ベディヴィア卿(ベディヴィエール)はアーサー王伝説に登場する円卓の騎士です。
ベディヴィア卿はどのような人物だったのでしょうか?
また、ペディヴィア卿は実在人物なのでしょうか?
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強靭な肉体の最強騎士ペディヴィア
ベディヴィア(Bedivere)はウェールズでは、ベドウィル・ベドリバント(Bedwyr Bedrydant)と呼ばれ、「完璧な肉体の持ち主 (Perfect Sinews)というあだ名がついていました。
このことから、筋肉隆々で強靭な肉体を持っていた騎士と考えられます。
ベディヴィアはケイ卿と共に行動をし、アーサー王に仕えた古くからの騎士でした。
中世ウェールズの伝承・神話をまとめた「マビノギオン」の物語「キルッフとオルウェン」で、ベディヴィアはアーサー王に仕えるハンサムな騎士として登場しています。
キルッフの冒険に同伴した騎士の一人で、「ペディヴィアは片手の突きにもかかわらず、他の三人の騎士よりも早く敵に血を流させた」と描かれています。
また「Black Book of Carmarthen (カマーゼンの黒本」)では、盾と剣はとても激しく100名の騎士がベディヴィアの前に倒れると書かれています。
アーサー王物語でのベディヴィア卿の活躍
「In the Life of St. Cadog(聖カドック伝)」(1100年頃)では、ベディヴィアはアーサー王とともに、ウェールズ南部のブリケイニオグ国の王女を誘拐した隣国グリウィシングの王グウェンルウを追及して解決したことが書かれています。
ジェフリー・オブ・モンマス著の「ブリタニア列王史」では、ベディヴィアはアーサー王の最高執事でありノルマンディー公として、戦いました。
アーサー王の大陸進出にも同行して、モン・サン・ミシェルの巨人との戦いに加わるなど活躍しますが、大陸での戦いの途中で戦死しました(ローマ皇帝ルキウスとの戦い)。
トマス・マロリー著の「アーサー王の死」では、ベディヴィアはブリタニアに帰還してカムランの戦いでも生き残ります。そして、アーサー王にエクスカリバーを託され湖に投げ入れました。
ベディヴィアは実在人物か?
ベディヴィアは実在人物であると考えられています。父はべドラウト(Bedrawt、またはPedrod)で、ウェールズ南部のグリウィシング(Glywysing)の王子と考えられます。
ベディヴィアには二人の子供がいたとされ、息子はアムレン(Amren)娘はエヴェヴォグ(Enefog)です。
べディヴィアの家系図を書いてみました。
先祖は、西ローマ帝国を簒奪したマグヌス・マクシムス(在位383-388)にたどり着きます。
マグヌスの息子オウァインの時代に南ウェールズに勢力を伸ばし家系(Fiddu)を設立しました。
さらに、時代を経てベディヴィアの祖父グリウィス(Glywys)の時代に、グリウィシング国(Glywysing)を作りました。
グリウィスの息子たちは、南ウェールズの各地を統治し、ベディヴィアもFidduの家系を継ぐ南ウェールズの王族であったと考えられます。
前述した、聖カドック伝でベディヴィアはアーサー王とともに、グリウィシングの王グウェンルウを追及して王女誘拐を解決した内容については、家系図を見ると叔父のグェンルウであることが分かります。
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