<改訂版>第8章 テューダーの発祥とは? イングランド王室に影響力を及ぼしたウェールズの血筋

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5世紀初めに設立されたウェールズ王室が、北部を中心にウェールズを統治していましたが、13世末にイングランドによって征服されました。

その後、各地で独立の反乱は起きましたが、15世紀の初めに起きた英雄オウァイン・グリンドゥールの反乱も鎮められイングランドの支配力が強まりました。

ウェールズの王室も途絶えてしまったかの様に思えますが、細々と生き残り結果的にイングランドの王室や歴史に大きな影響を与えたのです。

その発端は、逆玉の輿に乗った、一人のウェールズ人でありました。

 

連載の中世ウェールズの歴史番外編です。

👉改訂版 中世ウェールズの歴史 カテゴリーの記事一覧 

 

※時代の区切りや呼び方は筆者が独自に表現しているものです
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逆玉の輿に乗ったウェールズ人 

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オウァイン・グリンドゥールの反乱が終わった15世紀の話だよ。

反乱の影響でウェールズに対するイングランドの圧力は強く、ウェールズ人というだけで逮捕されたり危険人物視されていたんだ。

 

※参考に
👉<改訂版>第7章 英雄プリンス・オブ・ウェールズの逆襲! イングランドから独立をかけた戦い

 

 

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ウェールズ人にとっては住みにくい時代ですね。
 

 

 

 

 

 

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15世紀の初め頃、イングランドにオーウェン・テューダーと呼ばれるウェールズ人がイングランド王室で使用人として働いていた。

 ※オーウェン・テューダー(Owen Tudur)はイングランド名で、ウェールズ語では、オウァイン・アプ・マレディズ・アプ・テューダー(Owain ap Maredudd ap Tudur)と呼ぶ。テューダーの息子マレディズの息子オウァイン、の意味。

  
オーウェンはイングランドでは使用人の暮らしではあったが、ウェールズ王室のラウェリン大王に仕えた執事の直系で、母方はウェールズ王室の血筋という、ウェールズ名門の家系であった。

しかし、時代はイングランドに対するウェールズの反乱が終わり、ウェールズ人は犯罪者扱いの時であった。

 

オーウェンはイングランド王ヘンリー5世の王妃キャサリンの衣装係として何とか職を得て、下っ端使用人の肩身の狭い生活をしていた。

しかし、ある時オーウェンの人生を大きく変える出来事が起きたのだ。

  

イングランド王妃との駆け落ち?

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イングランド王ヘンリー5世は早世し、キャサリン王妃は未亡人となっていた。キャサリンはまだ若く、名ある伯爵とスキャンダラスな噂が流れるなどの日々を送っていた。

実はオーウェンは美男子であった。

ある日、王室で舞踏会が開かれた時のことだった。恐らくオーウェンはキャサリン王妃の前で踊っていたのであろう。オーウェンはつまずくなどして、キャサリン王妃が座っている膝の上に倒れ込んでしまった。

 

何とキャサリン王妃は、オーウェンに恋をしまったのだ。この舞踏会のエピソードの他にも、プールで泳いでいるオーウェンの姿を見たキャサリン王妃が一目惚れした、という説もある。 

こうして、二人は人の目を避けて密会するようになった。

 

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えっ、使用人のオーウェンに恋ですか。王妃と使用人じゃダメなんじゃないですか?
ましてや、イングランドに反乱を起こしたウェールズ王室の血を引くオーウェンとの恋は、もってのほかじゃないですか。

  

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そうなんだ。未亡人となった王妃キャサリンの再婚相手には、国王に近いほどの高い身分の人物が必要で、キャサリンと関係があったといわれる名のある伯爵でさえ、身分が不足していたんだ。

 

 

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間違っても結婚はできない二人が選んだ道とは、法を破り駆け落ちをして密かに結婚することだったんだ。

 

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王妃と使用人が駆け落ち!そりゃ、前代未聞! 王室の名誉にもかかわるので、王室の人々はやっきになって探すでしょう。

 

 

 

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駆け落ちをして隠れた生活を続け、心労が重なったのだろうか。キャサリンは6年後に36歳の若さで世を去ってしまった。そして、イングランド役人に見つかったオーウェンは捕らえられ、法を破った罪で投獄された。

 

オーウェンとキャサリン王妃の間には二人の息子、エドムンドとジャスパーが生まれていた。

キャサリン王妃にはヘンリー5世との間に生まれた息子がおり、ヘンリー5世の跡を継いで、イングランド王ヘンリー6世となっていた。

つまり、オーウェンの息子エドムンドとジャスパーは、ヘンリー6世とは異父兄弟なのである。

 

ヘンリー6世は、まだまだ遊びたい盛りの少年であった。ヘンリー6世は、同じ年頃のオーウェンの息子エドムンドとジャスパーと会うことになり、3人はとても仲良くなった。

 

3人が仲良くなったおかげで、幸運にもオーウェンは解放されることになった。オーウェンはヘンリー6世に仕えることとなり、王宮庭園の管理人として年金をもらいながら自適の生活をすることが出来たのだ。

 

 

 

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オーウェン、良かったですね。ここに来て、逆玉の輿の効果で人生再逆転ですね。

 

イングランド王室の薔薇戦争を終わらせたウェールズ

 

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ヘンリー6世(ウィキペディアより)

 

 

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ところが、時代は薔薇戦争に突入して行ったんだ。

オーウェンもヘンリー6世のランカスター家(赤薔薇)に加わり、ヨーク家(白薔薇)と戦ったんだよ。

 

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オーウェンは活躍したのですか?

 

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残念ながら1461年のモーティマークロスの戦いでランカスター軍が敗れた時、オーウェンは捕らえられ処刑されたんだ。

しかし、この薔薇戦争はその先、オーウェンの血筋が大きく関わってくるんだ。

 

薔薇戦争の原因は気がふれたイングランド王 

 

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薔薇戦争とは、15世紀に起きたイングランド王室の後継・権力争いで、赤薔薇のランカスター家の血筋と白薔薇のヨーク家の血筋が戦ったんだ。

  

 

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オーウェンが結婚したキャサリン王妃の息子ヘンリー6世は、フランスとの100年戦争に敗れ、100年戦争はイングランドの敗北で終結した。

そしてイングランドのフランス領土は失う結果となった。

 ヘンリー6世は精神的に弱く、敗北のプレッシャーが原因なのか、気が狂ってしまった。

 

この状況の中、自分が正統なイングランド王である、とヨーク公リチャード(白薔薇、ヨーク家)がイングランドの王位を狙ってきた。

これに対し、気が狂ったヘンリー6世の王妃マーガレットは、息子エドワードを擁立して立ち向かった。これが薔薇戦争の始まりである。

(薔薇戦争は1455年に始まり約30年間続いた)

 

※ヨーク家:ヘンリー3世の次男、ヨーク公エドムンドから始まった。ヨーク公リチャードはエドムンドの孫

※ランカスター家:ヘンリー3世の四男、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントから始まった。ジョンの息子がヘンリー4世となり、ヘンリー5世、ヘンリー6世と息子がイングランド王を後継していた

   

ヨーク公リチャードとヘンリー6世との争いは、ヨーク公の息子エドワードが、ヘンリー6世側のランカスター軍を破り、イングランド王エドワード4世となった。

 

その後はエドワード4世、エドワード5世、悪王と言われたリチャード3世と、白薔薇のヨーク家がランカスター家を抑えて、三代続けてイングランド王を継承した。

 

※参考記事
👉リチャード3世の悪事と哀歌 本当に悪王だったのか?
👉薔薇戦争の最後の戦いが、イギリスの歴史を大きく変えたワケ

 

立ち上がるランカスター家の秘密兵器

 
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ヘンリー6世の家系ランカスターの赤薔薇は、反撃しなかったのですか?

 
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白薔薇のヨーク家リチャード3世は反対派を排除し過ぎ、不満を持った貴族たちが赤薔薇のランカスター家を復活させようとしたんだ。

そして、ランカスター家の秘密兵器と呼ばれたヘンリー・テューダーと呼ばれる人物を擁立したんだ。

  
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そのテューダーって、ヘンリー6世の母、さっきまで話していたオーウェン・テューダーのテューダーですか?

 

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その通り!ウェールズ王室の血をひくオーウェン・テューダーとキャサリン王妃の息子エドムンドは男の子をもうけ、ヘンリーと名付けたんだ。

  

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と言うことは、ヘンリー・テューダーは、ウェールズ王室の血とイングランド王室の血を両方引くわけですよね。

 
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イングランド王室の血は母系からで直系ではないけど、ランカスター家の血を引く数少ない生き残りだったんだ。

 

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薔薇戦争の最後の戦い:イギリス版の天下分け目の戦い 

 

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ヘンリー・テューダーはウェールズの南部、ペンブロークで生まれた。しかし、ヨーク家から命を狙われる危険性があったので、フランスに逃れて暮らしていた。

ランカスター家の復活を願う人々の協力により、ヘンリー・テューダーはフランスで挙兵しイングランドに乗り込み、リチャード3世と戦ったのである。

これがイングランド版の天下分け目の戦い「ボースワース野の戦い」である。

この戦いで、ヘンリー・テューダーはリチャード3世に勝利し、事実上、薔薇戦争も終結した。

そして、ヘンリー・テューダーはヘンリー7世としてイングランド王になり、テューダー朝をスタートさせたのである。

  ※参考
👉ヘンリー7世がアーサー王を利用して薔薇戦争を制した方法とは?

 

 

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なるほど。イングランド王室のテューダー朝は、ヘンリー・テューダーの祖父オーウェン・テューダーから来たんだ。

 

※テューダーの名前は、オーウェン・テューダーの祖父の祖父で、ウェールズ王室の血をひく14世紀の貴族、テューダー・アプ・ゴロンウィ(Tudur ap Goronwy)が始まりである

 

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この天下分け目戦いは、薔薇戦争を単に終わらせるだけではなく、イングランドとウェールズ、さらにはスコットランドの歴史にまで、大きな影響を及ぼしたんだよ。

 

薔薇戦争の最後の戦いがイギリスの歴史を変えた3つのポイント

 

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この戦いの終結によって、イギリスの歴史に与えた大きな意味を、3点にまとめて簡単に説明しよう。

まず一つ目だ。

①ヘンリー7世の父系はウェールズ王室につながっていて、とても由緒ある血筋なんだよ。

つまり、ヘンリー7世がイングランド王になりテューダー朝を始めるということは、ウェールズとイングランドの繋がりが強まる、ということなんだ。

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(テューダー朝のイングランド王)

 ウィキペディアより

テューダー朝 – Wikipedia

 

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次に二つ目だ。

②ランカスター家のヘンリー7世は、ヨーク家エドワード4世の娘、エリザベスと結婚したんだ。

つまり、再び争いが起きないように、ランカスター家とヨーク家が手を結んだってことだ。

これでランカスター家とヨーク家は統一され、イングランドは一つに纏まったんだよ。

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ランカスター家のヘンリー7世とヨーク家のエリザベス

 

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次に3つ目だ。

③ヘンリー7世の娘のひ孫は、ジェームズ6世としてスコットランド王になったんだ。

テューダー朝最後のエリザベス1世は子供を残さず、イングランド王室の後継者が途絶えそうになったため、ジェームズ1世としてイングランド王にもなったんだ。

つまり、ウェールズ王室の血筋と、イングランド王室とスコットランドの王家の血筋がつながったってわけだ。

ジェームズ1世 (イングランド王) – Wikipedia

 

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すごい、イギリスの三国は血筋で繋がったのですね。

 
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今回の内容をまとめると、ボーズワース野の戦いは、イングランドの統一だけでなく、将来イングランドとウェールズ、スコットランドと血の繋がりを作るきっかけとなった重要な戦いと言えるんだよ。

 

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天下分け目の戦いというより、未来への「王室つなぎ目の戦い」と言えますね。

   

参考記事:

参考記事:
👉薔薇戦争の最後の戦いが、イギリスの歴史を大きく変えたワケ
👉ウェールズの歴史が面白いと言われている4つの理由!

www.rekishiwales.com

 

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最後までお読みいただき、有難うございました。

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