イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史、イギリスの歴史、アーサー王、イギリスの歴史に関連する内容を中心に記事を書いています。

「寿司」の起源と「すし」の歴史 キーワードはシンプルに

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こんにちは、たなかあきらです。僕は「寿司」が大好きです。

毎日、寿司を食べていても飽きないくらいです。

ところで、「すし」の歴史は知っていますか?

「すし」は古代から大きく変化し、「寿司」となって現在は日本だけでなく、世界中で親しまれています。

当初「すし」はとても手間のかかる料理で、様々な簡素化を経て「寿司」になっていったのです。

「すし」の歴史を知って、「寿司」を美味しく楽しみましょう!

 

「すし」のルーツ、古代の「すし」は米がなかった

 

「すし」のルーツは東南アジアの魚肉保存法にあると言われています。

すしの原形と言われいるこの保存食は、米飯等の澱粉質を使用した発酵食品でした。

 

日本で最初に「すし」の文献が登場したのは、今から約1300年ほど昔の、奈良時代の文献です(734年、正倉院文書など)

 

日本で古代「すし」は、魚の保存食・貯蔵食で、塩と米のみで作る「ホンナレ」と呼ばれたものでした。ナレとは発酵を意味し、米は発行に用いられ食べることはありませんでした。

この古代「すし」は、作るのにとても手間と時間がかかり、大衆的な食事ではありませんでした。

日本人は、手軽に多くの人が食べれるよう長い歴史をへて大きく進化してきました。

 

※古代「すし」のスタイルは現在にも残っており、その代表例は「ふなずし」です

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簡素化していった「すし」の歴史

米を食べるようになった

室町時代や戦国時代になると、米は大衆でも食べるようになりました。

発酵に使った米を食べずに捨ててしまうのはもったいない、と抵抗を感じるようになりました。

しかし、発酵にる酸味と匂いが強いため、そのまま食べれるものではありませんでした。

このため、発酵度を落とし米が誰でも食べれるよう改良されました。このすしは「ナマナレ」と呼ばれています。

 

発酵する「ホンナレ」⇒ 発酵が短い「ナマナレ」へ変化

 

発酵をやめるようになった

 

米を食べる様にはなったものの、依然として「すし」を作るには長い時間と手間がかかっていました。

「ホンナレ」は発酵するまで1年以上かかっていましたが、発酵を短くした「ナマナレ」でも、まだ一週間かかっていました。

そこで改良された方法は、発酵過程を持たない酢を使う方法でした。

発酵過程を持つ従来のすしは「発酵すし」、この発酵過程を持たないすしのことを「早すし」と呼びます。

 

発酵する「ホンナレ」⇒ 発酵が短い「ナマナレ」⇒発酵させない「早すし」に変化 

 

「すし」は酸っぱければよい

時代は江戸時代の後半まで飛びます。これ以降、「すし」は大いに進化を遂げます。

18世紀後半以後の田沼意次や将軍徳川家斉の時代は、貨幣経済が進み消費が拡大しました。

 

「「すし」は魚と飯を使う酸っぱい料理であればよい」

という考えで、次々と工夫をこらしたすしが生み出されました。

 

「早すし」は色々なタイプの「すし」へ進化をしました。

・魚の形をした「姿ずし」
・箱や桶の中に、米や切り身の魚を入れて押して形を作る「こけらずし、箱ずし」
・すだれを使い海苔をまいた「巻きずし」
・油揚げを用いた「稲荷ずし」

 

これらの「すし」は、現在の私たちにも馴染みのあるスタイルに近づいてきましたね。

 

寿司の登場 

現在の「寿司」、いわゆる「握り寿司」が誕生したのは、江戸時代の末期でした(文政)。

多くの人々は職を求めて田舎から江戸に集まり、稼いだ日銭で外食をする習慣が生まれてきました。

長年の工夫により「すし」も家で作るよりも、外で買って食べるものに変わっていきました。

 

 

「すし」が外食に変化してきたことに目を付けた人物がいました。

華屋与兵衛というすし商人でした。

 

与兵衛は初めは「早すし」である「箱ずし」を売り歩いていましたが、外食産業として「すし」を広めるには問題に気付いていました。

 

・簡素化されたとはいえ、「箱すし」をお客様に出すには時間がかかりすぎる
・箱の中で押すと、魚の脂身が抜けてしまう

という点でした。

何か改良できないだろうか?と考え付いたのが、従来の「箱ずし」と平安時代から食べられている「握りめし」を組み合わせたものでした。

「握りずし」では、作る時間はとても早く、また押さずに作ることが出来き、外食としての従来の「すし」の欠点を解決することが出来ました。

この「握りずし」が「江戸前寿司」と呼ばれ、「寿司」の登場となりました。

 

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※浮世絵に描かれた寿司(歌川広重作)

 

寿司は国民文化に!

「寿司」が日本全国に広がったのは大正時代になってからでした。

1923年に起きた関東大震災後に「握り寿司」の職人が故郷に戻り、寿司の技術が各地に伝えられました。

また家庭の食事においても、大家族から核家族化が進み変化が現れました。
昔ながらの「ちらしずし」など家庭で作るすしが作られなくなり、外食や買って帰る「握り寿司」が主流になってきました。

こうして新たな寿司文化が広がっていきました。

最近では、回転寿司やパック寿司などお手頃な価格で、気軽に寿司が食べれるようになり、日本人の食には欠かせない「国民食」となりました。

 

すしの歴史、まとめ

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すしは「簡単にちゃちゃっと作ろう!」と長い歴史の中で改善を積み重ねて、シンプルな調理法に進化した料理と言えるのでは、と思います。

シンプルだから故に、美味しく作るのは難しいのではと思います。同時に職人技が必要になってきたのかなあ、と思います。

寿司自体も大きく変化し、回転寿司でより手軽に食べれるようになり、また創作料理も作られるようになりました。

海外でも寿司は健康食として人気となり、その国々で独創的な寿司も出現しています。 

 

今後、どんな寿司へ進化していくのでしょうか? 
楽しみです。

最後まで読んでくださり有難うございました!

参考:華屋与兵衛 - Wikipedia

 

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