テューダー朝の「エドワード6世」はどんな人物だったのか?

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エドワード6世は、男子を熱望したヘンリー8世の待望の世継ぎでした。

ヘンリー7世からテューダー朝となり君主制を強めていた時代で、エドワード6世は弱冠9歳でイングランド王となりました。

エドワード6世はどんな人物でどのような政治をしたのでしょうか?

 

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エドワード6世の家系(テューダー朝)

 

エドワード6世は、ヘンリー8世の唯一の息子で、ジェーン・ シーモアとの間に、1537年10月12日に生まれました。

しかし、母親のジェーンは、出産後12日で亡くなりました。 ジェーンは物静かで心地の良いカリスマ的な人物でした。(ヘンリー8世の6人中3人目の王妃)

 

テューダー朝の簡単な家系図を記します。

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エドワード6世はテューダー朝の中では3番目の君主で、メアリー1世、エリザべス1世とは母親違いの異母兄弟です。

 

教養が深いエドワード6世

 

テューダー家の人々は皆教養が深く、知性が高かったようです。エドワード6世も同じでした。

 

エドワード6世は、 ひ弱で不健康な少年と一般的には考えられていますが、 実際はとても健康的でがっしりとし、運動も得意でした。そして、 ギリシャ語、ラテン語、フランス語、 神学に興味を持っていました。

そして、この教育(学問)は、 若くしてプロテスタントの学問への熱意に変化していきました。

 

またエドワード6世は、歌やリュートの吹き方を習うなど、 音楽の勉強に没頭をしていました。

ヘンリー8世がフランドル人の音楽家フィリップ・ヴァン・ ウィルダー(Philip van Wilder)を雇ったときに、ヘンリー8世は,エドワードに音 楽を鑑賞して欲しいと思い、 エドワードに作曲の仕方を学ぶように仕向けた程です。

 

しかし、エドワード6世はギャンブル好きな面もありました。 家庭教師のロジャー・アーカム(Roger Ascham)が何度も厳しく叱り、禁止するまでギャンブルに興じていたようです。

 

政治に興味がなく摂政に操られるエドワード6世

ヘンリー8世が1547年に亡くなったため、エドワード6世が後 継しました。

しかし、エドワード6世は弱冠9歳だったため、 エドワード6世の義兄である、エドワード・シーモア( サマセット公)が護国卿(摂政)となり、 実際の権力を握りました。

 

ヘンリー8世の宗教改革を引き続き行い、 プロテスタント化政策を進めた時代で、イギリス議会では「一般祈祷書」が制定され、イギリス国教会の信仰基準が定められました。

 

 

しかし、エドワード6世は、政治には意欲的ではありませんでした。摂政たちが政治問題に取り組んでい る間、エドワード6世は、テニス、バックギャモン、チェス、 カード、武術に励み、政治は任せっきりでした。

 

 

このため、自分たちの好む変化を導入したいと政治的な野心を持った人物の操り人形でした。

 

エドワード6世の性格

 

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エドワード6世は若くして亡くなったため、 どんな性格をしていたのか将来どんな人物になりえたのか、 は良く分かっていません。

しかし、エドワード6世の性格や外見は魅力的ではな く、将来も有望と思われてなかったようです。.

 

エドワード6世は、他のテューダー朝の君主と似ており、傲慢で横柄な性格だったようです。また、独りよがりで、思いやりの欠けた冷淡な心の持ち主でした。

 

自己中心的で、粗悪になりやすく、 簡単にずるい男たちに揺れ動く性格。エドワード6世は、 ひどい政治や政治家たちに対しても、 何の影響力をも与えませんでした

 

テューダー朝の混乱へ

 

摂政として実権を握っていたサマセット公は、ノーサンバランド公ジョン・ ダトリーとの争いに敗れて1549年に逮捕され、 大逆罪で有罪判決を受け、1552年に処刑されました。

サマセット公に変わりノーザンバランド公が実権を握ると、ノーザンバランド公の企みが始まりました。 ノーザンバランド公は自分の血筋に王位を入れようと企みます。

 

エドワード6世が病身となり後先が短いと知ると、エドワード6世の従姉妹の娘であるジェーン・グレイの血筋に注目し、 息子ギルフォード・ダドリーとジェーンを結婚させました。

そして、死の床にあるエドワード6世を説得し、 後継者をジェーン・グレイにと迫り、了承を得ました。そして、 1153年7月6日にエドワード6世がわずか15歳で死去しました。

 

 

※プロテスタントの拡大を進めるエドワード6世は、 カトリックのメアリーに改宗を迫るも失敗しており、 プロテスタントのジェーンを後継にと迫りました

 

思うつぼのノーサンバランド公は、7月10日にジェーン・ グレイの即位を宣言しました。しかし、 エドワード6世の異母姉メアリーは逃亡して身柄を拘束できず、また世論はヘンリー8世の 直系で正統な後継を求める声が上がっていた。

ノーサンバランド公の企みを知ったイングランド議会は、1553 年7月19日にメアリーの即位を宣言しました。(メアリー1世)

ジェーン・グレイはイングランド史上初の女王となりましたが、在位わずか 9日間で廃位されました。

 

ノーザンバランド公と息子ギルフォード、ジェーン・ グレイは逮捕され、反逆罪で斬首刑となりました。

👉9日間の女王 レディ・ジェーン・グレイの悲劇の原因 

 

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※エドワード6世を主人公として、マーク・トウェーンが描いた物語が「王子と乞食」です。 

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