アップル社と古代ローマ人の技術革新は、素晴らしい改良で広く普及させた点にあった

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こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。今回は、ちょっとイギリスを離れてローマ帝国の話です。

ローマ帝国が我々の生活に影響したものは、まるでアップルが世界に大きな影響を及ぼしたケースと、とても類似点があるようです。

 

アップルとローマ

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アップルはその昔にはマッキントッシュと呼ばれていた頃のデスクトップパソコンから、近年ではiPhoneやipad、iMacなどを次々と発売し、世界中の人々の生活の中に広く普及しました。

しかし、アップルはスマートフォンを最初に発明したのではなく、音楽のダウンロードを始めて行ったのもiTunesではなかったのです。タブレットはipadが発売されるより、10年以上前から存在していました。

アップルは発明者ではなく改良を重ねて、世の中に広めた点が偉大なのです。
つまり、アップルがすごい点は、存在しているアイディアや物を、これまで誰もやったことがない方法で、発達・改良してきた事が、注目する点です。

 

例えばデザインや使い方や機能など、オシャレで使いやすいくて楽しいものになっています。

 

実は古代ローマ帝国の時代に生きた、ローマ人たちもアップルと同じでした。
ローマ人たちも様々なものを世の中に普及させましたが、多くのものはオリジナリティがある発明ではありませんでした。

ローマ人たちもすでに存在しているアイディアを採用して、改良を重ねて、人々が利用できる様に改良したのでした。

実際に古代ローマ人は、どんな発明を利用して、どのように改良して世の中に普及してきたのでしょうか?

 

ローマ人と道路

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道路はローマ人が発明したものではありませんでした。最初に舗装された道を作ったのは、今から約4600年前のエジプトの採石場でした。

さらに、紀元前5世紀にはペルシア帝国のダイオレス1世が、約2700kmにもおよぶ「王の道」を建設しました。しかし、すべてが舗装されていたわけでもなく穴ぼこが多い泥道か砂利道が多く、まっすぐな道でもありませんでした。

古代ローマ人たちは、「道」に有用性と可能性があると、ポテンシャルを感じていました。この「道」というアイディアをローマ人たちはうまく利用したのです。

ローマ人は「道」を改良して、まっすぐで舗装された道を作りました。まっすぐで舗装された道は、通信、交易、軍隊の移動にとても有用でした。

ローマ人は、ローマから放射上に走るまっすぐで舗装された軍用道を建設して地方をつなぎ、さらに113の地方間を約40万kmに及ぶ、372の道路でつなぎました。

これにより世界中で最もコネクションが優れた帝国をつくり、ローマ帝国が強力になる土台を作ったのでした。

ローマ街道 – Wikipedia

ギリシャをコピったローマ人

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紀元前のギリシャは何世紀にも及んでさまざまな教養を身に着けてきました。紀元前2世紀にマケドニアがギリシャの中心だった頃、ローマは戦いに勝利しギリシャを手中におさめました。

ローマは柱やペディメント(窓の上の装飾)など様々な建築様式をギリシャ文明を積極的に取り入れました。また、パンデオン(神殿)のギリシャの神々を大いに利用して、ローマ風に変えました。

ゼウスはユーピテル、アリエスはマールスに変更されました。ギリシャで始まったオリンピックもローマルールのもとで、盛んにおこなわれるようになりました。

ローマ神話 – Wikipedia

 

古代のコンクリートは現在より強い?

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コンクリートはいつ頃から存在したのでしょうか? 
実はコンクリートは人口のものだけではなく、自然界に存在するコンクリートもあり、人類が誕生する前からコンクリートは存在していました。

最初にコンクリートを用いたのは紀元前1500年頃の古代ミケーネの人々で、床をコンクリートで作りました。また北アフリカのベドウィン族もローマよりも前の時代に、自分たちのコンクリートを作り出していました。

しかし、コンクリートの有用性を世の中に広めたのは、古代ローマの人々でした。コンクリートの語源はラテン語のコンパクトを意味するconctetusです。

ローマの人々は、橋やドームを建築するには、すぐ乾いて広い範囲で使用できる液状の材料の方が、レンガや石造りよりも適していると考えました。すぐ乾いて固まるので、コンクリートの方が工期が短くなり、しかも安いという大きなメリットがありました。

ローマの人々はコンクリートを使って様々な建造物をつくりました。ローマのパンテオン、カラカラ浴場、コロッセオ、ローマ水道など、現在も現存するものが多くあります。

ローマ人たち使ったコンクリートは、ローマンコンクリートと呼ばれ、水、酸化カルシウム、砂、火山灰を混ぜ合わせて作り、なんと寿命は数千年もあります。

これに対して、現在のコンクリートはポルトランドセメントと呼ばれるもので、最初はアルカリ性ですが、年数がたつとケイ酸ポリマーが形成され、アルカリ性が中和して強度を失ってしまい、50~100年ほどしか持たないそうです。

ローマン・コンクリート – Wikipedia

 

もっとも影響を及ぼしたカレンダー

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カレンダーはローマが発明したのでしょうか? 
やはりそうではなく、古代ギリシャ暦があり、月の満ち欠けを基として太陽の動きも参考にうるう年を入れた、1年を354日とする暦を使用していました。

ローマ人はこれを改良してヨーロッパ史に最も大きな影響を及ぼす暦(カレンダー)を作ったのです。これはユリウス暦(旧暦)と呼ばれるもので、ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日より使用されました。

ユリウス暦は1年は365日で12か月に分け、うるう年を4年に1度、2月に作るというものです。このユリウス暦は現在の私たちが使っているカレンダーにかなり近いものになっています。

正確には1年は365日+1/4日ではないので、数世紀にわたるとユリウス暦ではずれが生じてきます。1582年からはグレゴリオ暦(新暦) が用いられ、太陽暦との誤差を修正しています。

ユリウス暦 – Wikipedia

 

地方分権を広めたのはローマ?

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284年、下級軍人出身のディオクレティアヌスはローマ帝国のなかで大出世を遂げ、ローマ皇帝となりました。ディオクレティアヌスはテトラルキアと呼ぶ4分割統治(帝国を4つの領土に分割し、4人の皇帝がそれぞれ統治)を行いました。

テトラルキアは、ローマ帝国で始まったのではなく、古代イスラエルで行われたのが始まりで、4人の皇帝はそれぞれ独立して国を統治しました。

ところが、ローマ帝国の場合はディオクレティアヌスが最も権力を持ち、数多くの地方の問題は各皇帝が取り扱って、ディオクレティアヌスに報告するシステムでした。

4つに分けられた領土は道と呼ばれ、道は12の管区に分けられ、さらに管区は属州に分けられました。地方の問題は地方で解決する地方分権が進んだ時代でした。

テトラルキア – Wikipedia

 

ローマが発明したもの

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文字は紀元前3100年にバビロニアの粘土版に記されていました。しかし、粘土板は大きく持ち運びには適していませんでした。

古代エジプトではパピルスが発明され、古代中国では紙が発明されました。これらに文字や絵などを記して巻物にしていました。持ち運びはできるようになったものの、大量の情報を記すことには適していませんでした。

持ち運びが容易にでき、大量の情報をストックできる物はないだろうか? そこでローマ人たちは大きな発明をしました。

パピルスや紙のシートは同じ大きさに切られました。長方形の形が多いと思います。シートはそろえて纏められ、ふちは綴じられました。そして、シートよりもやや大きく厚いカバーで挟まれました。

持ち運びが容易にでき、大量の情報がインプットできる本の誕生です。ローマ人たちは、本を発明しました。

本はその後1900年にわたって、現代にe-bookが出現するまで、読み書きや情報のストックに用いられてきたのです。

最後に一言

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ローマ帝国、アップル社は発明であれ改良であれ、世の中に多くの影響を与えてきました。私たちの生活への貢献に敬意を表し、彼らの着眼点に注目したいと思います。

 1世紀~5世期初めまで、ブリタニアと呼ばれていた現在のイギリスの多くの部分は、ローマ帝国の支配下にありました。このため、現在でもイギリスには多くのローマ人たちの遺跡が残っており、ローマ人たちの改良が生かされている部分が見つかるかもしれませんね。

 

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 最後まで読んでくださり有難うございました。

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