イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史、イギリスの歴史、アーサー王、イギリスの歴史に関連する内容を中心に記事を書いています。

ロドリ大王(Rhodri the Great)中世ウェールズで初めて小国を束ねた王


 

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中世ウェールズは主に4つの国に分かれていましたが、1つの国も多くの国に分かれてそれぞれの領主が統治していました。というのも、中世ウェールズでは財産や領土は領主の息子達で均等に分ける事がしきたりでした。

このため、10世紀までウェールズが統一される、または大部分が統一されることは、ありませんでした。

今回は、初めて10世紀に初めてウェールズの大部分を統一した王、ロドリ大王について紹介します。


👉ここがロドリ大王のポイント! 
・初めてウェールズの大部分を統一
・平和的に権力を拡大
・ヴァイキングの攻撃を撃破

 

ロドリ大王の血筋


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ロドリ大王の本名は、ロドリ・アプ・メルヴァンと言います。中世ウェールズでは、自分の名前の後に親の名前を付けるのが習わしで、メルヴァンの息子ロドリ、という意味になります。

父メルヴァンはマン島出身で、母方にウェールズ王室(北ウェールズのグウィネズ国)の血筋を持っていました。それまでのウェールズの王室は直系で継承されてきましたが、メルヴァンの時代に直系が途絶え、新たな血筋によるウェールズ王室が始まりました。


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メルヴァンはウェールズ内の内乱に終止符を打ち、アングロ・サクソン族の攻撃(マーシア)を食い止め、北ウェールズを立て直した功績を残しました。

844年にメルヴァンが亡くなると、息子のロドリが北ウェールズの国グウィネズの統治を後継しました。

 

 

>>参考記事:<改訂版>第4章 ウェールズに大王が登場し天下を統一した時代 

ロドリ大王の勢力拡大

 

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※Gwynedd、Powys、Seisyllwgの緑色3つがロドリ大王が治めたウェールズの領土(南西部の小国群を除く。ウィキペディアより)

 

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ロドリ大王の時代は、東側はアングロ・サクソン族の強国マーシアと国境をなしており、マーシアからの侵略がづついていました。また、ヴァイキングが襲来し始めた時代で、イングランドだけでなくウェールズも攻撃を受けていました。

このことから、小国に分かれてバラバラしていたウェールズをまとめて、外敵から国を守る必要が生じており、ロドリ大王は行動に出たのではと考えられます。

 

ポウィスを支配下に置く

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ロドリ大王は当初北部のグウィネズ(Gwynedd)のみ統治していました。855年には隣国ポウィス(Powys)も支配下に入れました。

ポウィスはカンゲン王(Cyngen)が統治していましたが、カンゲン王はロドリ大王の伯父にあたり、カンゲン王の妹はロドリ大王の母親でした。ウェールズ法ではカンゲン王の息子が後継するのが風習でしたが、カンゲン王はロドリ大王を後継者にしました。

855年にカンゲン王が亡くなると、ロドリ大王がポウィスを後継して領土を拡大しました。カンゲン王はよほどロドリ大王を頼りにしていたのではと考えられます。

 

セイサルウィグを支配下に置く

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更にロドリ大王は872年に南西の国、セイサルウィグ(Seisyllwg)支配下に置きました。当時、セイシルウィグはグワゴン(Gwgon)と言う人物が治めていました。

ロドリ大王は850年頃に、グワゴンの妹アングハラドと結婚し、セイサルウィグと同盟関係を築きました。

残念ながらグワゴンには息子がなく、872年に亡くなると、ロドリがセイサルウィグの領土を後継することになりました。

こうしてロドリは戦うことなく平和的にウェールズの大部分の領土を統一することに成功したのです。

   

ロドリ大王とヴァイキングとの戦い

 

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ロドリ大王の像(ウィキペディアより)

 

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当時のグレートブリテン島は、デンマークやスカンジナヴィア半島から、ヴァイキングが侵略し、イングランドでは領土を広げていました。9世紀から10世紀にかけて、北ウェールズでも、特に沿岸付近はヴァイキングの侵略に悩まされていました。

 

ロドリ大王の時代は、デンマーク出身の頭領ゴルムに率いられたヴァイキングに荒らされていました。そして、856年にこれまでの中で最も大規模なヴァイキングの襲撃が起きました。ゴルム(Gorm)が自ら軍を率いて、ウェールズに攻め込んできました。

 

 

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ロドリは自国グウィネズだけでなく、支配下にあったポウィスと同盟関係にあったセイサルウィグとも協力してウェールズの力を結集させたと考えらえます。

ロドリ軍はヴァイキング軍と果敢に戦い、ヴァイキング軍を壊滅させました。この戦いで、ヴァイキングの首領ゴルムは戦死したとも言われています。

ヴァイキングに苦しんでいたアングロサクソン諸国からも大いに喜ばれました。

 
この戦いの後も、略奪行為や小さな争うはあったものの、ヴァイキングがウェールズを侵略して領土を支配することはありませんでした。

 

>>ヴァイキングの歴史 ヴァイキングが強かった理由、語源や特徴、支配した国々

 

 

 

ロドリ大王のウェールズの強化策

 

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強敵を抑えたロドリは、ウェールズ内の国づくりにも尽くしました。

安定した国が続くように、ロドリは生きているうちに息子たちに国を分配して、ウェールズ各地の強化と結束を図りました。

長男アナラウドを筆頭にグウィネズ(Gwynedd)、次男カデルにはセイサルウィグ(Seisyllwg)、三男メルヴァンにはポウィス(Powys)を与えて、協力してウェールズを統治させようとしました。

 

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こうしてロドリ大王から領土を受け継いだ、アナラウド、カデル、メルヴァンの息子たちはお互い協力しあい、「ブリテン島の三王」と呼ばれるほど、名をとどろかせました。

しかし、877年にマーシアのセオルウルフ王(Ceowulf)の攻撃を受け、ロドリ大王は戦死してしまいました。

 

 

ヴァイキングを倒しウェールズの大部分を統一したロドリ大王の功績は大きく、ロドリ大王(Rhodri the Great)と呼ばれ、後のウェールズの王室においてロドリ大王の子孫であることが、血筋の正統性を主張する上でポイントとなりました。

 

>>参考記事:<改訂版>第4章 ウェールズに大王が登場し天下を統一した時代

 

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