こんにちは、たなかあきらです。
プリンス・オブ・ウェールズとはもともと、中世のウェールズで生まれた統治者を意味しました
12世紀のウェールズでは、プリンス・オブ・ウェールズを名乗る強力な統治者が登場し、イギリスを征服したノルマン人のイングランド(ノルマン朝イングランド)との戦いを繰り広げました。第7話では、11世紀後半~13世紀末までのプリンス・オブ・ウェールズ時代について、お話しいたします。
※時代の区切りや呼び方は筆者が独自に表現しているものです
中世ウェールズの黄金期
グリフィズが、グウィネズの統治を巡るアベルファラウ家とディネヴァウル家の対立や下克上を抑え、ノルマン人イングランドの侵略を防いで、新たなウェールズの歴史を始めたんだ
グリフィズはグリフィズの統治者を56年ほど務め(国を取り戻してから約35年)、つかの間ではあるがウェールズは比較的平和で、黄金期と言われる時代になったんだ
これまで、ウェールズの平和がしばらく続いたのは、ロドリ大王、ハウェル良王、唯一全ウェールズを統一したグリフィズくらいと、数えるほどしかないんですよね。いずれも、長くて35年くらいですし。今回の平和はどのくらい続いたのですか?
グリフィズの後は息子のオウァイン・アプ・グリフィズ(Owain ap Gruffydd)が後継したんだ。オウァインは武勇にも優れ、父から譲り受けたグウィネズにとどまらず、影響力を広げて、ウェールズ南部を除くほぼ全域に支配力を及ぼしたんだ
へぇ、そりゃすごい
攻めてくるノルマン軍を打ち破り、逆に国境を東に押しやって勢力を広げ、南もデハイバースと提携してノルマン軍に完勝して、ノルマン軍の侵略を打ち砕いたんだ。
同盟関係にあるデハイバースの統治者アナラウドが、自分の弟に殺されたと知ると、即座に軍を送り弟を追放して、デハイバースとグウィネズを統合したんだ
何か陰謀を感じますね。オウァインが弟をそそのかして、アナラウドを殺させたとも、取れますけど
色々と考えられるとは思うが、デハイバースのアナラウドは、オウァインにとって同盟のキーマンで、自分の娘と結婚させる直前だったそうだ。それで、オウァインは大いに怒り、弟を成敗しという事だ。そして、オウァインはさらに勢いを増していくんだ
今度は、どの方面に拡大していくんですか。西ですか、南ですか、それとも東でしょうか
そうだよ、オウァインは東方面に勢力を伸ばそうとするんだ。ノルマン人のイングランドにこっぴどくやられていたけれど、イングランドでヘンリー1世が1135年に亡くなると、ヘンリー1世の甥スティーブンと娘マティルダとの後継争いが勃発して、ウェールズへの注目が薄れていたんだ
オウァインはその隙をついて、イングランドに奪われた土地をとり戻すだけでなく、ウェールズ国境を更んび東にまで広げたんだよ
イングランドの無政府状態の時に、うまく領土をひろげたんですね。鬼の居ぬ間に、ってところですね。ずっと、イングランドは黙っていたのでしょうか
そりゃ、イングランドも黙っているはずはないよね。イングランドでは1154年に、ヘンリー1世の息子、ヘンリー2世が王に戴冠したんだ。ヘンリー2世は勢いを増していたオウァインを叩こうと、何度もウェールズに侵入してきたんだよ
ヘンリー2世って、巨漢でイングランドだけでなくフランスの大部分も所有した大帝国の主ですよね。そんな猛者に攻撃をくらって、オウァインは大丈夫だったんですか
いくらオウァインでも、ヘンリー2世とまともに戦ったら勝てなかったと思うよ。
1157年に、ヘンリー2世はウェールズに攻め入って各地を破壊したんだけど、オウァイン軍はじっと山林で待ち伏せをしていたんだ。オウァインはここぞ!とイングランド軍に襲い掛かり、不意を突かれたイングランド軍は総崩れになり、ヘンリー2世は命からがら逃げ帰ったんだ。
また1165年には、ヘンリー2世は奇襲作戦に出たけれど、ウェールズ中の統治者を引き連れたオウァイン連合軍に見つかり撃退され、更に大雨にも合いイングランド軍はちりじりに逃げ帰ったんだ。その後、ヘンリー2世は二度とウェールズに攻撃をしなかったんだ
イングランドのヘンリー2世を、2度も打ち負かすとは凄い!オウァインはウェールズの英雄ですね
オウァインは国の名前が付いた、オウァイン・グウィネズやオウァイン大王(オウァイン・ザ・グレート)とも呼ばれたんだ。自らをプリンス・オブ・グウィネズと呼び、これがプリンス・オブ・ウェールズのスタイルの始まりとなったんだ
ウェールズの危機を救った父グリフィズと、イングランドを打ち破ったオウァインの統治時代を合わせると、約70年ほどになるんだ。その間は中世ウェールズ黄金時代であり、ウェールズの統一と独立を通した時代だったんだよ
大王の失敗
オウァインは中世ウェールズの英雄だったけど、「英雄好色」というように、オウァインは女性が大好きだったようだ。
分かっているだけで妻と妾は最低6人以上、子供は男子は18人以上、女子は4名以上いたと言われるんだ
統治者なら育てるお金はあるし、子だくさんは楽しそうで、中世でも頼り甲斐もあって良いんじゃないですか
しかし、ウェールズの統治者にたくさんの子供がいるということは、当時は大きな問題だったんだ
「正室、側室、妾の子に関わらず全ての息子に財産は均等に分け、後継者の権利がある」という当時ウェールズ法だ。これほど男子が多くては、均等割りでは自分の分け前も少なくなってしまうんだよ
相続争いが起きそうですね
溺愛した長男は戦死してしまったので、オウァインは片腕として活躍した次男ハウェルを後継者に指名しており、オウァインが1170年に亡くなると、ハウェルがグウィネズを後継したんだ
ところが、これを喜ばしく思わない人物がいたんだ。オウァインには妻だけでなく妾がいただろう
妾かその息子たちが反対したんでしょうか?
実は、ウェールズ教会から破門されても結婚した人物がいたんだ。オウァインは従妹のクリスティンと反対を押し切って結婚したんだけど、ウェールズ教会では従妹との結婚は禁止されていたんだよ
そのオウァインとクリスティンの間に生まれた六男~八男が反逆を起こしたんだ。ハウェルを殺して六男のダヴィッズが、後継者の座を奪ってしまったんだ。一説によると、オウァインが生きている時からクリスティンが狙っていたらしいよ
恐ろしいですね。さらに争いが続きそうですけど、後継争いは収拾したんですか
実はこれからが地獄なんだ
ダヴィッズは恐ろしい手段に出たんだよ
1170年 次男ハウェルを殺害
1173年 四男マエルグゥインを国外追放
1174年 懲りないマエルグゥインを投獄(獄死)
1174年 弟ロドリを投獄
1174年 三男イオルワース戦死(ダヴィッズの指金か)
1174年 八男コナン没(暗殺か)
こんなにたくさん!これは極悪人
兄弟たちそれぞれに、どれだけの分け前があったかは分からないけどね。ダヴィッズは弟たちも遺産を狙い、自分も殺されると思ったのか、取り分が減ると思ったのだろうか
ダヴィッズは残った兄弟たちを、殺すか投獄するかの残忍な行為におよび、全員消してオウァインの遺産を独りじめにしたんだよ
ダヴィッズはウェールズ史上でも類を見ないほど、身内を殺害しまくった恐怖の人物となったんだ
何と非道な統治者がいたものですね。これじゃいつやられるか分からない。人望なく評判悪いし、ウェールズは統治できませんよね
さらに、ダヴィッズは1174年に、イングランド王ヘンリー2世の妹エンメと結婚し、自分の地位を固めたんだ
恐らくイングランドを盾に利用して、皆を黙らせたんですね。何とも卑怯な奴だなあ。グウィネズやウェールズ内で、ダヴィッズを倒そうと内乱は起きなかったのですか
ダヴィッズの記事
希望の星が登場
そこに一筋の光が差し込んできたんだ。それは人々の唯一の希望でもあったんだ。ウェールズ教会から認められない結婚で生まれ、極悪非道を続けたダヴィッズには望みを持っておらず、打倒が計画されていたんだ
ウェールズの人々が注目したのは、オウァイン大王の孫だよ
そうか、孫がいたんだ。孫たちは、ダヴィッズ打倒に一役かったのでしょうか
人々が注目したのは、ラウェリン、グリフィズ、マレディズの3人の孫さ。特にラウェリンは、オウァイン大王と正妻の間に生まれた三男イウォルワルスの息子で、正当なる後継の権利を持っていたんだ
三人はラウェリンを中心に密かに打倒だダヴィッズの準備を始め、機会をうかがったんだ。グウィネズの人々も、教会もラウェリンを支持し、皆がダヴィッズを倒す事を待ち望んだんだ
チャンスを待つこと6年。1194年、ラウェリンら3人は協力してダヴィッズに戦いを挑み、両軍は、現在の北ウェールズにあるアバコンウィーで激突したんだ
勢いに勝るラウェリン軍はダヴィッズ軍を打ち負かし、ダヴィッズを捕らえて投獄したんだ
やりましたね。これで少しはグウィネズの人々も安心ですね
ラウェリンはようやくグウィネズの統治者になったんだが、周りには手強い敵がいたんだよ
ラウェリンもグウィネズの人々も気が休まりませんね。今度は誰ですか
希望の星と脅威との争い
まずは、ウェールズ内の隣国ポウィスの統治者、グウェンウィンウィンなんだ。ウェールズに領土を持つイングランド公爵たちを追い払いウェールズのリーダーになろうと狙っており、勢力を伸ばすラウェリンが気に入らなかったんだ
1202年にラウェリンとグウェンウィンウィンの間で戦争が勃発し、ラウェリンが勝利してウェールズのリーダー的統治者になるんだ
ウェールズ内での内乱、て訳ですね。他の脅威とすると、やはりイングランドですか?
そう、イングランドとの関係性は重要だな。イングランド王や、国境を接するイングランド諸侯との関係が、情勢を左右するんだ。
ラウェリンの時代になると、イングランド王はヘンリー2世の息子、ジョン王になったんだ
何と、悪王で名高いジョン王ですか!やはりウェールズに圧力をかけてきますよね
最初は争いにはならず、ラウェリンはジョン王に忠誠を誓い、更にラウェリンはジョン王の娘ジョアンと結婚し、良好な関係を築くとともに、ラウェリンの地位を固めたんだ
なるほど。ウェールズ内の歴史を見ても、婚姻で関係構築はよくやる手ですよね。これは吉に出たようですね
さらにラウェリンは、国境付近で争っていたイングランド伯爵ウィリアム・デ・ブロースとも同盟を結んで、平和的に影響力を広げていこうと考えたんだ。しかし、この同盟がいけなかったんだよ
平和的な同盟がなぜ、ダメなのですか?
その頃、ジョン王はウィリアム公爵と対立状態にあり、ラウェリンとウィリアム公爵の同盟に激怒したんだ
ジョン王は、かつてラウェリンに敗れ去ったグウェンウィンウィンと同盟を結び、ラウェリンに攻撃を仕掛けてきたんだ。この動きを見て、ウェールズ各地の統治者たちもジョン王側についてしまったんだ
ラウェリン、孤立状態になって大ピンチじゃないですか。さすがのラウェリンでも、これはお手上げでしょ
1212年、多数のウェールズ軍を率いたジョン王に、ラウェリンは完敗し、殆んどの領土を没収されてしまったんだ
同胞から裏切られてしまっては、ラウェリンも万事休すですね
希望の星、大王になる
ところが、ジョン王は稀代まれなる悪王。無駄な戦いに、そのたびに課せられる重い税金。ジョン王に味方した諸侯や統治者たちからは不満の声が上がったんだ
これは、ラウェリンにとって復活の助けでしょうか
一時はジョン王に味方したものの、ウェールズの統治者たちは皆、ジョン王を見限り、ラウェリンの味方になったんだ。その中には、グウェンウィンウィンも含まれていたんだ
おっ、そりゃすごい。よっぽどジョン王は不人気だったんですね
さらに、ジョン王に不満を持つイングランドの諸侯たちも、ラウェリンを支持するようになったんだよ。ついに失政続きだったジョン王に対して、イングランドやウェールズの貴族や国民たちの不満が爆発し、ジョン王は廃位のピンチに立たされたんだ。
形勢が全く逆転しましたね。これでラウェリンの勢いは復活でしょうか
1215年、ジョン王は事態を収めるためにやむを得ず、国王の権限を減らした民主的な内容である、マグナカルタを制定したんだ。
マグナカルタによってラウェリンには、どんな影響があったのですか
ラウェリンには、ジョン王によって奪われたウェールズの領土は戻って統治権も認められ、取られていた長男グリフィズを含む人質も返ってきたんだよ
よかった。これで元に戻りましたね。ラウェリン、よかったですね〜
しかし、ジョン王はこのまま黙ってはいなかった。ジョン王は再び、グウェンウィンウィンと同盟を結び、ラウェリンに攻撃を仕掛けたんだ
あきらめが悪いというか、しぶとい奴らですね。
でもここまでだった。ジョン王は、翌年フランスの支援を受けたイングランド貴族たちとの戦いの最中に赤痢で病死したんだ。また、グウェンウィンウィンも時を同じく亡くなったんだ
1216年、ラウェリンは勢力を増して本拠地グウィネズだけでなく、グウェンウィンウィンのポウィスも直接支配し、広範囲のウェールズを治めるようになったんだよ。こうして、ラウェリンは、ラウェリン大王と呼ばれるようになり(Llywelyn the Great)、1240年に亡くなるまでウェールズの偉大な統治者として君臨したんだ
※灰色と黄色の領土を治めた。グリーンの部分はイングランドの勢力範囲。
※ラウェリンとジョン王との関係
1197年:ウェールズのリーダ的存在となる
1201年:イングランドのジョン王と同盟
1205年:ジョン王の娘ジョアンと結婚
1208年:ジョン王と対立したウェールズ首長のグウェンウィンウィンを破り領土拡大1210年:ジョン王と仲の悪いウィリアム卿と同盟
1210年:グウェンウィンウィンと仲直りしたジョン王に攻撃を受ける
1212年:ウェールズ諸侯を味方にしたジョン王に大敗し領土の大部分を失う。
1215年:ジョン王がマグナカルタを制定。奪われた領土と人質がラウェリンに返
1216年:ジョン王、グウェンウィンウィンが亡くなり、ラウェリンがウェールズでの地位を確立する
1240年:ラウェリン没(1172年生まれ)
後継問題で乱れた大王
時代は戻りますけど、12世紀に活躍したウェールズの王であるラウェリンの祖父は、ウェールズで勢力を広げ、オウァイン大王と呼ばれたんだけど、息子が多すぎ骨肉の後継争いが起きたのでしたね
実は、ラウェリン大王も後継者問題で大きく乱れたんだ。これがラウェリン大王の最大の汚点だなあラウェリン大王には、長男のグリフィズと次男のダヴィッズの2人の息子がいたんだ
長男のグリフィズはウェールズ人の正妻との息子で、ウェールズ法ではグリフィズが後継者としての資格があったんだ
ところがラウェリン大王は、ウェールズ法では非嫡出子のダヴィッズを溺愛して後継者にしようと考えたんだ
ラウェリン大王はどんな手を使ったのです?
実際にラウェリン大王は何度も人質としてグリフィズをイングランドに送り付け、その間にダヴィッズを後継者にしようと、強引にも手はずを整えたんだ
・ローマ法皇ホノリウス三世に、ダヴィッズが後継者になれるように説得を続けた
・後継者は長男がなる、という当時のウェールズ法を一部を改定した。
・イングランド王ヘンリー3世を説得し、ダヴィッズの後継を認めさせようとした。
・ウェールズの諸侯たちに圧力をかけ、ダヴィッズに忠誠を誓わせた
なぜここまでして、ラウェリン大王がダヴィッズを後継にしようと、考えたのでしょう。理由はあるのですか?
理由は2つ考えられるな。一つ目は、グリフィズは気性が激しく、ラウェリン大王が領土を分け与えると、圧政を繰り返したんだ
もう一つの理由は、ダヴィッズは非嫡子の扱いでしたが、母ジョアンはイングランドのジョン王の娘なんだ。イングランドとの良好な関係を築くためにも、ダヴィッズが後継者になった方が、ラウェリンに都合が良かったかも知れないね
なるほど〜。だけど、嫌われた長男グリフィズの立場では、あからさまに排除されたんじゃ、気分悪いですよ。反論したくなるよなあ
実際は、あれこれと策略を巡らした甲斐あって、ついにダヴィッズがラウェリン大王の後継者になることを、世に認めさせたんだ
強引にやってますね。その代償が大きくなければいいのですが
ウェールズの統治者となり、権力を持ったダヴィッズは偉大なタイトルを宣言しイングランドにも認めさせたんだ。公式に、ダヴィッズは初代のプリンス・オブ・ウェールズになったんだよ
だけど、ウェールズは平和になったかというと、そんな気はしないですねぇ。兄のグリフィズが立ち上がっちゃったりして
ラウェリン大王が1240年に亡くなると状況は変わってきたんだ。本来のウェールズ法で正当な後継者である、グリフィズを支持する人々が立ち上がり、ダヴィッズに反乱を起こしたんだ。反乱軍に怒ったダヴィッズは、グリフィズの領土を攻撃して、略奪をはたらき奪ったんだ
やはり、兄弟の争いになっちゃったんですね
これを見て、人質の身であったグリフィズは反撃を企てたんだ。軟禁されついたロンドン塔から脱出を図ったんだけど、不運にも転落死してしまうんだ
※グリフィズの事故死の記事
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この一連の動きをしたたかな目で見ていた人物がいたんだ。イングランド王ヘンリー3世だよ。一度はダヴィッズを支持したけど態度を急変させたんだ
ダヴィッズの地位を認めたことを覆し、ダヴィッズに攻撃を仕掛けてきたんだ。ウェールズは、イングランドに攻められて混乱に陥り、弱体化が進んでいくんだよ。さらに、ダヴィッズはヘンリー3世と反乱に対抗しようと挙兵するが、病気で急死してしまうんだ
じゃあ、ウェールズはどうなってしまうんですか?誰が統治者になるんですか? まさか、イングランドに取られてしまうんですか?
ウェールズ最後の砦、グリフィズの息子ラウェリン・アプ・グリフィズが、ダヴィッズの後を継いだんだ
最後の砦ですか?
ウェールズ最後の砦
※ラウェリン・アプ・グリフィズ像
ラウェリン・アプ・グリフィズは、ラウェリン大王に嫌われたグリフィズの息子で、1146年にグウィネズを後継したんだ
ラウェリンはウェールズの独立にこだわり、イングランド王ヘンリー3世への忠誠を拒否し、1257年に反対する兄弟を投獄してグウィネズに持つ領土を奪ったんだ。
さらに隣国のポウィスやデハイバースにも武力をつかい、忠誠を誓わせ領土を奪い、ウェールズの大部分を支配下に置いたんだ。そして、1258年にヘンリー3世と協定を結び、プリンス・オブ・ウェールズを認めさせたんだよ
おお、ウェールズ復活ですね! でもなんかラウェリンは、武力にものを言わせている感じがして、これまでの大王と比べると違ってますね
そうなんだよな。ラウェリンは力づくで奪った権力で、人望が無かったことが問題だったんだ。ウェールズに対する愛国心は強かったと思うけどな。
ヘンリー3世の後、1272年にエドワード1世がイングランド王になると、ラウェリンは窮地に立たされるんだ。
ラウェリンに領土を奪われたイングランドの公爵達が反撃を始め、多くのウェールズ諸侯達までも寝返ってイングランドと平和協定を結んだんだ
1277年に、エドワード1世に攻撃され、弱体化したラウェリンには成す術べなく敗れたんだ。イングランドに有利なアバコンウィー協定を結び、ラウェリンの領土は大幅に縮小されてしまったんだ
ラウェリンは孤立し始め、立場はドンドン劣勢になってますよね。ラウェリンはやられてしまったんですか?
1277年以降、諸侯たちの多くはエドワード1世に味方し、ウェールズはイングランドに占領されたかの様になってしまった。
ところが、イングランドの権力やイングランド法を許容される様になり、ウェールズの人々から大きな反感が募っていったんだ。そしてついに、イングランドに対してウェールズの戦いが起きたんだ
ラウェリン復活ですか!
1282年にラウェリンの弟ダヴィッズが起こした反乱はウェールズ中に広がり、ラウェリンも反乱に参加したんだ。しかし、準備不足と弱体化したウェールズ軍は何れもイングランド軍に敗北してしまうんだ。
ラウェリンはイングランドに降伏してエドワード1世と協定を結ぼうとしていたが、ダヴィッズは拒否して戦いを止めなかったんだ
仕方なくラウェリンも戦いを続けたんだ。しかし、準備不足は否めずオレウィン橋の戦いで敗れ、川沿いで戦死してしまうんだ。ダヴィッズはラウェリンのあとを継ぎ、戦い続けるがダヴィッドは捕らえられ処刑されてしまったんだ
捕らえられ殺されるラウェリン
この敗北により、ウェールズは事実上イングランドの支配下に置かれるんだ
あああ、これでウェールズは終わってしまったのですね
ウェールズ人によるウェールズ統治が終わるんだ。それもあって、ラウェリンは、ラウェリン・ザ・ラストと呼ばれているんだ
プリンス・オブ・ウェールズの行方
プリンス・オブ・ウェールズの称号は現在まで続いてますよね。これは、何故ですか
ラウェリンが戦死した時に、プリンス・オブ・ウェールズの王冠も奪われイングランドに持ち去られたんだ。この出来事に、ウェールズ内では反乱が頻発したんだ。ウェールズの反感を抑えるために、エドワード1世は王子をウェールズのお城で産ませて、ウェールズの環境で育てたんだ
ウェールズで生まれ育ち、ウェールズ語を話す王子(後のエドワード2世)を、プリンス・オブ・ウェールズにして、ウェールズを抑えたんだよ。以後、プリンス・オブ・ウェールズはイングランド王の皇太子が務める慣わしになったんだよ
更に最後の反乱の後、エドワード1世はウェールズを監視するために北ウェールズにコンウィ城、ビューマリス城、カナーヴォン城、ハーレック城など強大な要塞城を築くんだ。
それもあって、ウェールズにはとても多くのお城が残っているんですね。
ウェールズでウェールズ人が作ったお城ではなく、イングランドが作ったお城が主だけどね。これら一連の城はアイアンリングとも呼ばれ、現在は世界遺産として登録されているよ
※エドワード2世が産まれたお城は、カナーヴォン城で、天空の城ラピュタの一場面のモデルとなっています。また、カナーヴォン城はチャールズ皇太子のプリンスオブウェールズ戴冠式にも使用されました
最後までお読みいただき、ありがとうございました
※今回のシリーズ記事
コメント
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