ロビンソン・クルーソーのあらすじ・実在のモデル人物とモデル島

本の紹介
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こんにちは。たなかあきらです。

「ロビンソン・クルーソー」は18世紀にイギリスの小説家ダニエル・デフォーが書いた小説です。

3部作ある中の1作目で「ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険」を指します。

 

・ロビンソン・クルーソー1作目のあらすじ
・実在のモデル人物
・モデル島

についてご紹介いたします。

 

※ほかに第2部「ロビンソン・クルーソーのさらなる冒険」、第三部「真面目な省察」があります。

 

 

ロビンソン・クルーソーのあらすじ

 

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今回は、中公文庫の本を例に、話をすすめます。

 

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本をめくると、直ぐこれらの言葉が目に入ります。

 

難破してひとり岸に打ち上げられ、アメリカ海岸、オルーノコの大河の河口近くの無人島に28年間孤独の生活を送ったヨークの船員

ロビンソン・クルーソーの生涯と驚嘆すべき珍しい冒険

および、そのすえに、彼が奇しくも海賊の手で救出されたいきさつに関する本人の手記

 

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驚嘆すべき珍しい冒険と言うよりも、ロビンソンの創意工夫をこらして生き抜いた姿が描かれていると感じます。

ロビンソンがまさに自分で書いたかのような、文章の表現になっています。

 

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ロビンソン・クルーソーには1〜27節の目次があります。この目次をつなぎ合わせて、あらすじを書きました。

 

 

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海へのあこがれをもったロビンソンクルーソーは両親の反対を押し切り、航海に出ました。

1.「海へのあこがれ」

 

しかし、ロビンソンは多くの災難に会います。
海賊の捕虜となってしまいますが、隙隙を見て脱走し、ロビンソンは運よく救われました。

2.「サレの海賊」
3.「脱走」
4.「ポルトガル船に救われる」

 

ロビンソンは船に乗り、ブラジルに移り定住する。その後大儲けをしようと欲にかられ、再び船に乗り込みアフリカに向かいました。

しかし、難破してしまいます。ロビンソンは九死に一生を得て、無人島に打ち上げられる。

5.「アフリカ行きー難破」

 

 

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これからロビンソンは無人島での生活が続きます。様々な生きる工夫をしている様子がわかります。

 

6.「船の物資を運ぶ」

7.「生活の設計」

8.「日記」

9.「神への祈り」

10.「あずま屋の完成」

11.「農耕の試み」

 

 

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過去の人生を振り返り、全くの1人でも豊かに生きていく心と、創意工夫の術を身に付けていきます。

12.「四年目の心境と生活」

13.「舟を作る」

14.「土器制作とヤギの飼育」

 

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しかし、ロビンソンに恐怖が降ってきます。恐怖に打ちひしがれます。身を守らねば、食われるかも知れぬ。骨が散らばる。

15.「砂上の足跡」

16.「新たな恐怖」

無人島で一人で住んでいましたので人を恐れます。
「人の気配だ。人は恐怖だ。」

17.「難破船」

 

さらに、砂上の足跡の主たちが忍び寄ってきます。食われるのではと、恐怖がふくれあがります。金曜日(フライデー)と出会いがあります。

18.「金曜日の救出」

19.「フライデーとの生活」

 

しかし、恐怖の砂上の足跡の主たちと、とうとう遭遇してしまいました。さらに、フライデーの父とも出会い、生活をはじめます。

20.「戦闘」

21.「フライデーの父」

 

 

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さらに、無人島に新たな船も現れました。島の主と船の主との戦闘です。

22.「帆船上の反乱」

23.「反撃」

 

そしてついに、ロビンソンは島を去ることに成功しました。

24.「島を去る」

25.「リズボア行き」

26.「ピレネー越え」

 


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冒険が続きましたが、ようやく旅も終わりました。

27.「旅の終わり」

28年にも及ぶ、航海記です。

 

ロビンソン・クルーソーは、この人生をどう感じたのだろうか? 
ロビンソンは実際に航海に出た。読者にとっては航海に出なくとも、社会や環境を海ととらえることも、できるだろう。どんな航海人生が描けるだろうか。



ロビンソン・クルーソーのモデル

 

ロビンソン・クルーソーの島

 

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ロビンソン・クルーソーが暮らした島は、オリノコ川(南米ベネズエラ)の河口にある孤島と描かれています。

架空の島と思いますが、本には島の形が掲載されています。
島はざっくり、こんな形です。南にロビンソンの城を構えています。

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オリノコ川の河口付近を衛星画像で見ると、緑が深いです。かなり広いデルタ地帯が広がっています。デルタ地帯付近から離れた、ほんの小さな島の想定です。

 

リモートセンシング remote sensing 衛星画像 オリノコ川

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ロビンソン・クルーソー島 

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実は、実際にロビンソン・クルーソー島と命名されている島がありました。

しかし、ロビンソン・クルーソーの島とは場所が違います。
南アメリカ大陸の反対側の西海岸で、チリの沖合に位置するファン・フェルナンデス諸島にある島です。形も全然違っています。

(旧名マサティエラ島)

ファン・フェルナンデス諸島 – Wikipedia

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ロビンソン・クルーソーが生活した島と、ロビンソン・クルーソー島の場所はこんなに違います。

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ロビンソン・クルーソーのモデル人物?

 

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なぜ、ストーリーとは異なるこの島に、ロビンソン・クルーソーの名前がついているのでしょうか?

ロビンソン・クルーソーは架空の人物です。ヒントを得た実在の人物としては、アレグザンダー・セルカークという人物が、俗説としてあげられます。

 

 

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1704年に、海賊船の航海長だったスコットランド人のセルカークは、ファン・フェルナンデス諸島のマサティエラ島に停泊しました。

その際に、船長との争いが元でセルカークは船を降りました。そして、1人で無人のマサティエラ島に取り残され、4年4か月間自給自足の生活をしました。

そして、1709年に海賊船に助けられたと言います。このストーリーをもとに、デフォーがロビンソン・クルーソーを書いたのでは、という説があります。

 

 

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セルカークが過ごしたとされるマサティエラ島は、1966年にロビンソン・クルーソー島に改名されたのです。(観光目的といわれています)

しかし、セルカークがロビンソンのモデルというのは、あくまで俗説であり何の確証もないと言われています。

 

 

 

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ロビンソン・クルーソーが書かれセルカークが生きた当時は、旅行記、航海記のブームの時代であり、旅行文学は氾濫していました。
1500~1700年の間に574もの旅行記が出版されていました。

筆者デフォーは、世界地理、探検、航海、通商などに関する膨大な本を所有しており、その情報からロビンソン・クルーソーを作り上げた、とする説が強いです。

 

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何れにしても、

・この二人は無人島か孤島で波乱万丈に生き抜いてイギリスに帰還した、島では様々な生きるための工夫をこらした
・帰還しても航海という冒険はやめられなかった

という点は共通しており、ストーリーを読む側にとってみると奇なる体験にページをめくる手が進みますね。

 

 
 
 

 

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