1か月ほど前ですが、「悪王」というテーマで話し合いました。
世の中には英雄と逆に、悪王・悪大名・悪代官と呼ばれる歴史上の人々がいます。多くは、私利私欲のために、人々を陥れ国を乱れさせた者たちです。その悪王たちの悪事を暴き、悪を叩いて語り合おうと思いました。
僕はイギリスの歴史に興味があるので、シェークスピアで演じられた悪名高きイングランド国王リチャード三世と、アーサー王物語にも関連する悪王ヴォルティゲルンの話をし、こんな悪い奴だった!と悪事に焦点を当てました。
※リチャード三世は反対派や幼き先王兄弟を抹殺した醜き王として、イギリス悪王と調べれば真っ先に挙がってきます。「100名の最も偉大な英国人」では第82位にランクインしています。
※ヴォルティゲルンは古代ブリタニア王で(現在のイギリス)、様々な悪事が原因でブリタニアがアングロサクソン族に乗っ取られるきっかけになったと言われています。
日本では吉良上野介、井伊直弼、徳川綱吉や、また悪代官もいますよね~
彼らはどんな悪事をしたのでしょうか? と振ってみました。
ところが、ガツンと突っ込みがありました。
悪い事ばっかりしていては出世できないよ!
「確かに悪事を働いたかもしれないが、根からの悪者はいない。そんな人物は出世できるわけないんだ」
「時代劇や歌舞伎の影響で、話を面白くするために悪が強調されて悪者に仕立て上げられただけなんだ」
とNさんにぐさりと刺されました。では悪者とされてきた上記の人々の実際はどうだったのでしょうか?江戸時代の歴史に詳しいNさんは、続けて語ってくれました。
●悪者ではなかった悪者たち
◎吉良上野介の善政
浅野内匠頭の仇討ちとして赤穂浪士に打ち取られ悪役として名高い吉良上野介ですが、実際はそう悪い人物ではないようです。内匠頭が江戸城で上野介に斬られたのも上野介に必ずしも非があるわけではなく、勅使接待という重要な任務でそそうが許されずピリピリと緊張している中、精神的に問題のある内匠頭がかーっとなって短絡的な行動に出たという説があります。また現在の愛知県吉良町の出身で、塩田を作り塩の収入を得て国を豊かにした善政の話もあります。
◎井伊直弼が日本を救った
日米和親条約を強引に締結し、安政の大獄で条約に反対する尊王攘夷派を弾圧し桜田門外の変で暗殺された悪者のイメージが強いです。強大なアメリカとの交渉で決裂して戦争になっては、当時の弱国日本では勝てるわけはありません。
それを十分に井伊直弼は理解しており、ソフトランディングとしてアメリカの要求を飲み条約に調印したそうです。強引だったのかもしれませんが、尊王攘夷派の意見を聞いていては、日本はアメリカに攻め込まれていたかもしれませんね。
◎徳川綱吉の業績
生類憐みの令を出して動物を粗末にする多くの人をむやみに罰した、悪将軍のイメージが強い徳川綱吉です。しかし令は江戸に限定されたものでしたし、政治はきちんと行っていました。
武士たちの給料を安定させようと米相場を操作して米価を安定させたり、平和な世の中に必要ないとして日本国内に残っている鉄砲を全部調査しました。また江戸‐大阪間に蒸気船を設けて、陸移動だった当時の交通の便を飛躍的に良くしたそうです。
また江戸時代は今よりも厳しいくらいの官僚制度で悪い事をすると出世できず、良い事をすると手当てがでるため代官たちはまじめに働き、時代劇に出てくる悪代官は物語上のキャラクターのようです。
Nさんの話を聞いて目から鱗が落ちてきました。僕を含めて、世間一般に広がっている情報で真実が見えなくなっていたんですね。歴史上の人物や出来事もしっかりガセネタではなく事実をしっかり勉強して正当に評価する必要があるなあと思いました。
またありとあらゆる情報があふれている現在社会も然りで、何が事実で何が嘘かを自分の目でしっかり見て判断する必要がありますね。
そうだ、そうだ、
●リチャード三世とヴォルティゲルンの汚名返上
◎まずはリチャード三世、
リチャード3世が反対派を抹殺した理由はかならずしも私利私欲では無かったようです。先王のエドワード4世が亡くなった後、幼きエドワード5世が後を継ぎましたが、その摂政としてリチャードが指名されていました。ところが、ウッドヴィル一族がクーデターを起こし、政権を略奪しようと企てたのです。そのウッドヴィル派が捕らえられて処罰されたというのが事実のようです。
リチャード三世はエドワード5世に忠誠を尽くしていました。しかし期間限定の摂政任務が終わってエドワード5世が実権をにぎると、またウッドヴィル派が権力を持ち直すことを恐れ、エドワード5世兄弟を殺害したと言われています。しかしリチャード3世が行ったのか、リチャード派かまた他の人物なのか分かってはいません。
リチャード3世は十分功績も持っており、特にスコットランドが反乱を起こした時には鎮圧し武勇にも知略にも優れた面があり、リチャード3世が戴冠した時にはイギリス北部の人々は大喜びだったそうです。このような事実は、シェークスピアがリチャード3世を極悪人に仕立て上げるには不都合なため、削除されていたようです。
ちょっと話はそれますが、三年ほど前にリチャード3世の遺骨が発見されDNA鑑定の結果、本人の遺骨にほぼ間違いないということが分かったそうです。現在の最新技術で顔も復元され、肖像画と非常に似ていることも分かりました。ところが、母方の血筋は家系図に一致しましたが父方は家系図と一致せず、リチャード3世は正統なイングランド国王だったのか?という疑いも出ているとのこと。極悪人に仕立て上げられ墓まで掘られ、「似非もの」呼ばわりされては可哀そうな気もします。
リチャード3世の良かった点にもスポットを当てて行きましょう、そう思いました。
詳しくはここをhttp://news.livedoor.com/article/detail/9574083/
◎次は5世紀のヴォルティゲルン、
・ブリタニア王(今のイギリス)のコンスタンス2世を殺害して王の座を奪いました。 ・自分に敵対する勢力に対してはアングロ・サクソン族を傭兵として雇い、ブリタニア国が彼らに占領されるきっかけを作ったと言われています。
ヴォルティゲルンの場合も結果的な悪事だけが注目されているのかもしれません。神話的な物語であり真実は分かりませんが、僕は下記の様に推測してみました。
・自分が王になって世の中を良くするぞ!という思いが、結果的にコンスタンス2世を殺害してしまたのかもしれません。
・愛国心が強くピクト族など外敵の侵略から自国を守るために、ローマ軍の援助を求めていましたが断られ途方に暮れていたところ、アングロサクソン族を雇い入れることができピンチを救ったかもしれません。それが歴史を長い目で見ると、結果的には乗っ取られる羽目になったのかもしれません。
僕は、ヴォルティゲルンの悪名の背景にはそんな「目的」「決断」「行動」があった事を願っています。
※後にコンスタンス2世の兄弟アンブロシウスとウーサーに復讐されますが、ブリタニア列王史などによりますとウーサーの息子が名高いアーサー王となっています。
ところで、そのアーサー王について僕の考えを纏めた電子書籍を出してみましたのでご紹介いたします。
では、また次回。よろしくお願いいたします。
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