

この状況で冷静になんかなれるものか!ブリタニアはトラヘルンに侮辱されたんだぞ!

 

 

 

早まっていはいかんよ。もっと良く考えて行動しろよ。

 

 

カラドクス、幾ら君が無二の友でも今回は問答無用。売られた喧嘩は買って返すぞ。

 

 

 

決して、ローマ帝国軍との戦争はするんじゃないぞ!やれやれ、困ったものだ。エウダヴの頑固で負けず嫌いな性格があだにならなければ良いが・・・

 

ウィンチェスターの戦い 

<現在のイングランドウィンチェスター郊外>

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やったぞ!ローマ軍が崩れた!今だ!トラヘルンをぶっ潰せ~
 
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もう無理だ・・・引けっ!
     
 

 

 

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追え、追うんだ!トラヘルンを捕らえろ!
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申し訳ございません、トラヘルンを取り逃がしてしまいました。奴らはハドリアヌス城壁を越えて逃げた様子です。付近の村々を襲って略奪を繰り返しているらしいです。
 

 

 
うぬぬぬ、どこまでブリタニアを荒しまわる気だ・・・トラヘルンめ、必ずひっとらえてやる!

 

 

 

ウェストモーランドの反撃

 

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一旦は破れたトラヘルンは何とか軍を立て直し、ウェストモーランドの平原にて再びブリタニア軍とローマ軍は激突した。

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いかん・・・・・

 

 

 

いたぞ!反逆者をとらえろ!

 

 

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エウダヴ様、こちらです。さっ、早く・・・

 

 

む、無念・・・ああ、我がブリタニアが・・・

 

 

脱出

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おいっ!兵が倒れているぞ!
取り敢えず手当をして、王に報告だ!

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こっ、ここは・・・

 

 

おっ、気がつかれましたか。ご安心くだされ、エウダヴ殿。

 

 

どうして私の名前を?

 

 

私はノルウェー王のグンベルト。海岸で倒れていたのを我が兵が見つけここにお連れしたんだ。お名前は貴殿の部下から聞きました。どうやら戦場から脱出した様子・・・

 

 

うううっ、多くの我が軍が失われたのに私は生き残ってしまった・・・ああ、ブリタニアは、ブリタニアは・・・

 

 

まずは戦を忘れて、ゆっくり休んでくだされ

 

 

かたじけない・・・

 

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ノルウェー王グンベルトのもとでエウダヴは徐々に戦いの傷を癒していった。二人は気が合い、お互いの国のこと熱き思いを幾度となく語り明かした。やがて心の底まで語り合える親友となった。

 

 

グンベルト殿!

 

 

エウダヴ殿!

 

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エウダヴという男、こんな熱い心を持った人物にこれまで会ったことがない。私もノルウェーのために王を務めてきたが、エウダヴのブリタニアに対する愛国心と誇りは見習うべきものがある。何かエウダヴのために私が力になれる事はないだろうか?おっ、そうだ!ゲオルグはおらんか!

 

 

はっ、グンベルト様

 

 

誰にも決して知られずに内密に動くんだ

 

 

はっ、必ず

 

 

 

 

王の策略

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ブリタニアに到着!

 

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トラヘルンを尾行しろ!

 

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トラヘルンがロンドンの城から少人数で離れたぞ!

 

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森林の谷だ!

 

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何!トラヘルンが殺されただと!これは急いでブリタニアに戻らないと・・・

 

 

エウダブ殿、我が兵を使ってくだされ

 

 

 

ありがとう、かたじけない。この数年間は本当にお世話になりました。グンベルト殿にお会いできて私は幸せでした。この恩は一生忘れない。必ずや恩返しをしますぞ

 

 

私も同じ気持ちだ、エウダヴ殿に会えて手助けできてよかったよ。成功を祈る

 

 

ブリタニア

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ノルウェーを出発した船団はブリタニアに到着する

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うぉー、うぉー、うぉー

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エウダヴ軍は司令官を失い統率力が低下したローマ軍を攻め立てた。ローマ軍は反撃する力もなくちりじりになって退散し、トラヘルンが拠点をおいていたロンドンを占領することに成功した。

 

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やった!やったぞ!!これでブリタニアは我々ブリトン人の元に返ってきた!

 

 

エウダヴ様、とうとうやりましたね!

 

 

 

ありがとうブリタニア軍のみんな。ありがとうグンベルト殿、ノルウェー軍のみんな!

 

 

新たな試練の予感

 <ウェールズ北部、セゴンティウム城>

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エウダヴは懐かしい故郷のセゴンティウムに帰ってきた。

 

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エウダヴよ、生きていたか?

 

 

やったぞカラドクスよ。とうとうブリタニアを我らの手に戻したぞ

 

 

まあ取り敢えず良かったな

 

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しかし、とんでもない事をまたやってくれたもんだ。
ローマ帝国から派遣されたトラヘルンにも逆らい倒してしまったとはなあ。この事態に、ローマ皇帝コンスタンティヌス大王が黙っているとは思えんが・・・

 

 
つづく・・・・・
最後まで読んでくださり有難うございました。

ウェールズの犬、ウェルシュ・コーギー・ペンブロークとカーディガンの歴史

ウェールズの歴史 使える歴史

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ウェールズで有名なものは?

なかなか思い浮かばないかもしれませんが、ウェールズはウェルシュ・コーギーと呼ばれる犬の原産地として知られています。

ウェルシュ・コーギーは2犬種あり、ウェルシュ・コーギー・ペンブロークウェルシュ・コーギー・カーディガンです。

ウェルシュ・コーギー・ペンブロークエリザベス2世の父ジョージ6世がペットとして飼い始め、ウェルシュ・コーギーが広く知られるようになりました。娘のエリザベス2世もウェルシュ・コーギーがお気に入りで現在まで30匹も飼っていたそうです。このようにイギリスの王室では70年以上もペットとして飼われています。

 

※ペンブロークとカーディガンは近くに位置し、イギリスの西部にあるウェールズの西南にあり海に面した場所です。

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ウェルシュ・コーギーの特徴

ウェルシュ・コーギーは牧畜犬、牧羊犬のカテゴリーに入る犬種で、足が短く胴が長い特徴がありシベリアンハスキーと同じく口がとがり耳が立っているスピッツ・タイプの流れを汲んでいます。頭が良く活発で良く活動する性格です。

ウェルシュ・コーギー・ペンブロークウェルシュ・コーギー・カーディガンは同種で原産もウェールズの西部ですが、別々に開発されてルーツも異なります。

 

ウェルシュ・コーギー・ペンブロークの特徴はとても活発・運動好きで好奇心大ですが、興奮しやすく飼い主の足に噛みついたりすることもあります。

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ウェルシュ・コーギー・カーディガンは、ペンブロークより胴が長く耳の先がとがっており、明るく人間好きで賢く忠実な性格です。

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詳しい特徴などはこちらをご覧ください。

ウェルシュ・コーギー・ペンブローク - Wikipedia

ウェルシュ・コーギー・カーディガン - Wikipedia

 

ウェルシュ・コーギーの名前の由来

 

ウェルシュ・コーギー(welsh corgi)の由来は、ウェルシュはウェールズのという意味で、コーギーウェールズ語のcor(dwarf:小人)とci(犬)が結合した小人犬という意味で、ciがgiに変化しています。

 

他の説としては英語のcur とウェールズ語のciが結合したという説もあります。英語でcurは野良犬、臆病者など良い意味では使われませんが、ここでは農家などの仕事犬という意味で上流階級の高級犬と分けるためにつけられたと言われています。

 

ウェルシュ・コーギーの歴史

 ウェルシュ・コーギー・ベンブロークとウェルシュ・コーギー・カーディガンはルーツは異なり、別々の歴史を持っています。

ウェルシュ・コーギー・ペンブロークの歴史

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ウェルシュ・コーギー・ペンブロークのルーツは2つの説があります。
一つは1107年のヘンリー1世の時代で、ベルギー北部のフラマン人がウェールズのペンブロークに移住した時に連れてきたという説です。

もう一つは10世紀にヒウェル・ザ・グッド王(Hywel the Good)が統治していたウェールズに、ヴァイキングが攻め込んだ時に持ち込まれたという説です。この場合は、スウェーデンの牧羊犬であるvallhundがルーツではないか、と言われています。

 

ウェルシュ・コーギー・カーディガンの歴史

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ウェルシュ・コーギー・カーディガンの歴史はずっと古く、今から約3000年前からウェールズに住んでおり、紀元前1200年頃に中央ヨーロッパよりケルト系民族がウェールズに移住してきたときに持ち込まれたと言われています。

 

ウェルシュ・コーギー・ペンブロークの伝説

コーギーにはこんな伝説が残されています。

二人の幼い子供が小さな二匹の子犬が、王の領土で飼われている彼らの家族の牛に近づいているのを見つけました。子供たちはその子犬をキツネと思い、家に連れて帰りました。そうしたところ、男たちからその小さな犬は妖精からの贈り物だよと言われました。ウェールズ伝説の小さな小人たちは、彼らの荷物や馬を引くときに小さな犬を使っていたのです。キツネに似た子犬たちは大きくなるにつれ、牛を見張って人間たちの手助けをすることを覚えました。そしてコーギー犬の子孫たちの仕事として何世紀も続けられました。

確かに、現在のウェルシュ・コーギーを見てみると、肩にかけて妖精たちが乗るサドルのような跡が今も残っていますよね。

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真のプリンス・オブ・ウェールズの秘密!

ウェールズの歴史 イギリスの歴史

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プリンス・オブ・ウェールズの起源をご存知ですか?イングランドの皇太子がプリンス・オブ・ウェールズなのに、なぜウェールズのプリンスなの?と思いませんか?

 

プリンス・オブ・ウェールズは現在イギリスのチャールズ皇太子が1958年に就任しています。プリンスの名前がついているので王子、皇太子の意味ととらえがちですが、ここでのプリンスは統治者の意味で、日本語ではウェールズ大公やウェールズ公と呼ばれています。

 

今回は、プリンス・オブ・ウェールズは本当はどういう意味なのか?歴史上誰が就任していたのか?プリンス・オブ・ウェールズの真実に迫っていきたいと思います。

プリンスオブウェールズの起源について

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プリンス・オブ・ウェールズはいつから始まったのですか?

 

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プリンス・オブ・ウェールズは12世紀の中ごろに、当時大王と呼ばれたオウァイン・グウィネズ(オウァイン・アプ・グリフィズ)がウェールズほぼ全域に支配力を及ぼし、初めてそのスタイルを取りました。

 

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なんでキングじゃなくてプリンスと言うんですか?

 

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プリンス・オブ・ウェールズとはウェールズ語ではTywysog Cymruと言い、ウェールズの統治者という意味です。tywysogは統治者、Cymruはウェールズです。ウェールズでは国を治める王は独裁者や権力を振るう者ではなく、統治者と呼んでいます。その理由は、多くのウェールズ統治者はウェールズ法により選ばれ、たとえその座についても能力が無いと判断されれば下されるケースもあり、比較的民主的に選ばれた人物だからです。

 

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プリンス・オブ・ウェールズになったとしても悪政をしていると下されてしまうので、信頼される人物になる必要があったわけですね。

 

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その後、オウァインの孫であるリウェリン大王(リウェリン・アプ・イオルウェルス)が12世紀中旬にウェールズのほぼ全域を統治し、実質的なプリンス・オブ・ウェールズとなりました。しかし、文書として正式には残されておらず、文書にプリンス・オブ・ウェールズと初めて明記されたのが、リウェリン大王の息子であるダヴィズ・アプ・リウェリンでした。このダヴィズが公式では初代のプリンス・オブ・ウェールズとなっています。 

 

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へえ~そうすると、プリンス・オブ・ウェールズはおよそ800年近く続いているとても伝統のある称号なんですね。その後はどうなったんですか?

 

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その後、二代目はダヴィズの甥リウェリン、三代目はリウェリンの弟ダヴィズがプリンス・オブ・ウェールズになっています。

初代:ダヴィズ・アプ・リウェリン
二代目:リウェリン・アプ・グリフィズ
三代目:ダヴィズ・アプ・グリフィズ

 

※オウァイン大王に関する記事

www.rekishiwales.com

 

※リウェリン大王に関する記事

www.rekishiwales.com

 

真のプリンス・オブ・ウェールズの時代

 

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2代目プリンス・オブ・ウェールズ、リウェリン・ザ・ラスト

 

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しかし、三代目のダヴィズの後は状況が一変しました。2代目のリウェリンは別名リウェリン・ザ・ラストと呼ばれ、イングランド王であるエドワード1世のノルマン軍と幾度となく戦争を行い、ウェールズの独立維持のために戦っていました。しかし1282年にエドワード1世に敗れて戦死し、プリンス・オブ・ウェールズの王冠も持ち去られてしまいました。

 

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そのあとを継いだのが、リウェリンの弟 ダヴィズ・アプ・グリフィズがプリンス・オブ・ウェールズを宣言し、エドワード1世に対抗を続けました。しかし、翌年の1283年に捕らえられて処刑されました。ウェールズもこれでイングランドの支配下にはいってしまったわけです。

 

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なんと!これでプリンス・オブ・ウェールズは終わってしまったという意味ですか?

 

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ウェールズ人としてのプリンス・オブ・ウェールズは以上の3人で終わってしまいました。その後は、イングランドの男性の第一王位継承者がプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えられるしきたりとなりました。つまり、本当の意味でのプリンス・オブ・ウェールズはお話ししたこの3人です。

 

※リウェリン・ザ・ラストに関する記事

www.rekishiwales.com

 

歴代のプリンス・オブ・ウェールズ

 

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その後のプリンス・オブ・ウェールズイングランドの第一王位継承者なんですよね?

 

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そうです、4代目のプリンス・オブ・ウェールズはエドワード1世の息子エドワード2世が任命されました。エドワード1世は息子エドワードをウェールズにあるカナーヴォン城で産ませ、ウェールズ語が話せるようにしました。そして、ウェールズで産まれてウェールズ語が話せる人物ということで無理やりウェールズに対して筋を通して、プリンス・オブ・ウェールズにしたという逸話があります。

 

※以降の現在のチャールズ皇太子に至るまでのプリンス・オブ・ウェールズについてはこちらをご覧ください。プリンス・オブ・ウェールズ - Wikipedia

 

プリンス・オブ・ウェールズを名乗ったウェールズ人たち

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ウェールズの英雄、オウァイン・グリンドゥール

 

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ん~、ウェールズの人々にとっては魂を取られてしまったようですね。何か反論はしなかったのですか?

 

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プリンス・オブ・ウェールズウェールズの人々にとって誇りである称号でしたので、自分がプリンス・オブ・ウェールズだ!と非公式ですが宣言した人物もいました。

 

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興味あります、教えてください~

 

ウェールズの大規模反乱を起こしたマドック

 

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1294年~1295年にウェールズの国中に広がった反乱を起こしたリーダーがマドック・アプ・リウェリンと言う人物がいて、プリンス・オブ・ウェールズを名乗りました。マドックは最初の方にお話ししたプリンス・オブ・ウェールズのスタイルを初めてとったオウァイン・グウィネズの子孫になります。

 

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マドックは活躍したのですか?

 

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マドックは結構頑張って、イングランド軍を打ち破りカナーヴォン城を占拠してエドワード1世を包囲しましたが、結局敗れて投獄されてしまいました。

 

フランスで活躍したオウァイン

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リウェリン大王の曾孫にオウァイン・ラウゴッホ(赤い手のオウァイン)と呼ばれる人物がいました。ラウゴッホはフリーカンパニーと呼ばれる政府から独立運営していた傭兵団のリーダーでした。

 

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オウァインの傭兵団はどんな戦いに参加したのですか?

 

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オウァインはプリンス・オブ・ウェールズを名乗り、イングランドとイギリスの100年戦争でフランス側に加担して、イングランドと戦いました。

 

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イングランドとですか?

 

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そうなんです。しかし、ウェールズに戻る前にフランスで殺されてしまったんです。

 

最後のウェールズの英雄オウァイン

 

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ウェールズの幾つかの王室の血を引くオウァイン・グリンドゥールはイングランドに対して反乱を起こしプリンス・オブ・ウェールズを名乗りました。一時はウェールズ全域を掌握しましたが、イングランド軍の反撃にあい鎮圧されてしまいました。オウァイン・グリンドゥールは現在もウェールズの英雄として語り継がれている歴史上の有名人物です。

※オウァイン・グリンドゥールに関する記事

www.rekishiwales.com

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最後に

 

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今回はプリンス・オブ・ウェールズについて、その歴史的な背景をお話いたしました。プリンス・オブ・ウェールズは、ウェールズの統治者が始まりで現在はイングランドの皇太子が受け継いでいる形をとっています。そこには様々な歴史が刻まれていることが分かって頂けたと思います。プリンス・オブ・ウェールズの歴史についても親しんで頂ければ幸いです。

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

ウェールズの歴史が良く分かる纏め記事

 

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