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テューダー家の歴史 起源〜テューダー朝の始まりまで

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イングランド君主において、16世紀にヘンリー7世がテューダー朝を始めました。

テューダー朝の家系(テューダー家)は、 それまでのノルマン朝とは、血筋が大きく異なっています。( テューダー朝は、ヘンリー8世、エリザベス1世も含まれます)

ノルマン朝のノルマン人の血筋ではなく、 イングランド人口の大勢をしめるアングロ・ サクソン人でもありません。

今回は、テューダー朝が始まる以前の、 テューダー家の血筋と簡単な歴史についてご紹介いたします。

 

 

 

テューダー家の祖先

 

テューダー家の祖先は、12世紀のエドナヴェド・ファチャン( Ednyfed Fychan、1170-1246)とされています。

 

当時のウェールズは、イングランドから激しく侵略を受け、 領土を狭めていた時代でした。エドナヴェドの時代には、 北部ウェールズの国グウィネズの王であるラウェリン大王が、 ウェールズの勢いを取り戻し、 イングランド王ジョン王と争っていた時代でした。

 

エドナヴェドはウェールズ人の戦士であり、ラウェリン大王(Llywelyn the Great)とその息子ダヴェッズ(Dafydd ap Llywelyn)の執事として、ウェールズ王室に仕えました。 (ラウェリン大王の未亡人と最初の結婚をしました)

 

エドナヴェドは、 イングランドのジョン王よりラウェリン大王の討伐の命を受けたラ ヌルフ(Ranulph de Blondeville)の軍を打ち破った功績があります。

 

テューダー家の設立(ウェールズ王室の執事)

テューダー家の創始者とされているのが、 エドナヴェドの息子であるゴロンウィ・アブ・エドナヴェド(Go ronwy ab Ednyfed、1205-1268)です。

( ゴロンウィはエドナヴェドの二人目の妻グェンリアンの息子。 グェンリアンはウェールズ西部の国デハイバース王リースの娘)

 

ゴロンウィの時代になると、 イングランドの攻撃はより激しさを増し、 ウェールズの多くの領土が占領され、 ウェールズ諸侯の中にもイングランド側につく者たちも増えてきま した。

このなかで、ウェールズの領土を取り返して独立を守ろうと、 ラウェリン大王の孫、ラウェリン・ザ・ ラスト王が立ち上がりました。

 

ゴロンウィもウェールズ王室に仕え、ラウェリン・ザ・ラスト王( Llywelyn ap Gruffudd)の執事を務めました。 ラウェリン王とイングランドとの戦いの際には、 王の軍を率いて南ウェールズのイングランド伯と戦いました。

 

テューダーの名前の由来と独立ウェールズの最後

 

テューダーの名前を初めて使ったのが、 ゴロンウィの息子であるテューダー・ヘン(テューダー・アプ・ ゴロンウィ、Tudur ap Goronwy、~1311)です。

 

テューダー・ヘンの時代になると、ウェールズは大きく変わりました。 父ゴロンウィが仕えたラウェリン王はイングランド王エドワード 1世との戦いで敗死し(1282年)、 ウェールズはイングランドに征服されました。

このような時代背景があり、 テューダーは北ウェールズの貴族でしたがイングランド王エドワー ド1世より、領地を分け与えられていました。

 

ウェールズ内ではイングランド支配に対する反発が起こり、 親類のマドック(Madog ap Llywelyn)が反乱を起こした時には、 テューダーも加わりました。

しかし反乱は鎮圧され、,テューダー はエドワード1世と息子エドワード(後のエドワード2世) に忠誠を誓いました。 テューダーは北ウェールズのバンゴールにあるフランシスコ会の修 道院の修復の責任者となりました。

 

イングランドに仕えるようになったテューダー家

 

イングランド王に仕えたのが、テューダー・ ヘンの息子ゴロンウィ・アプ・テューダー(Goronwy ap Tudur Hen、~1331) 。

 

ゴロンウィは北ウェールズにあるアングルシー島の貴族で、 イングランド王エドワード2世の従者(戦士) およびスノードン山の森林官として仕えました。 スコットランドの初めての独立戦争のときに、 イングランド軍に加わり、バノックバーンの戦い(Battle of Bannockburn)などに参加しました。

エドワード2世が亡くなった後は、引き続きエドワード3世に仕え ました。

 

ウェールズの反乱に加わるテューダー家

 

イングランド支配に対する不満が募り、 ウェールズで起きた大規模な反乱に参加したのが、ゴロンウィ・ アプ・テューダーの息子マレディズ(Maredudd ap Tudur、~1406)です。

 

1400年にゴロンウィの従兄弟であるオウァイン・ グリンドゥールがイングランドに対して反乱を起こし、 ゴロンウィも加わりました。

反乱軍は勝利を続け、 一時期ほぼウェールズ全土を取り戻しましたが、 体制を整えたイングランド軍に敗北し、1415年頃までには消滅 しました。

マレディズの領土はイングランド王に没収され、マレディズも14 05年頃に行方不明となりました。

 

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テューダー家の大変化(イングランド王室との関係)

テューダー家の運命を大きく変えたのが、 マレディズの息子オウァイン・アプ・マレディズ(Owain ap Maredudd、)です。

オウァインは一般的に、オーウェン・ テューダー(Owen Tudur、1400-1461)と呼ばれています。

テューダー家は、イングランド王室と親戚関係となりました。

 

オーウェン・テューダーの時代は、父も参加したオウァイン・ グリンドゥールの反乱の後で、 ウェールズに対するイングランドの圧力や迫害が強まっていた時代 でした。

オーウェン・テューダーはウェールズを出て、 イングランド王ヘンリー5世の王妃キャサリンの衣装係として、 働いていました。

イングランド王ヘンリー5世は早世し、 キャサリン王妃は未亡人となっていました。

 

この状況で、キャサリン王妃とオーウェンは恋に落ちてしまい、 駆け落ちをします。キャサリンは6年後に36歳の若さで世を去り 、オーウェンは捕らえられ投獄されました。

 

オーウェンとキャサリン王妃の間には、エドマンド(Edmund Tudur、1430-1456)とジャスパー(Jasper Tudur、1431-1495)が生まれ、2人の息子は、 ヘンリー5世の息子で、イングランド王となったヘンリー6世の父 違いの兄弟です。

 

ヘンリー6世は、エドマンドとジャスパーを重用し、 エドマンドはリッチモンド伯、 ジャスパーは後にペンブローク伯となり、 イングランドにおいてもテューダー家の地位は向上しました。 オーウェンも解放され宮廷庭園の管理人としてヘンリー6世に仕え ました。

 

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バラ戦争に巻き込まれるテューダー家

 

ヘンリー6世の時代に、英仏100年戦争が終結し、 イングランドは敗れてフランスに所有していた多くの領土を失いま した。

その後、ヘンリー6世は精神的に病み、 後継をねらったヨーク公との間に、薔薇戦争が始まりました。

 

ヘンリー6世側がランカスター家、ヨーク公側がヨーク家です。

オーウェン、エドマンド、ジャスパーともに、ヘンリー6世と共に、ヨーク派と戦いました。1456年に戦いで敗れたエドマンドは南ウェールズで捕らえられ、獄中でペス トで亡くなりました。その2か月後に、エドマンドの妻マーガレットは息子ヘンリーを出産しました。

 

1462年にヨーク派(後のエドワード4世)と戦い敗北し、 オーウェンは捕らえられて処刑されました。

ジャスパーは何とか落ち延びウェールズで再起を図りますが、 ウェールズもヨーク派に平定され、 ペンブローク伯位も没収されてしまいました。

 

ランカスター派が壊滅する中でジャスパーは、 兄エドマンドの息子ヘンリー・テューダー(Henry Tudur)を連れてフランスへ亡命しました。

 

 

薔薇戦争終結とテューダー朝のスタート

 

再びランカスター派は旗を揚げ、 ヘンリーとエドムンドはフランスに亡命してから14年後の1485年に、ウェールズに上陸し、 ボズワースの戦いでヨーク派のリチャード3世に勝利しました。

この勝利で薔薇戦争は終結し、ヘンリー・ テューダーはイングランド王ヘンリー7世として戴冠しました。

ヘンリーを支え、戦いの勝利に大きく貢献したジャスパーは、 ヘンリー7世から重用されました。ベッドフォード公に叙せられ、 アイルランド総督、ウェールズの地方統治、 ウェールズにおける王所有の城や領地の管理も任されました。

 

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