<改訂版>第3章 戦国化するウェールズと、アングロ・サクソンの国マーシアが勢力拡大していく時代

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今回お話しするのは「戦乱時代」と呼んでいる時代です。後継争いの内乱とアングロ・サクソンからの侵略の2つの戦乱で、ウェールズ内が混乱した時代です。

この時期に、ウェールズ、イングランド、スコットランドの国境が、ほぼ現在と同じ付近に形成されました。

 

※簡単なウェールズ歴史年表。今回の話は7世紀後半~9世紀前半になります
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※全体の記事 

www.rekishiwales.com

 

内からも外からも、ウェールズで戦乱が続いた時代

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ウェールズ版の戦乱時代は、日本の戦国時代の様に、領土の奪い合いや下剋上などが起きた感じだったのでしょうか?

 

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戦国時代とは異なる外国からの侵略と、戦国時代に似た後継争いの内乱だな。7世紀後半は比較的安泰だったけど、8世紀に入ると状況は争いが深刻になっていくんだ。 

・アングロ・サクソンの強国、マーシアからの脅威にさらされて、ブリタニア時代の時よりもさらに領土を狭めていくウェールズ(外敵から攻められる)

・指導力をもった統治者が不在で、後継争いや権力争い下剋上も起きて、国が乱れたウェールズ(内乱で乱れる)

という感じだな。

 

 

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内からも外からも攻められ、ウェールズの人々にとっては大変不安な時代だったんですね。

  

押し寄せるアングロ・サクソンの国マーシア、退くウェールズ 

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アングロ・サクソン族の一国、マーシアのオッファ王

  

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アングロ・サクソン族の領土拡大を見てみよう。

 

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400年中頃から西岸よりアングロ・サクソン族の侵入が始まり、西方や北方に領土を広げていった(緑色の部分)。

600年頃になるとブリトン人の国々は西と北に追いやり、ブリテン島の大部分を占領するようになる。650年~700年になると更に西へ国境を広げていく。この頃は、北部のノーサンブリア王国が最も勢力を広げた。

700年を過ぎると、中央部のマーシア王国が幾つかの国を吸収し、西へと領土と勢力を広げた。

 

ウェールズ東部の国ポウィスはマーシアからの圧力を受け、650~700年の間に東半分パングェン(Pangwern)を取られ、領土は縮小していった。

 

※地図の9、10、14、19、20、21などの国境付近のウェールズの領土は、マーシアに占領されていった。

Map of Later Cymru (Wales)より
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8世紀の中頃、マーシアの王はオッファ(Offa)と呼ばれる強力な王が登場し、さらにマーシアは勢いを増した。領土を拡大し、アングロ・サクソン七国のなかでマーシアが最大勢力を誇るようになった。 

 

占領した領土を守るためなのか、さらにウェールズに攻撃を仕掛けるためなのか、オッファ王はウェールズとの戦いに備えて、全長283㎞にも及ぶ土塁を建築したのだ。

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この土塁は、オッファの土塁(オッファの防塁、Offa’s Dyke)と呼ばれ、現在も残っているよ。

 オッファの土塁のラインは、現在のウェールズとイングランドの国境におおよそ一致しており、オッファの土塁によって、ウェールズとイングランドの国境はほぼ形成された、と言っても過言では無いだろう。

  

戦乱時代のウェールズへ 

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世紀末ウェールズ

 

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マーシアからの侵略に苦しんでいたウェールズだけど、国内はどんな状況だったんですか?

 

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残念ながら、マーシアの攻撃だけでなく、ウェールズ国内の出来事でも苦しみは倍増していたんだ。   

・オッファの土塁を越えてマーシアに攻め込まれる不安な社会

・牛の伝染病が流行し、家畜はどんどん死んでいく

・ウェールズの最強国グウィネズ王宮に雷が落ち焼失

それに追い打ちをかけるように、下剋上や後継争いの激しい内乱が起きてしまったんだ。

 

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外敵に伝染病、食糧不足、不吉なできごとに内乱。ウェールズの世は、まさに末ですね。アーサー王のような救世主が出てきてほしいですね。

  

下剋上と権力争いの内乱

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下剋上が起こる

 

ウェールズで最大勢力を誇るグウィネズ国では、5世紀の中ほどにキネダ・アプ・エダンが王室を作ってから、基本的にはその血筋が国を統治していた。

しかし、8世紀初め頃、王室の血筋から離れたカラドグ(Caradog ap Meiron)という人物が、統治者になった。

※7世紀途中にも1度、部外者に奪われたことがあった。

 

ウェールズ王室の血筋から外れたカラドグが、なぜ統治者になったのか次の理由が考えられる。 

・ウェールズでは王室の血筋であっても、統治者になるためには家臣たちの同意が必要で、無能な人間は統治者になれなかった。王室の血筋では、ふさわしい人物がおらず、カラドグが適任と考えられた。

 

・ウェールズでは所有する領土は、息子たちに均等に分けられる風習があった。公平なシステムであるが、代々経ていくと自分の領土がどんどん狭くなるデメリットがある。このため、しだいに領土争いが起こるようになった。カラドグは自分の領土を広げるために、統治者の領土を奪った。

 

どの理由で統治者になったか、分からないが、カラドグは40年以上もグウィネズの統治者を務め、その間、王室の人物からの報復攻撃はなかったようだ。

しかし、カラドグが統治した時代は、アングロ・サクソン族の強力国マーシアのオッファ王の攻撃が最も激しい時期であった。

 

カラドグもアングロサクソンとの戦い、命を落としてしまった。 

そしてカラドグの後、ウェールズ内では後継争いによる内乱が激しく起きるのであった。

  

激しい内乱によるウェールズの荒廃

 

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カラドグがアングロ・サクソンとの戦いで命を落とすと、グウィネズの統治者には王室の人間にもどり、カラドグの前任者の息子、コナン(Cynan ap Rhodri)が後継したんだ。ところが、これに不服を持った人物もいたんだ。 

ウェールズでは、それまで際立った権力争いは、あまり起きていなかったんだ。この時期以降、数百年に及び、権力争い、後継争いによる、内乱が頻発するようになるんだ。

その皮切りがこの争いだ。

コナン 対 ハウェル。 

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第一ラウンド:

7世紀の中頃、ウェールズ最強の国グウィネズの統治者は王室以外のカラドグになった。カラドグがアングロ・サクソン軍との戦いで戦死した後、798年に前任ロドリの息子コナン(コナン・アプ・ロドリ)が後継し、統治者は王室の血筋に戻った。

 

第二ラウンド:

ところが、カラドグの息子と言われるハウェル(ハウェル・アプ・カラドグ)が、812年に統治者の座を奪おうとコナンに戦いを挑んできた。この時は統治者の面目を保ち、コナンがハウェルの挑戦を退けた。

 

第三ラウンド:

しかし、諦めないハウェルは814年に勢いを盛り返し、再びコナンに立ち向かった。今度は、ハウェルがコナンを打ち負かし、統治者の地位を奪取した。一方、敗れたコナンはウェールズを脱出し、娘エリシトの嫁ぎ先で親類のいる北部のマン島に逃れた。

 

第四ラウンド:

マン島で体勢を立て直したコナンはウェールズに戻り、統治者の地位を取り戻すべくハウェルを攻撃した。両者は再び激しく戦い、816年ついにコナンはハウェルに敗れて力尽き、追放された地で亡くなった。ハウェルは奪った統治者の地位を守り、825年までグウィネズを治めた。

※ハウェルはカラドグの息子、またはハウェルの兄弟という説もある

 

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コナンとハウェルの破壊的な争いは812-816までの4年間に及んで続けられ、ウェールズの北部は大きなダメージを受けて荒廃したんだ。 

この内乱の隙をついて、強国マーシアのコエンウルフはグウィネズ中部を占領して要塞を廃墟にし、ますますウェールズは荒れ果てて行ったんだよ。

  

新たな王室の始まり

 

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疫病に自然災害、ウェールズの権力争いによる内乱、強国マーシアの侵略。ウェールズは荒廃し人々は生きる希望を失っていったんだ。コナンとハウェルの権力の奪い合いに、人々は愛想をつかし、これまでのウェールズ王室の血筋では世を立て直す器の人物はいない、そう思うようになったんだ。 

 

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ウェールズなので、アーサー王のような救世主に現れて欲しい。そう思いますよね。

だれかそんな人物は現れたのですか? 

 

 

コナンとハウェルがグウィネズの後継を争い合っているとき、隣国のポウィスも強国マーシアに攻められ続け、苦しい時期を過ごしていた。ポウィスもグウィネズと同じく、新しい指導者を欲していた。

コナンはハウェルとの戦いに敗れた際に、マン島に逃げた時期があった。

マン島に住む人々も、ウェールズと同じくブリトン人で、コナンの娘エシリトはマン島の統治者グワリアドど結婚していたのだ。

 

エリシトとグワリアドの間には息子が産まれ、メルヴァンと名付けられた(Merfyan ap Gwariad、別名でソバカスのメルヴァン(Merfyan Frych)と呼ばれた)。

そして成長したメルヴァンは、ポウィスの王女ネストと結婚したのである。

 

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当時ポウィスの統治者は、メルヴァンの妻ネストの兄、カンゲン(Cyngen)で、マーシアのセオウルフに攻撃を受けて苦戦を強いられていた。 

メルヴァンは義兄を助けるため、マン島から援軍を率いて共に戦い、マーシアを退けポウィスを守ることが出来たのだった。

 

ポウィスをマーシアから守った手腕を買われたのか、メルヴァンは母の故郷であるグウィネズからも声がかかった。

 

ウェールズでは統治者の息子達に国を均一に分割して、その中の一人が全体の統治者として後継することがルールであった。しかし今の王室では後継できる器を持った人物がいない、と方針転換をしたのだ。

 

メルヴァンはウェールズ王室の直系ではなくマン島の人物だが、ウェールズ王室の血を引いているという理由で、825年にウェールズ最強の国グウィネズの統治者になったのであった。

その後、マーシアはウェールズに攻めてくることはなくなり、平和な時代がようやく訪れた。  

 

 

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時代が混とんとしてくると現れるのが、アーサー王のような救世主。メルヴァンがその役割だったんですね。

 

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実は、メルヴァンはアーサー王にも影響を及ぼしているらしいんだ。

 

 

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メルヴァンがアーサー王ですか?

  

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メルヴァンは物理的に国を統治しただけでなく、ウェールズの文化にも大きな貢献をしたと言われている。誇り高いブリタニアの文化や歴史を後世に残そうとしたのだ。

 

メルヴァンは歴史家ネンニウスに命じて歴史書「ブリトン人の歴史」(Historia Britonum)を書かせた、言われており、英雄アーサー王に関する具体的な内容の記述がみられる最古の資料とされている。

 

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メルヴァンがアーサー王物語の生みの親かも知れませんね。

メルヴァンに関する記事
👉アーサー王物語の発祥・起源は、このウェールズを救った王の偉業かも知れない 

  

 

まとめ

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この時代の出来事を年表にまとめた

・682年頃:ブリタニアの終焉

・754年:カラドグがグウィネズの統治者となる(王室外の血筋)

・757年:マーシアでオッファが王となる(~796年)。ウェールズとマーシアの国境にオッファの土塁を作る

・798年:カラドグはマーシアのコエンウルフとの戦いで戦死し、コナンがグウィネズの統治者となる

・812年~816年:コナンとハウェルの権力争い。ハウェルがグウィネズの統治者となる

・822-823年:カンゲンとメルヴァンはマーシアのセオウルフの攻撃を撃退する

・825年:メルヴァンがグウィネズの統治者となり新たな王室が始まる

・828年:ネンニウス著のブリトン人の歴史が書かれる

 

 

※マーシアに関する情報

マーシア – Wikipedia

 ※オッファの土塁に関する情報

Offa’s Dyke – Wikipedia 

 

参考記事)

※記事一覧 

www.rekishiwales.com

 

 

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つづく

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