シェイクスピア「オセロー」の時代背景 キプロスとオスマン帝国

シェイクスピア
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シェイクスピアの4大悲劇の1つに「オセロー」があります。

ムーア人のオセローが、部下に陥れられ、妻を殺害してしまい、最後には自らも自殺をする悲劇です。

「オセロー」にはどのような時代背景があるのでしょうか?

 

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「オセロー」の時代が分かる記述

 

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シェイクスピアのオセローの原作となっているのが、ジョヴァンニ・バティスタ・ギラルディ(Giovanni Battista Giraldi (15041573) )によって書かれた「デズデモーナとムーア人)Disdemona and the Moor) 」です。

 

この原典には、時代が分かるような記述はありませんが、シェイクスピアの「オセロー」では時代が分かる記述があります。

 

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物語の初めの方に、ヴェネチアの軍人であるオセローはキプロス島とトルコの戦いに参加して、勝利する場面があります。戦いを入れることにより、物語をより身近なものにしたのではと考えられます。

 

ではキプロス島とトルコの戦いはいつあったのでしょうか?

それを調べることにより、「オセロー」の時代背景が見えてくると思います。

 

キプロス島とトルコの戦いについて

 

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まず12世紀~16世紀のキプロス島の歴史について、簡単にご紹介します。

 

キプロスは東地中海における西欧最後の拠点として、十字軍遠征やイスラム勢力攻撃の基地となった。聖地騎士団、イタリア諸都市、西欧各国と組んだキプロス王国は、14世紀にはたびたび小アジアやエジプトを襲っている(1344年のスミルナ占領、1365年のアレクサンドリア十字軍など)。

一方キプロス王家は、後継者争いやマムルーク朝などのイスラム国家との抗争のために疲弊し、イタリア諸都市に深く依存するようになっていた。(ウィキペディアより)

 

  

オセローの時代の前のキプロス島の概要(イングランド支配~独立~ヴェネツィア支配)

 

 

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キプロス島は、さまざまな国によって移り変わりながら支配されます。

東ローマ帝国→イングランド→エルサレム→自治→ヴェネツィア

 

・1191年:イングランド王のリチャード1世は東ローマ帝国の支配下であったキプロス島に帰港し、1191年にキプロス島を征服しました。そして、エルサレム王ギー・ド・リュジニャンにキプロス島を売却しました。

・1194年:エルサレム王ギーが亡くなると、キプロス島はギーの兄エメリー・ド・リュジニャンが継ぎました。エメリーはエルサレム女王イサベル1世と結婚し、エルサレム王も兼任しました。

・1205年:エメリーが亡くなると、キプロス島はエルサレム王国から独立してリュジニャン王朝が支配しました。以後300年にわたってリュジニャン王朝が統治しました。

・1489年:当時の女王カタリーナが亡くなると、キプロスは女王の故郷ヴェネツィアの支配下となりました

 

 

オセローの時代の頃のキプロス島の概要(オスマン帝国との争い)

 

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オセローの時代は16世紀ごろと考えられます。その頃になると、オスマン帝国が台頭し勢力を拡大していました。

 

15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリス(後のイスタンブール)を征服、この都市を自らの首都とした。

17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大し、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリーに至る広大な領域に及んだ(ウィキペディアより)

 

 

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オスマン帝国が征服した地ではトルコ人による支配体制がしかれていました。そして、オセローの舞台となるヴェネツィア共和国にも、オスマン帝国の脅威が迫り、戦いが起こっていた時代と考えられます。

ヴェネツィアとオスマン帝国との戦いを挙げます。キプロス島もオスマン帝国に敗北し、ヴェネツィアもオスマン帝国に敗れ衰退していきました。

 

1522年 :ロドス島のロドス包囲戦でオスマン帝国に敗北
1538年 :プレヴェザの海戦でオスマン帝国に敗北
1571年 :オスマン帝国にキプロス島が陥落
1573年 :ヴェネチアが敗北しオスマン帝国と講和(キプロス奪回はできず)

 

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「オセロー」ではヴェネチアがトルコ(オスマン帝国)に勝利しています。これは、物語を面白くするため、当時の人々の期待をこめた、などが考えられます。

 

 

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