イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史、イギリスの歴史、アーサー王、イギリスの歴史に関連する内容を中心に記事を書いています。

観光にも便利 世界遺産モン・サン=ミシェルの修道院の歴史と年表

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こんにちは、たなかあきらです。
もっとも有名な世界遺産の一つで、皆が行きたいと思っている場所は、フランスにあるモン・サン=ミシェルだと思います。

僕もまだ行ったことが無いので、是非行きたいと思っています。

歴史遺産に観光するのなら、行く前に歴史を知っておくと、なじみがありますし実際に見たときにより感動も大きくなると思います。また、新たな発見も出てくると思います。

モン・サン=ミッシェルが作られた前後からの歴史も含めてお話いたします。

実は、アーサー王物語とも関連があります。

 

youtu.be

 

モン・サン=ミシェルとは?

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モン・サン=ミシェルは、フランスのノルマンディー地方南部のブルターニュ地方との境に近い、サン・マロ湾に浮かぶ小さな島にあります。

サン・マロ湾は、潮の満ち引きの差が15メートル以上あり、ヨーロッパで最も差が大きい場所として知られています。

このため、モン・サン=ミシェルがある小島は、潮が満ちたときには孤島となり、潮が引いたときには陸続きとなる、有名な特徴があります。

モン・サン=ミシェルは、カトリックの巡礼地のひとつであり、1979年には「モン=サン=ミシェルとその湾」としてユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されました。

モン・サン・ミシェルの意味は(Mont Saint-Michel)、英語名に見る通り「大天使聖ミカエルの山」という意味です。 

ミカエル - Wikipedia

 

モン・サン=ミシェルの歴史

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モン・サン=ミシェルの歴史を、ローマ帝国が治めていた起源4世紀頃から、建立されるまでを中心に、簡単にお話いたします。

モン・サン=ミシェルが出来る前の歴史背景


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モン・サン=ミシェルがある場所は、現在はノルマンディー地方と呼ばれていますが、紀元4世紀ごろまでは、隣のブルターニュ地方とあわせて、「アルモニカ」と呼ばれていました。

アルモニカには主にケルト系民族が住んでいました。

4世紀の後半になると、伝説ではコナン・メリアドクと呼ばれるブリタニアの首長が、ブリトン人を率いてアルモニカにブリタニーと呼ばれる国を作りました。

ブリトン人とは現在のイギリスのウェールズに住むケルト系民族の祖先で、ブリテン島からアルモニカに移住しました(5~7世紀)。

 

※コナン・メリアドクは伝説によると、アーサー王の祖先と言われています。

ブルターニューを作った男:人生の大転機 

 

 

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現在モン・サン・ミシェルがある島は、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれもともと住んでいた先住民のケルト人または、移住してきたブリトン人が信仰する聖地でした。

 

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地図:ブリトン人の移住(ウィキペディアより)

 

モン・サン=ミシェルアーサー王伝説

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アーサー王は「アーサー王物語」などで英雄として世界的に知られていますが、歴史書から推測しますと、実物は6世紀後半~7世紀初めに現在のイギリスに存在したかも、と考えられる人物です。

分かりやすいイギリスの英雄アーサー王の概要 

アーサー王物語のもととなる12世紀に書かれた「ブリタニア列王史」による話です(史実性は薄いと言われています)

 

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アーサー王(アルトゥールス)はローマ皇帝ルキウスと戦うため、ブリタニアから出航しバルフルールの港に上陸しました。

そうしたところ、とてつもなく大きい巨人がヒスパニアからやってきて、甥ホエルスの姪ヘレナを捕らえて、大天使ミカエルの山と呼ばれる山に逃げました。

この巨人はとても強く、付近の騎士達の攻撃にものともせず、多くの人々をむさぼり食らっていました。


アーサー王はホエルス王の姪を助けるため、人々を巨人から救うため、巨人を退治しに行きました。
アーサー王は剣を抜いて巨人に向かっていきましたが、巨人はこん棒でアーサー王王の一撃をかわし、力でアーサー王をねじ伏せました。巨人は非常に強く、アーサー王がこれほどの強敵に出会ったことはないというくらいでした。
しかし、ついにアーサー王は巨人に致命傷を与えて倒すことに成功しました。

人々は、怪物を倒して人々を解放したアーサー王を称賛しましたが、残念ながらホエルス王の姪ヘレナを救うことはできませんでした。

 

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ホエルス王はヘレナの死をひどく悲しみ、彼女が横たわっている山上の彼女の亡骸の上に教会を建てることを命じました。
その教会は彼女の名にちなんで、「ヘレナの墳墓」と呼ばれています。

 

ヘレナの墳墓はトンブレーヌ(Tombelame)と呼べれており、現在はモン・サン・ミッシェル島の約3.5kmほど北にある小さな島にあります。

ブリタニア列王史の作者がトンブレーヌの場所と、モン・サン=ミシェルの場所を混同したのかもしれません。
ここも干潮時には浅瀬となり、モン・サン=ミシェル島から歩いて渡ることができるそうです。

トンブレーヌの動画 - YouTube 

モン・サン=ミシェルが建てられた逸話その2(こちらが本命)

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708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使聖ミカエルから、

「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けました。

しかし、オベール司教はただの夢、悪魔のしわざと思いなかなか信じませんでした。

3度目に見た夢では、大天使聖ミカエルがオベール司教の額に指を触れて命じて、稲妻がオベール司教の脳天に落ちました。

オベール司教が目を覚ました時に、脳天に穴が開いていることに気がつき驚いて、夢の中でみた大天使聖ミカエルのお告げは、本物であると信じました。

オベール司教がモン・トンブに小さな聖堂を建てると、それまで陸続きでしたが一夜にして海に囲まれる孤島になったと言われています。

教会内部に飾られた大天使ミカエルとオベール司教のレリーフがあります。

 

現在の姿になるまでの簡単な歴史

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その後、モン・サン=ミシェルがあるノルマンディー地方は、ヴァイキングの攻撃を受け続けました。

10世紀初めに、ノルマン系ヴァイキングの指導者ロロが北フランスを荒しまくり、現在のノルマンディー地方を得て、ヴァイキングの定住がはじまりました。

ロロ - Wikipedia

 

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ロロの孫であるノルマンディー公リシャール1世が、966年にベネディクト会の修道院モン・サン=ミシェルがある島に建てました。
この修道院が増改築を重ね、13世紀にはほぼ現在のような形になりました。

リシャール1世 (ノルマンディー公) - Wikipedia

中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者や観光客をあつめてきました。

 

※ノルマンディー公リシャール1世の子孫である、ノルマンディー公ギョーム2世が1066年にイングランドに攻め入り征服しました。ギョーム2世はウィリアム1世としてイングランド王になった後の歴史も興味深いです。

イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)の再現が行われた

モン・サン=ミシェルの歴史年表

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モン・サン=ミシェルの歴史年表を簡単にまとめました。

・709年アヴランシュ司教オベール礼拝堂を作る
・966念: ノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を建てる
・13世紀:増改築を繰り返しラ・メルヴェイユが作られ現在の形になる

・14世紀イギリスとフランスの百年戦争が起き、修道院は閉鎖され要塞になる

・18世紀フランス革命時は監獄として使用される
・1865年:修道院として再開される

・1979年 ユネスコ世界遺産に登録される
・2014年 景観の修復事業が終了し、対岸と島を結ぶ新しい橋が開通。

  

最後に

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モン・サン=ミシェルの歴史を見ると、ケルト民族、アーサー王物語、建立の逸話、ヴァイキングイングランド・・・など様々な繫がりがあることが分かります。

歴史自体とても興味深いですし、歴史背景を知ってモン・サン=ミシェルの観光に行くと、さらに楽しめると思います。

僕もぜひ、モン・サン=ミシェルには行きたいと思います。

 

 

古代~中世イギリスの時代と歴史を変えた8つの戦い

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こんにちは、たなかかきらです。

古代~中世のイギリスでは、頻繁に戦いが起きていまいました。

中には支配者を変えるきっかけになる戦いが起こり、その後の歴史を変えることもありました(支配する民族も変わる)。

今回は、イギリスの歴史を変えた戦いについて、どのように時代を変えたのか、古い順から8つご紹介いたします。

[:contetns]

①ミッドウェイ川の戦い(43年、ローマ帝国支配の開始)

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写真:敗れたブリタニアのカラタクスのスピーチ

 


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ブリタニアローマ帝国との間、起源43年に起きた戦いです。この戦いで、事実上ローマ帝国ブリタニア支配がはじまりました。

古代~7世紀ごろまで、現在のグレートブリテン島の大部分はブリタニアと呼ばれていました。(現在のイングランドウェールズ付近)

ブリタニアケルトブリトン人の種族の国々に分かれ、それぞれの首長が統治していた。

 

 

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紀元1世紀では、カトゥヴェラウニ族(Catuvellauni)の首長カラタクス(Caratacus)が最も強い勢力を持っていました。

カトゥヴェラウニ族の隣には、アトレバテス族の国があり(Atrebates)、ローマ軍人のヴェリカ(Verica)が事実上支配していました。

カラタクスは勢力を広げようと、アトレバテスを征服し、ヴェリカは追放され、ローマに逃げ帰りました。

 

やられたらやり返すのが日常茶飯事の時代です。ヴェリカはカラタクスから受けた屈辱を、ローマ皇帝クラウディウス(Claudius)に訴えました。

こうして、ローマ帝国ブリタニア侵攻が本格的に始まったのです。

 

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起源43年にアウルス・プラウティウス(Aulus Plautius)を将軍とする、総勢4万人とも言われるローマ軍がブリタニアに攻め入りました。

これに対し、カトゥヴェラウニ族の首長カラタクスは15万とも言われる兵力を率いたカミッドウェイ川の戦いでローマ軍とぶつかりました。

ウェールズはゲリラ戦法で戦うも、強力な武器を持ち統率のとれたローマ軍にはかなわず、カラタクスは敗北しました。

カトゥヴェラウニの領土は南東の大部分を占領され、強力な要塞があったコルチェスターはローマの居住地へと変わってしまいました。

こうして西暦43年、ローマ帝国によるブリタニア征服が始まったのです。

 

参考:<改訂版> 第1章 ローマ帝国に支配されたブリタニア
参考:ローマ皇帝をうならせたブリタニア王のスピーチ 

②長剣の裏切り(5世紀中ごろ、アングロ・サクソン人の侵略開始)

 

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写真:ヘンゲストとホルサ兄弟のブリタニア上陸

 

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ローマ帝国が410年にブリタニアから撤退した後は、ローマ帝国の影響を残しながらもブリタニア自身での統治が再開しました。

その時に起きた事件が、長剣の裏切り(Treachery of Long Knives)と呼ばれる争いです。この裏切りが、アングロ・サクソン族はブリタニアに侵略して領土を広げていくきっかけになりました。

しかし、ブリタニアはローマ軍なしで、北からピクト族や西からスコット族(アイルランド人の先祖)などの外敵から、自国を守らなければならない問題が出てきました。

 

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そこで、兵力不足に悩む当時のブリタニア長官、ヴォーティガンは、ドイツ北部のジュート人であるヘンゲストとホルサ兄弟を傭兵として雇い入れました。

しかし、これが裏目に出たのです。


ヘンギストには美しい娘ロワナがいました。宴会の席で、ヘンギストとホルサの兄弟はロワナをヴォーティガンに紹介しました。

一目でロワナに恋をしてしまったヴォーティガンは、まんまとヘンゲストとホルサ兄弟の思うツボにハマってしまいました。

美女のお酌で酔って油断したところに、長剣を持ったヘンゲストとホルサ兄弟の武装集団に取り囲まれてしまいました。

ヘンゲストとホルサ兄弟は、ブリタニアの東側のケントの領土を要求し、乗っ取ることに成功したのです。

この出来事がもとで、ヘンゲストとホルサ兄弟はドイツからアングル人やサクソン人も呼び寄せ、領土を拡大して行ったのです。

参考:映画キング・アーサー、悪王のヴォーティガンは何者だ、実在人物か?

 

③ベイドン山の戦い(6世紀、アングロ・サクソン人との戦い)

 

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写真:ウィキペディアより

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6世紀頃にブリタニアアングロ・サクソン人との間で起きた戦いです。この戦いで、ブリタニアは勝利しました。

しかし、アングロ・サクソン人の侵略を当面の間防いだものの、アングロ・サクソン人の侵略を止めることはできず、7世紀ごろまでにはブリタニアの大部分を占領されました。

 

 

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ベイドン山の戦いについて、幾つかの歴史書に記載はされています。しかし、いつ誰が、どこで、どのように戦ったのか、詳細は分かっていません。

アングロ・サクソン人との戦いと書きましたが、これも推測です。

 

史書によりますと、

ブリタニアが戦った12の会戦が記録されており、最後のベイドン山の戦いで一人で960人のサクソン敵兵を倒したとの記述があります。

また、ベイドン山の戦いは516518年と記されている歴史書もあります。アルトリウスとされる人物が三日三晩の間十字架を両肩で担ぎ戦いに勝利したたとされています。

 

このアルトリウスが、アーサー王ではないか?という説があるのです。

参考:アーサー王伝説 アーサー王は実在したのか?歴史書にみるアーサー王と先祖

 

リンディスファーン島の襲撃(793年、イングランドヴァイキング支配)

 

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ヴァイキングは中世ヨーロッパに出現しました。

主にデンマークノルウェーに住む人々の中で、9~12世紀にイギリスやフランスなど西ヨーロッパ各地の海岸に出現して海賊行為を働き、また広大な領土を支配しました。

 

 

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793年に起きたリンディスファーン島の襲撃が、ヴァイキングイングランドを侵略する始まりとなりました。

ノルウェーヴァイキングは、北東イングランド海岸の沖合にあるリンディスファーン島修道院を襲ったのを皮切りに、何度もイングランドに侵略を繰り返しました。

9世紀になるとデンマークヴァイキングイングランドを侵攻し、デーンローと呼ばれるイングランドの約1/3を治めるにまで領土を広げたのです。

参考:ヴァイキングの歴史 ヴァイキングはなぜ強かったのか 

 

※ドラマ、ヴァイキングよりリンディスファーン寺院の攻撃youtu.be

ドラマ、ヴァイキング~海の覇者たち~はアマゾンプライムで見れますよ

 

ヘイスティングスの戦い(1066年、ノルマン人によるイングランド征服)

 

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更に、ヴァイキングイングランド侵略は続きました。
歴史的な最大の出来事は、1066年に起きたヘイスティングスの戦いです。

この戦いに勝利したノルマン人は、アングロ・サクソン支配のイングランドを征服し、イギリスの歴史を大きく変えたのです。(ノルマンコンクエスト)

 

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当時のイングランドは、デンマークヴァイキングに支配された時代もありましたが、アングロ・サクソン人のハロルド2世が統治していました。

フランスのノルマンディーを侵略して定住したヴァイキング(ノルマン人)の子孫、ギョーム2世が、イングランドの所有権を主張して1066年にイングランドに攻め込んできました。

ギョーム2世とハロルド2世はイングランド南部のヘイスティングスで戦い、ハロルド2世は戦死し、ギョーム2世が勝利しました。

ギョーム2世はイングランドウィリアム1世となり、イングランド王室ノルマン朝を作りました。現在の学校で習う歴史では、1066年がイングランドの建国とされています。 

参考:イングランドの征服王と呼ばれたウィリアム1世のカリスマ性の秘訣

参考:イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)の再現が行われた

⑥オレウィン橋の戦い(1282年、イングランドウェールズ支配)

 

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写真:オレウィン橋の戦いで敗れたラウェリン

 

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アングロ・サクソン人ブリタニアを征服したときも、ノルマン人がイングランドを征服したときも、ウェールズも侵略は受けたものの独立を保っていました。

しかし、13世紀の後半のオレウィン橋の戦いで敗れ、ついにウェールズイングランドに屈し、征服されたのです。

 

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12世紀~13世紀のウェールズでは、プリンス・オブ・ウェールズを名乗る強力な統治者が登場し、イングランドノルマン朝イングランド)との戦いを繰り広げていました。

ウェールズを支配した最後のプリンス・オブ・ウェールズは、ラウェリン・ザ・ラスト王です。

1282年にラウェリンの弟ダヴィッズが起こした反乱はウェールズ中に広がりましたが、準備不足と弱体化したウェールズ軍は何れもイングランド軍に敗北してしまいました。

 

 

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ラウェリンはイングランドに降伏してエドワード1世と協定を結ぼうとしていたが、ダヴィッズは拒否して戦いを止めませんでした。

 仕方なくラウェリンも戦いを続行しましたがオレウィン橋の戦いで敗れ、川沿いで戦死しました。

ダヴィッズは戦い続けましたが、結局捕らえられ処刑されてしまいました。 

 


この敗北により、ウェールズは事実上イングランド支配下に置かれ、ウェールズ人によるウェールズ統治が終わりました。

またプリンス・オブ・ウェールズの王冠もイングランドに奪い取られ、その後はイングランドの皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを称するしきたりとなりました。

参考:本当のプリンス・オブ・ウェールズ 対 ノルマンのイングランド

参考:真のプリンス・オブ・ウェールズとは? 

 

⑦100年戦争(1337~1453年、フランスの領土大幅減)

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1066年のノルマンコンクエスト以降、イングランドはフランスから渡ったノルマン人の子孫が治めており、フランスにも領土を持っていました。

12世紀にはイングランドとフランス両方合わせて広大な領土を治める、ヘンリー2世も出現しました。

参考:名作映画「冬のライオン」とヘンリー2世 イングランド王室の歴史背景 

 

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100年戦争とは、イングランドとフランスの国家間の争いではなく、フランス王とイングランド王の戦争です。フランスを戦場に、フランス王位継承およびフランス領土の所有権に関して争い、約100年間断続的に続きました。

当初はイングランド軍が優勢に進め、一時はフランスの半分の領土を占領しました。しかし、ジャンヌ・ダルクが登場してから形勢は逆転し、イングランド軍は最終的には敗北しカレー以外の領土を失いました。 

参考:イギリスとフランスの100年戦争の分かりやすい概要

参考:ジャンヌダルクの生涯が分かる映画 「ジャンヌ・ダーク」

 

⑧ボースワース野の戦い(1485年、薔薇戦争終結

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薔薇戦争とは、イギリス(
イングランド)の15世紀に起きた王室の後継・権力争いです。赤薔薇のランカスター家の血筋と白薔薇のヨーク家の血筋が王座をめぐって戦いました。(1455~1485年)

薔薇戦争の発端は、100年戦争で敗北したヘンリー6世は気が狂う発作が起き、国政を行えなくなったことです。

ヘンリー6世に変わってヨーク公リチャード(ヨーク家)がイングランドの王座を狙い、ヘンリー6世の王妃マーガレット(ランカスター家)は、息子エドワードを擁立して対抗しました。

こうして、ランカスター家とヨーク家の王位継承争いから、諸侯が二陣営に分かれて争うバラ戦争に突入していったのです。

 

 

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有名なイギリスの天下分け目の戦いは「薔薇戦争」の最後の戦いである、1485年に起きたボーズワース野の戦いです。

15世紀にはヨーク家のイングランド王が3代つづき、悪名高きリチャード3世がイングランド王でした。

リチャード3世は反対派を排除し過ぎ、不満を持った貴族たちがランカスター家を復活させようと、ランカスター家の血を引くヘンリー・テューダーを擁立したのです。

 

リチャード3世の悪事と哀歌 本当に悪王だったのか?

当時フランスに住んでいたヘンリー・テューダーは兵を挙げてウェールズに上陸し、ウェールズ人たちを味方につけて、ボーズワース野でリチャード3世と戦いました。

この戦いに勝利したヘンリー・チューダーは薔薇戦争終結させ、ヘンリー7世として戴冠しました。イングランド王国は新たにテューダー朝が始まったのです。

薔薇戦争の最後の戦いが、イギリスの歴史を大きく変えたワケ

 

最後に

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古代~中世のイギリスでは、頻繁に戦いが起きており、支配者を変えるきっかけになる戦いが起きていました。

ブリタニア独自の支配
ローマ帝国の支配
アングロ・サクソン人の支配
ヴァイキングの支配
・ノルマン人の支配
・インこの記事を読んでいただき、イギリスの歴史に興味を持ったり、理解が深まったりしたのでしたら、嬉しく思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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ウェールズの王室の血筋を守った!因縁の天下を分けた戦い

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こんにちは、たなかあきらです。

中世ヨーロッパでは戦いは頻繁に起きていましたし、ウェールズでも多くの要塞城を建て、外敵との戦いや内乱と、戦いが続いていました。

その中で、ウェールズの王室の歴史にも影響を与えた戦いに注目しました。

 

皆さんになじみの深い、日本の天下分け目の戦いとは一味違った、ウェールズ版の天下を分けた因縁の戦いについてお話しをします。

こちらも:イギリス王室1000年の歴史 (The Quest For History)

因縁の対決の始まり

 

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11世紀のウェールズ・・・下剋上の時代でした

北部ウェールズの中で最強のグウィネズ国では、ウェールズ王室の血筋で歴代、国を治めていました。

しかし王室が2つに分裂し、100年以上にわたってグウィネズ国の統治者の家系がコロコロ変わる、不安定な状況でした。

さらに、部外者がすきをついて、統治者の座を奪ってしまう、下克上も起きていました。

 

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11世紀初めには、隣国の田舎生まれの一戦士であり、王室の人物でないトラハエアルンが、武力を行使して強引に領土を広げ、ついにはグウィネズ国を乗っ取ったのでした。

 

ウェールズ王室の人たちも黙ってはいませんでした。分裂した王室の中でも最も正統な家系に生まれた青年、グリフィズ・アプ・コナンが立ちあがりました。

 

グリフィズは、母の出身地であるアイルランド等の協力を得てトラハエアルン軍を破り、統治者の地位を奪回したのでした。(グウァエド・エルワの戦い)

 

報復攻撃でやられる

 

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しかし、やったらやり返される。

やられたままで、黙っているトラハエアルンではありませんでした。

トラハエアルンはイングランドの沿岸を攻撃していたバイキングと手を組み、グリフィズにカウンター・アタックを仕掛けました。

 

不意を突かれたグリフィズは成す術もなく、アイルランドに逃げ帰りました。

 

ウェールズを二分する同盟の成立

 

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ウェールズの北部では戦いが繰り広げている中で、ウェールズ南部でもまた、同じような戦いが起きていました。

 

ウェールズの南西部の国デハイバースには、リース・アプ・テウドウルという統治者がいました。

しかし、南東部グウェントなどを統治するカラドッグに攻撃され、リースはデハイバース国を乗っ取られ、国外に逃亡していました。

アイルランドに逃れていたグリフィズは、同じような境遇にあるリースと協力し合おうと手を組みました。

 

 

一方、トラハエアルンは同じ境遇にあるカラドッグに近づき、同盟を組みました。

さらにポウィスというウェールズ中部を統治するメイリル王は、トラハエアルンに加勢しました。

 

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 ここにウェールズの勢力は真っ二つに分かれました。

・グリフィズ連合軍:グリフィズとリース(負け組)

・トラハエアルン連合軍は:トラハエアルン、カラドッグ、メイリル(勝ち組)

 

勝ち組vs負け組:天下分け目の激突

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1081年。トラハエアルンの圧政に苦しむ人々の協力を得たグリフィズ連合軍は、兵力に勝るトラハエアルン連合軍と相対しました。

「朝までまとう」「いや、夜中に攻めよう」

グリフィズ連合軍の意見は分かれました。しかし、グリフィズが意見を押し通し、夜明けを待たずしてトラハエアルン連合軍に急襲を仕掛けたのです。

 

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賭けに出たこの急襲は、幸運を引き寄せました。

このウェールズを2分した天下分け目の戦いは、マイニッズ・カルンの戦いと呼ばれ、敵軍を混乱させたグリフィズ連合軍は大勝利したのです。

そして、グリフィズはグウィネズ国を、リースはデハイバース国を取り戻すことに成功しました。

 

ウェールズ王室の正統化

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グリフィズが勝利したことにより、グウィネズの統治者は、本来の王室の家系に戻りました。そしてそれ以降、他の家系に統治されることはありませんでした。

グリフィズと子・孫たちが、グウィネズだけでなくウェールズにも勢力範囲を広げていき、プリンス・オブ・ウェールズなどを歴任をしたのです。

 

※子のオウァインがプリンスの称号を始め、孫のダヴィッズが初めてプリンス・オブ・ウェールズになりました。

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最後まで読んでくださり有難うございました。
また次回をお楽しみに。

 

 

衝撃的なゲーム・オブ・スローンズ シーズン4のあらすじと感想

ゲーム・オブ・スローンズ 第四章:戦乱の嵐-後編- DVDセット(5枚組)

 

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ゲーム・オブ・スローンズにはまっている、たなかあきらです。

今回は、ゲーム・オブ・スローンズのシーズン4のあらすじを、簡潔にわかりやすくご紹介いたします。シーズン3は衝撃的な内容でしばらくぼう然としていましたが、その余韻は長く続かないほどシーズン4も様々な出来事が起き、ますますドラマに引き込まれていきます。

シーズン4を見る前に、あらすじを知っておきたい方や、シーズン4を見終わって、振り返りにもご利用ください。

 

(この記事のポイント)
ゲーム・オブ・スローンズは、ウェスタロス7王国で起きている各内乱を描いており、ドラマを見ていると頻繁に場面があちこちに飛びます。
慣れてくると問題なく楽しめるのですが、それでもたまに頭の中が混乱します。

そこで、この記事では分かりやすいように、ドラマのストーリーに沿ってではなく、各場面(地域)ごとに分けて、あらすじを書きました。

 

ゲーム・オブ・スローンズ カテゴリーの記事一覧 ※以前の記事 

 

シーズン4/第四章:戦乱の嵐 後編  短く簡潔なあらすじ

 

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同じ季節が何年も続き、長年にわたって夏であったウェスタロスですが、今度はどれだけ長く続くか分からない冬のシーズンが近くにやってきました。

ウェスタロスの人々は雪と氷の時代に向けて準備をする必要がありました。しかし、ウェスタロス七公国では激しい内乱が続いていたのです。 

 

七王国の地図はこれが分かりやすいです。

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シーズン4の公式の予告動画

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ウェスタロスの主な地域はほとんどがラニスター家の支配下となりますが、いまだに抵抗を続ける勢力が二つ存在しました。

グレイジョイ家とバラシオン家です。新たな陰謀とたくらみが動き出し、生き残った派閥は自分たちの外にいる敵だけでなく、身内や味方の敵と戦う必要があったのです。

 

・首都キングズ・ランディングでは、我がままで暴君的なジョフリー王とマージェリーの婚儀が始まるが、大事件が起きる。母サーセイと祖父タイウィンは王権維持のため作戦を練る

・罪を着せられた王の叔父ティリオンは、自分の行く末を思案する。裁判の中、王の手である父タイウィンは和平案を出すが、ティリオンは断り代理闘士による決闘裁判となる
 
・北の「壁」の周辺では、ジョン・スノウとナイツ・ウォッチは、壁を越えて攻め込んでくる敵をを食い止めるため、連夜攻防を繰り返す。そこに、バラシオン家のスタニスが加わってくる。しかし、本当の脅威は他にあった。
 
・スターク当主ロブが、ボルトンの裏切りで殺害された後(タイウィンの指示)、本拠地ウィンターフェルはボルトン家の手に落ちる。ボルトンの落とし子のラムジーが悪巧みをはかり、人質グレイジョイ家のシオンを人質にとり拷問を繰り返し、利用を始める
 
・ターガリエン家のデナーリスは、エッソス大陸でウェスタロス奪回をはかっている。奴隷解放により人々を味方につけ、領土と軍力を拡大しようと試みる。しかし、デナーリスの長年の右腕ジョラーがスパイと知り追放する

ついに動き出した怪異が、七王国に迫る!  七王国を動かす者たちに、過酷な運命が待ち受ける! 

先の“ブラック・ウォーターの戦い"で前王の弟スタニス・バラシオンによる襲撃から王都を守ったラニスター家は、スターク家の息の根を止めるため、ロブの叔父の結婚式の最中にロブとキャトリン、ロブの妻らを惨殺。

ラニスター家と同等の財力のあるタイレル家を味方につけようと、"王の手"タイウィン・ラニスターが子供たちの政略結婚を次々に決定していった。しかし、敵は東から、そして南からも着々と王都奪還の準備を進めていた。

北では、王都を中心に繰り広げられる権力争いをよそに、ウェスタロス全体に対する本当の脅威が壁を越えて攻め込んでくるのを食い止めるため、ジョン・スノウを主導とするナイツ・ウォッチたちが連夜攻防を繰り返す。

気になる王位争奪戦の行方、母と兄を亡くしたサンサとアリア、そして壁の北へと突き進むブランの運命、再会を果たしたサーセイとジェイミーの今後も目が離せない。(アマゾンより)


【エピソードリスト】
第1話「二本の剣」
第2話「獅子と薔薇」
第3話「奴隷解放者」
第4話「誓約を果たすもの」
第5話「新王誕生」
第6話「裁判」
第7話「月の扉」
第8話「山と毒蛇」
第9話「黒の城の死闘」
第10話「世継ぎたち」
 

 

シーズン4/第四章:戦乱の嵐 後編 分かりやすい概要

 

ネタバレありますので、まだドラマを見ていない方はご注意を。あらすじをスッキリと分かっていただくために、主要な登場人物の行動も省略している場合が多くあります。その点は、本編をじっくりみてお楽しみください。

 

ラニスター家の繁栄と内部動乱(特にネタバレ)

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叔父ティリオンを侮辱するジョフリー王。右端はスターク家の娘サンサ

 

ジョフリー王と、巨額の財を持つタイレル家のマージェリーの婚儀が行われました。傲慢なジョフリーは、小人の叔父ティリオンを侮辱し、自分の酌取りを命じます。ティリオンが差し出したワインの中に毒が入っており、ジョフリーは殺害されました(何者かが毒を盛った)。

ジョフリーの後は弟のトメンが王となり、タイレル家との関係を保つため、母サーセイはマージェリーに王妃になる話を持ちかけました。

 

王都でティリオンの裁判が始まり、ティリオンと不仲の母サーセイと父タイウィンにはめられ立場が悪化します。弟ジェイミーはティリオンを救うべく、父タイウィンと取引をしますが、ティリオンが拒否し代理人による決闘裁判となります。

 

しかし、ティリオンの代理人は負け、ティリオンの処刑が決まってしまいます。

 

弟ジェイミーは重臣ヴァリスの協力を得て、ティリオンを逃すことに成功します。早く逃げなければならないところですが、ティリオンは父タイウィンの寝室へ向かいます。

 

そこで見たのは、かつてのティリオンの愛人、シェイでした。ティリオンは、シェイとタイウィンに対し、意外な行動に出ます。ティリオンは急ぎ、船の積荷に紛れてウェスタロスを離れたのでした。

 

※本当にジョフリー王は嫌な奴です。腹黒いサーセイにも腹が立ちます。ラニスター家とはいえ、まだ人情がありハメられたティリオンには同情しますね。

スターク家の動向

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叔母ライサに詰め寄られるサンサ(左)

 

ジョフリーとの婚約を解消し、ティリオンと結婚させられたスターク家の娘サンサは、ピーター・ベイリッシュの手下により王都キングス・ランディングから脱出に成功します。

 

そして、ピーター・ベイリッシュに連れられたサンサは、叔母ライサの住むアイリー城へ向かいます。ライサはピーターを愛しており、直ぐに再婚を迫った。ライサは、ピーターとサンサの関係を疑って嫉妬に狂い、争いとなります。

 

※ちょっと変人のライサ、気が違ったような嫉妬を表します。 何を考えているのか野心が見え隠れするベイリッシュですが、とにかくラニスター家に囲まれ身の危険があったサンサが助けられてほっとしました

 

北の動乱とバラシオン家の決意

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ジョン・スノウとイグリッド

 

壁を守るナイツ・ウォッチと、壁を越えて南へ進軍する野人との死闘がカースル・ブラック(黒の城)で開始されます。ナイツ・ウォッチは地形の有利を盾に戦うが、マンモスと巨人に門を攻略されそうになります。

 

そこで、スターク家の落とし子ジョン・スノウは覚悟を決め、野人たちの拠点へ向かいます。そしてリーダーのマンスレイダーと対面し、野人の兵を引き上げるように交渉します。しかし、マンスレイダーはカースルブラックを明け渡すよう迫ってきました。

 

その時、野人たちに大軍が襲いかかってきました。スタニス・バラシオン率いる軍が攻撃をし、野人たちを制圧しました。ジョンは、マンスレイダーを殺さずに捕虜としました。

※ジョンが野人と暮らしたときの恋人イグリットと戦闘で出会います。ジョンを狙うイグリッドは、ナイツ・ウォッチに殺されてしまい、ジョンはイグリッドを弔い火葬しました。クールなジョンですが、このシーンを見ると心にきます。

 

ボルトン家 ラムジーの企み

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シオン(右)を手なずけるラムジー(左)

 

グレイジョイ家の息子シオンを捕らえたラムジーは悪だくみを始めます。シオンを拷問して心身ともに支配し、利用を開始します。ラムジーの父ボルトンはスターク家の血筋を根絶やしにするよう命令しました。

※暴君ジョフリーだけでなく、ラムジーの悪者ぶりが憎たらしいです(ジョフリー以上かも) 

 

ターガリエン家 デナーリスの苦悩 

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奴隷解放したデナーリスであるが・・・

 

デナーリスは各地で奴隷解放に力を入れ支持を得て、元の領主から奴隷と領土を奪い、奴隷たちに自由の選択を与えました。

デナーリスはウェスタロスのラニスター家で起こった出来事を知り、ウェスタロスへ攻め入る絶好の機会と提案を受けます。

 

しかし、奪った領土すら治めることが出来なければウェスタロスの王にはなれない、と奴隷解放のための統治を選択します。しかし、多くの問題が浮かび上がってくるのです。

 

デナーリスは元奴隷の老人から、奴隷解放に伴い家を失ない迫害を受けており、奴隷主である親方の元へ戻りたいと嘆願されます。またドラゴンに赤子を焼き殺されたと訴えられ、ドラゴンを地下墓所に閉じ込めことになります。

また長年右腕としてデナーリスを支えてきたジョラーが元スパイと判明し、デナーリスはジョラーを追放します。

 

※デナーリスは領土を奪い女王のように君臨しますが、統治は苦手みたいですね。政治にたけた協力者が必要ですね。誰が現れるのか・・・

 

最後に 

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ウェスタロスの運命に大きな影響を及ぼすような、衝撃的な事件が次々と起こり常にドキドキします。ウェスタロスの内乱だけでなく、真の脅威であるホワイトウォーカーが着実に迫ってきています。この先もどうなるのか、目が離せませんね。

 

 

 

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参考記事です。是非ご覧ください。

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※こちらが原作

七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)

七王国の玉座〔改訂新版〕 (下) (氷と炎の歌1)

 

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

「モーセの十戒」の意味と映画 海を割る有名なシーンが印象的

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こんにちは、たなかあきらです。
旧約聖書に書かれている「モーセ十戒(じっかい)」とは何でしょうか?

今回は十戒の起源となるストーリーと、意味を分かりやすく纏め、最後に「十戒の映画」を紹介しました。

※漫画七つの大罪十戒とはなんだろう?と疑問に思う人が多いと思いますので、ここに纏めました。

 

 

モーセ十戒」の分かりやすい歴史概要

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十戒(じっかい)」はモーセ十戒のことで、紀元前13世紀頃のイスラエルのカリスマ的指導者であるモーセが、神から与えられたとされる10の戒律のことです。

モーセ十戒は「旧約聖書」中で、「出エジプト記」に載っており、エジプト出発の後にモーセシナイ山にて、神より授かったと記されています。

出エジプト記」よりますと、主役となるモーセはエジプトでヘブライ人(イスラエル人)の家族に産まれました。当時ヘブライ人の奴隷たちの間で、ヘブライ人の男性から救世主が現れるという噂が流れ始めました。

 これを、この動きを危惧したエジプトのファラオが、男児の新生児を殺せと命令したのです。殺戮から逃れるために、生まれて間もないモーセナイル川に流されました。モーセは幸運にも、ファラオの王女に拾われて育てられました。

 

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モーセは幸運でしたね。ファラオの王女に育てられ事実が隠されたままなら、そのまま王室の人間として、活躍できますね。

 

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ところが、成長したモーセは自分が王女の息子ではなく、へブライ人の奴隷であったことを知りました。エジプト人に虐待されている同朋のヘブライ人奴隷たちを救いたい、と思うようになりました。あるとき虐待されるヘブライ人を助けようとしエジプト人を殺害してしまいます。

 

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ファラオたちにも出生の秘密を知られてしまったのですね。これはモーセに身の危険が迫りますね。



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ファラオに命を狙われたモーセは、ミディアンの地(アラビア半島)に逃れ、ツィポラという羊飼いの女性と結婚し、羊飼いとして暮らしました。

ある日、シナイ (ホレブ) 山で、モーセの前に神が現れました。そして神はモーセに、奴隷状態にあったヘブライ人を率いてエジプトの脱出を命じたのです。

 

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モーセは神の使いだったわけですね。でも、モーセや奴隷として働くヘブライ人たちを、ファラオたちは簡単に許して脱出させるとは思えませんが・・・

 

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このため、モーセは「杖が蛇になる」「手がらい病のように白くなる」「ナイル川の水が血に変わる」の3つのしるしを与えられました。

そしてモーセは「ナイル川の水が血に変わる」のしるしを使いました。

そうしたところ、「十の災い」がエジプトにくだり、最後にはファラオの息子を含め、エジプトで生まれた子供(初子)が無差別に殺害されました。

 

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むむむ・・・いくら神の使いとはいえ、かなり残酷な内容ですね。その恐ろしい「十の災い」とは、他には何があるのですか?

 

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出エジプト記に記載されており、概要は以下の通りです。

ナイル川の水を血に変える
・カエルを放つ
・ブヨを放つ
・蚊を放つ
・家畜に疫病を流行らせる
・腫れ物を生じさせる
・ひょうを降らせる
・イナゴを放つ
・暗闇でエジプトをおおう
・長子を皆殺しする

 

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最後の残酷なもの以外は、笑っちゃうようなものもありますけど、つなげて見ると、害虫は増え天災も起こり、農作物や家畜は取れなくなりますし、人々は苦しむでしょうね。

 

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ついに、ファラオはモーセヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めたのです。エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉と酵母を入れないパンを食べ、神はこの出来事を記念として行うよう命じたのです。

ところが、

 

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しかし、ファラオたちが戦車と騎兵からなる軍勢を差し向け、モーセヘブライ人たちは紅海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥ってしまいました。

ヘブライ人たちもこの状況では奴隷の方がよかった、と言うものも出ました。

 

 

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モーセヘブライ人たちは、再び捕まってしまったのですか?

 

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ここで、有名なシーンが登場します。この時、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、紅海の水が割れたため、無事にエジプトを脱出できたのです。後を追って海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んでしまいました。

 

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このシーンだったのですね。モーセ、やりましたね

 

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その後、モーセは民と共に苦しい荒れ野の旅を続けます。人々は水や食べ物のことでしばしばモーセに不平を言い、モーセはそのたびに水や食べ物を与えて神の力を示しました。そして、ヘブライ人たちがシナイ山に近づいたとき神ヤーウェが現れました。

モーセは神からヘブライ人が守るべき「十戒」を授かり、ヘブライ人はヤーウェの民となる契約を結んだのです。

 

十戒」の内容について

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その十戒とはどんな内容なのですか?

 

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今回の記事の本題を説明しましょう。十戒にはプロテスタントカトリック十戒があり、やや異なる部分はありますが、基本は同じです。(ウィキペディアより)

 プロテスタント十戒

  1. 主が唯一の神であること
  2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
  3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと
  4. 安息日を守ること
  5. 父母を敬うこと
  6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
  7. 姦淫をしてはいけないこと
  8. 盗んではいけないこと
  9. 隣人について偽証してはいけないこと
  10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと

1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目です。

 

カトリック十戒

わたしはあなたの主なる神である。

  1. わたしのほかに神があってはならない。
  2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
  4. あなたの父母を敬え。
  5. 殺してはならない。
  6. 姦淫してはならない。
  7. 盗んではならない。
  8. 隣人に関して偽証してはならない。
  9. 隣人の妻を欲してはならない。
  10. 隣人の財産を欲してはならない。

 ※プロテスタントカトリックは殆ど同じですが、違いはプロテスタントには、偶像崇拝の禁止があり、カトリックには隣人の妻を欲してはならない、の項がある点です

 

その後のモーセ 

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その後もモーセは約束の地カナンへ向けて長く困難な移動を指揮しました。40年の後にカナンへ行く途中のモアブの地、ネボ山に没しました(享年 120歳らしい)。 

 

※カナン:神がヘブライ人に与えると約束した地で、地中海とヨルダン川死海に囲まれた場所
カナン - Wikipedia

※モアブのネバ山:現在のヨルダン王国死海北端から東9キロに位置する標高802メートルの山
モアブ - Wikipedia

 

モーセ十戒」の映画

 

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1956年の映画で、自身が作成したオリジナル版をリメイクした映画です。60年以上前の映画だけあって実写が多く、奴隷が建造物を建てたり石を切って運ぶシーンなど、とても迫力があります。衣装もとても美しく、当時の様子がうかがえます。

チャールストン・ヘストンがモーセを演じた「十戒」である。聖書に書かれている紅海が割れ、その中をモーセなど出エジプトの民が海の中を進むクライマックスシーンはあまりに有名。後に世に出されるアニメなどの作品でも、このシーンを元にした物が使用される事は多い。上映時間232分。(アマゾンより)

 

 



こちらの映画が、オリジナル版です(サイレント映画

多くの名作を残したスペクタクルの巨匠、セシル・B・デミルが手掛けた旧約聖書映画の元祖版。

神はエジプトの圧制に苦しむイスラエル民族に使者を遣わし、紅海を割ってシナイ山麓に導き十誡を授けたまう。第1部「古代編」と第2部「現代編」の2部構成。(アマゾンより)

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

ローマ帝国に逆らったブリタニアはどうやって救われたのか?

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こんにちは、たなかあきらです。

1世紀から5世紀までブリタニアローマ帝国支配下にありました。ブリタニアの各小国はローマに従いながら自治をしていましたが、ローマ帝国に逆らい反乱を起こすこともしばしばあり、時には統治権を奪ったこともありました。 

反乱がおきると、支配者は反乱を起こした者を倒して鎮圧するのが世の常です。ローマから大軍が派遣されて反乱は鎮圧され、より厳格な支配に至った例もありました。 

 

せっかく、自治権を獲得したのに、強国ローマ帝国の怒りに触れて倒されてしまっては、元も子もありません。

そこで今回は、反乱を起こして自治権を奪ったブリタニアに、影の実力者が現れて上手くローマ帝国との関係を修復して、後の歴史を作ったエピソードをお話いたします。

 

エピソード1:ローマ帝国への反乱と、陰の実力者登場

 

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陰の実力者とはブリタニアコーンウォール地方に住んでいた、カラドクスという領主です。(当時はドゥムノニアと呼ばれていました)。

当時ブリタニアローマ帝国支配下にあり、ローマから司令官が派遣されて統治をしていました。

しかし、ウェールズで最大の勢力を持っていたエウダヴ・ヘンという首長がいて、ローマ司令官のブリタニアを見下した態度に腹を立て反乱を起こしたのです。そして、エウダヴ・ヘンは無謀にも司令官の座を奪ってしまうという事件を起こしました。

  

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それは、まずいんじゃないですか? ローマ帝国はメンツにかけても、エウダヴ・ヘンをやっつけに大軍を送ってきますよね?

 

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そうですね。エウダフ・ヘンもそれをとても恐れたと思います。それで友人であるカラドクスに相談をしたのです。こんな感じだったかも知れません。


カラドクス:「そりゃ、ローマもバカじゃないからすぐ攻め来るだろうよ。それを防ぐには、この方法が有効だな。君には年頃の娘がいるだろう」

エウダヴ:「ううむ。ヘレンをローマに人質に出そうというのかい?」

カラドクス:「君の娘をローマ軍の有望な高官に嫁に出して、ローマとの関係を良くするのが手かなと思うがどうだい?」

 

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政略結婚ですね。これは上手く行ったのですか?

 

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カラドクスが思い描いたローマ軍の高官は、マグヌス・マキシムスと呼ばれる若者でした。エウダヴの娘ヘレンとマグヌスはめでたく結婚し、ブリタニアとローマの亀裂は修復されたのです。

エウダヴも娘婿となったマグヌスを大変気に入って自分の領土もマグヌスに譲り、その後も平和に暮らすことができました。

 

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なるほど~。カラドクスのアドバイスが無かったら、ブリタニアとローマは戦争になっていて、エウダヴも倒されていたかもしれませんね。

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影の実力者、エピソード2:歯向かうより従った方が得??

 

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エウダフの後継者にもなったマグヌスだったけれど、新たな問題が勃発してきました。

それは、エウダフの甥であるコナン・メリアドクは、長年にわたってエウダフの後継を狙っており、マグヌスに譲ってしまたことに大いに腹を立てたのです。

こんなやり取りがあったと思います。

 

 

コナン:「許せん!マグヌスの奴!僕の将来を奪いやがって!!」

 

憤慨するコナンに対して、再びカラドクスが登場しました。

カラドクス:「落ち着いて、落ち着いてコナン君。マグヌスはローマ軍でナンバー2だった凄腕の軍人だ。君が勝てるような相手では無いよ」

 

コナン:「うるさい!」

 

コナンはマグヌスを倒そうと戦いを仕掛けたのです。しかし、カラドクスが言った通り、コナンがかなう相手ではありませんでした。

 

カラドクス:「コナン君、分かっただろう。マグヌスに敵対するよりマグヌスと手を組んだ方が良いよ。マグヌスは将来大物になるだろうから、マグヌスについて協力すれば、君もきっと出世するよ」

エウダヴ:「カラドクスさん、それもそうですね。マグヌスと仲直りしますよ。」

 

 

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と、一件落着しました。マグヌスはその後、西ローマ帝国に攻め入り、人々の不満が集中していた皇帝を倒して西ローマ皇帝になりました。そして、マグヌスと共に戦ったコナンは、現在のフランス・ブルゴーニュー地方を褒美としてもらい国を建国し、初代のブリタニー王となりました。

 

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これもカラドクスのアドバイスが無ければ、ブリタニアで内乱が続き、コナンも倒されていたかもしれませんね。

 

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それにブリタニアケルト系の人々がブルゴーニュー地方に移住することもなかったかも知れませんよ。またまた、カラドクスは歴史を変えた人物になっていますね。

 

※この出来事の影響なのか、フランスのブルゴーニュ地方には現在もケルト系民族が多く住んでいます。

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参考:マグヌス・マキシムスに関する記事

菱ローマ皇帝にまで大出世したローマ戦士の成功の秘訣

 

影の実力者の秘訣

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カラドクスが縁の下の力持ちとして歴史に影響を及ぼした秘訣は何でしょうか?

 

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これは僕の推測だけど、人の意見をしっかりと聴いて、その人はその状況にとって最適な事を自分の損得なしで、助言できたことじゃないかなあと思いますね。

 

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カラドクスは領土を広くするなどの欲がなかったのかもしれないし、勢力を広げたなどの痕跡は見当たらないのです。

 

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カラドクスは自分には欲がなかったので、かえって周りの状況が良く見えたんでしょうね。的確なアドバイスができて皆からの信頼も絶大だったんですね。それが積み重なって歴史を変えた人物になっていったんだと思います。

 

最後に:アーサー王物語にまで影響を及ぼした人物

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損得なしで人のために動ける、そして人から大きな信頼と信用を得る人生。カラドクスはとても幸せな人生だったのではと思います。今の世の中では、特にこの気持ちをもって人に接していきたいですね。

 

ちなみに、ブルゴーニュ地方にブリタニー国を建国したコナンの子孫が、アーサー王と言われています。カラドクスのアドバイスが無ければ、アーサー王も生まれていないかもしれませんね。

 

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歴史を変えた人物というだけでなく、伝説の物語にも大きく影響を及ぼした縁の下の力持ちだったのですね。

 

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

中世ヨーロッパの物価と人々の稼ぎと暮らしを考える

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こんにちは、たなかあきらです。

中世の人々はどの程度の給料をもらい、どんな暮らし(生活水準)をしていたのでしょうか?

13~15世紀辺りの中世イングランドを中心に、当時の各職業の給料、当時の物価を比較し、暮らしぶりを推測してみました。

イングランドでの貨幣社会のはじまり

11世紀にウイリアム征服王によってイングランド封建制が持ち込まれた際には、物々交換の社会でしたが、13世紀になると人口が増加し次第に貨幣社会へと変わっていきました。

また、羊の飼育数も増加して羊毛貿易は盛んとなり、フランドル地方(現在のベルギー)から商人が大勢訪れて羊毛の買付けをするようになり、貨幣の需要も高まっていきました。

 

  

当時の貨幣価値は

1シリング=12ペニー、1ポンド=240ペニー、1ペニー=3000円、1シリング=3万6000円、1ポンド=72万円と想定しました。

 

 

中世イングランドの各職業の稼ぎ 

それぞれの職業の稼ぎを一覧表にまとめてみました。日当より、20日労働の場合の月収を計算して、円に換算しました。

イングランド国王の収入はともかくとして、かなりの格差社会であることが分かります。従軍すると給料は高く、特に騎士以上の上級軍人になると、かなりの稼ぎです。

また戦いに必要な専門的な技術を持った職業も、そこそこの稼ぎであることが分かります。

これに対し、召使や農夫(特に土地を持たない小作人)は、これで生活が出来るのか、というくらい給料が低いです。

この稼ぎで、生活に必要な食料を手に入れ、十分に暮らせるのでしょうか?

職業 日当(ペニー)

月収換算(20日労働、万円)

備考
エドワード3世 - 年収3万ポンド(約216億円)  
◆ジョン王統治時代の(1199~1216年頃)海軍兵士の給料
提督 24 144  
艦長 12 72  
掌帆長 7 42  
水兵 3 18  
◆1416年のイングランド軍の給料
守備隊長 80 480 3か月で4800万円ボーナス
騎 士 24 144 3か月で240万円ボーナス
騎 兵 12 72 3か月で240万円ボーナス
弩 兵 10 60  
弩 兵 8 48  
騎馬の弓兵 6 36  
大 工 12 72  
石 工 12 72  
鉛管工 12 72  
瓦職人 12 72  
砲 手 12 72  
砲手の助手 6 36  
◆1390年頃のイングランドの各職業の給料
上級法廷弁護士 225 1350  
礼拝堂の僧侶 4 24  
召使 1 6  
農夫(豚飼育) 0.3 1.8  

 

中世イングランドの物価

 

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中世イングランドの物価を示します。日本円にも換算してみました。

当時の人口や各生産量、需要と供給など商品価値も異なるので、一概には言えないと思いますし、貨幣価値の換算も同じレートが妥当かは分かりません。

参考までに比較していただけると良いと思います。

品 物 数 量 金額 円換算
◆1256年のドイツ市場価格の例  
牛肉・羊肉 2.5ポンド(818g) 1ペニーヒ 1830円/kg
山羊肉 3ポンド(981g) 1ペニーヒ 1530円/kg
獣脂 1ポンド(327g) 1.5ペニーヒ 690円/100グラム
上質のソーセージ 中くらいの大きさ 0.5ペニーヒ 750円/本
粉をよくこね、塩を利かし、
ふるい分けたパン
2個 1ペニーヒ 750円/個
イタリアのワイン 70リットル 60ペニーヒ 1ボトル(750ml)960円
ビール 70リットル 18ペニーヒ 1瓶(633ml)245円
◆1360年頃のテムズ川流域の市場価格例  
ローストマトンの肩肉又は脚 - 2.5ペニー 7500円
雄鳥を詰めたパイ - 7~8ペニー 21000~24000円
焼いたガチョウ 1羽 7ペニー 21000円
豚の丸焼き 1頭 8ペニー 24000円
焼き鳥 1羽 0.8ペニー 2400円
ロースト鳩 1羽 0.8ペニー 2400円
イングランドの生活必需品の価格例  
農民用の田舎家の家賃 月額 - 1.5万円
商人の家賃 月額 - 18万円
農夫用のリネンシャツ - - 24000円
農夫用のチュニック - - 11万円
貴族用のガウン(流行品) - - 720万円
◆13世紀~15世紀にかけてのヨーロッパ小麦の平均市場価格  
小麦 291リットル ※平均10.8シリング 2670円/kg

※2~20シリング(500円/kg~5000円/kg)ほど季節によって変化(収穫直後と端境期)

 

イメージ的には、肉は今より高そう、ビールやワインは安そう。家賃は同じくらいでしょうか、服はとても高価ですね。

 

ヨーロッパの主食となる小麦の価格を見ますと、13世紀~15世紀にかけては、1クウォーター(291リットル)で約10.8シリングとなります。

1シリング=3万6000円、小麦2リットル=1kgで計算しますと、中世の小麦価格は約2670円/kgとなります。

しかし、一年の中でも価格は大きく変動しており、例えば2~20シリング(500円/kg~5000円/kg)ほど季節によって変化していますので(収穫直後と端境期など)、単純な比較はできないと思います。

ちなみに、30年8月の国際小麦価格は2.204ドル/kg(約225円/kg:農林水産省データより)となっており、現在より小麦の価格は高そうなイメージです。

 

中世イングランドの人々の暮らし

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中世の人々にとって、小麦はとても高価で、白いパンは上流階級しか手の届かないものでした。このため、多くの農民たちはライ麦、大麦を育ててパンにしました。不作時には、まめやドングリなどもパンに混ぜていました。

 

また、肉類も高価なため貴族など上流階級の人々のみ食べることが出来き、農民などはめったに口にすることが出来ませんでした。このため、貧しい人々は野菜中心の食生活となっていました。貴族の人々は肉ばかりで、あまり野菜を食べていなかったようで、貧しい人の方が食事のバランスが取れていたかもしれません。

服もとても高価なものであったと思います。ですので、一着を擦り切れるまで、擦り切れても繕って、長年着ていたのではないでしょうか。

(日本も昔はおそらく服は大切に着ていたのだと思います。40年以上前でも、服や下着がほころびたら、繕ってきていました)

 

中世の貧しい人にとって収入は少ないですし、お金を出して買おうと思うと、とても高いので、多くの日用必需品や食料は、貧しい人ほど自給自足だったのではないかと思います。 

中世ヨーロッパの食事 貴族と農民の違い

中世ヨーロッパの庶民の服装、農民と農奴 

 

参考:

中世ファンタジーの世界

ヨーロッパの中世

Medieval Prices and Wages – The History of England

世界の穀物需給及び価格の推移:農林水産省

  

参考)中世のお城建築費

ビューマリス城の建築には週に2625人程度の石工や採石者や労働者が働いており、一人当たり270ポンドの人件費がかかったとされています。当時の270ポンドを現在の貨幣価値に関すると、日給約15,000円程度になります。

この計算で、日給15000円で2625人が週休2日で1年働くと、約100億円の人件費がかかります。ビューマリス城は、工事中止までに11000ポンド(現在の価値で約80億)使ったとされており、概算はほぼあっていると思います。

イングランドエドワード1世が同時期に建てたお城を見ますと、カナーヴォン城(22000ポンド、約160億円)、コンウィ城(15000ポンド、約110億円)、ハーレック城(8200ポンド、約60億円)の建設をしており、10年程でお城建設に400億円ほど使っていることになります。  

記事はこちら:ヨーロッパと日本のお城の建設費は 国家予算と人件費で考えた

参考)中世の戦争費用

人件費だけを考えてみましょう。例えば、騎士の給料を月給240ペンス(日給12ペンスで20日労働。約72万円)と仮定します。

1万人の軍隊を形成し1か月戦死者ゼロで戦うと、72億円の費用が掛かり、1年となると約860億円もの莫大な費用が掛かります。
この規模の戦争では、1~2か月程度の人件費でお城が建ってしまうほどの費用になります。戦争は短く効果的に終わらさなければ、財政が持ちませんね。

記事はこちら:ヨーロッパと日本のお城の建設費は 国家予算と人件費で考えた

 

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