【赤いローブの戦士】パダン・ベイスリュッドと古代ブリタニアの秘宝

AIを使ったウェールズ歴史
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【赤いローブの戦士】パダン・ベイスリュッドと古代ブリタニアの秘宝

ローマ帝国がグレートブリテン島(現在のイギリス)を支配していた4世紀。

その北の地で、ひとりの戦士が「赤いローブ」を授けられ、伝説となった――。

彼の名はパダン・ベイスリュッド。

この記事では、そんな赤いローブの戦士パダンの時代背景と功績、そして彼の名を不滅にした“レッドローブ伝説”に迫ります。

 

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パダンの時代背景:ローマ支配下のブリテン北部

1世紀から5世紀初めまで、グレートブリテン島はローマ帝国の属州「ブリタニア」として支配されていました。

当時のブリタニアは、ローマ文化とケルト文化が交錯する地域でした。

ローマの軍団は、現在のスコットランドとの国境地帯に築かれたアントニヌスの城壁を守り、北方の蛮族(ピクト族)の侵攻に備えていました。

この厳しい辺境の地の一部はマナウ・ゴドディン(Manaw Gododdin)と呼ばれていました。

3世紀の後半、この地にケルト系ブリトン人の有力な族長テギド・アプ・イアゴの息子として生まれたのが、パダン・ベイスリュッド(Padarn Beisrudd)です。

パダンはローマ軍に従う軍人でありながら、ケルトの血を引く戦士として、ブリタニアの防衛に尽力した人物と伝えられています。

パダンの功績:ローマ官僚として国境を守った英雄

パダンはローマ軍の高官にまで昇進し、マナウ・ゴドディンのヴォタディニ族(Votadini)の軍勢を率いて、スコットランド・クラックマナンシャー地方を守備しました。

彼は単なる族長ではなく、ローマ帝国から正式に軍の指揮権を授与された「辺境司令官」であった可能性が高いと考えられています。

その誠実な人柄と忠誠心から、ローマ軍内でも信頼を得たパダン。彼の活躍は、当時の皇帝コンスタンティヌス大帝の時代にも及んでいたとされます。

彼の統治は340年頃まで続き、その後は息子エデルン(Edern)が地位を継ぎました。そしてエデルンの子が、ウェールズ国の礎となったグウィネズ(Gwynedd)の建国者キネダ(Cunedda)です。

つまり、パダンはウェールズ王室の祖ともいえる人物なのです。

 

パダンのレッドローブ:「ブリテン島の十三の宝物」のひとつ

パダンの名を永遠に残したのが、彼の象徴「赤いマント(Red Robe)」です。

このローブは「ブリテン島の十三の宝物(The Thirteen Treasures of the Island of Britain)」のひとつとして語り継がれています。

伝承によれば、この赤いマントは、「高貴で誠実な者が身につければぴったり合い、卑しき者が着ようとすれば滑り落ちる」という不思議な力を持っていました。

ローマ高官のみが許される紫の衣を授けられたことが、後にこの「レッドローブ伝説」の起源となったのかもしれません。

この衣は単なる軍装ではなく、正義・高潔・忠誠を象徴する「リーダーの証」だったのでしょう。

まとめ:赤いローブに込められた誇り

パダン・ベイスリュッドは、ローマとケルトのはざまで、ブリタニア北部を守り抜いた戦士であり、のちのウェールズ王室の源流を築いた英雄でした。

彼の名は「赤いローブ」とともに伝説となり、誇り高きブリトン人の精神を象徴しています。

赤いローブは、真に誠実な者だけが身につけられる。

それは、古代ブリテンの混乱の時代に生きたパダン自身の生き方を、そのまま物語っているのかもしれません。

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