イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史、イギリスの歴史、アーサー王、イギリスの歴史に関連する内容を中心に記事を書いています。

「イギリス」の正式名称と名前の由来、イングランド、スコットランド、ウェールズの違い

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こんにちは、たなかあきらです。

今回はイギリスの正式名称やイギリスの名前の由来、イギリスの大部分を占めるグレートブリテン島を構成する国々、イングランド、スコットランド、ウェールズの違いについて、それぞれの国が成立した歴史について、お話いたします。

「イギリス」の正式名称と由来について

 

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イギリスの正式名称は、United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandです。(略してUK)

日本語では「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」
または、「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」となります。

 

 

 

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「イギリス」の名前についての由来は、
・ポルトガル語でイングランドを指すInglez(イングレス)
・オランダ語のEngelsch(エンゲルシュ)を語源とする「エゲレス」
と言われています。

ですが、これらの語源の意味に関わらず、「イギリス」は連合王国の全体(UK)を指して使われており、連合王国の一部である「イングランド」とは区別されています。

 

 

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日本人が言うイギリス(つまりは連合王国)は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで構成されています。

そしてそれぞれの国々は別々の国でした。

どのようにして、イングランド、スコットランド、ウェールズが出来たのか?

また連合王国となったのか?

イギリスの国の成り立ちの歴史について、簡単にお話いたします。

  

古代~中世のイギリスの様子

 

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紀元43年、ローマ帝国がグレートブリテン島に侵略して支配下に置きました。

この時代は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドはまだありませんでした。

グレートブリテン島の北部は、カレドニア(またはピクトランド)と呼ばれピクト人が住んでいました。

北部を除く部分は、ブリタニアと呼ばれケルト系のブリトン人が住んでいました。

 

※ブリタニアは地図中の赤い部分です

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410年にローマ軍が撤退し事実上のローマ帝国支配が終わると、5世紀半ばごろからヨーロッパ大陸より、アングロ・サクソン人が侵略を開始しました。

これによって、ブリテン島の勢力範囲は大きく変わっていきました。  

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<改訂版> 中世ウェールズの歴史 ~ローマ支配からプリンス・オブ・ウェールズまで

 


イングランド王国の成立 

 

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アングロ・サクソン人はゲルマン系の民族で、アングル人、サクソン人、ジュート人のことを指します。もともとアングロ・サクソン人はともにエルベ川下流域のユトランド半島の付け根付近に住んでいました。(現在のドイツ北部のあたり)

ユトランド半島 - Wikipedia

 

5世紀半ばに、アングロ・サクソン人たちは北海を越えてグレートブリテン島に侵入し、アングロ・サクソン七王国を作ったのです。

8世紀初めごろまでには、アングロ・サクソン人はケルト人を西と北に追いやり、ブリテン島の大部分を侵略しました。

 「アングル人の土地」の意味からイングランドの名前がうまれ、9世紀にイングランド王国に統一されました。

  

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代表的なアングロ・サクソン人七王国は以下となります。

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8世紀初めのアングロ・サクソン諸国 The Anglo-Saxon Kingdoms AD 700より

 

 

 

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825年、ウェセックスのエグバート王がマーシアを撃破し勢力を伸ばし、マーシアは衰退しました。
更にエグバート王は、マーシアだけでなくコーンウォール地方にも勢力を伸ばし、テームズ川以南を支配しました。事実上初代のイングランド王とされます。

これがイングランドの成立となります。

 

 

 参考👉イングランドの歴史 アングロ・サクソン七王国の概要

 

 

スコットランド王国の成立

 

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 中世初期の頃のスコットランドを簡単に描いてみると、3つの区域に分けられます。

・ピクトランド(Pictland)・・・北部一帯
・ブリタニア(地図中のAltClut、Gotoudin付近)・・・南部一部
・ダル・リアダ(Dal Riada)・・・西部一部

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これらの国々は、イングランドを形成したアングロ・サクソン人の侵略を殆ど受けることがなく、独自の文化を形成しました。  

ブリテン島北部のピクトランドに住んでいたのはピクト人と呼ばれ、スコットランドの北部に住み、身体に青く塗ることでも知られてます。紀元前10世紀に大陸より移住してきたケルト系とも言われています。

 

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ピクト人 

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次に、スコットランドの南部、ブリタニアの一部に住んでいたのがケルト系のブリトン人です。

ブリトン人は古代に大陸から移住したと言われおり、紀元前後から5世紀中頃までは、ピクトランドを除くグレートブリテン島の大部分に、ブリトン人は住んでいました。

 

 

 

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更に、500年頃から出現したのがダル・リアダです。ブリテン島から海を隔てたアイルランドに住んでいたスコット族が、紀元500年ごろから海を渡って現在のスコットランド西海岸に侵略し勢力を伸ばしていき、ダル・リアダ王国を作りました。

 

 

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スコット族のダル・リアダ王国と、ピクト族のアルバ王国(以前はピクトランド)は、何度も争いを起こしていましたが、843年ダル・リアダ王国のケネス一世が、ダル・リアダ王国とアルバ王国を統一して、スコットランド王国が成立しました。

 

※参考👉スコットランドの歴史 スコットランド王国成立の超概要

ウェールズ公国の成立 

 

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かつてはブリトン人がグレートブリテン島の大部分を支配していましたが、アングロ・サクソン人によるイングランドの出現で、領土は西の一部に追いやられてしまいました。(水色の部分)

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※700年ごろのブリテン島。緑色のイングランドにほぼ占領されてしまった。 

 

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この西部のわずかな領土が、後のウェールズになります。

5世紀の中頃に、ブリトン人のキネダ・アプ・エダンが北ウェールズにグウィネズ国(現在のグウィネズ州)を建国し、ウェールズ王室を設立しました。

これが、現在のウェールズの原形と言われています。

その後、ウェールズはアングロ・サクソン七王国の国々の侵略によって、領土を狭めていきました。

 

 

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ウェールズ公国として成立したのは諸説ありますが、13世紀になってからとなります。

ウェールズの統治者ラウェリン・ザ・グレートが、イングランドのジョン王との間で行われた1216年のアベルダビの会議で成立したとも考えられています。

しかし、その後もイングランドとウェールズの間では争いが継続的に起こり、1282年にウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)のラウェリン・アプ・グリフィズがエドワード1世との戦いに敗れ、事実上イングランドの支配下に置かれました

 

※参考👉ウェールズの歴史が面白いと言われている4つの理由!

 

各国との連合王国の成立の年表

 

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その後、連合王国が設立して現在に至るまでを、簡単に年表でご説明します。 

 

・1535年~1542年にかけてウェールズ法諸法:

ウェールズ人の直系であるヘンリー8世がイングランド王の時代に諸法が出され、1542年にウェールズはイングランド王国に併合され、ウェールズ公国も消滅しました

・1707年 合同法:イングランド王国とスコットランド王国が合併し、連合王国としてグレートブリテン王国が建国されました

・1800年合同法:1801年にグレート・ブリテン王国とアイルランド王国が統合し、
グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国が成立しました。

・1922年:アイルランド自由国独立およびアイルランドの分裂が起こりましたが、北アイルランドが連合王国の一部として残り、現在の正式国名である「グレート・ブリテン及び北(部)アイルランド連合王国」となりました

 

最後に

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イギリスのグレートブリテン島を構成する、イングランド、スコットランド、ウェールズはいずれも民族が違い本来の言葉も異なります。ざっくり説明すると下記になります。

イングランド:アングロ・サクソン人(英語)
スコットランド:スコット人、ピクト人、ブリトン人(ゲール語)
ウェールズ:ブリトン人(ウェールズ人)(ウェールズ語)

それぞれの文化や歴史を知ると、とても興味深くイギリスの見方も変わるかもしれませんね。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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