アーサー王の都はキャメロットと言うのは本当? 新たな遷都説を提案します

スポンサーリンク

f:id:t-akr125:20190302174805p:plain

こんにちは、たなかあきらです。

「アーサー王の都」と言えば、「キャメロット」が通説です。

しかし、キャメロットはどこにあるのだろうか?

キャメロットの候補地はいくつか挙げられますが、人々にとって「キャメロットの場所」は長年の疑問で、いまだ分かっていません。

 

・キャメロットはアーサー王の都なのだろうか?

・アーサー王の都は別の場所なのではないだろうか?

と思うようになりました。

 

・キャメロットは都でないかもしれない理由
・別の場所とはどこなのか
・新たに遷都説

を提案します。

 

アーサー王の都はキャメロットである通説

アーサー王の都や宮廷は「キャメロット」にある、と言うのが通説です。

このため、しばしばキャメロットは何処にあるのか?の議論があります。
現在の幾つかの場所が候補に挙がっています。

 

www.rekishiwales.com

 

しかし、僕は疑問を持ちました。

アーサー王の都は本当にキャメロットなのだろうか?

キャメロットをアーサー王の都である前提はよいのだろうか?

 

今回はアーサー王が描かれている代表的な書物、「ブリタニア列王史」「アーサー王の死」より、アーサー王の都はキャメロットで良いのか?
では何処なのか?考えてみました。

 

「ブリタニア列王史」にみるアーサー王の都

アーサー王物語の原形と言われている書は「ブリタニア列王史」で、11世紀にジェフリー・オヴ・モンマスが書いたとされています。

※本はこちら👉ブリタニア列王史―アーサー王ロマンス原拠の書

 

「ブリタニア列王史」でアーサー王(アルトゥールス)が登場する第7部 アルトゥールス王を見ますと、キャメロットは全く登場しません。

都らしき場所はシルケストリアとカールレオンの二箇所です。

シルケストリアの説

15歳のアルトゥールスは父ウーテル・ペンドラゴン王が亡くなった後、シルケストリアで戴冠しました。

シルケストリアは現在のイングランドのシェルチェスターであり、ローマ帝国が支配した時代に要塞があり、政治的や宗教的にも重要なばしょでした。

カールレオンの説

カールレオンはレギオの首都で、現在の南ウェールズにあるカールレオンです。ここもローマ時代の主要な要塞都市でした。

アルトゥールスは大陸に遠征しガリア全土、ローマ帝国を支配下にした後に、ブリタニアに凱旋帰国しました。

その後、聖霊降臨祭と戴冠式をカールレオンで行っています。

「アーサー王の死」に見るアーサー王の都

15世紀後半にトマス・マロリーが書いた「アーサー王の死」は、アーサー王物語の完成版といわれています。

「アーサー王の死」の中では、何ヶ所かアーサー王の都と考えられる場所が登場してますので、時系列で概要を記します。

これによると、アーサー王の都は時代によって移転したのでは、と推測されます。

※👉アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集)

初期の頃の都、アーサー王が戴冠した時代

・アーサー王はカールレオンのまちで王の戴冠式をすませたあと、五旬節の日に大宴会を開く

・ベドグレインの戦いの後、敗れた11人の王は仇を打とうと、3年間アーサー王と戦った。その後、アーサー王はカールレオンのまちに戻った

👉アーサー王の都はカールレオンと考えられます

 

中期の頃の都1、ローマ皇帝を倒し繁栄した時代

 

・アーサー王はカメロットで大宴会を開き、アーサー王やグィネヴィア王妃、ラーンスロット、ガラハッドの母エレイン姫も参加

・カメロット(英語で言えばウィンチェスター)の表記が登場。

ラーンスロット、パーシヴァル、エクトル・ド・マリスが旅から戻り、カメロットに到着。アーサー王も騎士たちも大よろこびで迎える。

 

👉アーサー王の都はカメロット(ウィンチェスター)に移ったのではと考えられます

 

中期の頃の都2、ランスロットとグィネヴィアの不倫が疑われる

 

・聖母被昇天祭の当日、カメロットで大馬上槍試合を開催。アーサー王は家臣を連れてウィンチェスターへ旅立つ。

・カメロットでの大馬上槍試合が終わって、アーサー王と側近全部はロンドンへ帰った。

・ラーンスロットは大馬上槍試合の怪我から全快し、ウィンチェスターに向かった。アーサーはラーンスロットが戻ったことを知り、大よろこびした。との記述もある

 

👉アーサー王の都はロンドンに移った、またはロンドンとキャメロットの両方にあったと考えられます

 

後期の都、円卓の騎士が崩壊した時代

当時、宮廷はカーライルにあったとの記述が見られます。

・聖霊君臨祭(大祭典)のために、カーライルに円卓の騎士は集まった

 

ランスロットとグィネヴィアの不倫がアーサー王知るところとなり、グィネヴィアは火あぶりの刑になった時も、カーライルの記述が見られます。

・ラーンスロットがグィネヴィアを救い出し、ガレス、ガヘレスなどが殺された。アーサー王はラーンスロットの喜びの砦を攻め、戦いが始まる。

ロチェスターの司教は、和解させようとのローマ教皇の教書を持って、カーライルのアーサー王に見せた。

 

👉アーサー王の都はカーライルに移ったのでは、と考えられます

 

今回のまとめ

アーサー王の都は「カメロット」が定説ですが、「ブリタニア列王史」「アーサー王の死」からは、別の説が考えられます。

 

「ブリタニア列王史」によるアーサー王の都

・シルチェスターかカールレオン

「アーサー王の死」によるアーサー王の都

・カールレオン

・カメロット(ウィンチェスター)

・ロンドン

・カーライル

に移っていった。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

※参考記事

アーサー王の墓 アヴァロンはどこにあるのか?

分かりやすいアーサー王物語と伝説のあらすじ 

アーサー王の最期の戦い 「カムランの戦い」の実在の場所は? 

アーサー王が活躍した「ベイドン山の戦い」の場所

アーサー王の円卓(ラウンドテーブル)の場所は?

コメント

タイトルとURLをコピーしました