恐いイギリス聖職者ジェラルド・オブ・ウェールズが歴史上のウェールズの英雄となった理由

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歴史上には世の流れに乗り時代を作った英雄、時代の波に立ち向かい負けてしまいますが人の心に残る英雄がいます。
今回は中世のイギリス・ウェールズで、自分の民族に悩みながらもウェールズ人としてイングランドに闘いを挑んだ1人のノルマン人についてお話を致します。

※ノルマン人とはイングランドを征服したフランスのノルマンディー地方出身の民族

誇り高きノルマン人、ウェールズ人を見下す

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今回お話しする人物は、12世紀のイギリス・ウェールズで活躍したジェラルド・オブ・ウェールズという英雄です。

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ウェールズ、イングランド、ノルマン、フランスと複雑な人物のようですね。

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ゆっくり、まず生い立ちから話していこう!

ジェラルドはアングロ・サクソン族の国イングランドを征服したノルマン人の子孫で
ウェールズ南部のペンブロークに領土を持つマーチャーと呼ばれる領主の家系に生まれたんだ。本名はジェラルド・ド・バリと言うんだ。

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フランス人みたいな名前ですね。

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イギリスに住んでいるけれどノルマン人なので母国語はフランス語なんだよ。ジェラルドは征服者ノルマン人としての誇りとプライドを強く持ち、ウェールズ人やアングロ・サクソン人を見下していたんだ。
幼い頃からとても勉強好きで賢く、パリにも何度も留学して博を深め聖職者の道を選んだんだ。

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イメージができないですね・・・・ウェールズ人として闘ったと言っているのに、ウェールズ人を見下していたなんて・・・

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いろいろな出来事で、ジェラルドの心は徐々に動いていくんだよ。

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※ジェラルドの住んだ場所、イギリス・ウェールズのペンブローク

野心家で恐れられるイギリスの聖職者。司教戦に立候補する

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ジェラルドには野心があったんだ。イングランドの聖職者として出世して教会の司教になろう!とね。

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出世するためにどんなことをやったのですか?どんな性格だったのか気になります。

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ジェラルドは気が強く強面で、深い知識をたてに相手をとことんやりこめる気難しい人物だったようだよ。反抗勢力には領主親族のバックを利用して武力でやりこめるという、荒っぽく恐れられる聖職者だったんだ。

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そっ、そんな人物が聖職者でいいんですか??ますます英雄とはかけ離れていく・・・

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知識と武力を利用してウェールズ南部で勢力と地位を高めていき、願いを叶えるべくウェールズの最高峰の教会セント・デイヴィッズ教会の司教に立候補したんだ。

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きっとジェラルドは圧力をかけて当選したんですよね?

イングランドに反感を覚え始める

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※セント・デイヴィッズ教会

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ウェールズ南部にはオランダから移り住んできたフランドル人がいて、ジェラルドに虐められていたんだ。そのフランドル人がイングランド王ヘンリー2世に告げ口をして危険人物視されてしまい、司教にはなれなかったんだ。

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そんな恐ろしい聖職者、司教にならなくてよかったですよ・・・

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しかしジェラルドは一度の失敗くらいでは諦めなかったんだ。今度はイングランドの役人になる機会を得て再度、司教選に出る機会をうかがっていたんだ。

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また出るんですか?その次はどうなったんですか?

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豊富な知識を活かして役人としての出世欲をもやしていたジェラルドだったが、周りの役人からいじめを受けるようになったんだ。

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いじめる側からいじめられる側ですか?何が起こったのですか?

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ジェラルドの知識を使って相手をやり込める性格の反感もあったと思うけど、
実はジェラルドに1/4流れるウェールズ人の血がいじめの原因となったんだ。

12世紀当時はイングランドはウェールズに領土を広げようと攻撃を仕掛け、ヘンリー2世もウェールズを支配しようとウェールズ遠征をしてイングランドとウェールズは戦争状態にあったんだ。ウェールズ人というだけで反乱の原因になると危険人物扱いだったんだよ。

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さらにジェラルドに流れる1/4のウェールズの血はウェールズ王族の家系で、イングランドに盾をついているウェールズ諸侯達とは遠縁にあったんだ。このため次第にジェラルドは、ウェールズ内通者、反逆者と罵られるようになったんだ。

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ジェラルドはどうしたんですか?

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ジェラルドはいまだにノルマン人としての誇りを持ち続け、ウェールズの血に嫌悪感を抱いていたんだ。イングランドに対して反感を持ち始めるけれど、イングランドでの出世欲は失わず機会をうかがっていたんだ。

ウェールズの再び訪れた司教選で果敢に立候補

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そして次の司教選がやってきてジェラルドは再びセント・デイヴィッズ司教になるべく立候補したんだよ。

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今度は当選したんですか?

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最初は順風だったんだ。ジェラルドはウェールズの聖職者や親族のマーチャー領主たちの支持を得て、さらにその当時のイングランドのジョン王からも信頼を得て、当選の可能性が大きかったんだ。

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ところが、

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ところが・・・・

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新たなライバルが出現したんだ。

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そのライバルとは??

出現したイングランドのライバルとの激しい闘い

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ウェールズやジェラルドを敵対視しているカンタベリー教会が、ジェラルドを阻止しようと様々な手を打ちジェラルドに嫌がらせや攻撃を仕掛けてきたんだ。

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なぜ敵対視するのですか?

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当時のイギリスの教会の勢力は、カンタベリー教区、ヨーク教区、セント・デイヴィッズ教区に分けられていて、事実上カンタベリーが総本山となっていたんだ。以前からウェールズにあるセント・デイヴィッズ教区は、カンタベリー教区よりもずっと以前からありカンタべりーの支配をうけない独立した教区であると主張していたんだ。

カンタベリーに反感をもっていたジェラルドはその主張に同調し、博学を活かしてその事実を調べ上げカンタベリーに抗戦することになったんだ。

イングランドに敵対しウェールズ人に同化していく

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※セント・デイヴィッズ

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カンタベリーは手段を選ばない卑劣な手段を使い、最初はジェラルドを支持していたジョン王を言いくるめジェラルドを支持するものには賄賂で寝返らせ、カンタベリーに従わない者は反逆者呼ばわりしキリスト教最大の武器である破門を行い、ジェラルドを攻撃したんだ。

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一方ジェラルドも自分の行いの正統性、セント・ディヴィッズ教区独立の正統性を訴え続け、ウェールズ聖職者やウェールズ王達を味方につけて、ローマ教皇まで巻き込んだ司教戦に発展していったんだ。

つまりは領土を奪い合う武力戦争でない、キリスト教区をかけてのウェールズとイングランドの闘いへ発展したんだ。

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凄いスケールになってきましたね・・・

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こうしてジェラルドは、ノルマン人としての誇りを捨ててウェールズ王室に繋がる自分の血に強い誇りを持つウェールズ人へと変わっていったんだ。

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それで、ジェラルド・オブ・ウェールズと言うのですね。

ウェールズの英雄となったジェラルド

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この司教戦の行方は・・・ジェラルドの主張を支持していたローマ教皇でしたが、
ローマ教皇の尊厳に関わるドイツ皇帝の後継問題が勃発し、イギリスの問題に興味を示さなくなってしまたんだ。

したたかなカンタベリーの策略にも手を焼きジェラルドは結局司教になることが出来ず、聖職者の世界から消えてしまうんだ。

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なんか残念ですね・・・・

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しかしウェールズの為にイングランドと勇敢にたたかった英雄として、後にウェールズ反乱を起こしたオウァイン・グリンドゥールとともに、ジェラルドは今もウェールズで語り継がれているんだよ。

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最初は武骨な聖職者で好きな感じがしなかったのですが、話を聞いているとジェラルドに共感を覚え応援したくなりましたね。僕の心も変わりましたね。

今回の纏め:ウェールズの英雄ジェラルド

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フランスから移住してきたノルマン人がイングランドに住み着いた子孫でウェールズの血も引く家系で、イングランドとウェールズの戦争が続く社会という、複雑な環境下で生きたジェラルド。その中で、ノルマン人からウェールズ人へとアイデンティティーを変えて、イングランドに闘いを挑んでいった姿には共感を覚えます。

ジェラルドがウェールズ人に同化したポイントは、ウェールズ人は戦いたくて戦っているのではなく領土を広げ利益を追求するために戦っているのではなく、自分たちの生活を脅かす脅威から守るために戦っていることを理解し、ウェールズに共感したことが大きかったのではと思います。

この本を読んで、ジェラルドの生きた歴史とジェラルドの心の動きを感じていただければと思います。

おまけ:魔術師マーリンの予言

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ジェラルドがセント・デイヴィッズ教区がカンタベリー支配をうけない独立した教会であることを証明したのは「ブリタニア列王史」と呼ばれる11世紀に書かれた歴史書です。そこにはイギリス伝説の英雄「アーサー王物語」に出てくる魔法使いマーリンの予言が書かれています。

マーリンの予言によると、カンタベリー教会が出来る前の時代にセント・デイヴィッズは設立されキリスト教の総本山はセント・デイヴィッズ教会である、その教会はアーサー王の叔父セント・デイヴィッズが設立したそうです。

現実と伝説が混ざっており正しいかどうかわかりませんが、面白いですね。

※詳しく知りたい方は以下の本をご覧ください。

6人のアーサー王を追え! (ウェールズ歴史研究会)

6人のアーサー王を追え! (ウェールズ歴史研究会)

最後まで読んでくださり有難うございました。

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