イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ(仲間)と言います。ウェールズの歴史、イギリスの歴史、アーサー王、イギリスの歴史に関連する内容を中心に記事を書いています。

分かりやすい中世のイギリスの歴史①(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)

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こんにちは、たなかあきらです。

中世のイギリスはどんな状況だったのでしょうか?
イギリス(UK)を構成する国々、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドに分かれており、お互いが影響しあいながら独自の歴史を持っています。

・ローマ帝国の支配
・アングロ・サクソン人の侵略
・ノルマン人の侵略

によって影響を受けながら、大きく変化していく様子を時代の流れに沿って、分かりやすくお話いたします。
細かい話は極力しないようにしていますので、大まかな流れをつかんで頂ければありがたいです。(くわしくは参考記事を参照ください)

ローマ帝国支配時代

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もともとグレートブリテン島やアイルランド島には先住民が住んでいましたが、紀元前数世紀頃に大陸からケルト系民族が侵略し移住を始めました。

 

紀元43年に、グレートブリテン島はローマ帝国に侵略され、北部を除く部分は支配下にありました。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドはまだ形勢さていませんでしたが、大まかに次の3つの領域に分かれていました。

・グレートブリテン島の北部:カレドニア(またはピクトランド)と呼ばれピクト人が住んでいました

・北部を除く部分:ブリタニアと呼ばれケルト系のブリトン人が住んでいました

・アイルランド:ヒルベニアと呼ばれケルト系のゲール人が住んでいました

 

ローマ帝国の支配はブリタニアが中心でスコットランド(アントニヌスの城壁より北)やアイルランド島にはローマ帝国の支配力は及びませんでした。
(ローマ帝国の支配は、現在のイングランド、スコットランド南部、ウェールズになります)

※ローマ支配下にあったブリタニア(赤色の部分)

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410年にローマ軍が撤退し事実上のローマ帝国支配が終わると、5世紀半ばごろからヨーロッパ大陸より、アングロ・サクソン人が侵略を開始しました。

これによって、(アイルランド島を除く)ブリテン島の勢力範囲は大きく変わっていきました。

  

アングロ・サクソンの到来と勢力拡大 

イングランド王国の成立


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アングロ・サクソン人はゲルマン系の民族で、アングル人、サクソン人、ジュート人のことを指します。アングロ・サクソン人は、現在のドイツ北部にあるユトランド半島の付け根付近に住んでいました。

 

5世紀半ばに、ローマ帝国の支配がアングロ・サクソン人たちは北海を越えてグレートブリテン島に侵入し、アングロ・サクソン七王国を作ったのです。

 

5世紀半ば頃には、ケルト系のブリトン人が住む領域はグレートブリテン島の大半を締めていましたが、8世紀初めごろまでには、アングロ・サクソン人はケルト人を西と北に追いやり、ブリテン島の大部分を侵略しました。

西に追いやられた部分が後のウェールズとなり、北で独立を保った部分が後のスコットランドになります。

 

 

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<改訂版> 中世ウェールズの歴史 ~ローマ支配からプリンス・オブ・ウェールズまで

 


 「アングル人の土地」の意味からイングランドの名前がうまれ、9世紀にイングランド王国に統一されました。代表的なアングロ・サクソン人七王国は以下となります。

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8世紀初めのアングロ・サクソン諸国 The Anglo-Saxon Kingdoms AD 700より

 

825年、ウェセックスのエグバート王がマーシアを撃破し勢力を伸ばし、マーシアは衰退しました。
更にエグバート王は、マーシアだけでなくコーンウォール地方にも勢力を伸ばし、テームズ川以南を支配しました。事実上初代のイングランド王とされます。

 参考👉イングランドの歴史 アングロ・サクソン七王国の概要

 

スコットランド王国の成立


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 中世初期の頃のスコットランドを簡単に描いてみると、3つの区域に分けられます。

・ピクトランド(Pictland:ピクト人)・・・北部一帯
・ブリタニア(地図中のAltClut、Gotoudin付近:ブリトン人)・・・南部一部
・ダル・リアダ(Dal Riada:スコット人)・・・西部一部

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これらの国々は、イングランドを形成したアングロ・サクソン人の侵略を殆ど受けることがなく、独自の文化を形成しました。  

・ブリテン島北部のピクトランドに住んでいたのはピクト人です。

・スコットランドの南部、ブリタニアの一部に住んでいたのがケルト系のブリトン人です。

ブリトン人は古代に大陸から移住したと言われおり、紀元前後から5世紀中頃までは、ピクトランドを除くグレートブリテン島の大部分に、ブリトン人は住んでいました。

・500年頃から出現したのがダル・リアダです。

グレートブリテン島から海を隔てたアイルランドに住んでいたスコット人(ゲール人)が、紀元500年ごろから海を渡って現在のスコットランド西海岸に侵略し勢力を伸ばしていき、ダル・リアダ王国を作りました。

 
843年ダル・リアダ王国のケネス一世が、ダル・リアダ王国と近隣国を統一して、スコットランド王国が成立しました。

※参考👉スコットランドの歴史 スコットランド王国成立の超概要

 

ウェールズ王国の建国

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かつてはブリトン人がグレートブリテン島の大部分を支配していましたが、アングロ・サクソン人によるイングランドの出現で、領土は西の一部に追いやられてしまいました。(水色の部分)

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※700年ごろのブリテン島。緑色のイングランドにほぼ占領されてしまった。 

 

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この西部のわずかな領土が、後のウェールズになります。

5世紀の中頃に、ブリトン人のキネダ・アプ・エダンが北ウェールズにグウィネズ国(現在のグウィネズ州)を建国し、ウェールズ王室を設立しました。

これが、現在のウェールズの原形と言われています。

その後、ウェールズはアングロ・サクソン七王国の国々の侵略によって、領土を狭めていきました。

 

アイルランドの状況

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アイルランド島は、ローマ帝国の支配も受けず、アングロ・サクソン族の侵略の影響も受けませんでした。
このため、6世紀に聖パトリックが布教活動をしたカトリック教会がアイルランドに広がり、独自の修道院文化が発達しました。
聖パトリックが布教したカトリックは、アイルランドだけでなくヨーロッパ各国に広がりました。この活動の影響でアイルランド人がスコットランドに移り住みダル・リアダ王国を作ったきっかけになったと考えられます。

アイルランドでは、8世紀末までは平穏が続き、学問が盛んに行われました。

 

ヴァイキングの襲来

イングランドのヴァイキング支配

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8世紀終わり頃から、スカンディナヴィア半島やデンマーク付近からヴァイキングと呼ばれるノルマン人やデーン人たちが、西ヨーロッパ諸国に襲来し、略奪行為や侵略をうけるようになりました。

最も深刻な影響を受けたのが、イングランドでした。793年にイングランド北東部のリンディスファーン寺院が襲撃されたのを皮切りに、デーン人たちが何度も襲来して、領土も奪っていきました。

デーン人はイングランドの中央部にデーンローと呼ばれる領土を確保し、その広さはイングランドの約1/3程にまで拡大しました。

一時は、アルフレッド大王などの活躍によりヴァイキングの領土を奪回しましたが、その後は再びデーン人の勢力が増し、1013年のスヴェン王を初めにクヌート大王など、約27年ほど、デンマーク王がイングランド君主も兼ねて支配しました。

イングランド君主一覧 - Wikipedia

 

アイルランドとウェールズへヴァイキング襲来

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スカンディナヴィア半島からのヴァイキングはアイルランドやウェールズに攻撃を加えました。

アイルランドには9~11世紀に襲来し、沿岸部を一時的に支配しましたが、イングランドとは異なり領域的な支配は行われず、アイルランドの交易を盛んにしました。

ウェールズにもアイルランドを拠点としたヴァイキングが度々攻撃を仕掛け沿岸部分は打撃を受けたりしましたが、領土を奪われたりすることはありませんでした。

参考👉ヴァイキングの歴史 ヴァイキングが強かった理由、語源や特徴、支配した国々

 

ノルマン人の侵略・征服

 

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1066年、アングロ・サクソン族の国イングランドはフランスから侵攻したノルマン人によって征服されました(ノルマン征服)。

そしてノルマンディー公ギョーム2世がウィリアム1世としてイングランド王となり、その後イングランドを支配しました。

ノルマン人たちはイングランド征服にとどまらず、さらに支配を広げようとしました。
そして、12世紀になるとノルマン人の侵攻が、ウェールズやアイルランド、さらにはスコットランドにも及んできました。 

 

※参考👉 イングランドの征服王と呼ばれたウィリアム1世のカリスマ性の秘訣

 

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ノルマン人たちはイングランドに領土を持つだけでなく、もとはフランス貴族のためフランスにも領土を持っていました。
12世紀のヘンリー2世の時代には、イングランド王の所有地は最大となり、フランス領土とイングランド領土を合わせて広大な領土を持ちました(アンジュー帝国と呼ばれた)
ヘンリー2世はウェールズに侵略し領土を広げようとし、またアイルランドにも支配力を伸ばしていきました。

※参考👉名作映画「冬のライオン」とヘンリー2世 イングランド王室の歴史背景

 

アイルランドへの支配

 
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12世紀までに、アイルランドは大小様々な王国に分かれていました。その中の王国のひとつにレンスターがありました。

アイルランドの一国であるレンスター王ダーマック・マクモローは、ローリー・オコナーによって国外に追放されていました。

ダーマック王は王国を取り戻すためにノルマン人たちの協力を得て、1169年にレンスター国を奪回しました。

ダーマック王はノルマン人貴族のリチャード・ド・クレアを養子にして後継者としましたが、イングランドのヘンリー2世が反発し、アイルランド侵攻を始めたのです。

そして、ノルマン人たちに忠誠を誓わせ、1117年に領土を支配下に置きました。
こうして、アイルランドのノルマン人によるイングランド支配が始まりました

 

そしてヘンリー2世は、息子のジョン王にアイルランド太守の称号を与え、ジョン王は中央政府を組織しました。
1250年頃には、イングランド勢力はアイルランド島の4分の3に及ぶまでになりました。
 
しかしジョン王はフランス領土の多くを失い国内では悪政をつづけ、イングランド貴族たちの不評を買いました。そして、イングランド王の権力を低下させるマグナカルタ憲章を制定しました。


参考👉マグナカルタ ジョン王が作りたくなかった大憲章

 

ウェールズの支配・征服


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ウェールズでは、12世紀からイングランド軍の侵攻だけでなく、ウェールズ国境付近のイングランド領主(マーチャー・ロード)がウェールズに侵略して、自分の領土を広げていました。
ジョン王の時代には、ラウェリン王がウェールズでは権力を持っていましたが、ジョン王はラウェリンの権力を封じ、ウェールズの大半の領土を奪いました。
しかし、マグナカルタによりジョン王に奪われた領土はウェールズに返却され、ラウェリン大王は再び権力を取り戻し、過去に奪われた領土もイングランドに攻め入るようになりました。
しかし、ラウェリン王が亡くなった後はウェールズ内で後継争いがおこり、さらにイングランドからも再び侵略を受けて弱体化しました。
1292年にプリンス・オブ・ウェールズであったラウェリン・ザ・ラスト王がエドワード2世に敗北して処刑され、ウェールズはイングランドに征服されました。

スコットランドの支配

 
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11世紀後半のスコットランド王マルカム3世はアングロサクソン人のマーガレットを妻としました。
このため、封建制度を取り入れアングロサクソン文化が広がって行きました。
 
13世紀になるとイングランドが執拗にスコットランドへ侵略する様になりました。スコットランドは、ことごとくイングランドに敗戦し窮地に追い込まれました。
 
スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスが立ち上がり、イングランドに対抗しました。
庶民派のウォレスはイングランド軍を破り破竹の勢いでしたが、スコットランドの貴族階級の支持を得ることが出来ず、イングランド王エドワード1世に敗れ勢いを失い、捕らえれ処刑されました。
 
その後、スコットランド王ロバート1世はバノックバーンの戦いでイングランド軍を破り、1320年にスコットランドの独立を手にしました。
 
ところが、ロバート1世の後、イングランド軍に敗戦し、スコットランドの独立が弱まっていきました。

※参考👉ウィリアム・ウォレスはなぜスコットランドの英雄なのか

 

つづく

最後まで読んでくださり有難うございました。

 

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