モルドレッド(Mordred)はアーサー王の甥、または姉との近親相姦による不義の子とされています。
悪役で性格も悪く、アーサー王に反逆を起こし、カムランの戦いで共に戦死するストーリーです。
ところが、モルドレッドのモデルと言われる人物は、必ずしも悪人ではなく、
👉モルドレッドの参考記事
モルドレッドのモデル人物
モルドレッドのモデルとなっている(実在)人物はメデラウトと呼ばれる人物です。
ゴドッディンのメドラウト王子:Prince Medraut of Gododdin(495頃~537頃)
メデラウトは、現在のスコットランド東岸にあった国、ゴドッディンを統治したロット王の息子です。
母親はアンナで、アーサー王の姉モルゴースを指します。アンナはアーサー王の全姉や半姉の説があります。
初期の伝説や記述によると、メドラウトはロット王とモルゴースとの間に生まれた男子でした。しかし、時代が経つとストーリーも変化し、アーサー王とモルゴースの間に生まれた不義の子となりました。
👉母モルゴースのとメドラウトの変化
モルドレッドとは異なるモデル人物
ウェールズの伝承によるとメデラウトは、アーサー王物語に描かれているような悪役でアーサー王の敵ではなく、ヒーロー的な人物として描かれています。
ウェールズの神話や伝承・伝説が描かれた「Triads of the Island of Britain」の中で、メデラウトは三人の王室の騎士であり、平和への知恵や戦場でのどう猛さに優れていると書かれています。
アーサー王とメドラウトが戦死したカムランの戦いでは、アーサー王とメデラウトが戦ったのではなく、アーサー王とメドラウトは共に戦ったのでは、との推測もあります。
アーサー王とモルドレッドの確執の真相?
アーサー王物語では、モルドレッドはアーサー王の王位を狙い、反逆を起こすなど、モルドレッドは悪者扱いです。
しかし、伝説や資料などでは、必ずしもモルドレッドが悪の原因ではないようです。
アーサー王とモルドレッドの確執の原因となりうる出来事を上げてみました。アーサー王やグィネヴィアに問題があるケースが見られます。
逸話①
確かな情報は欠けていますが幾つかの資料では、確かにアーサー王とメドラウトは口論があったようです。
この口論により、アーサー王はメドラウトとメデラウトの妻(グィネヴィアの妹)を引っ叩いたのだろう、という話があります。
このため、メデラウトは軍隊を引き連れコーンウォールに移動し、セリウィグ(Celliwig)にあるアーサー王の宮殿に侵入しました。
そして宴会が開かれる前に、メデラウトはグィネヴィアを王座から引きずり出し、王宮にある食事と飲み物を全て平らげました。
これに対して、アーサー王も同じことをやり返したそうです。
※ セリウィグ(Celliwig) にはアーサー王の宮殿キリバリー城(CASTLE KILLIBURY)があり、キャメロットの一つの候補地
逸話②
不義の子ではありますが、モルドレッドはアーサー王とアンナな間に生まれたブリタニアの後継者となる資格がありました。
このため、アーサーはモルドレッドには甘く、王の座をモルドレッドに譲ることに同意しました。
しかし、気が変わったアーサー王は、この契約を一方的に破棄しました。
逸話③
これはマロリー版の「アーサー王の死」などでも書かれている内容です。
マーリンは、アーサー王を滅ぼすのは5月1日生まれの子だ、と予言をしました。
この予言に従いアーサー王は国中の5月1日生まれの子を強制的に招集し、海に流しました。この中に、幼いモルドレッドも含まれていました。
乗っていた船は砕け、大多数の男の子は死亡しましたが、モルドレッドは奇跡的に助かりました。
逸話④カムランの戦い
グィネヴィア女王は情熱をもってメデラウトの愛人になろうとしました。アーサー王を見捨て、メデラウトのいるゴドッディンに移りました。
このグィネヴィアの行動が原因となり、2人はカムランで闘いました。メデラウトが戦死し、アーサー王は生き延びました。
アーサー王はメデラウトの猟犬をスコットランドに帰し、不倫をした女王を追跡をしました。猟犬はスコットランドのメイグル村でグィネヴィアを捕らえ、ボロボロに引き裂きました。
※カムランの戦いでメデラウトは生き延びて、ランスロットに敗北したという別の説もあります。
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