中世ヨーロッパのビールの歴史 粗末で不評の飲み物だった?

中世の暮らし
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こんにちは、たなかあきらです。

中世の時代は、水はきれいでは無かったので、必然的に人々は色々な飲み物を楽しみました。貧しい人々は、エール(ビール)、はちみつ酒、りんご酒を飲み、富裕層だけが様々なタイプのワインを楽しむことが出来ました。

その中で、今回は、中世はどんなビールが飲まれていたのか、中世のビールの歴史についてお話をいたします。

👉こちらもご参考に!中世に飲んでいた飲み物の概要

中世のヨーロッパの飲み物 ちょっと変わったビールからワインまで 

ビールの発祥から古代のビールの歴史概要

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ビールの発祥は、紀元前8000~4000年までさかのぼり、メソポタミアのシュメール文明だと言われており、人々がビールを作っている様子が、粘土板に楔形文字で描かれています。

また紀元前3000年頃のエジプトでも、ナイル河畔で収穫される大麦を使ってビールが作られていたようです。

紀元前1700年代半ばにバビロニアでは既にビアホールが存在しており、「ハムラビ法典」にビアホールの規則、罰則などが記されています。

北ヨーロッパでは、古代ゲルマン人が定住生活に入った紀元前1800年頃にビールが作られていたことが記録されています。しかし、北ヨーロッパを除くとギリシャ・ローマを中心にワインが広く飲まれていました。

実は不評のビール

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紀元前1世紀のローマ時代の歴史家タキトゥスは著書「ゲルマニア」によると、ビールはワインと比べれと、上等な酒とは思われていなかったようです。

「飲料は大麦または小麦からつくられ、いくらか葡萄酒に似ているが品位の下がる液体である」

 アラブや地中海文化の医療科学の影響を強く受けて、ビールはしばしば不評となっていました。

中世ヨーロッパの人々にとって、も同じでした。ワインや、レモン、オリーブなどの南部の飲み物や食材と比べると、ビールは粗末な飲み物でした。

外国製のラクダのミルクや、ガゼルの肉の方が、より好意的な注目を、浴びていたと医療の文章に書かれてます。

ビールはただの代用品で、様々なマイナスの品質とみなされていたのです。

なぜビールは不評だったのでしょうか? 

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1256年、シエナ派の医者アルドブランディノ(Aldobrandino)はビールについてこう記述しました。

「ビールが、オート麦、大麦、小麦、何れで作られていても、頭やお腹に悪影響を及ぼす。息を臭くし、歯を悪くする、お腹の中を悪いガスで満たす。

同時にビールの効果も認められてはいました。

「ビールには利尿作用があり、身体を白く滑らかにする効果がある」

ビールの酔う効果は、ワインよりも長く続きますが、ワインを飲んだ時に感じる、喉の渇きは起きないことが、認められました。

※シエナ派:ルネサンス期のイタリアのシエナを中心に活動した画家たちのこと

中世の初めごろの北ヨーロッパのビール

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中世ヨーロッパでは、食事の時、ワインが最も一般的な飲み物でした。

しかし、ヨーロッパ北部などブドウが収穫できない地域では、状況は違いました。
輸入ワインに頼らざるを得なく、一部の裕福な人々は飲んでいたものの、これらの地域では中世の終わり頃までは、貴族でさえもビールやエールが一般的でした。

イングランド、北部ドイツ、ベルギーやオランダ付近、ポーランド、スカンジナビア諸国では、ビールは全ての階級、全ての年齢層で、日常的に飲まれていました。

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イングランドやヨーロッパ北部はビールがよく飲まれましたが、ワインが中心のフランスやイタリアでもビールを飲むことはありました。

恐らく、1066年にフランスからのノルマン人が、イングランドを征服した結果(ノルマンコンクエスト)、フランスとイングランドを行する貴族が増えたからとも考えらえます。

14世の料理本Le Menagier de Paris の中で、godale(ゴダール、英語で表現するとgood ale)と呼ばれ異なったビールの記述があり、ポップは使わず大麦やスペルト小麦で作られたものが飲まれたようです。

イングランドにも亜流のビールがありました。ホットミルクと冷たいエールから作るもの、エールにはちみつを混ぜるもの(brakot or braggot)、スパイス入りのエールで、ピポクラスに似たもの、などです

※ヒポクラス(Hypocras)は、あまり保存状態の良くないワインにいろいろなスパイスやはちみつを入れたもので作る

👉ヒポクラスはこちらを参考に:中世ヨーロッパ ワインの歴史

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中世ヨーロッパの初期の頃、ビールは修道院で作られ、少量なら個人の家でも作られた。ホップが使われるようになる前は、「グルート」と呼ばれる様々なハーブを混ぜたものが使われていました。

グルートはホップのような保存ができず、傷みを避けるためにすぐに消費する必要がありました。

ビールの味わいのために使われた他の方法は、アルコールを強くすることでした。しかし、アルコールが高くなること、直ぐに酔ったり泥酔したりする問題がありました。

ホップの登場でビールは変わった

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ビールの風味を良くするために、フランク王国のカロリング朝(8世紀中頃~10世紀終わり)の時代から、「ホップ」が加えられるようになった。

「ホップ」を使用すると、腐りにくくて長持ちするといったビールの品質が飛躍的に向上し、またホップの持つ爽快な苦みや香りによりうまみも増すことが分かりました。

こうして、11世紀後半になると、次第にホップは広がっていきました。
しかし、ホップの適切な比率を確立するのが難しく、適用はゆっくりであったそうです。

ホップを入れたもののみビールと呼ばれ、従来のハーブを混ぜたものはエール、と区別もされました。

参考:ホップはこうしてビールになる! ENJOY!HOP – YouTube

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中世の中頃までには、北部ドイツのできたばかりの中世の町にある醸造所でビールを作り始めるようになった。

13世紀には、修道院のグルートビールと都市のホップビールの間で激しい競争を巻き起こすことになりました。15世紀以降、都市の発展とともにギルド制が定着するに至って、ビールの醸造は次第に市民の手に移るようになっていきます。

ビールが市民に広く愛飲されるにしたがって、醸造技術に次々と改良が加えられ、ビールの品質はより向上していきました。

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イングランドでは、16世紀になってオランダから亡命したプロテスタントたちがホップを伝えました。

しかし、ヘンリー8世の時代ではホップは毒薬と扱われて使用を禁止され、息子ののエドワード6世の時に、ようやくホップ栽培が出来るようになりました(1551年)。(その後の、1608年には傷んだホップは輸入を禁じられています)

※ドイツでは、1516年に「ビール純粋令」が出されており、大麦・ホップ・水の3つの原料以外は使用してはならないと定めることで、ビールそのものの定義を決定するとともに、品質維持向上に貢献しました

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中世のイングランド、オランダやベルギーでは、1年間の個人あたりのビール消費量は約275–300リットルで、 実際には食事ごとに飲まれていました。

つまり、低いアルコール度数のビールは朝食で飲まれ、アルコール度数の強いビールは夕食など1日の終わりに飲まれました。

ホップがビールに使われるようになって、ビールは6ヶ月かそれ以上保存できるようになり、輸出も可能になりました。

大航海時代には、ビールは腐りやすい水の代わりに飲料用として用いられており、アメリカ大陸発見で有名なメイフラワー号には、400樽ものビールが積み込まれていたそうですよ。

参考:

ホップ – Wikipedia

ビールの豆知識|ビールの歴史|ビール酒造組合

Castle Life – Medieval Drinks

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