こんにちは、たなかあきらです。
中世ヨーロッパでは戦いは頻繁に起きていましたし、ウェールズでも多くの要塞城を建て、外敵との戦いや内乱と、戦いが続いていました。
その中で、ウェールズの王室の歴史にも影響を与えた戦いに注目しました。
皆さんになじみの深い、日本の天下分け目の戦いとは一味違った、ウェールズ版の天下を分けた因縁の戦いについてお話しをします。
因縁の対決の始まり
11世紀のウェールズ・・・下剋上のような時代でした
北部ウェールズの中で最強のグウィネズ国では、ウェールズ王室の血筋で歴代、国を治めていました。
しかし王室が2つに分裂し、100年以上にわたってグウィネズ国の統治者の家系がコロコロ変わる、不安定な状況でした。
さらに、部外者がすきをついて、統治者の座を奪ってしまう、下克上も起きていました。
👉参考:この時代の背景
11世紀初めには、隣国の田舎生まれの一戦士であり、王室の人物でないトラハエアルンが、武力を行使して強引に領土を広げ、ついにはグウィネズ国を乗っ取ったのでした。
ウェールズ王室の人たちも黙ってはいませんでした。分裂した王室の中でも最も正統な家系に生まれた青年、グリフィズ・アプ・コナンが立ちあがりました。
グリフィズは、母の出身地であるアイルランド等の協力を得てトラハエアルン軍を破り、統治者の地位を奪回したのでした。(グウァエド・エルワの戦い)
報復攻撃でやられる
しかし、やったらやり返される。
やられたままで、黙っているトラハエアルンではありませんでした。
トラハエアルンはイングランドの沿岸を攻撃していたバイキングと手を組み、グリフィズにカウンター・アタックを仕掛けました。
不意を突かれたグリフィズは成す術もなく、アイルランドに逃げ帰りました。
ウェールズを二分する同盟の成立
ウェールズの北部では戦いが繰り広げている中で、ウェールズ南部でもまた、同じような戦いが起きていました。
ウェールズの南西部の国デハイバースには、リース・アプ・テウドウルという統治者がいました。
しかし、南東部グウェントなどを統治するカラドッグに攻撃され、リースはデハイバース国を乗っ取られ、国外に逃亡していました。
アイルランドに逃れていたグリフィズは、同じような境遇にあるリースと協力し合おうと手を組みました。
一方、トラハエアルンは同じ境遇にあるカラドッグに近づき、同盟を組みました。
さらにポウィスというウェールズ中部を統治するメイリル王は、トラハエアルンに加勢しました。
ここにウェールズの勢力は真っ二つに分かれました。
・グリフィズ連合軍:グリフィズとリース(負け組)
・トラハエアルン連合軍は:トラハエアルン、カラドッグ、メイリル(勝ち組)
勝ち組vs負け組:天下分け目の激突
1081年。トラハエアルンの圧政に苦しむ人々の協力を得たグリフィズ連合軍は、兵力に勝るトラハエアルン連合軍と相対しました。
「朝までまとう」「いや、夜中に攻めよう」
グリフィズ連合軍の意見は分かれました。しかし、グリフィズが意見を押し通し、夜明けを待たずしてトラハエアルン連合軍に急襲を仕掛けたのです。
賭けに出たこの急襲は、幸運を引き寄せました。
このウェールズを2分した天下分け目の戦いは、マイニッズ・カルンの戦いと呼ばれ、敵軍を混乱させたグリフィズ連合軍は大勝利したのです。
そして、グリフィズはグウィネズ国を、リースはデハイバース国を取り戻すことに成功しました。
ウェールズ王室の正統化
グリフィズが勝利したことにより、グウィネズの統治者は、本来の王室の家系に戻りました。そしてそれ以降、他の家系に統治されることはありませんでした。
グリフィズと子・孫たちが、グウィネズだけでなくウェールズにも勢力範囲を広げていき、プリンス・オブ・ウェールズなどを歴任をしたのです。
※子のオウァインがプリンスの称号を始め、孫のダヴィッズが初めてプリンス・オブ・ウェールズになりました。
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最後まで読んでくださり有難うございました。
また次回をお楽しみに。
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