こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
今回は、中世の西ヨーロッパに大きな影響を及ぼした、ヴァイキングについてのお話です。
ヴァイキングは、なぜヴァイキングは西ヨーロッパの広範囲を怯えさせるほど強かったのでしょうか?
※ドラマ、ヴァイキングより
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ヴァイキングとは?ルーツや語源
ヴァイキングとは主にデンマーク、ノルウェーに住む人々の中で、9~12世紀にイギリスやフランスなど西ヨーロッパ各地の海岸に出現して、海賊行為をしていた人々のことです。
ヴァイキングの語源は、ノルウェーの入江(ヴィーク)に住む人の意味だそうです。もともとはスカンジナビア半島や、バルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン民族を指し、後にノルマン人とも呼ばれるようになりました。
ヴァイキングは当初は、交易活動や航海する船を襲う海賊活動をしていましたが、寒く厳しい自然の中での人口増加から、各地への移住、植民、略奪行為へと乗り出すようになりました。
イギリス、フランス、アイルランド各地を襲い、殺掠、略奪を繰り返しました。西ヨーロッパ諸国で恐れられるようになった、「ヴァイキング」が誕生していったのです。
ヴァイキングは、わずかな期間で西ヨーロッパ諸国を広く支配するようなり、またある時、忽然と姿を消してしまったのでした。それらの経緯をお話いたします。
ヴァイキングの特徴
角の付いた兜をかぶり、毛皮のベストを着た、野蛮などう猛な風貌。というのが、ヴァイキング戦士のイメージですが、実際はそうではありませんでした。
西欧の騎士たちと同じく、金属製のリングを組みつけたチェインメイルという軽装の鎧をかぶっており、丸形の盾と大型の戦斧を持っている点が特徴でした。
ヴァイキングの戦いの特徴と言えば、何といってもロングシップと呼ばれる船です。
船腹が狭く細長い形状をしており、 水面に入る深さも浅いので、とても速く進むことができますし、水深の浅い河川に侵入もできるのです。
また陸上も引張って移動することもでき、どんな場所でも現れて、とつぜん標的に攻撃を仕掛けたのです。
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西ヨーロッパ各地に勢力を広げるヴァイキング
ヴァイキングが作った王国
8~9世紀にヴァイキング達は、自分たちが住んでいるスカンディナヴィア半島を中心に、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどの王国を建国しました。
これらの国を拠点に、西ヨーロッパ諸国へ侵略を始めたのです。
※ヴァイキングの西ヨーロッパへの侵略範囲
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イングランドへ侵略したヴァイキング
※ヴァイキングの伝説の首領、ラグナルが描かれている絵
ヴァイキングが他国への侵略・略奪行為を開始したのは、8世紀終わりのアングロサクソン族が治めるイングランドと言われています。
最初は793年、ノルウェーのヴァイキングが北東イングランド海岸の沖合にある、リンディスファーン島の修道院を襲いました。
その後、何度もイングランドに侵略を繰り返し、9世紀になるとデンマークのヴァイキングもイングランドを侵攻し、デーンローと呼ばれるイングランドの約1/3を治めるにまで領土を広げたのです。
※図中の黄色の斜線領域がデーンロー
図はEngland and Wales AD 900-950より
※リンディスファーン修道院を襲い初めてイングランドに略奪行為を行ったのは、伝説の人物ラグナル・ロズブローグという説があります。ラグナルはドラマ「ヴァイキング」の主人公として描かれています。
✅ヴァイキングのドラマの記事はこちら!
>>ヴァイキングのことが良くわかるドラマ「ヴァイキング ~海の覇者たち~
※ドラマ、ヴァイキングよりリンディスファー寺院の攻撃
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その後、アルフレッド大王によりヴァイキングは撃退され、イングランド全域はアングロ・サクソン族の勢力下に戻りました。
しかし、1013年にデンマークのヴァイキング、スヴェン王が再びイングランドに侵攻し、イングランド王の座を奪い取りました。
1016年にはスヴェン王の息子、クヌート大王がイングランド王を引き継ぎ、デンマーク、ノルウェーまでも統治し、強大な北海帝国を築いたのです。
更に、ヴァイキングのイングランド侵略は続きました。歴史的な最大の出来事は、1066年のノルマンコンクエストです。
フランスのノルマンディーを侵略して定住したヴァイキング(ノルマン人)の子孫、ノルマンディー公ギョーム2世が、イングランドに侵略し征服したのです。
ギョーム2世はイングランド王ウィリアム1世となり、イングランド王室ノルマン朝を作りました。現在の学校で習う歴史では、1066年がイングランドの建国とされています。
✅さらに知りたい方はこちらの記事!
・イングランドばヴァイキングに奪われていく様子
>>エゼルレッド無思慮王(無策王) ヴァイキングに王位を奪われた王
・ヴァイキング最盛期の帝国を作った王
>>北海帝国を築き大王と呼ばれた「クヌート1世」の概要
・イングランドが再びヴァイキングに乗っ取られた歴史的事件
>>イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)はどんな戦いだったのか?
フランスへ侵略したヴァイキング
※ラグナルの弟ロロの像
ノルマン人のヴァイキング首長であるロロ(Rollo)が、9世紀にフランスに侵入しフランス北岸を荒しました。
911年にフランス王、シャルル3世と、サン=クレール=シュール=エプト条約を結び、ノルマンディー地方の領土を得てノルマンディー公国とし、王女ジゼルと結婚しました。そして、子孫はノルマンディー公の称号を受け継ぎます。
ロロの5代後の子孫、ノルマンディー家の7代目がギョーム2世で、イングランドを征服し、イングランド王ウィリアム1世となるのです。
※ロロはイングランドを襲撃したラグナルの弟という説があります。
アイスランドに侵略したヴァイキング
※ソルフィンの像
フローキ・ビリガルズソンの航海によってアイスランドが知られるようになり、874年にヴァイキングのアイルランドへの居住が始まりました。
さらに、10世紀になると大西洋を越えて航海を続け982年頃に巨大な島を発見し、赤毛のエイリークが、この島をグリーンランドと名付けました。
息子のレイフ・エリクソンは更に西に航海を進め、1000年に北米にたどり着き、ヴィンランドと名付けました。
その後、ソルフィン・ソルザルソン(カルルセニフ、おとこ気のソルフィン)が60~160人を引き連れて定住計画を企てましたが、原住民の抵抗にも合い、長続きはできませんでした。
ソルフィンの生涯はヴィンランド・サガと称され、漫画「ヴィンランド・サガ」のモデルにもなっています。
アイルランドに侵略したヴァイキング
9~10世紀に、ヴァイキングはアイルランド沿岸に姿を見せ始め、ダブリンはその他の港を占領したりしました。
侵略だけでなく、アイルランドのヴァイキングは交易を盛んに行いました。また、アイルランドを拠点として、イングランド西岸やウェールズに攻撃をしたヴァイキングたちもいました。
※図中の黄色の上側、スカンジナヴィアン・ヨークの領域
図はEngland and Wales AD 900-950より
その他に侵略したヴァイキング
※ヴァイキングが侵略した場所。緑以外はヴァイキングが占領した領域。
ヴァイキングは西ヨーロッパ各地に勢力を広げていきました。
- ノルマンディーから十字軍に参加した者たちが地中海へ進出。イタリアへ侵攻しシチリア王国を建国
- ロシア平原、ルーシ、カガン国など
- キエフ大公国
ヴァイキングは何故強かったのか
793年にヴァイキングに襲われたリンディスファーン寺院の僧侶は、こう言いました。
我々が今、異教の民から受けている、このような恐怖に襲われたことはなかった
ヴァイキングは勇敢、どう猛で、人々に恐怖心を与えていたのです。ヴァイキングは、斬新な戦術と、高い士気を持っており、勝つための秘訣でした。
<ヴァイキングの強さの秘訣>
①高速移動しどこにでも上陸できる船を使って、いきなり襲撃し直ぐに去る、ヒットアンドアウェイの戦い方
②目的を達するなら手段を選ばず戦い、ローリスクな比較的無防備な修道院や教会を狙った
③戦うときはくさび形の体系を作り、武器を掲げ叫び声をあげて猛突進した。怯える敵の体形を蹴散らし、一対一の戦いに持ち込んだ
④船ごとに数十人のグループを作り、同じ顔触れで生活や戦いを共にする、親密な信頼関係を築いて高い士気を持った
⑤命が危なくなっても互いに助け合う強い絆を持ち、死んでもバルハラ(北欧神話の主祖オーディンの住みか、喜びの家)に行けると言われ、一体感を持って死を恐れずに勇敢に戦った
⑥臆病なふるまいをすれば悪評が付いて回り、恥と破滅を家族や子孫にもたらした
ヴァイキングの終焉
各地に広がったヴァイキング達は、その地に根付いてキリスト教に改教して同化していきました。
北欧各国との連絡も途絶え、各地に同化していったヴァイキングたちはヴァイキングとしてのアイデンティティーも失い、13世紀には活動を終え消滅していったのでした。
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