イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

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ローマ帝国の国境線 ハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城の歴史

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アントニヌスの長城


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こんにちは、たなかあきらです。

イギリスの世界遺産の中に「ローマ帝国の国境線」があります。

今回は、「ローマ帝国の国境線」の概要と歴史的背景、国境線に作られた2つの壁に囲まれた地域の概要についてもご紹介いたします。
 

ローマ帝国の国境線とは?

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イギリスにおける「ローマ帝国の国境線」は、現在のイングランド北部とスコットランドの国境近くにある「ハドリアヌスの長城」と、さらに160km北にある「アントニヌスの長城」のことです。

いずれもローマ帝国の国境線を防御する防御壁のことで、
・ハドリアヌスの長城は、122~126年にローマ皇帝のハドリアヌスによって
・アントニヌスの長城は、142~144年にローマ皇帝のアントニヌスによって
建築されました。

当初は「ハドリアヌスの長城」が単独で、987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)
に登録されました。
2005年には「ローマ帝国の国境線」と名称変更になり、2008年には「アントニヌスの長城」も追加となりました。

 

 ※「ローマ帝国の国境線」に登録されている、南の「ハドリアヌスの長城」と北の「アントニヌスの長城」の位置
 


「ローマ帝国の国境線」の歴史的背景

ローマ帝国支配下のブリタニア

 
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紀元43年に南部のブリタニアはローマ帝国に征服され、その後約40年の間にブリタニア全域は、ローマ帝国の支配下となりました。


ローマ帝国にとってのブリタニアを支配する意義は、勢力範囲を広げることにより近隣諸国やローマ市民たちに、ローマの威厳を示すことにありました。

ローマ帝国は更に支配する領土を広げようと、現在のスコットランドにもローマ軍は進軍していきました。
しかし、当時のブリタニアを見ると、周囲は外敵に取り囲まれていました。

 

ピクトランド(カレドニア)に住むピクト族、アイルランド(ヒルベニア)に住むスコット族、またヴァイキングなどの外敵が脅威でした。

領土を広げていく上で、また領土を守る為にも、外敵と戦う必要があったのです。

 
参考記事:👉<改訂版> 第1章 ローマ帝国に支配されたブリタニア

 

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このため、ローマ軍がブリタニア各地の要塞に駐在するとともに、ローマ帝国からブリタニア司令官が派遣されました。

そして、この司令官のもとローマ軍やブリトン人たちは、ピクト族やスコット族などの外敵から守る辺境警備をしたのでした

 

ローマの国境線の建築

ハドリアヌスの長城の建築

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117年、ローマ皇帝トラヤヌス帝の時にローマ帝国の領土は最大に達しましたが、征服した各地で反乱がおきました。

トラヤヌス帝を後継したハドリアヌス帝は、それまでの拡大路線を放棄し、ローマ帝国の安定と平和を図るため、外敵の脅威にさらされる地域には防御壁を築いたのでした。

ローマ帝国の支配下にあったブリタニアの場合、2世紀の初めの122年に、ハドリアヌス帝はブリタニアの地を視察しました。
そして、現在のスコットランドに防御壁の建築を指示しローマ軍を駐在させたのです。

 

👉※ハドリアヌスの長城について詳しくはこちら 

www.rekishiwales.com

 

アントニヌスの長城の建築 

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アントニヌスの長城は、アントニヌス帝が統治していた西暦142年から144年にかけて建築が行われました。

長城は160キロ南にあるハドリアヌスの長城に代わって、ローマ帝国の国境線を示し、
ピクト人などの外敵から守るために建設されました。

当初は防御だけでなく、ピクト人の国ピクトランド(カレドニア)を抑え勢力範囲を広げようという目的もあったようです。

しかし、ピクト人の攻撃は強力であったため、征圧はできずにアントニヌスの長城は
幾度もの攻撃にさらされました。


西暦164年にはピクトランドへの勢力拡大を諦め、ローマ軍はハドリアヌスの長城へ撤退し、アントニヌスの長城は建設後わずか20年で放棄されてしまいました。

197年に再び戦闘が起きた時、セプティミウス・セウェルス帝は208年にアントニヌスの長城の補修を命じたこともありました。
このため、ローマの歴史家によって「セウェルスの長城」とも呼ばれています。

 

※アントニヌスの長城は、西岸のクライド湾沿いのウェスト・ダンバートンシャイアから東岸のフォース湾沿いのフォールカークまで60キロに及んでいます。

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※参考アントニヌス帝の概要

ローマ皇帝(在位138~161)。五賢帝の4番目の皇帝です。
執政官級の貴族の家系に生まれ、財務官、法務官を務めた後、34歳で執政官となりました。篤実な人柄のゆえにハドリアヌス帝の信任も厚く、その後継者として養子に迎えられました。

ほとんどローマを離れずに政治を行ない。役人の地位を安定させ,属州の負担をやわらげ、公費の節約や規律の遵守が徹底するという、「ローマの平和」に貢献しました。

元老院は「敬虔(けいけん)な」Pius(ピウス)という称号を、アントニヌスに与えました

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アントニヌス帝の像

 

 
ローマ帝国に放棄された辺境国


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西暦164年、ローマ軍はハドリアヌスの長城へ撤退し、アントニヌスの長城は建設後わずか20年で放棄されてしまいました。

ハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城に囲まれた領域は、ブリタニアとピクト族の国ピクトランドとの緩衝国となりました。

つまり、一応ローマ影響下にあるブリタニアの一部でしたが、とても不安定な領域でした。
それだけに、他の地域よりも様々な事件が起こったのです。

 

※地図中のスコットランドの南部で、アントニヌスの城壁(Antonine Wall)とハドリアヌスの城壁(Hadrian's Wall)に囲まれた領域になります。

 


辺境領域の様子

 
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二つの城壁で囲まれた領域は、ローマ帝国の勢力範囲の中にはありましたが、ローマ帝国の直接的な支配は届かず、4~5に分かれた各国が自治をしていました。


つまり、

・南のハドリアヌス城壁より南:ブリタニア本国でローマ帝国の属国
・北のアントニヌス城壁より南:ローマ帝国の影響下の状況で、城塀に囲まれた辺境国

の両方の地域にとっても北からやってくるピクト人などは外敵であり、辺境国はブリタニア本国に外敵が入ってこないように、食い止めていました。

 

・最北が、アルトクラッド(ALTCLUT)
・東側が、ゴトウディン(GOTODIN)
・その他、ノヴァンタエ(NOVANTAE)、セルゴヴァエ(SELGOVAE)などの国々

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※300-382年頃のブリタニアの地図

Roman Britain in Maps

 


頻繁にやってくるピクト人の攻撃

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北からはピクト族やヴァイキング、西のアイルランドからはスコット族の攻撃に対して戦っていました
この時代は、特に北からピクト族の攻撃が頻繁にありました。

その状況を分かりやすく描いたのが、映画キング・アーサーです。

この映画のアーサー王は、3世紀頃にスコットランドに派遣されたローマ軍人、アルトリウスがモデルで、ハドリアヌスの長城を超えて攻め入ってくる外敵(映画ではサイソン族)と戦うストーリーが描かれています。

映画:キング・アーサー

 
ローマ帝国支配の終焉

 

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ローマ支配の終り頃、2つの長城で囲まれた辺境国は

・アルトクラッド国(Altclut)はシンロウプ、
・ゴトウディン国(Gotoudin)はパダンや息子エダン
が自治をしながら、辺境を守っていました。

彼らを監督していたのが、ローマ支配下のもとで実力を持っていたコエル・ヘンでした。
コエルは南のハドリアヌス城壁より南のブリタニア(Nothern Briain)を自治しながら、北部にも影響力を及ぼしていました。

ローマ支配が去った410年以降後、ブリタニアの北部は、この3人の子孫が主に支配していきました。

  

※本文中と地図中で若干スペルが異なっています(表記がいくつかある為)

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 ※この記事が参考になります

www.rekishiwales.com

最後に

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ハドリアヌスの長城は、イギリスがローマ帝国に支配されていた証として残されており、文化的な価値はとても高いです。

スコットランドの南部にあり、イングランドの有名な観光地である湖水地方にも近く、イギリスの観光に訪れた際には、足を運ばれてはいかがでしょうか。 

 

※世界遺産ハドリアヌスの長城やローマ軍博物館といった、紀元2世紀から軍事の要所となってきたこの地ならではの見どころがたくさんあります。湖水地方の自然美の中で悠久の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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 最後まで読んでくださり有難うございました。

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