こんにちは。たなかあきらです。
アングロ・サクソン七国の一国、マーシアに攻撃され、ウェールズ内でも内乱が起きて、混乱したウェールズを救ったのが、メルヴァン・アプ・グワリアドという人物でした。
メルヴァンの時代にようやく平和が訪れ、メルヴァンの息子の時代となりました。
今回第5話は大王と呼ばれる英雄がウェールズを統一した時代(9世紀前半~10世紀中盤)のお話をします。
前回までの記事
忍び寄る外敵の圧力
救世主メルヴァンの活躍によってウェールズは窮地を救われ、平和を取り戻しつつあったんだ。しかし、外敵の脅威は変わらずウェールズを襲っていたんだ。
まだまだ、アングロサクソンのマーシアからの攻撃は続くんですか?
この時代になると、イングランドの状況は大きく変わってくるんだ。ウェールズの話に入る前に、イングランドについて簡単にお話をしておこう。
赤字がアングロサクソン7王国
8世紀末に最大勢力を誇ったオッファ王のマーシアは勢力を落とし、8世紀初めから中頃にかけて南西部のウェセックス(Wessex)が急に勢力を伸ばして、エグバート王(Egbert)の時にはマーシアを支配下に置き、現在のイングランドの最大権力を振るったんだ。ところが、イングランドにとっても新たな脅威が現れるんだ。
ひょっとして、新たな脅威とはヴァイキングですか。
その通りだ。8世紀の終わりごろから、イングランドの東岸にはデンマークやノルウェーからヴァイキングがやって来るようになり、略奪行為をはたらいたんだ。
9世紀中ごろになると、ヴァイキングは物品の略奪だけでなく領土を侵略するようになり、広大な領土を占領し勢力を広げていったんだ。
インランドはヴァイキングの侵略に戦わねばならず、これによってウェールズとの関係も大きく変化が訪れるんだ。
黄色い部分がヴァイキングの領土!半分くらいのイングランドがヴァイキングに奪われてしまっている。
※10世紀初めごろの勢力地図
England and Wales AD 900-950より
そうなんだ。かつてはケルト系ブリトン人のブリタニアを侵略したアングロ・サクソン族が、今度はヴァイキングによって侵略され始めたんだよ。ヴァイキングは強く、イングランドは窮地に立たされるんだ。
イングランドはどうやってヴァイキングと戦ったのでしょうか?また、ウェールズもヴァイキングに占領されたのでしょうか?
了解。ヴァイキングとの戦い、ウェールズとイングランドとの戦いや関係について説明しながら、ウェールズにも強力な統治者が出現してウェールズを統一した時代についてお話しよう。
ウェールズに大王現る!!
ロドリ大王の像(ウィキペディアより)
ロドリ大王のウェールズ統一
9世紀頃のウェールズは、ウェールズ法にも記されているように領土や財産は自分の息子たちに均等に分けることが定められていたんだ。
このためか、四国ほどの面積しかないウェールズなんだけど、常に小国に分かれさらにその小国も分割されて、ウェールズ全体が統一されることはなかったんだ。
どんどん分割されていくので、自分の持ち分が小さくなるので、争いや内乱が頻繁に起きるようになっていた、と思うんだ。
ところが、この時代になってようやくウェールズのほぼ全域を統一した、大王と呼べる人物が現れたんだよ。
戦国時代の天下取りみたいで面白そうですね。やはり戦いに明け暮れて、勝利を勝ち取った武将のような人物でしょうか。
最初の大王は平和的な人物だったんだ。救世主的に現れてウェールズ北部を立て直したメルヴァンにはロドリ(Rhodri ap Merfyn)と呼ばれる息子がいて、844年にロドリはメルヴァンの後を継いだんだ。
ロドリは勇敢で賢く信頼もされていたんだろうな。最初はメルヴァンから受け継いだグウィネズだけを統治していたんだけれど、ロドリの叔父カンゲンが治めていた隣国のポウィスも、855年からロドリが統治をしたんだ。
カンゲンには息子がいなかったのですか。いたとすると、争いにはならなかったのでしょうか。
カンゲンには息子(ロドリの従兄弟)がいたんだよ。おそらく、従兄弟が領土の所有をして、ロドリは統治をしたんじゃないかな。従兄弟が市長、ロドリが知事みたいな感じかな。
さらにロドリは支配力を伸ばしていくんですよね。次はどうやって統治の範囲を広げたのですか。
ウェールズ南西部にはセイサルウィグ(Seisyllwg)という国があって、ロドリは統治者グワゴン(Gwgon)の妹アングハラドと結婚し同盟関係を築いたんだ。グワゴンには息子がなく、872年に亡くなった後はロドリがセイサルウィグの領土を後継したんだよ。
こうしてロドリは戦うことなく平和的にウェールズの大部分の領土を統一することに成功したんだ。
※Gwynedd、Powys、Seisyllwgの緑色3つがロドリ大王が治めたウェールズの領土(南西部の小国群を除く。ウィキペディアより)
なるほど。婚姻関係を上手く利用したわけですね。ロドリが婚姻による勢力を広げた理由とかは、あるのでしょうか。
ロドリは戦いは避けたかったと思うんだ。戦いを始めてしまうと戦乱期のような内乱状態となり国力が下がってしまうんだ。そうすると、再び外敵に狙われやすくなって侵略される恐れがあると思うんだよ。
勢いを増しているアングロサクソン七王国の一国ウェセックスや、支配下にはいったマーシアがいるし、更には北からヴァイキングがやってきてマーシアなどを荒していたんだよ。
外敵ばかりで気が休まらないですね。それだけ外敵の脅威があれば、ウェールズの国は団結して立ち向かう必要がありますね。
ヴァイキングはアングロ・サクソンの領土を相当占領してましたけど、ウェールズには攻め込んでこなかったのでしょうか。
ウェールズ対ヴァイキング
ウェールズもヴァイキングの攻撃は頻繁に起きていたんだ。特に沿岸付近はヴァイキングに悩まされていたんだよ。
856年に最大の事件が起こるんだ。デンマークで最大の威力を誇るヴァイキングの王、ゴルム(Gorm)が自ら軍を率いて、ウェールズに攻め込んできたんだ。
ウェールズはアングロサクソンのように、ヴァイキングにやられてしまったのですか。それとも、ロドリはヴァイキングを退けたのでしょうか
ロドリは武力にも優れていたようだ。ロドリはヴァイキング軍と果敢に戦い、ゴルムを倒して国をウェールズを守ったんだ。バイキングに苦しんでいたアングロサクソン諸国からも大いに喜ばれたようだよ。その後も、ヴァイキングがウェールズを侵略して領土を占領することは、なかったようだ
ロドリはやりますね。ウェールズにとっても、イングランドにとっても英雄的な存在何ですね
そうだな。ヴァイキングを倒しウェールズの大部分を統一したロドリは、ロドリ大王(Rhodri the Great)と呼ばれているんだよ
ロドリの紋章
でも、イングランドが侵略されたのに、どうしてロドリ大王はヴァイキングを撃退できたのでしょうか
僕の意見だけれど、いくつかの理由が考えられるんだ。ヴァイキングの戦い方は、①密かに海から船でやって来て上陸し、②船ごとのグループに分かれて集落などを急襲し、③盾と斧のような武器を使って接近戦で相手を圧倒する、という戦い方なんだ
一方、ウェールズの戦い方は、①地形を上手く利用して相手をおびき出し、②茂み隠れたりして急襲し、③ロングボウという遠距離から放つ強力な弓で圧倒してやっつける、という戦い方なんだ
なるほど。戦い方は違うけど、急襲ってところは似てますね
ウェールズ軍は知り尽くした地形を利用してヴァイキングを待ち伏せし、ロングボウで遠距離から急襲してくるので、接近戦のヴァイキングにとって戦いにくかったと思うんだ。また、イングランドとは違って、山岳地帯が多いウェールズは、海からやってくるヴァイキングにとって攻めにくかったと思うよ
合点
ウェールズの強化策
強敵を抑えたロドリは、ウェールズ内の国づくりにも尽くしたんだ。安定した国が続くように、ロドリは生きているうちに息子たちに国を分配して、各国の強化と結束を図ったんだよ
長男アナラウドを筆頭にグウィネズ(Gwynedd)を与え、次男カデルにはセイサルウィグ(Deh)、三男メルヴァンにはポウィス(Powys)を渡して、協力してウェールズを統治させたんだ。
ロドリと息子たちは、毛利元就の三本の矢に似てますね。
しかし、元就の息子たちのように、ウェールズも安定した時代は長くは続かなかったんだ
ということは、また戦いが始まるのですか
再び起こる内乱
大王倒れる
ロドリ大王と息子たちの家系図を簡単に示しておこう。
アナラウド、カデル、メルヴァンのロドリ大王の3人の息子たちはお互い協力しあい、「ブリテン島の三王」と呼ばれるよど、名をとどろかせたんだよ。ところが、877年にアングロサクソン七国のマーシア国が再びウェールズを攻撃してきたんだ。
マーシアはまだしぶとく残っていたんですか?
当時のマーシアは南西部のアルフレッド大王が率いる強国ウェセックスの支配下にあったんだ。マーシアのセオルウルフ王がウェールズを攻撃してきたんだ
なぜマーシアがウェールズを攻撃してきたのか? おそらくアルフレッド大王が一枚かんでいるんじゃないかと思うんだ。ヴァイキングを破りウェールズで勢力を広げているロドリ大王を脅威に感じたんじゃないだろうか。叩けるうちに叩いて、支配下におさめておこうとね
※アルフレッド大王:ウェセックスの王で、アングロサクソン諸国がヴァイキングに征服されかかった時に、ヴァイキングを打破しアングロ・サクソン諸国を守った歴史的な英雄
それで「ブリテン島の三王」の息子たちとマーシアの戦いとなったわけですか?
最終的にはそうなったんだけどね。最初のマーシアの標的は、ロドリ大王だったようだ。ロドリ大王はセオルウルフ率いるマーシア軍に敗れ脱出したんだが、マーシアの傘下に入るのを拒否したんだ。そして、再びマーシアに攻められ戦死してしまうんだ
これに対して「ロドリのための神の復讐」と呼ばれる戦いがおこったんだ。結束を強めたロドリの息子たち、アナラウド&カデル&メルヴァン三兄弟は力を合わせ、881年にマーシア軍を撃退したんだ。(コンウィの戦い、Battle of Conwy)
ロドリ大王が戦死したのはとても残念ですが、三兄弟が協力してマーシアに勝てたのは良かったですね
ところが、再び戦乱の世が訪れてしまったんだよ
息子たちの乱
野心を燃やす長兄アナラウドは、何とヴァイキングと手を結びマーシアを攻めたんだ。これはうまくは行かなくて、ヴァイキングを見限り、ウェセックスのアルフレッド大王と同盟を結んだんだ。
すると今度は、アナラウドの標的は次男カデルに向けられたんだ。アナラウドはカデルの領土を狙ってデハイバースに攻め込んだんだ。
一方、攻められた次男のカデルも黙っちゃいないア。アナラウドに侵略されたが、もとの国境まで攻め返したんだ。さらに、カデルは三男メルヴァンを攻め、ポウィスを奪っていったんだ。こうしてアナラウドとカデルの対立は深くなっていくんだよ。
アナラウドを創始者とする家系をアバファラウ家、カデルを創始者とする家系をディナヴァウル家と呼び、ウェールズの王家は分裂したんだ。
※三兄弟の対立
せっかく「ブリテン島の三王」と呼ばれたのに、ロドリ大王の願いと努力は水の泡ですね。また、戦乱の世の中に逆戻りとは残念です。
孫たちの乱
長兄アナラウドの後は息子イドワル・ヴォエル(Idwal ap Anarawd、通称 Idwal Foel)が継ぎグウィネズを治め、当時のウェセックス王のアゼルスタンと同盟を結ひ、アゼルスタンに忠誠を誓ったんだ。
一方、次男カデルの後は息子ハウェル(Hywel ap Cadell)が継ぎセイサルウィグを治めたんだ。ハウェルはウェールズ南西端のダヴィッド国の統治者ラワルヒの娘と結婚し、ラワルヒが亡くなるとダヴィッド国を奪い、セイサルウィグと合わせてデハイバースとし、領土を広げたんだ。
アナラウドとハウェルは手を組んだんですか。それとも争いあったのでしょうか。
アナラウドとハウェルの関係のキーポイントは、イングランドにあるんだ。イングランドの関係によって、二人の関係は大きく変わっていくんだよ。
ウェセックス王のアゼルスタンは、当時最も勢力を持ち、イングランドとして初代王となったアゼルスタンは、イドワルやウェールズだけでなく、他の国にも忠誠を誓わせようとしたんだ
それじゃ、アゼルスタン王はイドワルだけでなくハウェルとも同盟を結んだのでしょうか
そうなんだよ。同盟を結びアゼルスタンがハウェルは何度もアゼルスタンの元に通い、アゼルスタンに造幣所を借りて銀貨を作ったりし、アゼルスタンと親密な関係を築いたんだ。この親密さがイドワルの妬みを生み、ハウェルとイドワルの関係を悪くしたんだよ
イドワル=同盟=アゼルスタン=同盟=ハウェル
\______いがみ合い______/
アゼルスタンが亡くなり、エドムンドに変わった時、ハウェルは引き続きイングランドとの同盟を続けたんだ。ところが、イドワルはハウェルの権力増大を恐れ、イングランドに戦争を仕掛けたんだ
イドワルはエドムンド王に敗北し、その隙をついてハウェルはイドワルの領土グウィネズを奪い、再びウェールズのほぼ全域を統一したんだよ
再び大王現る
ハウェル・ザ・グッド王
親族の争いによって勝ち取った統一。ん、何とも言えませんが、再びウェールズは平和になったのですね
武力争いが起きてしまったことに、ハウェルにも反省する点があったと思うよ。ハウェルは若いころは暴力的な面を持ち、戦争を起こしがちなハウェルだったけど、ウェールズをほぼ統一してから、改心してウェールズの平和に貢献したんだ。束の間ではあったけど、ウェールズの黄金期を作ったんだ。
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だから、ハウェルはグッド王と呼ばれているんですね。具体的には何をしたのでしょうか
※ハウェル・ザ・グッド(Hywel the Good )、ウェールズ語ではハウェル・ダ(Hywel Dda)
ハウェルは平和を維持するためには仕組みを作る必要があると思ったんだ。統治者たちが国を統治したり、領主が土地を守ったり後継したり、人々が争いを起こすことなく安心して暮らせる、法律がウェールズにはなかったんだ。
そこでハウェルはローマに出かけて法律を学び、ウェールズで初めてウェールズ法を制定するなど、平和な国つくりに力を尽くしたんだ。
ウェールズ法はどんな内容なんですか
ハウェルはローマで最新の法律を学び、更にヨーロッパ、イスラム、ギリシャ、アラブ、ラテン諸国の法律も学び良いところを結びつけて独自の法律を作ったんだよ。ㇵウェルが作った法律の内容をちょっと紹介しておこう。
・領土は非嫡子を含む息子たちに均等に分けられる
・死刑は禁止。しかし罪を犯した親族は7世代に渡って被害者に償いをする
・臭い口臭、重病、セックスレスの夫とは離婚できる
・7年以上結婚生活を続けていれば、夫の財産の半分を得る権利がある
犯罪、財産、相続の内容から女性の自由と権利まで決められている現代的な法律であったんだ
本当ですね。中世とは言え、ハウェルは先見の目があったかも知れませんね
※ハウェルの作ったウェールズ法は「ハウェル・ザ・グッドの法」とも呼ばれ、その後ヘンリー8世に書き換えられるまで約600年にも及び効力を発揮した。当時では最新の法律で、イギリスにおける法律の基礎となった。そのハウェルも当初は後継争いで親族と争い、その経験も生かされてたのではと思います
※ハウェル大王に関する記事www.rekishiwales.com
※英語とウェールズ語ですが、ハウェルについて簡単に纏められた本です。
最後まで読んでくださり有難うございました。
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