こんにちは、たなかあきらです。
中世のウェールズでは、吟遊詩人が音楽と共に活躍していました。当時は新聞や本はありませんし、限られた公的な文書のみラテン語で書かれ、言葉による伝達しか手段が中心でした。
人々に情報を伝える役、歴史的な物語を語る役(文化や伝統を伝える)として吟遊詩人は重要な役割を担っていたのです。
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ウェールズにおける吟遊詩人
古代ケルトでは、吟遊詩人が英雄的な人物や出来事に敬意を表し、何世代も語り継がれてきた詩や伝説の物語などで詩歌を作り、音楽と共に人々の前で歌い伝えました。
この伝統はウェールズにおいて、タリエシンやアネリンといった詩人たちを通して、初期の中世の時代には続けられていました。
※タリエシン
タリエシン(Taliesin534~599)は、6世紀に活躍したカンブリア(現在のウェールズ付近)の詩人。
※アネリン(Aneirin またはNeirin)
初期の中世の Brythonic詩人でした。 彼は現代のスコットランドの エジンバラにあるゴドゥディン ( Gododdin )のおそらくヘン・オグルド ( Hen Ogledd )のカンブリック王国の一人で、 バードまたは裁判所の詩人であったと考えられています。
ウェールズの伝説マギノビオンの朗読
ウェールズの伝統的な楽器
ウェールズの伝統的な楽器、クルースについて簡単に紹介します。
ウェールズの伝統的な楽器を弾く人々(左:パイプ、中央・右:クルース)
クルースとはケルト民族の人々が愛用していた古い時代の弓奏楽器です。奏者は楽器を腿に挟んで、左手で指板を押さえながら右手の弓で演奏します。(当初ははじいていたらしいです)
張られた6本の弦は、基本的に同時に演奏されます。
ウェールズの楽器で有名なのは、やはりハープで吟遊詩人や音楽には欠かせません。ウェールズでは1,000年以上にもわたり特別な楽器として扱われ、中世では宮廷で演奏されました(イングランドでもウェールズのハープが演奏されました)。
18世紀終わりまでウェールズ国内でもっとも人気の高かったトリプルハープ(弦が3列)が、ウェールズを代表とするハープとして広く知られています
中世の吟遊詩人たちの簡単な歴史
中世後期の吟遊詩人たちは3つの機能を担っていました。
①勝利を祝いました。それだけでなく、②国家の法律を歌い、③王室など家系を朗読しました。
吟遊詩人は尊敬の待遇を受け、税金も免除されました。イベントは開催され、そこで各地から有名な吟遊詩人たちが集まり、歌を競い合いました。
この吟遊詩人たちの役割は中世の時代に続けられてきましたが、1282年に終わりを告げることになったのです。
それは、ウェールズがイングランドによって征服され、ウェールズ王たちの統治時代が終わったからでした。
吟遊詩人の役割は終わってしまいましたが、詩を作ることは中世の時代を通して続けられました。例えば、ダヴィッズ・アプ・グウィリムやイオイオ・ゴッホなどの詩人です。
※グウィリムはウェールズの詩人の一人として、 中世ヨーロッパの偉大な詩人の一人とみなされています。慣習的な賛美詩を書くだけでなく、自然と愛をテーマに女性との愛を表現した詩も書きました。
Dafydd ap Gwilym – Wikipedia
パープとグウィリム
※ゴッホは中世ウェールズを代表する詩人のひとりで、ウェールズの英雄オウァイン・グリンドゥールのために作った詩が有名です
吟遊詩人たちの祭典
1568年5月26日、吟遊詩人と楽人の催しが、エリザベス1世の勅命によって、ウェールズの北部にあるカエルウイスで開かれました。
また吟遊詩人たちがウェールズの芸術祭(eisteddfod 、アイステッズヴォド)に集う伝統は中断することなく、また吟遊詩人のコミュニティー(Gorsedd)は1792年に設立されて、この伝統は現代まで続けられています。
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