イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史と、ウェールズとの関わりが深いアーサー王についてのページです

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イングランド王に打ち勝ったウェールズ英雄のお話

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親は英雄だった。
子供はどうだったのか? 英雄だったのだろうか

 

ウェールズ内での大きな戦争を制し、捕虜など数々の困難を乗り越えイングランドを打破し、ウェールズを復活させた英雄、グリフィズ・アプ・コナン。グリフィズには3人の息子がいた。長男カドワラドル、次男カドワロン、三男オウァインだった。

 

愚息だろうか?
偉大な男はいるだろうか?
それとも全員?

 

※英雄グリフィズの波乱万丈の人生

www.rekishiwales.com

 

英雄の三人の息子たち

 

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息子たちは、年老いた父の力になろうとした。最初に目立ったのは次男カドワロンだった。かなり、荒っぽい性格だったかも知れない。叔父を殺し、領土を奪った。そして、隣国を攻め国を広げていった。

 

しかし当時のウェールズでは、奪えば奪い返され、殺せば殺される、復讐が繰り返される時代であった。

 

次男カドワロンは、殺した叔父の息子に復讐の攻撃を受け、あえなく戦死した。次男カドワロンは賢明ではなかったようだ。

 

英雄の父はますます年老いていった。そこを狙ってか、イングランドの大軍がウェールズに攻め込んで来た。

長男カドワロンと三男オウァインで勝てるのか?

 

ウェールズは賢明であった。兄弟は協力し、ウェールズ内の隣国とも手を組んで、総力を上げてイングランドに対抗したのだ。

 

ウェールズは強かった。イングランドに大勝利し、イングランドを追い返す事に成功した。(Battle of Crug Mawr、1136年)Battle of Crug Mawr - Wikipedia

 

兄弟の争い

 

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しかし、安気でいることは出来なかった。次々と事件が起こったのである。

 

同盟を結んでいた隣国のデハイバースの王が戦いに敗れ戦死してしまった。さらに、年老いた父グリフィズも没した。

兄弟は、デハイバースの地も受け継ぎ、2人で協力して国の統治に努めた。三男のオウァインが父の後継者に選ばれた。

 

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長男ではなく三男オウァインが後継?
長男カドワラドルは黙ってオウァインに従ったのだろうか? 
ウェールズでは必ずしも長男が家督を継ぐ風習は無かった。父のお気に入り、もしくは優秀な者が選ばれた。

 

ある時、事件が起きた。オウァインの娘婿が何者かに襲われ、殺害されたのだ。何やらキナ臭い。調べたところ、カドワラドルの差し金である事が明らかになった。

 

怒ったオウァインは次男を派遣し、カドワラドルを国から追放した。カドワラドルも黙ってはいない。ここに愚かにも兄弟の争いが始まった。

 

奪われた領土を取り戻そうと攻め入り、再度追い払おうと、オウァインは息子たちを送り込む。戦いが幾度となく繰り広げられた。

 

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ウェールズでは内乱が起きると、その隙をついて、外敵が攻めてくる。長い歴史を見ても、その度にウェールズは領土を外敵に奪われ、国力を落としていた。その最たる外敵が、イングランドであった。

 

イングランドがまた攻めてくるぞ! いや、今回は理由があって攻めて来なかった。攻めて来れなかったのである。

 

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イングランド内でも後継争いが起きていたのである。ヘンリー2世の後、甥のスティーブンと娘のマティルダが、イングランド王の座をめぐり争っていたのだ。

 

このため、オウァインは逆にイングランド内乱を利用して、かつてウェールズだった領土を、イングランドから取り戻しに攻め入った。オウァインは領土を着実に広げて行った。

スティーブン (イングランド王) - Wikipedia

本気のイングランドとの戦い

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イングランド王、ヘンリー2世

 

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しかし、オウァインはいつまでも野放しにはされなかった。イングランド内乱が終わり、ヘンリー2世みずからがオウァインを止めようとウェールズに攻め込んで来たのである。

 

1157年、ヘンリー2世は本気だった。
かつて兄カドワロンが攻めた叔父の息子、更には何とオウァインが争った兄カドワラドルまでもが、ヘンリー2世に協力して、オウァインを攻撃したのだ。

 

さすがのオウァインも、兵数でもかなわない。ウェールズの町や教会は破壊され、大きな打撃を受けた。更にヘンリー2世軍は攻めてきた。絶対絶命である。

 

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しかし、結果はヘンリー2世が命からがら、イングランドに逃げ帰ったのであった。

 

何が起きたのか?

 

戦場はEwloeと呼ばれる森林の谷であった。オウァインはヘンリー軍の進路を完全におさえていた。そして、狭い谷間に差し掛かかるのを待ち伏せた。

 

ウェールズ軍は待ち伏せ、急襲が得意な戦法である。谷間で身動きが取れないイングランド軍に襲いかかったのだ。イングランド軍は総崩れとなり、ヘンリー2世も辛うじて捕らえられずに、逃げ出すのが精一杯であった。

 

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1163年、再びヘンリー2世は大軍をウェールズに送ったが、結果は同じであった。Crogenの戦いで、激しい雨の中イングランド兵たちは、散り散りになって逃げ出した。

 

イングランドにとどまらず、フランスの半分を支配し、広大なアンジュー帝国を築いたヘンリー2世ではあったが、ウェールズのオウァインを攻めることは、断念せざるを得なかった。

アンジュー帝国 - Wikipedia

 

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※オウァイン・グウィネズ

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オウァインはその後、ウェールズ内の各国を支配下に起き、ほぼウェールズ全域に勢力範囲を広げた。

 

オウァインは、オウァイン・グウィネズや、オウァイン大王(オウァイン・ザ・グレート)と呼ばれ、中世ウェールズの歴史の中で、屈指の英雄となったのである。

 

英雄の子供は更に英雄であったと言う、グリフィズの息子オウァインのストーリーでした。

 

※オウァイン大王と歴史背景に関する記事

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 ※イングランド王、ヘンリー2世の映画

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