こんにちは、たなかあきらです。
アーサー王物語では、ランスロットの父はバン王となっています。
実在人物のバン王はブディック2世(BudicⅡ)と言われており、ということはブディック2世の息子は、実在人物のランスロットの可能性があります。
今回は、ブディック2世はどんな人物で、バン王とどんな共通点があるのかを調査し、さらに「ランスロット」との関連についても調べました。
ランスロットのモデル人物探しは困難を極めそうです。
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アーサー王物語:ランスロットの父、バン王の概要
ランスロットの父バン王はフランスのベンウィック(フランスのブルガンディーやブールジュの説)を治める王でした。
バン王は兄弟のボールス王と共に、フランク王の宿敵クラウダス王と戦っていました。
一方、アーサー王もブリタニアの統一に苦戦しており、バン王とボールス王を助けクラウダス王との戦いに協力することを条件に、ブリタニア統一の手助けを頼みました。
バン王とボールス王の協力を得たアーサー王は、反対勢力の連合軍をベドグレインの戦いで撃破し、ブリタニア統一へ大きく前進しました。
しかし、バン王もボールス王も、2人ともクラウダス王との戦いに敗れて殺されてしまいました。
このため、バン王の息子ランスロットとボールス王の息子ボールスとライオネルたちは、湖の乙女のもとで育てられました。
※参考👉円卓の騎士、ランスロット卿の父、バン王。アーサー王に作った貸しとは?
ランスロットの父バン王の「実在人物」の概要
ウェールズへの逃避の原因
ランスロットの父、バン王の実在人物はブディック2世と言われています。
ブディック2世は460年頃に産まれ、478年頃に父エリッヒ(Erich)の後を継いでブリタニー(現在のフランス・ブルゴーニュ地方)の統治者となりました。
しかし、490年頃に事件が起きました。
ブディック2世は何らかの理由で追放されて、ウェールズのダヴィッド(Dyfed)を統治するエルゴル王(Aergol Lawhir、アグリコラとも呼ぶ)の元で避難生活を送ったのです。
ブディック2世が追放された原因は2つ考えられます。
・1つ目は、従兄弟に王の座を簒奪されたという説があります(リヴォッド(Rivod))。この節が一般的に言われていますが、時代の流れを考えると別の原因も考えられます。
・2つ目は、フランク王のクロヴィスの攻撃を受けて逃避したのではという考えです。年代を並べてみると、可能性もあるのではと思います。
486年:フランク王国のクロヴィス王は、北部のゴール(ガリア、現在のフランス、ベルギー、北イタリア)を占領した。
490年頃:ブディック2世はウェールズのダヴィッドに逃亡
491年:ブディック2世の領土(ブリタニー)であるナント(Nantes)や、国境付近のブロワ(Blois)はクロヴィスに占領された。
2つ目の案の方は、アーサー王物語で「バン王は兄弟のボールス王と共に、フランク王の宿敵クラウダス王と戦っていました。」という内容にも、一致してますよね。
参考:クロヴィス王の概要
クロヴィス王(クロヴィス1世)はフランク王国の初代王
481年:ゲルマン人の1派であるフランク人を統一し、フランク王国のメロヴィング朝を創始
486年:ソアソンに残っていたローマ人の拠点を攻略してガリアからローマ人を最終的に追い出し、北ガリアの地を統一
507年:アラリック2世を打ち破り、西ゴート王国の大部分を併合
511年:クロヴィスは死去し、フランク王国は相続により3つに分裂
バン王の「実在人物」の息子たち
ブディック2世はダヴィッドでの逃避生活を送る中で、セント・テイロ(St. Teilo、ウェールズで最も有名な司教セント・デヴィッドの従兄弟)の姉妹、アノウド(Anowed)と出会い結婚しました。(2度目の結婚)
2人はブリテン島に何年も住み、その間にアノウドとの間に2人の息子が産まれました。アノウドが3人目を身ごもった時に、ブリタニーの人々に懇願されてブディック2世はブリタニーに帰国しました。
ブディックの統治時代は、伝説によると、兵達は馬に乗り無敵であったそうです。
※ブディック2世がブリタニーに戻った理由は、子供がいない簒奪者リヴォッドが亡くなったため、または天敵クロヴィス王が511年に亡くなったため、と考えられます。
ブディク2世には4人の息子がいたとされています。
アノウドとの間に生まれた3人の息子は、 セント・イスマエル(St.Ismael)、セント・エウドッグィ(St.Euddogwy)、セント・タフェイ(St.Tyfei)といずれも聖人となりました。
つまり、ブティック2世とアノウドの間に生まれた息子には、ランスロットのモデル人物はいないようです。
実はアノウドは2人目の妻で、1人目の妻はエライン(ElaineまたはElen)であり、息子ホエル1世をもうけました。
しかしホエル1世は、アーサー王物語にも登場するホエル王のことで、ランスロットではありません。
ブディック2世は後に、息子ホエル1世( Hoel I Mawr (the Great) )と共に、ブリタニーを治め545年に亡くなったそうです。
ランスロットはバン王と妻エラインの息子であり、ブディック2世の妻もエラインで彼らの息子である可能性は高いです。
しかし、調べてみたところ、ブディック2世の息子の中には、ランスロットらしき人物は現れてきませんでした。
エラインとの息子、ホエル1世もブディック2世よりも先に世を去っています。
ランスロットのモデル人物は誰なのか?
まだまだ、追跡調査は続きます。
備考:ランスロットが初めて描かれた話
ブディック2世を調べただけでは、明らかなランスロットのモデル人物にはつながりませんでした。
ランスロットの記述が初めて出てきたのは、12世紀のフランス詩人 クレティアン・ド・トロワが書いた、ランスロまたは荷車の騎士(Lancelot、 le Chevalier de la Charrette)です。
ゴール(Gorre, Goirre)国の王ボードマギュ(Bademagu)の息子メレアガン(Meleagant)に王妃グニエーヴルが誘拐され、その後の彼女の救出を中心としたランスロの行動を描く。
この物語は、王妃グニエーヴルを救おうとする騎士ランスロの試練、及び宮廷風恋愛の規則に束縛される戦士かつ恋人としての義務の板挟みになる彼の苦闘が描かれている。
この物語が、アーサー王物語の代表作である「アーサー王の死」(トマス・マロリー著)に取り入れられたのでは、と言われています。
クレティアンに登場する人物についての研究も長くされていますが、誰であるのか?いまだ分かっていないそうです。奥が深いですね。
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