アーサー王伝説――その背後には、実在したウェールズの王たちの物語が隠されていることをご存じでしょうか?
中でも注目すべきは、「白い歯の王」オウァイン・ダントグウィン(Owain ap Einion Ddantgwyn)。
※Owain ap Einion:エイニオンの息子オウァインの意味
※Ddantgwyn:ウェールズ語で白い歯の意味
彼の生涯には、アーサー王と驚くほど共通する要素が見られるのです。
※オウァイン・ダントグウィンからインスピレーションを得て曲を作りました
🏰 オウァイン・ダントグウィンが生きた時代背景
オウァインが活躍したのは、5世紀後半から6世紀初頭、いわゆる暗黒時代(Dark Ages)と呼ばれる混乱の時代。
ローマ帝国がブリタニアから撤退し、統一された支配が崩れた後、各地の豪族や小王国が勢力を競い合っていました。
この時期、ウェールズ北部ではキネダ大王(Cunedda Wledig)の一族が台頭し、グウィネズ王国(Kingdom of Gwynedd)の基礎を築いていきます。
キネダの孫にあたるのが、ロングハンド(Lawhir)ことカドワロン、そしてその弟がオウァイン・ダントグウィンでした。
彼ら兄弟は協力して、グウィネズの領土を広げ、ウェールズ北部を統一に導いたと伝えられています。
⚔️ 「白い歯」が意味するもの──白く輝く剣の象徴
オウァインの異名「ダントグウィン(Ddantgwyn)」はウェールズ語で「白い歯」を意味します。
しかし、ここでの「歯」は刃(blade)の比喩とも考えられ、「白く光る剣」を指すという説もあります。
この「白く輝く剣」はまさに、アーサー王伝説の象徴である聖剣エクスカリバー(Excalibur)を思わせます。
オウァインの勇敢な戦いぶりと、この象徴的なあだ名の一致から、彼が後のアーサー像に影響を与えた可能性は極めて高いといえるでしょう。
兄ロングハンドとともにオウァインはスコット族の侵攻を退け、海を越えて反撃を行い、領土を拡大したと伝えられています。
その勇姿は、まさに「白く光る剣を掲げる騎士」そのものです。
⚔️ カムランの谷の戦い──甥マエルグウィンとの宿命の対決
オウァインの生涯のクライマックスは、北ウェールズの「カムランの谷(Camlan)」での戦いでした。
兄ロングハンドの死後、オウァインは王位の後継者に選ばれましたが、それに不満を抱いたのが甥のマエルグウィン(Maelgwyn ap Cadwallon)です。
やがて両者は血で血を洗う争いへと発展し、カムランの谷で激突。
この戦いでオウァインは敗れ、命を落としました。
勝利したマエルグウィンはグウィネズ王となり、「マエルグウィン・グウィネズ(Maelgwyn Gwynedd)」として強大な王国を築いていきます。
注目すべきは、この「カムランの戦い」という地名。
アーサー王が甥モルドレッドと戦って最期を迎えた「カムランの戦い(Battle of Camlann)」と酷似しています。
叔父と甥の戦い、そして「カムラン」という地名――
この一致は偶然ではないかもしれません。
👑 オウァインとアーサー王の関係──史実が伝説へ
アーサー王研究の中では、オウァイン・ダントグウィンがアーサー王のモデルの一人だとする説が存在します。
その根拠は以下の通りです。
- 「白く輝く剣」=エクスカリバーの象徴
- 「カムランの戦い」で甥と戦った史実
- グウィネズを統一した英雄的存在
- 勇気と正義を重んじた人物像
この構図をもとにすると、
オウァイン=アーサー王、マエルグウィン=モルドレッド
という対応関係が見えてきます。
つまり、アーサー王伝説は単なる空想ではなく、ウェールズの実在の王族史を下敷きにして生まれた物語なのでしょうね。
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「アーサー王のルーツ」かも知れない「中世ウェールズの王たち」 | イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ
🕊️ まとめ──「白い歯の王」が残した光
オウァイン・ダントグウィンの物語は、血と誇りに彩られたウェールズの歴史そのものです。
彼の「白い歯(白く輝く剣)」は、勇気と正義の象徴として後世の人々の心に刻まれ、
やがてアーサー王という伝説的存在へと姿を変えました。
ウェールズの谷に眠る「白い歯の王」――
その名は、アーサー王伝説の原点を今も静かに照らし続けています。
※オウァイン・ダントグウィンからインスピレーションを得て曲を作りました
