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テューダー家の歴史 6代続いたテューダー朝の概要

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イングランド君主において、16世紀にヘンリー7世がテューダー朝を始めました。

テューダー朝の家系(テューダー家)は、 それまでのノルマン朝とは、血筋が大きく異なっていることは、前回の記事でご紹介しました。

今回は、ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、ジェーン・グレイ、メアリー1世、エリザベス1世と6代に渡った、テューダー朝の概要をご紹介します。

 

👉テューダー家の歴史

テューダー家の歴史 起源〜テューダー朝の始まりまで 

 

テューダー朝の家系図

簡単にテューダー朝の家系図を記しました。

①~⑤の君主について順に説明していきます。

 

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テューダー朝の始まり(ヘンリー7世)

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1485年にヘンリー・テューダー(1457-1509)は、薔薇戦争の最期の戦いであるボズワースの戦いでリチャード3世を破り、イングランド王ヘンリー7世として戴冠しました。(テューダー朝の始まり)

ヘンリー7世は薔薇戦争で乱れたイングランドを立て直そうと、君主制を強め経済の立て直し、外交も安定させました。

 

・ヘンリー7世はリチャード3世の姪であるエリザベス・オブ・ヨークと結婚をし、ヨーク家とランカスター家を統合した

・貴族や富裕層からの徴税を重くし、毛織物工業を盛んにするなど、破たんしていた財政を立て直した

・フランスやスペインと同盟し、外交の安定化を図った

 

ヘンリー7世とエリザベスとの間には、アーサー、マーガレット、ヘンリー(ヘンリー8世)、メアリーが産まれました。

マーガレットはスコットランド王ジェームス4世と結婚し、メアリーはフランス国王ルイ12世と結婚し、後にイングランドのサフォーク公チャールズ・ブランドンと再婚しました。

ヘンリー7世の長男アーサーは、スペイン王の娘キャサリン・オブ・アラゴンと結婚しますが、虚弱体質のため翌年の1502年に15歳の若さで亡くなります。

このため、ヘンリー7世の後継は次男のヘンリーとなりました。

 

👉ヘンリー7世に関する記事

ヘンリー7世がアーサー王を利用して薔薇戦争を制した方法とは?

 

テューダー朝の情事と国教会設立(ヘンリー8世)

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ヘンリー7世が亡くなると次男のヘンリー(1491-1547)が後継し、1509年にヘンリー8世となりました。

 

ヘンリー8世の時代には、政治的にはイングランドの国力の強化がなされました。

・王立海軍を創立し、イングランド海軍を強化
・絶対王政の確立(ウェールズ、スコットランド、アイルランドの統治権の強化)
・宗教改革(ローマカトリックから離れて、イングランド国教会を設立)

 

しかし、無慈悲で利己的な考えを押し通し、テューダー朝だけでなく政治にも混乱と影響を及ぼしました。

 

ヘンリー8世は、未亡人となっていたキャサリン・オブ・アラゴンと結婚し、長女メアリーが誕生しましたが(後のメアリー1世)、ヘンリー8世はテューダー朝の王権を固め強いイングランドするためには、長男の世継ぎが必要と考えました。

 

・男子が産まれないキャサリンと離婚し、関係を持っていた侍女アン・ブーリンと結婚しようと企みました。

・ローマ・カトリック教会が受け入れず対立したため、ヘンリー8世はカトリックと決別し、イングランド国教会(プロテスタント)を設立しました。

 

ヘンリー8世はキャサリンと離婚し、アン・ブーリンと結婚したものの、男子は生まれずアンとの関係も悪化し、処刑するにいたってしまいました。その後は離婚・結婚を続けていきます。

以下が、ヘンリー8世の王妃となった6人の女性たちの概要です。

 

1.キャサリン・オブ・アラゴン
24年間の結婚生活をつづけ、メアリー(のちのメアリー1世)を生みますが、男子に恵まれず離婚させられました。

2.アン・ブーリン
エリザベスを産みますが(のちのエリザベス1世)、姦通罪と近親相姦の罪を着せられ処刑されました。 

 

3.ジェーン・シーモア
エドワード6世を出産しますが、出産後に亡くなります。

4.アン・オブ・グレーヴィス
肖像画と実物はかけ離れ、初対面でヘンリー8世は激怒し直ぐに離婚となりました。

5.キャサリン・ハワード
アン・ブーリンの姉妹。元恋人との関係を疑われ反逆罪で処刑されました。

6.キャサリン・パー
ヘンリー8世の子(メアリー、エリザベス、エドワード)とも良い関係を築き、メアリーとエリザベスの王位継承権を復活させます。ヘンリー8世の最後も看取りました。

ヘンリー8世の後は、唯一の息子であるエドワードが後継しました。

 

👉ヘンリー8世に関する記事

イングランド王 ヘンリー8世 6人の妻たちへの悪事と功績や教養あふれる魅力

 

摂政に操られるテューダー朝(エドワード6世)

 

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エドワード6世(1537-1553)は若干9歳の時にイングランド王となりました(15歳まで統治)

 

エドワード6世は、国政を行うには幼すぎたため、 叔父であるサマセット卿が摂政となり実権を握りました。

その後、敵対していたノーサンバランド卿がサマセット公を失脚させて権力をふるいました。

エドワードは政治には興味を示さず、政治問題に取り組んでい る間、テニス、バックギャモン、チェス、 カード、武術、スポーツや音楽に励んでいました。

 

 

野心を持つノーサンバランド公ジョン・ダトリーは自分の血筋に王位を入れようと企みます。エドワード6世が病身となり後先が短いと知ると、エドワード6世の従妹の娘であるジェーン・グレイと息子ギルフォード・ダドリーを結婚させました。

そして、死の床にあるエドワード6世を説得し、 後継者をジェーン・グレイにと迫り、了承を得ました。

 

9日間の女王 ジェーン・グレイ

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1153年にエドワード6世が死去すると、ノーサンバランド公はジェーン・グレイの

ーサンバランド公はジェーンの即位を宣言しました。

 

ジェーンはイングランドで初めての女王となりましたが、世論はヘンリー8世の直系で正統な後継を求める声が上がり、ジョン・ダトリーの企みを知ったイングランド議会も、1553年7月19日にメアリーの即位を宣言しました。

 ※メアリーはヘンリー8世と最初の妻キャサリンとの娘

 

ノーサンバランド公は処刑され、ジェーン・グレイも捕らえられ夫と共に1554年に処刑されました。わずか9日間の女王でした。

 

👉ジェーン・グレイに関する記事

9日間の女王 レディ・ジェーン・グレイの悲劇の原因

 

 

テューダー家に続く混乱(メアリー1世)

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こうしてメアリー37歳でイングランド女王となりました。

 ヘンリー8世とエドワード6世の時代にはプロテスタントの国としての強化が進んでいました。

しかし、メアリー1世はローマ・カトリック信者でありカトリックの復興を進めたため、反感と混乱を招きました。


メアリーはカトリックのスペイン王フィリペ2世との結婚を決意しましたが、イングランド議会から反対され、1554年にトーマス・ワットをリーダーとするプロテスタントの反乱が起きました。


メアリー1世は反乱を鎮圧し、反乱を起こした処刑者を絞首台にさらし、異端者は厳しく処罰され約300人が火あぶりの刑にするなど、残忍さをあらわにしました。

 

このため、メアリー1世はブラディー・メアリーとして嫌われ、そして夫フィリペ2世からも不信感を抱かれ、子供が生まれないまま別居状態となりました。

 

メアリー1世は、丈夫な体ではなく生涯病気に悩まされ1158年に世を去りました。

メアリー1世は、母を陥れたアン・ブーリンの娘として嫌っていたエリザベスを、しぶしぶ後継者に指名しました。

 

テューダー朝の黄金期(エリザベス1世)

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エリザベス1世は1558年から1603年まで約45年にわたってイングランンド君主を務め、強いイングランドを作りました。

 

①イギリス国教会の確立

カトリックでも極端なプロテスタントでもない、イングランド独自の英国国教会を構築し、国王至上法を定めて国王の権力を強めました。

②国際的地位の向上

アルマダの海戦でスペイン無敵艦隊を破り、国際的評価だけでなくエリザベスの評価も上がりました。

③経済力の向上
羊毛産業を基礎とした毛織物工業が発達させ、1600年にイギリス東インド会社を設立し積極的な発展策をとりました。

 

エリザベス1世は1588年のスペイン無敵艦隊を破ったことで英国史上もっとも偉大な勝利者として知られています。

在任時は、あまり人気がなかったようですが、没後20年ほどすると状況は変化し、イングランド黄金時代の統治者として称えられるようになりました。

 

多くの恋愛話、結婚話もあり、嫉妬深く男性との恋愛心を持ち続けた人物でもありましたが、生涯独身を貫き、処女王と呼ばれました。

 
👉エリザベス1世についての記事

エリザベス女王1世の功績と結婚・恋愛話 

 

テューダー朝の終わり(ステュアート朝へ)

 

エリザベス1世だけでなく、エドワード6世、ジェーン・グレイ、メアリー1世も、みな子孫を残せませんでした。このため、テューダー朝はエリザベス1世の時代で幕を閉じました。

その後のイングランド王室は、ヘンリー7世の娘でスコットランド王室に嫁いだメアリー・テューダーの血筋へと移りました(ステュアート朝)

 

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