こんばんは、イギリスやウェールズの歴史研究家、たなかあきらです。
いつもこのブログを読んでくださり有難うございます。
今回は前回に引き続き、主にウェールズが3国に分かれていた中世の内乱についてお話いたします。三国志とは大きく異なりますが、ウェールズも3国に分かれていたなあと思いブログに書きました。
※前回記事は争いが始まりについて書きました
この内乱はどのようにして起こったのか、どのようにして収まっていったのか、お楽しみください。
ウェールズ版の三国争いは兄弟争い(前回のおさらい)
ウェールズ版の三国の争いは、父から譲り受けた国を最初は協力して守っていましたが、長兄アナラウドが次男カデルの領土を侵略して始まった兄弟間の争いでした。
三兄弟の争いとは(たなかあきら推測の性格と顔)
長兄:強欲なアナラウド
次男:したたかなカデル
三男:弱弱しいメルヴァン
の争いです。
前回とは異なり、今回は似顔絵メーカーのキャラトアを使用してキャラの顔を想像しました。
この私欲拡大の争いは、隣国のウェセックスと上手く手を結んだカデルに軍配が上がりました。しかし、これでウェールズ内乱は収ることはなく、彼らの子にまで報復の争いに発展していくのでした。
息子の争いから孫の争いへ
反撃に出たイドワル
敗れたアナラウドの息子イドワル・フォエル(はげのイドワル)は父の野望を叶えようと立ち上がりました。イドワルは父アナラウドに似て野心家ですが、頑固で融通の効かない性格であったと僕は思います。
※イドワル・フォエル(フォエルとはウェールズ語でハゲの意味)
迎え撃つヒウェル
一方、カデルも世代交代をして息子ヒウェルが家督を継ぎました。ヒウェルは好戦的ながらも、したたかに動く人物であったように思います。
両者はウェールズの王家を分裂させて争います。アナラウドを創始者としてイドワルが継いだ家系をアバファラウ家、カデルを創始者としてヒウェルが継いだ家系をディナヴァウル家と呼びます。
どちらも我こそは正統な王家だと主張し、その後の子孫も長らく内乱を続けてしまったきっかけになったのでは?と僕は考えています。
同盟の結び方で勝利の行方が決まった
※内乱が終息したウェールズ
先に動いたのは本家のプライドを誇示するイドワルで、父と同じように強国のウェセックス王アゼルスタンと同盟を結びヒウェルに圧力をかけて行きます。
ヒウェルは自分の国の南部を婚姻関係によって強化し、領土を拡大していました。イドワルの動きをみて、ウェセックス(イングランド)との関係をどうするか考えたと思います。
ウェセックスのアゼルスタンはアングロサクソン諸国を統一しイングランド王国を建国し、さらにウェールズとスコットランドまで影響力を及ぼした強力な王でした。
※アゼルスタンの像
イドワルとアゼルスタンが同盟を結び攻めて来られては、ヒウェルもたまったものではありません。ヒウェルもアゼルスタンと同盟を結びヒウェルとイドワルはにらみ合いを続けました。
ヒウェルはアゼルスタンの所に頻繁に通う手に出て親密な関係を作り、逆にイドワルにプレッシャーを掛けました。ヒウェルはアゼルスタンから貨幣技術を学び、ウェールズで貨幣を発行したりします。
イドワルは仲の良い二人の関係に、嫉妬と怒り、更には恐れを感じたのではと思います。
イングランド王エドムンド
そしてイングランド王がエドムンドに変わった時に、今度はヒウェルが先に同盟を結びました。
出し抜かれたイドワルは逆上し、イングランドとヒウェルに戦争を仕掛けてしまいます。
ヒウェルはイドワルを打ち破り、兄弟争いによって分裂したウェールズを再びほぼ統一しました。
まとめ&たなかあきらの考察
当時のイングランドは、アルフレッド大王(この時はウェセックス)、アゼルスタンと強力な王がいました。この王たちの存在はウェールズの王達にも大きな影響を与えました。
アングロサクソン諸国(ウェセックス、マーシアなど)がウェールズを傘下に入れて支配しようと戦いを仕掛けてくるのが常でしたが、今回お話した争いではウェールズの王たちは彼らの威厳を利用してウェールズの支配権を得ようとした点が面白いと思います。
ウェールズを掌握することに成功したヒウェルはその後、争いをやめてウェールズの基盤作りに励みます。
ローマ巡礼をして法律を学び、ウェールズで初めての法典であるウェールズ法を制定するなど平和な国造りに力を注ぎました。このため、ヒウェル・ザ・グッド(ヒウェル良王)と呼ばれています。
ヒウェル・ザ・グッドの像
しかし、このウェールズの安泰もつかの間、再び内乱が勃発するのでした。
今回はこれでおしまいです。
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このブログを書く目的について書きました
最後まで読んでくださり有難うございました。
また次回をお楽しみくださいね。
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