こんにちは、たなかあきらです。
「聖杯伝説」とはなんでしょうか?
またアーサー王に登場する聖杯探索に登場する聖杯とは、どのようなつながりがあるのでしょうか?
聖杯は英語ではHoly Grail、フランス語ではGraalと書き、数多く聖杯と信じられているものが存在します。そのなかで、3種類の聖杯をご紹介します。
最後の晩餐の聖杯
最後の晩餐、レオナルド・ダ・ヴィンチ作
一つ目は、
十字架の聖杯
※アリマタヤの聖ヨセフ
二つ目は、十字架上のイエスの血を受けた杯である、
※アリマタヤの聖ヨセフ(英語の発音はジョーゼフ、Josepf of Arimathea)は、聖書では、キリストの弟子であるだけでなく、マリアの叔父で、キリストの大叔父にあたる人物とも言われています。
騎士道物語の聖杯
3つ目の聖杯は、聖杯の話が初めて文献に登場する話です。1180年代にフランスの詩人クレティアン・ド・トロワによる未完の騎士道物語「ペルスヴァル、あるいは聖杯の物語」(原題:Perceval, le Conte du Graal)があり、聖杯が登場します。
主人公ペルスヴァルは、強くなり騎士になるための修行の旅にでます。漁夫王の城に招待された食事の席で、現れた乙女が捧げ持つものが、飾り立てられた聖杯です。しかし、この聖杯は特にイエスやキリスト教とのかかわりは無いと言われています。
※パーシヴァルの聖杯伝説に関する映画
聖杯のドッキング
「ペルスヴァル、または聖杯の物語」
その中で代表的な作品が、1190年代に書かれたとされる、フランスの詩人ロベール・ド・ ボロンの「ペルスヴァル」です。
ボロンは、最後の晩餐のとき用いられ た杯を用いて、アリマタヤの聖ヨセフが十字架上のイエスの血を受けたと、一つ目の聖杯と、二つ目の聖杯を結びつけました。
エルサレムの裕福な商人であった聖ヨセフは、イエスの遺品を携えてフランス、スペイン、ポルトガル、そしてブリタニアでも布教活動をしました。ブリタニアには聖杯とともに行き、アヴァロンの島に渡ったと言われています。
また、聖ヨセフはブリタニアで最初のキリスト教会を作り、その場所は現在のグラストンベリー修道院( Glastonbury Abbey)とされています。
※グランストンベリーにはチャリス・ウェル(Chalice Well)と呼ばれる泉があり、聖ヨセフは聖杯をこの泉の水の中に隠したという話があり、チャリス・ウェルの水は、 傷や病を癒す効果があるとされています。グラストンベリー修道院は、1539年に解散されるまで、重要な巡礼地になっていました。
アーサー王物語の聖杯
アーサー王物語での聖杯伝説は、ボロンの「ペルスヴァル」と多くの共通点が見られます。アーサー王物語に登場する聖杯伝説の概略と、これまでお話した聖杯や聖杯伝説との関連について、見てみましょう。
①ペラム王と漁夫王
アーサー王がブリタニアの王の時、ブリタニアの北部にはペラム王がいました。ペラム王はいつも足や股に傷を負っており、自分の足で歩くことが出来ないほど虚弱でした。ペラム王は国を治めることもできず、ブリタニア王国もペラム王と同じように病んで荒廃が進んでいました。
このため、アーサー王はペラム王を癒して国を立て直そうと、円卓の騎士たちと「聖杯探索」の冒険に出たのです。このペラム王は別名、漁夫王と呼ばれています。
※「ペルスヴァル、または聖杯の物語」に漁夫王は登場します
②ガラハッドとアリマタヤの聖ヨセフの関係
聖杯探索の旅は困難を極め、
聖杯探索の旅は、円卓の騎士であるガラハッド、 ボールスとパーシヴァルが中心になり、中でもガラハッド卿 が大活躍をします。
ガラハッドは、アリマタヤの聖ヨセフが血の赤い十字架を描いた盾を持ち、 聖杯探索に出かけました。ガラハッドの父はランスロットで、母エレインはヨセフの末裔とされています。
※アリマタヤの聖ヨセフはイエスが十字架にはりつけにされた時に、流れた血を聖杯で受けました
※円卓の騎士パーシヴァルは 、「ペルスヴァル、または聖杯の物語」の主人公、ペルスヴァルとの関連が伺えます。
長い困難な旅が続きましたが、
アーサー王と聖ヨセフの関係
アリマタヤの聖ヨセフはブリタニアは聖杯とともに行き、アヴァロンの島に渡ったと言われています。そして、現在のグラストンベリー修道院にブリタニアで初めての教会を作った、と説明しました。
アーサー王は、円卓の騎士モルドレッドと死闘を繰り広げ、深手を負ったアーサー王はアヴァロンに流されて、亡くなったとされています。
アヴァロンとは何処なのか? いろんな説がありますが、有力なのはグランストンベリー修道院であり、アーサー王のお墓も存在している、という説があります。
👉参考記事
アーサー王物語が完成された時に、クレティアン・ド・トロワによる未完の騎士道物語「ペルスヴァル、あるいは聖杯の物語」や、フランスの詩人ロベール・ド・ ボロンの「ペルスヴァル」が取り込まれた、と考えられますね。
※現在のグランストンベリー修道院
参考記事:
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