イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史と、ウェールズとの関わりが深いアーサー王についてのページです

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ジョン失地王と渡り合ったウェールズ王の活躍

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こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
話題が満載すぎるウェールズを見守る王、という内容で、ラウェリン大王について、シリーズでお話をしております。
ラウェリン大王の特徴について簡単に表現しようと思っても、なかなか簡単になりません。こんな感じで、つかみどころがない、大王です。

話題が満載すぎる、ウェールズを見守る大王
史上例を見ない暴君を倒したウェールズの王子 -
敵が味方に、味方が敵に、昨日の友は今日の敵だったウェールズの王 
絶体絶命のピンチを嫁に助けられたウェールズの王
・悪王で有名なイングランド王と渡り合った男
次男を溺愛しすぎて、世の中と喧嘩した男

今回は、⑤つ目の内容についてのお話です。

悪王で有名なジョン失地王と渡り合った男 

仲良し関係の崩壊

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13世紀初めのウェールズウェールズのリーダー的存在のラウェリンは、イングランドのジョン王と同盟を結び、さらにジョン王の娘ジョアンと結婚をしジョン王との関係を深めていきました。

 

ラウェリン:ジョン王、息子が産まれました。
ラウェリン:ダヴィッズ(Dafydd)と名づけました

ジョン  :おおお、かわいいのう~。将来ダヴィッドがウェールズの王になったら、ワシはイングランドだけでなく、ウェールズ王のおじいちゃんか。ははははっ

 

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ところが、ジョン王と関係が悪かったイングランドのウィリアム・デ・ブラウス(William de Braose)卿と、ラウェリンは同盟を結んでからジョン王との仲は急速に悪くなりました。

ラウェリンのライバル、グウェンウィンウィン(Gwenwynwyn)だけでなくウェールズの諸侯たちを味方につけたジョン王に攻撃を受け、ラウェリンは大敗北してしまいます。

ジョアンとスコットランド王がジョン王を脅迫し、辛うじてウェールズ北部の領土だけは確保できました。

 

 

※ラウェリンとジョン王との関係
1197年:ウェールズのリーダ的存在となる
1201年:イングランドのジョン王と同盟
1205年:ジョン王の娘ジョアンと結婚
1208年:ジョン王と対立したウェールズ首長のグウェンウィンウィンを破り領土拡大
1210年:ジョン王と仲の悪いウィリアム卿と同盟
1210年:グウェンウィンウィンと仲直りしたジョン王に攻撃を受ける
1212年:ウェールズ諸侯を味方にしたジョン王に大敗し領土の大部分を失う。嫁ジョアンに救われる。

 

ラウェリン:ああ、私のライバル、グウェンウィンウィンだけでなく、ウェールズの各諸侯までもがジョン王についてしまった。ウェールズでも独りぼっちになった私はどうなるのだろう? これからウェールズはどうなっていくのだろう・・・

 

ジョン失地王の悪王発揮

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辛うじて領土を確保したラウェリンは、素早く次の行動に移しました。1213年、ジョン王に対抗すべく、フランス王フィリップ2世と同盟を結んだのです。権力を誇っていたジョン王に、急速な陰りが見えていたので、

 

諸侯1:ジョン王はたまらんな。勝てばいいけど、無駄に戦争ばっかりやって・・・戦争の費用はだれが払っていると思っているんだ

諸侯2:フランスに持っていたイングランドの広大な領土はどうしたんだ! 戦いに全敗し、ほぼ全部フィリップ2世に取られちゃったじゃないか>

諸侯3:そうだそうだ。得るものないばかりか失ってばかりで、更に俺達の税金を上げて絞り取っているだけじゃないか。もう、カラカラだよ。もうジョン王は勘弁、勘弁>

 

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ラウェリンはジョン王に対抗するフィリップ2世の援助を受けながら、さらにジョン王に不満を持つイングランドの男爵たちを味方に取り込みます。一度はジョン王に味方したウェールズの諸侯たちも、殆どラウェリン側に戻ってきました。

<よし、行くぞ!>

ラウェリンはジョン王を攻撃しはじめ、領土を取り戻していったのです。

 

マグナカルタと大王君臨

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そして、1215年に大きな事件が起こりました。ジョン王がマグナカルタを制定したのです。失政続きだったジョン王に対して、貴族や国民たちの不安が爆発し、事態を収めるためにやむを得ず、国王の権限を減らした民主主義的な内容でした。

マグナカルタよって、ラウェリンは更に躍進しました。ジョン王によって奪われたウェールズの領土は返還され、取られていた長男グリフィズを含む人質も返ってきたのです。

 

<やった、これで元の状態に戻ったぞ! 完全復活だ!>

マグナカルタ ジョン王が作りたくなかった大憲章

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しかし、ジョン王はこのまま黙ってはいませんでした。ジョン王は再び、グウェンウィンウィンと同盟を結び、ラウェリンに攻撃を仕掛けたのです。

  

ところが、<うう、無念>

 

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ジョン王はフランスのフィリップ2世の長男ルイの支援を受けたイングランド貴族たちとの戦いの最中に赤痢で病死し、グウェンウィンウィンも時を同じく亡くなりました。1216年、マグナカルタが制定された翌年の事でした。

これにより、ラウェリンはウェールズで確固たる地位を築き、本拠地GwyneddだけでなくグウェンウィンウィンのPowysも直接支配し(黄色の部分)、傘下のグレー部分も含め、ウェールズのほぼ全域を治めました。こうしてラウェリンは、ラウェリン大王と呼ばれるようになったのです(Llywelyn the Great)。

 

※灰色と黄色の領土を治めた。グリーンの部分はイングランドの勢力範囲。

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次回は「次男を溺愛しすぎて、世の中と喧嘩した男」の予定です。

※この記事は史実に基づいておりますが、会話などは筆者の想像が大いに入っております

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