イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史、イギリスの歴史、アーサー王、イギリスの歴史に関連する内容を中心に記事を書いています。

カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」とは何か?時代背景と考察をしてみました

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こんにちは。たなかあきらです。カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を読んだことはあるでしょうか?


・難解でよくわからない
・時代背景が分からないし、登場人物のつながりとかもぴんと来ない

という方はいらっしゃいませんか?

 

歴史や時代背景を知っていたら、もっと楽に読めて楽しめたんじゃないかな、と思います。

「忘れた巨人」を読んで、あまりピンとこなかった人におススメの記事です。参考になるようでしたら嬉しく思います。

時代背景:サクソンの到来

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紀元5世紀の中ほど、ブリタニアに住むブリトン人の首長は、ヴォーティガンという人物でした。
当時は、ローマ帝国の支配が終わりブリトン人たちが自らブリタニアを治めていました。

しかし、ヴォーティガン王は私欲を肥やし、世は乱れていました。
そこに目をつけたのが、ヨーロッパ大陸に住んでいたサクソン人でした。

 

当初サクソン人たちはヴォーティガンの傭兵として雇われ、ブリタニアの警備についていました。
ある時、サクソン人たちはブリタニアの土を奪おうと、ヴォーティガンを裏切り、隙をついて攻撃を仕掛けてきました。
戦い慣れたサクソンに、ヴォーティガンは為す術なく、東岸のケントの地を明け渡しました。


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そこから、ブリトン人とサクソン人の戦いが始まりました。
次々と大陸から渡って勢力を広げようとするサクソン人たちを防ごうと、ブリタニア人たちは必死の抵抗を続けたのです。


ブリタニアの赤竜伝説(レッドドラゴン)

 

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ブリトン人たちの間には、巨大竜の伝説もありました。
ブリタニアのシンボルである赤い竜の伝説です。赤い竜(レッドドラゴン)は、ブリトン人の末裔が住むウェールズの国旗に用いられています。

👉参考:イギリス国旗にないウェールズ国旗 レッドドラゴンの深い歴史

 

 

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当時ブリタニアを治めていたヴォーティガンは、サクソンの攻撃に備えるためだけでなく、国内の反抗勢力も抑えるため、巨大な要塞を建てようとしました。

でも、何度建ようとしても要塞は、直ぐに崩れてしまいました。
おかしいな、何が原因だろうか?と、ヴォーティガンは、当時はまだ少年であった魔法使いマーリンに調べさせました。

マーリン少年に言われるままに、要塞の地面を掘ったところ、地下で赤竜と白竜が戦っていました。

 

マーリン少年は言いました。「赤竜は私たちブリトン人で、白竜はサクソン人を指しているんだよ。白竜が優勢だねえ」


ブリトン人を示す赤竜が勢いづいて、白竜を打ち負かすヒーローの出現が必要でしたた。

👉参考:映画キング・アーサー、悪王のヴォーティガンは何者だ、実在人物か?

 


英雄アーサーの出現

 

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5世紀の終わりごろ、ブリタニアでは伝説の戦いが続いていました。
ブリトン人たちを率いていたのは、伝説のアーサー王と円卓の騎士たちでした。

アーサー王たちはアングロ・サクソン人との戦いに明け暮れ、歴史書によると、12の戦いに連続勝利したと記されています。

聖剣エクスカリバーを振りかざし、押し寄せるサクソン人をバタバタ倒していくアーサー王。

12の戦いの最後と言われるバドン山の戦いで、アーサー王は1人で940人とも960人とも言われるサクソン人を倒し大勝利を得ました。
ブリトン人たちはサクソン人たちを平定し、戦いに終止符を打ったのでした。

 

ブリトン人の社会、アーサー時代の終わり

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マーリンが言う、ブリトン人の赤竜がサクソン人の白竜に勝ちました。
迫り来るサクソン人を食い止めた英雄の出現により、ブリタニアにブリトン人の社会が戻りました。

しかし、栄光に包まれたアーサー王もモルドレッドの反逆で相討ちとなり、世を去りアヴァロンに流されました。

アーサー王と円卓の騎士たちの時代が終わると、次第に抑えられていたサクソン人たちが息を吹き返し、再びブリタニアを侵略しました。

サクソン人たちの勢いは止まらず、ブリトン人たちは北や西に追いやられ、2世紀ほどの間にグレートブリテン島の大部分の領土は、サクソン人たちの支配下になりました。

こうしてサクソン人たちは(アングロ・サクソン人)、イングランドを作ったのでした。

ブリトン人たちが追いやられた地は、後に北はスコットランド、西はウェールズとなりました。

👉参考:<改訂版>第2章 ローマが去りアングロ・サクソンとウェールズ王室がブリタニアにやってきた

忘れられた巨人とは


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「忘れられた巨人」とは誰の事でしょうか?
僕は2案が考えられると思います。

 

1案目:「忘れられた巨人」とはサクソン人たちの事である。サクソン人たちの復讐心である。


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ブリタニアに侵略してブリトン人に襲い掛かったサクソン人たちを、壊滅させたアーサー王はブリタニアの平和を長く続けるようにしたかったと思います。

このため、敗れたサクソン人達をとむらい、残った人々もブリトン人と一緒に暮らせる様に、取りはからいました。

さらにアーサー王は、ブリトン人やアーサー王に対するサクソン人の復讐の心を忘れさせようとした、と考えられます。

マーリンの魔法を利用し、生き延びた巨大な赤竜の息に魔法をかけ、息がつくる霧に包まれた者は過去の記憶を忘れるようにした、と思います。


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しかし、アーサー王たちの大量殺りに打ち負かされ、領土を奪い返されたサクソン人たちの恨みは、簡単に払拭できませんでした。
赤竜の息の魔法で表向きには忘れてしまった復讐の心は、潜在的な記憶として受け継がれていたと考えます。

 

そしてアーサー王が世を去り、マーリンの魔法がかけられていた赤竜の息の効力も弱まってきました。
そして、赤竜が退治されて魔法の霧が晴れてしまうと、サクソン人たちは忘れていた記憶の奥深くにある復讐心を思い出したのです。

 

「忘れられた巨人」とはサクソン人たちの事であると思います。かつてブリタニアを奪い取った過去の事実、さらに忘れていたアーサー王への復讐心を思い出し、再び巨人のように激しくブリタニアに襲い掛かったのだと思うのです。

つまり「忘れられたけれど再び戻ってきた巨人」ではないでしょうか。


2案目:「忘れられた巨人」とはアーサー王の事である。

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サクソン人たちを打ちのめし、ブリトン人たちを救った英雄、アーサー王。

円卓の騎士たちとともに、ブリタニアを平定し、巨人と言っても過言でない勢力を持ちました。

しかし、時代が流れるとともに、また赤竜の霧に包まれ、アーサー王の活躍や存在もブリトン人たちの心から忘れ去られて行ったのではないか、と思います。

 

しかし、長い歴史を見ると、ブリトン人のピンチになった時にきっと復活し、救世主とし助けに来てくれるはず、と信じられている伝説があります。

アーサー王の存在は歴史書にも殆ど書かれておらず、実在したかどうかも不明になっていますが、今日まで英雄として語り継がれています。


「忘れられた巨人」とはアーサー王かもしれません。アーサー王は「存在は忘れられているけれど、忘れられない巨人」では無いでしょうか。

 

追伸:アクスルとは何者?

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ところで、アクスルという老人は何者でしょうか?

アクスルと言う人物は円卓の騎士たちの中にはいないはずです。しかし、アーサー王と円卓の騎士についてとても詳しい様子です。

アクスルと言う老人こそ、アヴァロンに流されたアーサー王が、再びこの世に戻ってきた姿では無いだろうか、と思いました。

 

・アーサー王はブリトン人を守る為に、サクソン人との戦いに明け暮れた。王としての行動を取り過ぎ、妻グィネヴィアには振り向くことをしなかった

・このため、グィネヴィアの心はアーサー王から離れランスロット卿のもとへ行ってしまった。このことが、円卓の騎士を崩壊させて、アーサー王自身も命を落としてしまった

 

 

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アーサー王は映画「エクスカリバー」で、こう言っていました。

「いつの日か、私がただの人間として暮らせる日が来たら、そなたと再び手を取り合って、夫婦であることを確かめ合いたい。それが私の夢だ」

 

アクスル老人は短い間ではあったけれど、過去を忘れて妻と楽しい旅をすることが出来ました。そして、再びアヴァロンえ帰って行ったのではないかと思います。

アーサー王の夢がかなったのではないか、と思います。

 

 

映画 エクスカリバー アーサー王の叶わぬ夢とは

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

※アーサー王や関わる人々に関する参考記事

www.rekishiwales.com

 

 

 

アーサー王の円卓があるイギリスのウィンチェスターの観光 グレート・ホール

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こんにちは、たなかあきらです。

中世初期のイングランドの中心都市であり、現在は観光地でもあるウィンチェスターについての記事です。

ウィンチェスターの中でも有名な観光スポットである、アーサー王の円卓のゆかりの地であるグレート・ホールについての歴史をご紹介しました。

ウィンチェスターの観光に行きたいと思っている人に、参考になると思います。

 

ウィンチェスター城グレート・ホールの場所

 ウィンチェスターはイングランドの南部のハンブシャーにあり、9世紀頃はイングランドの首都だった時代もありました。

※ウィンチェスターの地図

www.google.com

 

 

ウィンチェスター城とグレート・ホールの歴史 

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1066年にノルマンディー公ギョーム2世が、フランスから攻め入りイングランドを征服しました。(後のイングランド王ウィリアム1世)

そして、1067年にノルマン人がイングランドにおける最初のお城として、ウィンチェスター城は建てられました。

 

グレート・ホールは、1222年~1235年の間に、ウィンチェスター城で生まれたイングランド王ヘンリー3世によって作られました(ウィンチェスター城の一部分です)。

父ジョン王の時代に荒廃したお城を再建したのです。

 

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グレートホールは33.53m✖16.76mの広さで、高さは16.76mあります。よく見ると、16.76mの立方体が2つある、ダブルキューブ(double cube)の構造をしています。

グレートホールは石造りで、当初は低い壁と屋根に窓がある構造をしていました。その後、美しい装飾のある二つの窓が高い位置に加えられました。

 

 

その後、ウィンチェスター城やグレートホールのエピソードは以下になります。

・1302年に、エドワード1世と2番目の妃マーガレットは、ウィンチェスター城が火災で崩壊したときに、辛うじて脱出したそうです。

・1330年にケント伯のエドモンド・ウッドストックがエドワード3世に反逆したとして、ウィンチェスター城の外で首をはねられました。

・ウィンチェスター城はイングランド王室の住居として用いられていましたが、1558年にエリザベス1世が戴冠したときに、ウィンチェスター市に寄贈されました。

 

・ウィンチェスター城は、清教徒革命の戦いで王党に利用されていましたが、オリバー・クロムウェル率いる議会党の手に落ち、1649年に破壊されました。

・17世紀になって、チャールズ2世によってお城の再建が試みらえましたが、この計画はジェームズ2世によって破棄されてしまいました。

 

現在は、お城全体は残っておらず、ウィンチェスター城の中にあるグレート・ホールの一部が残されています。 

  

アーサー王の円卓伝説

 

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グレートホールの壁には直径5.5mもある大きな円卓が掲げられています。

これはアーサー王の円卓と呼ばれており、13世紀に造られヘンリー8世の時代に塗り直されました。

この円卓には座席が25席あり、描かれているアーサー王はヘンリー8世を描写したものだそうです。

 

ウィンチェスター・ラウンド・テーブルの名前は、マーリンの魔法によって書かれているそうです。

ウィンチェスターは円卓だけでなく、アーサー王が城を構えるキャメロットでもある、という説がありますよ。

※参考の記事
👉アーサー王の円卓(ラウンドテーブル)の場所は? 円卓は結婚祝いだった?

👉ウィンチェスターの25人の「円卓の騎士」とは?

 

動画:
 youtu.be

 

その他、グレートホールの見どころ

 

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現在のエリザベス女王の高祖母、ヴィクトリア女王(在位:1837年~1901年)の像があります。

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中世の庭園の雰囲気がある庭があります。ヘンリー2世の妻で、グレートホールを作ったヘンリー3世の祖母であるエレノアの庭(エレノア女王の庭(Queen Eleanor's Garden))です。

 

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 その他のウィンチェスターでの見どころ

・アルフレッド大王像(ウィンチェスターの街中の道路)
・ウィンチェスター大聖堂

ウィンチェスター | VisitBritain

 

最後に

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ウィンチェスターといえば、2006年から始まったクリスマスマーケットも有名です。昨年は35万人もの人々が集まり、大いに盛り上がったそうです。

ウィンチェスターの観光と共にクリスマスマーケットも楽しまれてはいかがでしょうか。

 

【2018/11/25~12/9 日曜日限定】英国2大クリスマスマーケット巡り!バースとウィンチェスタ ー<日本語>

 

 

イギリスの世界遺産:「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」の素晴らしいお城を紹介

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こんにちは、たなかあきらです。

イギリスにはユネスコの世界遺産に登録されている文化・世界遺産は30か所あります。

その中で、最も早く登録された1つがウェールズにある、

「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁 」(Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd)で、1986年に登録されています。

今回は、世界遺産の対象となった、4つのお城についてご紹介いたします。

観光で行ってもとても素晴らしい場所です。

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グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁の概要

 

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066年にノルマン人のギョーム2世(のちのウィリアム1世)がイングランドを征服してから、イングランドはウェールズを征服しようと侵略を始めました。

13世紀になると益々侵略の圧力は強くなり、1282年にイングランド王エドワード2世はプリンス・オブ・ウェールズであったラウェリン・ザ・ラストを破り、ウェールズを征服したのでした。

そして、ウェールズの反乱を監視し威厳を示すために、1276年からエドワード1世は数多くの要塞城をウェールズに建築しました。

それらウェールズをぐるりと囲む18ものお城を「アイアン・リング」と呼んでいます。

行ってみたいウェールズのお城・・アイアンリング!  Check!

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エドワード1世はウェールズを征服・支配するために、ウェールズをぐるりと取り囲むお城群を作りました。

・新たに建てたか建て替えたお城・・・8
・改築したお城 ・・・4
・諸侯たちに、建てるか立て替えさせたお城・・・5

の合計17のお城で、総額6万ポンド(現在では約33億ポンド、5000億円で、当時のイングランド王の年収の約10倍)もお城建築につぎ込みました。

世界遺産のお城では、
・ビューマリス城(工事中止までに11000ポンド、現在の価値で約80億円)
・カナーヴォン城(22000ポンド、約160億円)
・コンウィ城(15000ポンド、約110億円)
・ハーレック城(8200ポンド、約60億円)となります。

 

その中で、美しい四つのお城、ビューマリス城、カナーヴォン城、コンウィ城、ハーレック城(ハーレフ城)が世界遺産として登録されています。

 

参考記事:ヨーロッパと日本のお城の建設費は 国家予算と人件費で考えた

 

ビューマリス城の紹介

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ビューマリスという名前は、ノルマンディー語で「美しい湿地」という意味を持ちます。

ビューマリスは閑静なリゾート地として知られており、お城からはグレートブリテン島とアングルシー島の間にある美しいメナイ海峡と田舎風景を見渡せます。

このお城は六角形と四角形の美しい二重環状城壁でシンメトリー構造になっており中世イギリスの最も洗練された城と言われています。

 

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1295年から建築が始まりましたが、資金不足で未完成のまま現在に至っています。
当時のイングランド王エドワード一世は、ウェールズを支配するため莫大な費用を使って、ウェールズに多くの城をつくりました。
同時にスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスが率いる軍との戦争が始まりました。
この二つの理由で、ビューマリス城の建設途中で資金不足となり、未完成のままなのです。 

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カーナーヴォン城の紹介

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カナーヴォン城もウェールズを征服したイングランドのエドワード1世によって、ウェールズを監視したり威厳を示すために1283年に建設されました。

場所はウェールズ北部のアングルシー島を隔てたメナイ海峡に面しており、グレートブリテン島にあります。
お城から眺める海と海峡の景色や、緑が広がる田舎風景はとても美しいです。


旧カナーヴォン城はもともとは少し離れた場所にあり、ローマ統治時代の1世紀頃に要塞として建てられ、セゴンティウム城と呼ばれていました。エドワード1世は旧城を壊し建築材も使って、カナーヴォン城を建てたそうです。

カナーヴォン城は均整のとれた美しい姿をしており、十字軍に参加したエドワード1世が見たコンスタンティノープル城を参考にしたところ言われています。
 

 

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エドワード1世の息子エドワード2世は、このカナーヴォン城で生まれました。ウェールズで生まれたウェールズ語しか話さない王子ということで、エドワード1世はプリンス・オブ・ウェールズの称号をエドワード2世に与えました。その後、イングランドの次期王の多くがプリンス・オブ・ウェールズの称号を名乗っています。

現在のチャールズ皇太子もプリンス・オブ・ウェールズの称号を持っており、戴冠式はカナーヴォン城でおこなわれました。


また、アニメ映画「天空の城ラピュタ」で、パズーがシータを助けに行く場面に出てくるお城のモデルがカナーヴォン城と言われています。 

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ラピュタのモデルとなった実在のお城や場所はどこ?

 


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コンウィ城の紹介

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コンウィ城はウェールズ北部の街コンウィにあり、大西洋に面した美しい海が見える、イギリス屈指の観光地です。
城壁でぐるりと街を守り敵を圧倒する要塞で、街中のいたるところに城壁が見え中世にタイムスリップしたような気になります。


コンウィ城は13世紀に、同じくイングランド王エドワード1世が築いたお城です。
城壁の外にいるウェールズ人が反乱を起こさないか見張り、城壁内のイングランド人を守る役割をしていました。

その通り、コンウィの街中や周囲が360度見渡せますし、美しい海岸も遠くまで見れて絶景です。


良く見ると、お城のてっぺんにはウェールズ国旗が立っていますし、街のど真ん中には、13世紀のウェールズの英雄であったラウェリン大王の像がコンウィの街を見守っています。 

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ハーレフ城の紹介

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ハーレック城はウェールズ北部にあり、約60mの巨大な岩盤にそびえたっています。ウェールズ語では「美しい岩」という意味です。
イングランド王エドワード1世がウェールズを征服した後、1283年に建設を始め1290年に完成しました。

ハーレック城はイギリスの度重なる戦いの場になった要塞城です。
・イングランドのウェールズ征服後、ウェールズのマドックが反乱を起こし撃破する
・ウェールズ最後の英雄(プリンスオブウェールズ)、オウァイン・グリンドゥールの乱で奪われる
・イングランド王室の戦い「ばら戦争」の戦場にもなり、ヨーク側の攻撃を持ちこたえる
・ピューリタン革命でクロムウェルの手に落ちる
 

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ハーレック城からは、アイルランド海も望め背後には美しいスノードン山もひかえており、観光にも最適です。機会ありましたら他のお城も含めた、「エドワード1世のお城ツアー」を組まれても面白いと思います。

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※ウェールズの素晴らしいお城めぐりの現地ツアー

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観光の前にチェック 世界遺産モン・サン=ミシェルの修道院の歴史と年表

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こんにちは、たなかあきらです。
もっとも有名な世界遺産の一つで、皆が行きたいと思っている場所は、フランスにあるモン・サン=ミシェルだと思います。

僕もまだ行ったことが無いので、是非行きたいと思っています。

歴史遺産に観光するのなら、行く前に歴史を知っておくと、なじみがありますし実際に見たときにより感動も大きくなると思います。また、新たな発見も出てくると思います。

モン・サン=ミッシェルが作られた前後からの歴史も含めてお話いたします。

実は、アーサー王物語とも関連があります。

 

youtu.be

 

モン・サン=ミシェルとは?

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モン・サン=ミシェルは、フランスのノルマンディー地方南部のブルターニュ地方との境に近い、サン・マロ湾に浮かぶ小さな島にあります。

サン・マロ湾は、潮の満ち引きの差が15メートル以上あり、ヨーロッパで最も差が大きい場所として知られています。

このため、モン・サン=ミシェルがある小島は、潮が満ちたときには孤島となり、潮が引いたときには陸続きとなる、有名な特徴があります。

モン・サン=ミシェルは、カトリックの巡礼地のひとつであり、1979年には「モン=サン=ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

モン・サン・ミシェルの意味は(Mont Saint-Michel)、英語名に見る通り「大天使聖ミカエルの山」という意味です。 

ミカエル - Wikipedia

 

モン・サン=ミシェルの歴史

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モン・サン=ミシェルの歴史を、ローマ帝国が治めていた起源4世紀頃から、建立されるまでを中心に、簡単にお話いたします。

モン・サン=ミシェルが出来る前の歴史背景


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モン・サン=ミシェルがある場所は、現在はノルマンディー地方と呼ばれていますが、紀元4世紀ごろまでは、隣のブルターニュ地方とあわせて、「アルモニカ」と呼ばれていました。

アルモニカには主にケルト系民族が住んでいました。

4世紀の後半になると、伝説ではコナン・メリアドクと呼ばれるブリタニアの首長が、ブリトン人を率いてアルモニカにブリタニーと呼ばれる国を作りました。

ブリトン人とは現在のイギリスのウェールズに住むケルト系民族の祖先で、ブリテン島からアルモニカに移住しました(5~7世紀)。

 

※コナン・メリアドクは伝説によると、アーサー王の祖先と言われています。

ブルターニューを作った男:人生の大転機 

 

 

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現在モン・サン・ミシェルがある島は、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれもともと住んでいた先住民のケルト人または、移住してきたブリトン人が信仰する聖地でした。

 

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地図:ブリトン人の移住(ウィキペディアより)

 

モン・サン=ミシェルとアーサー王伝説

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アーサー王は「アーサー王物語」などで英雄として世界的に知られていますが、歴史書から推測しますと、実物は6世紀後半~7世紀初めに現在のイギリスに存在したかも、と考えられる人物です。

分かりやすいイギリスの英雄アーサー王の概要 

アーサー王物語のもととなる12世紀に書かれた「ブリタニア列王史」による話です(史実性は薄いと言われています)

 

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アーサー王(アルトゥールス)はローマ皇帝ルキウスと戦うため、ブリタニアから出航しバルフルールの港に上陸しました。

そうしたところ、とてつもなく大きい巨人がヒスパニアからやってきて、甥ホエルスの姪ヘレナを捕らえて、大天使ミカエルの山と呼ばれる山に逃げました。

この巨人はとても強く、付近の騎士達の攻撃にものともせず、多くの人々をむさぼり食らっていました。


アーサー王はホエルス王の姪を助けるため、人々を巨人から救うため、巨人を退治しに行きました。
アーサー王は剣を抜いて巨人に向かっていきましたが、巨人はこん棒でアーサー王王の一撃をかわし、力でアーサー王をねじ伏せました。巨人は非常に強く、アーサー王がこれほどの強敵に出会ったことはないというくらいでした。
しかし、ついにアーサー王は巨人に致命傷を与えて倒すことに成功しました。

人々は、怪物を倒して人々を解放したアーサー王を称賛しましたが、残念ながらホエルス王の姪ヘレナを救うことはできませんでした。

 

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ホエルス王はヘレナの死をひどく悲しみ、彼女が横たわっている山上の彼女の亡骸の上に教会を建てることを命じました。
その教会は彼女の名にちなんで、「ヘレナの墳墓」と呼ばれています。

 

ヘレナの墳墓はトンブレーヌ(Tombelame)と呼べれており、現在はモン・サン・ミッシェル島の約3.5kmほど北にある小さな島にあります。

ブリタニア列王史の作者がトンブレーヌの場所と、モン・サン=ミシェルの場所を混同したのかもしれません。
ここも干潮時には浅瀬となり、モン・サン=ミシェル島から歩いて渡ることができるそうです。

トンブレーヌの動画 - YouTube 

モン・サン=ミシェルが建てられた逸話その2(こちらが本命)

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708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使聖ミカエルから、

「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けました。

しかし、オベール司教はただの夢、悪魔のしわざと思いなかなか信じませんでした。

3度目に見た夢では、大天使聖ミカエルがオベール司教の額に指を触れて命じて、稲妻がオベール司教の脳天に落ちました。

オベール司教が目を覚ました時に、脳天に穴が開いていることに気がつき驚いて、夢の中でみた大天使聖ミカエルのお告げは、本物であると信じました。

オベール司教がモン・トンブに小さな聖堂を建てると、それまで陸続きでしたが一夜にして海に囲まれる孤島になったと言われています。

教会内部に飾られた大天使ミカエルとオベール司教のレリーフがあります。

 

現在の姿になるまでの簡単な歴史

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その後、モン・サン=ミシェルがあるノルマンディー地方は、ヴァイキングの攻撃を受け続けました。

10世紀初めに、ノルマン系ヴァイキングの指導者ロロが北フランスを荒しまくり、現在のノルマンディー地方を得て、ヴァイキングの定住がはじまりました。

ロロ - Wikipedia

 

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ロロの孫であるノルマンディー公リシャール1世が、966年にベネディクト会の修道院をモン・サン=ミシェルがある島に建てました。
この修道院が増改築を重ね、13世紀にはほぼ現在のような形になりました。

リシャール1世 (ノルマンディー公) - Wikipedia

中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者や観光客をあつめてきました。

 

※ノルマンディー公リシャール1世の子孫である、ノルマンディー公ギョーム2世が1066年にイングランドに攻め入り征服しました。ギョーム2世はウィリアム1世としてイングランド王になった後の歴史も興味深いです。

イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)の再現が行われた

モン・サン=ミシェルの歴史年表

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モン・サン=ミシェルの歴史年表を簡単にまとめました。

・709年アヴランシュ司教オベール礼拝堂を作る
・966念: ノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を建てる
・13世紀:増改築を繰り返しラ・メルヴェイユが作られ現在の形になる

・14世紀イギリスとフランスの百年戦争が起き、修道院は閉鎖され要塞になる

・18世紀フランス革命時は監獄として使用される
・1865年:修道院として再開される

・1979年 ユネスコの世界遺産に登録される
・2014年 景観の修復事業が終了し、対岸と島を結ぶ新しい橋が開通。

  

最後に

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モン・サン=ミシェルの歴史を見ると、ケルト民族、アーサー王物語、建立の逸話、ヴァイキング、イングランド・・・など様々な繫がりがあることが分かります。

歴史自体とても興味深いですし、歴史背景を知ってモン・サン=ミシェルの観光に行くと、さらに楽しめると思います。

僕もぜひ、モン・サン=ミシェルには行きたいと思います。

日本語ガイドで楽しめる モンサンミッシェルの現地ツアー

 

 

古代~中世イギリスの時代と歴史を変えた8つの戦い

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こんにちは、たなかかきらです。

古代~中世のイギリスでは、頻繁に戦いが起きていまいました。

中には支配者を変えるきっかけになる戦いが起こり、その後の歴史を変えることもありました(支配する民族も変わる)。

今回は、イギリスの歴史を変えた戦いについて、どのように時代を変えたのか、古い順から8つご紹介いたします。

[:contetns]

①ミッドウェイ川の戦い(43年、ローマ帝国支配の開始)

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写真:敗れたブリタニアのカラタクスのスピーチ

 


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ブリタニアローマ帝国との間、起源43年に起きた戦いです。この戦いで、事実上ローマ帝国ブリタニア支配がはじまりました。

古代~7世紀ごろまで、現在のグレートブリテン島の大部分はブリタニアと呼ばれていました。(現在のイングランドウェールズ付近)

ブリタニアケルトブリトン人の種族の国々に分かれ、それぞれの首長が統治していた。

 

 

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紀元1世紀では、カトゥヴェラウニ族(Catuvellauni)の首長カラタクス(Caratacus)が最も強い勢力を持っていました。

カトゥヴェラウニ族の隣には、アトレバテス族の国があり(Atrebates)、ローマ軍人のヴェリカ(Verica)が事実上支配していました。

カラタクスは勢力を広げようと、アトレバテスを征服し、ヴェリカは追放され、ローマに逃げ帰りました。

 

やられたらやり返すのが日常茶飯事の時代です。ヴェリカはカラタクスから受けた屈辱を、ローマ皇帝クラウディウス(Claudius)に訴えました。

こうして、ローマ帝国ブリタニア侵攻が本格的に始まったのです。

 

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起源43年にアウルス・プラウティウス(Aulus Plautius)を将軍とする、総勢4万人とも言われるローマ軍がブリタニアに攻め入りました。

これに対し、カトゥヴェラウニ族の首長カラタクスは15万とも言われる兵力を率いたカミッドウェイ川の戦いでローマ軍とぶつかりました。

ウェールズはゲリラ戦法で戦うも、強力な武器を持ち統率のとれたローマ軍にはかなわず、カラタクスは敗北しました。

カトゥヴェラウニの領土は南東の大部分を占領され、強力な要塞があったコルチェスターはローマの居住地へと変わってしまいました。

こうして西暦43年、ローマ帝国によるブリタニア征服が始まったのです。

 

参考:<改訂版> 第1章 ローマ帝国に支配されたブリタニア
参考:ローマ皇帝をうならせたブリタニア王のスピーチ 

②長剣の裏切り(5世紀中ごろ、アングロ・サクソン人の侵略開始)

 

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写真:ヘンゲストとホルサ兄弟のブリタニア上陸

 

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ローマ帝国が410年にブリタニアから撤退した後は、ローマ帝国の影響を残しながらもブリタニア自身での統治が再開しました。

その時に起きた事件が、長剣の裏切り(Treachery of Long Knives)と呼ばれる争いです。この裏切りが、アングロ・サクソン族はブリタニアに侵略して領土を広げていくきっかけになりました。

しかし、ブリタニアはローマ軍なしで、北からピクト族や西からスコット族(アイルランド人の先祖)などの外敵から、自国を守らなければならない問題が出てきました。

 

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そこで、兵力不足に悩む当時のブリタニア長官、ヴォーティガンは、ドイツ北部のジュート人であるヘンゲストとホルサ兄弟を傭兵として雇い入れました。

しかし、これが裏目に出たのです。


ヘンギストには美しい娘ロワナがいました。宴会の席で、ヘンギストとホルサの兄弟はロワナをヴォーティガンに紹介しました。

一目でロワナに恋をしてしまったヴォーティガンは、まんまとヘンゲストとホルサ兄弟の思うツボにハマってしまいました。

美女のお酌で酔って油断したところに、長剣を持ったヘンゲストとホルサ兄弟の武装集団に取り囲まれてしまいました。

ヘンゲストとホルサ兄弟は、ブリタニアの東側のケントの領土を要求し、乗っ取ることに成功したのです。

この出来事がもとで、ヘンゲストとホルサ兄弟はドイツからアングル人やサクソン人も呼び寄せ、領土を拡大して行ったのです。

参考:映画キング・アーサー、悪王のヴォーティガンは何者だ、実在人物か?

 

③ベイドン山の戦い(6世紀、アングロ・サクソン人との戦い)

 

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写真:ウィキペディアより

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6世紀頃にブリタニアアングロ・サクソン人との間で起きた戦いです。この戦いで、ブリタニアは勝利しました。

しかし、アングロ・サクソン人の侵略を当面の間防いだものの、アングロ・サクソン人の侵略を止めることはできず、7世紀ごろまでにはブリタニアの大部分を占領されました。

 

 

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ベイドン山の戦いについて、幾つかの歴史書に記載はされています。しかし、いつ誰が、どこで、どのように戦ったのか、詳細は分かっていません。

アングロ・サクソン人との戦いと書きましたが、これも推測です。

 

史書によりますと、

ブリタニアが戦った12の会戦が記録されており、最後のベイドン山の戦いで一人で960人のサクソン敵兵を倒したとの記述があります。

また、ベイドン山の戦いは516518年と記されている歴史書もあります。アルトリウスとされる人物が三日三晩の間十字架を両肩で担ぎ戦いに勝利したたとされています。

 

このアルトリウスが、アーサー王ではないか?という説があるのです。

参考:アーサー王伝説 アーサー王は実在したのか?歴史書にみるアーサー王と先祖

 

リンディスファーン島の襲撃(793年、イングランドヴァイキング支配)

 

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ヴァイキングは中世ヨーロッパに出現しました。

主にデンマークノルウェーに住む人々の中で、9~12世紀にイギリスやフランスなど西ヨーロッパ各地の海岸に出現して海賊行為を働き、また広大な領土を支配しました。

 

 

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793年に起きたリンディスファーン島の襲撃が、ヴァイキングイングランドを侵略する始まりとなりました。

ノルウェーヴァイキングは、北東イングランド海岸の沖合にあるリンディスファーン島修道院を襲ったのを皮切りに、何度もイングランドに侵略を繰り返しました。

9世紀になるとデンマークヴァイキングイングランドを侵攻し、デーンローと呼ばれるイングランドの約1/3を治めるにまで領土を広げたのです。

参考:ヴァイキングの歴史 ヴァイキングはなぜ強かったのか 

 

※ドラマ、ヴァイキングよりリンディスファーン寺院の攻撃youtu.be

ドラマ、ヴァイキング~海の覇者たち~はアマゾンプライムで見れますよ

 

ヘイスティングスの戦い(1066年、ノルマン人によるイングランド征服)

 

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更に、ヴァイキングイングランド侵略は続きました。
歴史的な最大の出来事は、1066年に起きたヘイスティングスの戦いです。

この戦いに勝利したノルマン人は、アングロ・サクソン支配のイングランドを征服し、イギリスの歴史を大きく変えたのです。(ノルマンコンクエスト)

 

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当時のイングランドは、デンマークヴァイキングに支配された時代もありましたが、アングロ・サクソン人のハロルド2世が統治していました。

フランスのノルマンディーを侵略して定住したヴァイキング(ノルマン人)の子孫、ギョーム2世が、イングランドの所有権を主張して1066年にイングランドに攻め込んできました。

ギョーム2世とハロルド2世はイングランド南部のヘイスティングスで戦い、ハロルド2世は戦死し、ギョーム2世が勝利しました。

ギョーム2世はイングランドウィリアム1世となり、イングランド王室ノルマン朝を作りました。現在の学校で習う歴史では、1066年がイングランドの建国とされています。 

参考:イングランドの征服王と呼ばれたウィリアム1世のカリスマ性の秘訣

参考:イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)の再現が行われた

⑥オレウィン橋の戦い(1282年、イングランドウェールズ支配)

 

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写真:オレウィン橋の戦いで敗れたラウェリン

 

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アングロ・サクソン人ブリタニアを征服したときも、ノルマン人がイングランドを征服したときも、ウェールズも侵略は受けたものの独立を保っていました。

しかし、13世紀の後半のオレウィン橋の戦いで敗れ、ついにウェールズイングランドに屈し、征服されたのです。

 

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12世紀~13世紀のウェールズでは、プリンス・オブ・ウェールズを名乗る強力な統治者が登場し、イングランドノルマン朝イングランド)との戦いを繰り広げていました。

ウェールズを支配した最後のプリンス・オブ・ウェールズは、ラウェリン・ザ・ラスト王です。

1282年にラウェリンの弟ダヴィッズが起こした反乱はウェールズ中に広がりましたが、準備不足と弱体化したウェールズ軍は何れもイングランド軍に敗北してしまいました。

 

 

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ラウェリンはイングランドに降伏してエドワード1世と協定を結ぼうとしていたが、ダヴィッズは拒否して戦いを止めませんでした。

 仕方なくラウェリンも戦いを続行しましたがオレウィン橋の戦いで敗れ、川沿いで戦死しました。

ダヴィッズは戦い続けましたが、結局捕らえられ処刑されてしまいました。 

 


この敗北により、ウェールズは事実上イングランド支配下に置かれ、ウェールズ人によるウェールズ統治が終わりました。

またプリンス・オブ・ウェールズの王冠もイングランドに奪い取られ、その後はイングランドの皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを称するしきたりとなりました。

参考:本当のプリンス・オブ・ウェールズ 対 ノルマンのイングランド

参考:真のプリンス・オブ・ウェールズとは? 

 

⑦100年戦争(1337~1453年、フランスの領土大幅減)

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1066年のノルマンコンクエスト以降、イングランドはフランスから渡ったノルマン人の子孫が治めており、フランスにも領土を持っていました。

12世紀にはイングランドとフランス両方合わせて広大な領土を治める、ヘンリー2世も出現しました。

参考:名作映画「冬のライオン」とヘンリー2世 イングランド王室の歴史背景 

 

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100年戦争とは、イングランドとフランスの国家間の争いではなく、フランス王とイングランド王の戦争です。フランスを戦場に、フランス王位継承およびフランス領土の所有権に関して争い、約100年間断続的に続きました。

当初はイングランド軍が優勢に進め、一時はフランスの半分の領土を占領しました。しかし、ジャンヌ・ダルクが登場してから形勢は逆転し、イングランド軍は最終的には敗北しカレー以外の領土を失いました。 

参考:イギリスとフランスの100年戦争の分かりやすい概要

参考:ジャンヌダルクの生涯が分かる映画 「ジャンヌ・ダーク」

 

⑧ボースワース野の戦い(1485年、薔薇戦争終結

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薔薇戦争とは、イギリス(
イングランド)の15世紀に起きた王室の後継・権力争いです。赤薔薇のランカスター家の血筋と白薔薇のヨーク家の血筋が王座をめぐって戦いました。(1455~1485年)

薔薇戦争の発端は、100年戦争で敗北したヘンリー6世は気が狂う発作が起き、国政を行えなくなったことです。

ヘンリー6世に変わってヨーク公リチャード(ヨーク家)がイングランドの王座を狙い、ヘンリー6世の王妃マーガレット(ランカスター家)は、息子エドワードを擁立して対抗しました。

こうして、ランカスター家とヨーク家の王位継承争いから、諸侯が二陣営に分かれて争うバラ戦争に突入していったのです。

 

 

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有名なイギリスの天下分け目の戦いは「薔薇戦争」の最後の戦いである、1485年に起きたボーズワース野の戦いです。

15世紀にはヨーク家のイングランド王が3代つづき、悪名高きリチャード3世がイングランド王でした。

リチャード3世は反対派を排除し過ぎ、不満を持った貴族たちがランカスター家を復活させようと、ランカスター家の血を引くヘンリー・テューダーを擁立したのです。

 

リチャード3世の悪事と哀歌 本当に悪王だったのか?

当時フランスに住んでいたヘンリー・テューダーは兵を挙げてウェールズに上陸し、ウェールズ人たちを味方につけて、ボーズワース野でリチャード3世と戦いました。

この戦いに勝利したヘンリー・チューダーは薔薇戦争終結させ、ヘンリー7世として戴冠しました。イングランド王国は新たにテューダー朝が始まったのです。

薔薇戦争の最後の戦いが、イギリスの歴史を大きく変えたワケ

 

最後に

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古代~中世のイギリスでは、頻繁に戦いが起きており、支配者を変えるきっかけになる戦いが起きていました。

ブリタニア独自の支配
ローマ帝国の支配
アングロ・サクソン人の支配
ヴァイキングの支配
・ノルマン人の支配
・インこの記事を読んでいただき、イギリスの歴史に興味を持ったり、理解が深まったりしたのでしたら、嬉しく思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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ウェールズの王室の血筋を守った!因縁の天下を分けた戦い

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こんにちは、たなかあきらです。

中世ヨーロッパでは戦いは頻繁に起きていましたし、ウェールズでも多くの要塞城を建て、外敵との戦いや内乱と、戦いが続いていました。

その中で、ウェールズの王室の歴史にも影響を与えた戦いに注目しました。

 

皆さんになじみの深い、日本の天下分け目の戦いとは一味違った、ウェールズ版の天下を分けた因縁の戦いについてお話しをします。

こちらも:イギリス王室1000年の歴史 (The Quest For History)

因縁の対決の始まり

 

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11世紀のウェールズ・・・下剋上の時代でした

北部ウェールズの中で最強のグウィネズ国では、ウェールズ王室の血筋で歴代、国を治めていました。

しかし王室が2つに分裂し、100年以上にわたってグウィネズ国の統治者の家系がコロコロ変わる、不安定な状況でした。

さらに、部外者がすきをついて、統治者の座を奪ってしまう、下克上も起きていました。

 

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11世紀初めには、隣国の田舎生まれの一戦士であり、王室の人物でないトラハエアルンが、武力を行使して強引に領土を広げ、ついにはグウィネズ国を乗っ取ったのでした。

 

ウェールズ王室の人たちも黙ってはいませんでした。分裂した王室の中でも最も正統な家系に生まれた青年、グリフィズ・アプ・コナンが立ちあがりました。

 

グリフィズは、母の出身地であるアイルランド等の協力を得てトラハエアルン軍を破り、統治者の地位を奪回したのでした。(グウァエド・エルワの戦い)

 

報復攻撃でやられる

 

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しかし、やったらやり返される。

やられたままで、黙っているトラハエアルンではありませんでした。

トラハエアルンはイングランドの沿岸を攻撃していたバイキングと手を組み、グリフィズにカウンター・アタックを仕掛けました。

 

不意を突かれたグリフィズは成す術もなく、アイルランドに逃げ帰りました。

 

ウェールズを二分する同盟の成立

 

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ウェールズの北部では戦いが繰り広げている中で、ウェールズ南部でもまた、同じような戦いが起きていました。

 

ウェールズの南西部の国デハイバースには、リース・アプ・テウドウルという統治者がいました。

しかし、南東部グウェントなどを統治するカラドッグに攻撃され、リースはデハイバース国を乗っ取られ、国外に逃亡していました。

アイルランドに逃れていたグリフィズは、同じような境遇にあるリースと協力し合おうと手を組みました。

 

 

一方、トラハエアルンは同じ境遇にあるカラドッグに近づき、同盟を組みました。

さらにポウィスというウェールズ中部を統治するメイリル王は、トラハエアルンに加勢しました。

 

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 ここにウェールズの勢力は真っ二つに分かれました。

・グリフィズ連合軍:グリフィズとリース(負け組)

・トラハエアルン連合軍は:トラハエアルン、カラドッグ、メイリル(勝ち組)

 

勝ち組vs負け組:天下分け目の激突

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1081年。トラハエアルンの圧政に苦しむ人々の協力を得たグリフィズ連合軍は、兵力に勝るトラハエアルン連合軍と相対しました。

「朝までまとう」「いや、夜中に攻めよう」

グリフィズ連合軍の意見は分かれました。しかし、グリフィズが意見を押し通し、夜明けを待たずしてトラハエアルン連合軍に急襲を仕掛けたのです。

 

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賭けに出たこの急襲は、幸運を引き寄せました。

このウェールズを2分した天下分け目の戦いは、マイニッズ・カルンの戦いと呼ばれ、敵軍を混乱させたグリフィズ連合軍は大勝利したのです。

そして、グリフィズはグウィネズ国を、リースはデハイバース国を取り戻すことに成功しました。

 

ウェールズ王室の正統化

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グリフィズが勝利したことにより、グウィネズの統治者は、本来の王室の家系に戻りました。そしてそれ以降、他の家系に統治されることはありませんでした。

グリフィズと子・孫たちが、グウィネズだけでなくウェールズにも勢力範囲を広げていき、プリンス・オブ・ウェールズなどを歴任をしたのです。

 

※子のオウァインがプリンスの称号を始め、孫のダヴィッズが初めてプリンス・オブ・ウェールズになりました。

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最後まで読んでくださり有難うございました。
また次回をお楽しみに。

 

 

衝撃的なゲーム・オブ・スローンズ シーズン4のあらすじと感想

ゲーム・オブ・スローンズ 第四章:戦乱の嵐-後編- DVDセット(5枚組)

 

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ゲーム・オブ・スローンズにはまっている、たなかあきらです。

今回は、ゲーム・オブ・スローンズのシーズン4のあらすじを、簡潔にわかりやすくご紹介いたします。シーズン3は衝撃的な内容でしばらくぼう然としていましたが、その余韻は長く続かないほどシーズン4も様々な出来事が起き、ますますドラマに引き込まれていきます。

シーズン4を見る前に、あらすじを知っておきたい方や、シーズン4を見終わって、振り返りにもご利用ください。

 

(この記事のポイント)
ゲーム・オブ・スローンズは、ウェスタロス7王国で起きている各内乱を描いており、ドラマを見ていると頻繁に場面があちこちに飛びます。
慣れてくると問題なく楽しめるのですが、それでもたまに頭の中が混乱します。

そこで、この記事では分かりやすいように、ドラマのストーリーに沿ってではなく、各場面(地域)ごとに分けて、あらすじを書きました。

 

ゲーム・オブ・スローンズ カテゴリーの記事一覧 ※以前の記事 

 

シーズン4/第四章:戦乱の嵐 後編  短く簡潔なあらすじ

 

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同じ季節が何年も続き、長年にわたって夏であったウェスタロスですが、今度はどれだけ長く続くか分からない冬のシーズンが近くにやってきました。

ウェスタロスの人々は雪と氷の時代に向けて準備をする必要がありました。しかし、ウェスタロス七公国では激しい内乱が続いていたのです。 

 

七王国の地図はこれが分かりやすいです。

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シーズン4の公式の予告動画

youtu.be

 

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ウェスタロスの主な地域はほとんどがラニスター家の支配下となりますが、いまだに抵抗を続ける勢力が二つ存在しました。

グレイジョイ家とバラシオン家です。新たな陰謀とたくらみが動き出し、生き残った派閥は自分たちの外にいる敵だけでなく、身内や味方の敵と戦う必要があったのです。

 

・首都キングズ・ランディングでは、我がままで暴君的なジョフリー王とマージェリーの婚儀が始まるが、大事件が起きる。母サーセイと祖父タイウィンは王権維持のため作戦を練る

・罪を着せられた王の叔父ティリオンは、自分の行く末を思案する。裁判の中、王の手である父タイウィンは和平案を出すが、ティリオンは断り代理闘士による決闘裁判となる
 
・北の「壁」の周辺では、ジョン・スノウとナイツ・ウォッチは、壁を越えて攻め込んでくる敵をを食い止めるため、連夜攻防を繰り返す。そこに、バラシオン家のスタニスが加わってくる。しかし、本当の脅威は他にあった。
 
・スターク当主ロブが、ボルトンの裏切りで殺害された後(タイウィンの指示)、本拠地ウィンターフェルはボルトン家の手に落ちる。ボルトンの落とし子のラムジーが悪巧みをはかり、人質グレイジョイ家のシオンを人質にとり拷問を繰り返し、利用を始める
 
・ターガリエン家のデナーリスは、エッソス大陸でウェスタロス奪回をはかっている。奴隷解放により人々を味方につけ、領土と軍力を拡大しようと試みる。しかし、デナーリスの長年の右腕ジョラーがスパイと知り追放する

ついに動き出した怪異が、七王国に迫る!  七王国を動かす者たちに、過酷な運命が待ち受ける! 

先の“ブラック・ウォーターの戦い"で前王の弟スタニス・バラシオンによる襲撃から王都を守ったラニスター家は、スターク家の息の根を止めるため、ロブの叔父の結婚式の最中にロブとキャトリン、ロブの妻らを惨殺。

ラニスター家と同等の財力のあるタイレル家を味方につけようと、"王の手"タイウィン・ラニスターが子供たちの政略結婚を次々に決定していった。しかし、敵は東から、そして南からも着々と王都奪還の準備を進めていた。

北では、王都を中心に繰り広げられる権力争いをよそに、ウェスタロス全体に対する本当の脅威が壁を越えて攻め込んでくるのを食い止めるため、ジョン・スノウを主導とするナイツ・ウォッチたちが連夜攻防を繰り返す。

気になる王位争奪戦の行方、母と兄を亡くしたサンサとアリア、そして壁の北へと突き進むブランの運命、再会を果たしたサーセイとジェイミーの今後も目が離せない。(アマゾンより)


【エピソードリスト】
第1話「二本の剣」
第2話「獅子と薔薇」
第3話「奴隷解放者」
第4話「誓約を果たすもの」
第5話「新王誕生」
第6話「裁判」
第7話「月の扉」
第8話「山と毒蛇」
第9話「黒の城の死闘」
第10話「世継ぎたち」
 

 

シーズン4/第四章:戦乱の嵐 後編 分かりやすい概要

 

ネタバレありますので、まだドラマを見ていない方はご注意を。あらすじをスッキリと分かっていただくために、主要な登場人物の行動も省略している場合が多くあります。その点は、本編をじっくりみてお楽しみください。

 

ラニスター家の繁栄と内部動乱(特にネタバレ)

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叔父ティリオンを侮辱するジョフリー王。右端はスターク家の娘サンサ

 

ジョフリー王と、巨額の財を持つタイレル家のマージェリーの婚儀が行われました。傲慢なジョフリーは、小人の叔父ティリオンを侮辱し、自分の酌取りを命じます。ティリオンが差し出したワインの中に毒が入っており、ジョフリーは殺害されました(何者かが毒を盛った)。

ジョフリーの後は弟のトメンが王となり、タイレル家との関係を保つため、母サーセイはマージェリーに王妃になる話を持ちかけました。

 

王都でティリオンの裁判が始まり、ティリオンと不仲の母サーセイと父タイウィンにはめられ立場が悪化します。弟ジェイミーはティリオンを救うべく、父タイウィンと取引をしますが、ティリオンが拒否し代理人による決闘裁判となります。

 

しかし、ティリオンの代理人は負け、ティリオンの処刑が決まってしまいます。

 

弟ジェイミーは重臣ヴァリスの協力を得て、ティリオンを逃すことに成功します。早く逃げなければならないところですが、ティリオンは父タイウィンの寝室へ向かいます。

 

そこで見たのは、かつてのティリオンの愛人、シェイでした。ティリオンは、シェイとタイウィンに対し、意外な行動に出ます。ティリオンは急ぎ、船の積荷に紛れてウェスタロスを離れたのでした。

 

※本当にジョフリー王は嫌な奴です。腹黒いサーセイにも腹が立ちます。ラニスター家とはいえ、まだ人情がありハメられたティリオンには同情しますね。

スターク家の動向

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叔母ライサに詰め寄られるサンサ(左)

 

ジョフリーとの婚約を解消し、ティリオンと結婚させられたスターク家の娘サンサは、ピーター・ベイリッシュの手下により王都キングス・ランディングから脱出に成功します。

 

そして、ピーター・ベイリッシュに連れられたサンサは、叔母ライサの住むアイリー城へ向かいます。ライサはピーターを愛しており、直ぐに再婚を迫った。ライサは、ピーターとサンサの関係を疑って嫉妬に狂い、争いとなります。

 

※ちょっと変人のライサ、気が違ったような嫉妬を表します。 何を考えているのか野心が見え隠れするベイリッシュですが、とにかくラニスター家に囲まれ身の危険があったサンサが助けられてほっとしました

 

北の動乱とバラシオン家の決意

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ジョン・スノウとイグリッド

 

壁を守るナイツ・ウォッチと、壁を越えて南へ進軍する野人との死闘がカースル・ブラック(黒の城)で開始されます。ナイツ・ウォッチは地形の有利を盾に戦うが、マンモスと巨人に門を攻略されそうになります。

 

そこで、スターク家の落とし子ジョン・スノウは覚悟を決め、野人たちの拠点へ向かいます。そしてリーダーのマンスレイダーと対面し、野人の兵を引き上げるように交渉します。しかし、マンスレイダーはカースルブラックを明け渡すよう迫ってきました。

 

その時、野人たちに大軍が襲いかかってきました。スタニス・バラシオン率いる軍が攻撃をし、野人たちを制圧しました。ジョンは、マンスレイダーを殺さずに捕虜としました。

※ジョンが野人と暮らしたときの恋人イグリットと戦闘で出会います。ジョンを狙うイグリッドは、ナイツ・ウォッチに殺されてしまい、ジョンはイグリッドを弔い火葬しました。クールなジョンですが、このシーンを見ると心にきます。

 

ボルトン家 ラムジーの企み

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シオン(右)を手なずけるラムジー(左)

 

グレイジョイ家の息子シオンを捕らえたラムジーは悪だくみを始めます。シオンを拷問して心身ともに支配し、利用を開始します。ラムジーの父ボルトンはスターク家の血筋を根絶やしにするよう命令しました。

※暴君ジョフリーだけでなく、ラムジーの悪者ぶりが憎たらしいです(ジョフリー以上かも) 

 

ターガリエン家 デナーリスの苦悩 

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奴隷解放したデナーリスであるが・・・

 

デナーリスは各地で奴隷解放に力を入れ支持を得て、元の領主から奴隷と領土を奪い、奴隷たちに自由の選択を与えました。

デナーリスはウェスタロスのラニスター家で起こった出来事を知り、ウェスタロスへ攻め入る絶好の機会と提案を受けます。

 

しかし、奪った領土すら治めることが出来なければウェスタロスの王にはなれない、と奴隷解放のための統治を選択します。しかし、多くの問題が浮かび上がってくるのです。

 

デナーリスは元奴隷の老人から、奴隷解放に伴い家を失ない迫害を受けており、奴隷主である親方の元へ戻りたいと嘆願されます。またドラゴンに赤子を焼き殺されたと訴えられ、ドラゴンを地下墓所に閉じ込めことになります。

また長年右腕としてデナーリスを支えてきたジョラーが元スパイと判明し、デナーリスはジョラーを追放します。

 

※デナーリスは領土を奪い女王のように君臨しますが、統治は苦手みたいですね。政治にたけた協力者が必要ですね。誰が現れるのか・・・

 

最後に 

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ウェスタロスの運命に大きな影響を及ぼすような、衝撃的な事件が次々と起こり常にドキドキします。ウェスタロスの内乱だけでなく、真の脅威であるホワイトウォーカーが着実に迫ってきています。この先もどうなるのか、目が離せませんね。

 

 

 

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参考記事です。是非ご覧ください。

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※こちらが原作

七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)

七王国の玉座〔改訂新版〕 (下) (氷と炎の歌1)

 

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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