イギリスだけど中世ウェールズの王位継承はイングランドと違った方法だった

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f:id:t-akr125:20180724001733p:plain(19.11.9更新)
イングランドでは中世より王室が存在し、王位継承は、王の子や兄弟など王位継承権のある人物の中で、継承順位をつけて、王が亡くなると最も順位の高い者が王位を継承するシステムをとっていました。

11世紀以前は、後継者は議会で承認される必要がありましたが、骨肉の争いになることもありました。

 

1066年のノルマン・コンクエスト後は(ノルマン朝)、イングランド国王の継承は国王の長男とし、領土は子達で分割することもやめました。

王に権力が集中して専制君主制が強まりました。

 

※君主が統治の全権能を自己のものとし,自由に政治権力を行使する専制政治の一形態。 

 

👉ノルマン朝を始めたウィリアム1世に関する記事

イングランドの征服王と呼ばれたウィリアム1世のカリスマ性の秘訣

 

 

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イングランドの隣国ウェールズでも王室があり、領土や王位(統治者)の地位は代々、受けて継がれていました。

しかし、ウェールズでは継承の仕方が、イングランドとは大きく異なっていたのです。

 

👉関連の記事

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ウェールズの領土分配のやり方

 

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分かりやすい例として、5世紀のウェールズまで時代をさかのぼります。

当時のウェールズ北部では、キネダという人物がおり、ウェールズの原形となるグウィネズを建国し、ウェールズの王室を始めました。

キネダには7人の息子と1人の孫がおり、共に敵と戦い、領土を拡大しました。

 

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キネダはどのように自分の領土を後継させたのですか?

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イングランドは領土の所有権は王1人に集中したけれど、ウェールズの場合は大きく異なりました。キネダは息子7人と孫1人に均等に領土を分け与えたのです。

息子たちに均等に領土を継承させることは、ウェールズの「しきたり」として長く続けられ、10世紀に文書化されたウェールズ法にも記されています。

 

👉領土は末っ子が均一に分割し、長男から選んでいったそうです 

中世ヨーロッパで最も進化した法律 ウェールズ法はどんな内容なのか 

 

ウェールズの王位継承の方法

 

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ウェールズの領土継承は、平等でいいですね。でも、息子が多いと、自分の分け前が減ってしまいそうですね。領主が、そんなに多いとどうやって統率を取っていたのですか? そうそう、王位はどのように決めていたのですか?

 

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長男が継いだり、王位継承の順位がありその順番に後継する、というシステムではありませんでした。実力主義だったのです。

 

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戦いで勝ち抜いた強者が王位に就いた、ということですか?

 

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いえいえ。そうではなく、統治者としてふさわしいと認められた人物が継承していたのです。

キネダには息子7人と孫1人に領土を分け与えました。しかし、全体を統括する統治者になったのは、長男でも次男でもありませんでした。

 

キネダの息子では、五男のケレディグと七男のエイニオンが実力が他の息子よりも勝っていました。

ケレディグもエイニオンも勇敢な戦士で、北ウェールズや西ウェールズに攻めてくる、スコット族を追い払うのに活躍しましました。2人は兄弟たちと協力して、大いに父キネダを助けたようです。

 

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最終的にどうやって後継者はきまったのですか? 

 

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どちらが、統治者として適任か、ということです。武力だけでなく、人格も必要だったと思いますよ。

5男のケレディグは執着心や我欲が強かったんじゃないかと思われます。後のエピソードに、年老いても領土を誰にも継がせようとはせず、若い人に地位を渡す様にとさんざん説得されて、渋々次男に譲った、と言われています。

7男のエイニオンは、せっかちな性格だったようですが、統治者として相応しい人物だったようで、キネダの後継として統治者となり、ウェールズ王室も受け継ぎました。

 

エイニオンが統治者となったことは吉となり、その後も外敵を打ち破り、ウェールズ北部の領土を拡大していき、基盤を強化しました。

問題点・欠点

 

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中世ウェールズの領土や統治者の後継の方法は、理にかなっていて先進的で素晴らしいと思います。欠点などはなかったのですか?

 

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問題は2点あったと思います。

1点目は、領土が息子達に均等に分割されていくと、代を経るごとに領土が狭く細分化されていきます。自分の分け前が減ってくると、争いが生じる可能性があります。このため、中世ウェールズでは内紛が絶えなかったのかもしれません。

 

2点目は、ウェールズは統治者へ権力が集中しなかった点です。
中世の他国は、王に絶対的な権力が集中し、王の命令で周りの人々は動いていました。

したがって、王の権力が強く統率のとれたイングランドの攻撃に、ジワリジワリとウェールズは後退し、領土を奪われていきました。

 

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なるほど~。

追記)ウーサー・ペンドラゴンとエイニオン

エイニオンのあだ名であるイース(Yrth)は、「せっかち」という意味で、これが変化して、ウーサーになったと言う説があります。
ウーサーとは、ウーサー・ペンドラゴンで、アーサー王の父と言われている人物で、エイニオンの事ではないか、とも考えられています。

ペンドラゴンとは、頭(ペン)にドラゴンの冠をかぶっているとも解釈でき、ウーサー・ペンドラゴンとは、頭にドラゴンの冠を被ったせっかち王、だったのかも知れません。

参考:そんな面白いあだ名をウェールズ王につけるの?

 

 

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最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

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