(18.7.9更新)
イギリスサッカーの発祥の歴史をご存知ですか?
サッカーのルーツは幾つかありますが、現在のサッカーの起源の一つと言われているイギリスサッカーの発祥は、今では絶対な不可能な、想像を絶する凶暴で恐ろしいゲームだったのです。
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イギリスのサッカー歴史のはじまり
サッカーの元となるスポーツが初めてイギリスで行われたのは、8世紀ごろと言われています。
その頃の伝説によりますと、イングランドとヴァイキングとの戦いにおいてイングランドが勝利し(デンマークのヴァイキング、デーン人)、その勝利を祝うためかデーン人の王の首を落として頭をボールにして蹴り合ったことだそうです。
この恐ろしいサッカーが行われた場所は、伝説ではイングランド西部のチェスターと、ローマ郊外にあるキングストン-オン-テムズと言われています。
凶暴サッカーの歴史背景
※ベッカムも登場するペプシのコマーシャル。戦士たちがフットボールをすると、こんな感じだったのでしょうか?
8世紀から10世紀にかけて、デンマークのヴァイキングであるデーン人がイングランドに侵略をしてデーンローと呼ばれる地区を作り、一時はイギリスの1/3の領土を支配するまで勢力を伸ばした時期がありました。
当時のイギリスは、イングランド人の祖先であるアングロサクソン人が支配しており、マーシアという国が勢力をはっていました。
デーン人の頭をボールにしたサッカーが行われたのは、本格的にデーン人がマーシアに攻め込み始めた時期の前後で、頻繁にマーシアとデーン人との戦いがあったのではと思われます。
※黄色い部分がヴァイキング占領地9世紀末ごろ
England and Wales AD 900-950より
※ヴァイキングついて知りたい方はこちら
最も危険なサッカーがイギリスに広がる
切り落とした敵将の頭をボールにしたサッカーは極端な例かもしれませんが、モブ・フットボールと呼ばれる、ルールなしの格闘技的な危険なスポーツが盛んに行われていましたのです。
当時のもモブ・フットボールの状況はこんな感じだったんです
・場所もフィールドでなく街中や繁華街で行うことも
・勝ち負けは決められた場所に膀胱で作られたボールを入れる事で、そのゴールは相手方の教会のバルコニーなどでした
・参加人数は制限なしで、何百人もの群衆が制限時間なしで一日中続くことも
この対戦は祭りの日の行事として隣り合う街同士でや敵対し合うが街同士で行われ、ルールは殆どなく殺人をしなければ良いという程度で、噛みつきOK、殴り合いOKの大群衆が、街中を戦いながら通り抜ける事もしばしばでした。
時にはボールを蹴らずお互い同士を蹴り合うこともあったとか。まさに武器を使わない殴り合いの戦争ですね。
このように非常に暴力的だったため、試合中は街道も畑も、街中のすべてがフィールドになって、あちこちでボールを巡る大乱闘が発生しました。
怪我人続出はもちろんのこと、どさくさに紛れて家屋が破壊されたり、財貨が盗まれたりすることもあったようで、街に住む人々は被害を受けないように試合中にバリケードを作る必要がありました。
ついにこんな事件もおこってしまいました。1321年にはウィリアム・デ・スパルディングと呼ばれる人物が持っていたナイフによって、彼に向ってきた相手方の男が怪我をして亡くなり、ウィリアムは検挙されたのです。
※このモブ・フットボールはシュローヴタイド・フットボール(Shrovetide Football)と呼ばれ、イングランド・ダービーシャー州アッシュボーン(英語版)において1年に一度、告解の火曜日と灰の水曜日の2日間行われている祭りで、中世のような凶暴な事はやりませんが、現在も行われているところが有ります。すごい迫力ですね。
凶暴さに禁止になった中世サッカーの歴史
この危険なモブ・フットボールは頻繁に行われていましたが、イングランド王エドワード二世は、市民たちが殴り合っているのを好ましく思っていませんでした。
1314年にスコットランドとの戦うために兵を挙げる際に、弓兵たちに訓練を怠りスキルを落とすことを防ぐためにモブ・フットボールを禁じました。
更にエドワード二世は「ボールと格闘するときに出る街に響く大きな音で、神が禁じた悪魔たちが起き上がる。国王に代わってそのようなゲームが都市で将来に使われるのを禁じます。」と宣言し、フットボールをして捕まったものを投獄するという法律を通しました。
また、16世紀の女王エリザベス一世はフットボールを行ったものを1週間牢に入れるだけでなく、教会に連れて行き償いを強要させました。
こうして、投獄するとの脅しでイギリスからは凶暴なフットボールは禁止され、フットボールのトロフィーもフットボールの賞・名誉も消え去ってしまいました。
再びフットボール再開。サッカーとラグビーの分裂
youtu.be
※1930年ごろのフットボール
禁止され続けたフットボールでしたが、17世紀の初めに再び合法となり、19世紀にはスポーツとしてルール化がはじまりました。
それまではルールが無かったので、現在のサッカーやラグビーは区別がなく同じフットボールでした。1863年にイングランドでフットボール試合のルールを決めようと議論されました。しかし、ルールのスタンダード化の合意には至らず、2つの陣営に分かれました。
一つが手を使わないケンブリッジ大学のルールを支持する人々、もう一方が好きにボールを持てるラグビースクールのルールを支持する人々です。
ラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(サッカー)が分離しました。
世界最古のサッカー協会であるフットボール・アソシエーション(FA、日本ではイングランドサッカー協会と呼んでいます)と、後の1871年にラグビー・フットボール・ユニオンが結成されました。
このFAとロンドンの12クラブ(11とする資料もある)による統一ルール作成により、近代サッカー(現代のサッカー)が誕生し、イギリス各地に広がり、世界中に広がりました。
まとめ
「確かにサッカーのプレー中に噛みついたり、けりを入れたりついやってしまう場面を観ます。また熱狂的なファンが多く、暴動が起きたりもします。これは、やはりサッカーの歴史にもあるように暴力的なスポーツであった起源があるからなのでしょうか・・・」
※参考文献
A Brief History of Soccer | Mental Floss
Mob Ball, Football, and the Origin of Sports | Sarah Woodbury
History of Football – Britain, the home of Football – FIFA.com
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