古代から中世までの化粧 ヨーロッパのメイクアップの歴史 

いろんな歴史
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人はいつから化粧をするになったのでしょうか?

時代時代によって、化粧をする意味や方法も大きく違っていたようです。

今回は、古代から中世にかけてのヨーロッパを中心に、化粧の歴史について分かりやすく概要をお話いたします。

 

※参考


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 👉おすすめ記事:中世の暮らしや服装のシリーズ記事

>>美白、美肌へのこだわり ヨーロッパのスキンケアの歴史 

>>中世ヨーロッパ 貴族や王の服装(時代別)
>>中世ヨーロッパの食事 貴族と農民の違い 

 

 

 

古代エジプトの化粧 

 


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紀元前3000年頃には化粧を始めていました。

当時の化粧の目的は、魔除け、虫よけ、日よけの効果を狙っていたようです。

古代エジプトのファラオをみると、男性でも毛をツルツルに剃って清潔にして、代わりにカツラをかぶっていたこともありました。

 

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👉参考記事:
>> 髭の剃り方からシェービングの目的まで 

 

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古代エジプトのクレオパトラの時代には(紀元前1世紀)、女性の化粧は魔除けや日よけ目的で、濃いアイシャドーが特徴的でした。

クレオパトラは、マラカイト(深緑)やラピスラズリ(濃紺色)などの宝石を砕いて、目の周りに塗り目に細菌が入らないように虫よけに使用していました。

これがアイシャドーの始まり、と言われています。

 


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ギリシャ時代の化粧

 

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スポーツが盛んでオリンピックも開かれるようになり、力強さや健康美が重視されるようになりました。人間そのままの美しさが良いという考えです。

このため女性もエジプトの時代と変わり、古代ギリシャでは自然な化粧が望まれシンプルでした。

果物から採った天然色素を頬と唇に使用し、白粉(おしろい)に鉛(なまり)ベースの顔料が使われ、肌を明るく見せていました。

眉はコール墨(すす、金属、脂肪など)で黒く塗って真ん中をつなげ、動物の毛などでつけ眉毛をしていたそうです。

 


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古代ローマ時代の化粧 

 

 

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女性も素肌を清潔にして育てる時代で、肌が白い事がおしゃれの基本、ステータスとなりました。 

古代ローマの女性たちの化粧は、健康的に見せるために、頬骨の辺りに赤みを入れる化粧法が流行していました。

 

色白でつややかであることのほかに美人条件にあったのが、大きな目と長いまつげでした。

アイライナーには象牙やガラス、動物の骨や木片などを使用したもの、方鉛鉱や煤、アンチモンなどを水に溶いたものが用いられたようです。

また、アイシャドーは黒色と青色が人気で、灰やアズライトが使われました。またエジプトの影響で、緑色の孔雀石も用いられたそうです。

 


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中世 の化粧、エスカレートする白さ

 

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中世になると、「雪のように真っ白な肌」が、最大のステータスで、病的なまでの美白がエスカレートしていました。

 

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中世の北部ヨーロッパと英国では、キリスト教の影響で化粧をすることは公に認められていませんでした。化粧を許されたのは特権階級の人々のみで、化粧で自分自身を美しく見せることに夢中でした。

 

当時の白粉は白鉛や水銀などが含まれていたために、皮膚にシミができたり、歯が黒ずんでボロボロになったり、鉛中毒になる人が多くいました。

これを誤魔化すために、口元を隠す扇子が人気となったり、付けボクロが流行しました。

また、眉や髪の生え際を剃ったり抜いたりして、額を広く見せるのも流行りでした。

 

 

エリザベス朝時代(1558~1603年頃)のメイク

 

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近世になると、美白への執着心は更にエスカレートしてきます。

 

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✅エリザベス1世に関する記事:
>>エリザベス女王1世の功績と結婚・恋愛話

 

 

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イギリス女王のエリザベス1世は蜂蜜をベースに、白粉を分厚く塗った化粧をしました。

当時はこの化粧方法がブームになったようです。表情が分からないほど分厚く塗られ、顔を作り上げるということからmake up(メイクアップ)という言葉が生まれたそうです。

また、エリザベス1世は自然な赤毛だったため、女性たちは髪を赤く染めたり、かつらをかぶったりして真似をしていたそうです。

 


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フランス革命の頃(1775~1789年頃)のメイク

 

 

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マリー・アントワネットはフランス国王ルイ16世の王妃で、アントワネットのメイクが当時の人々の間で流行となりました。


※ルイ16世はフランス革命で処刑されるまでフランスを統治

 

顔や首や肩に白粉をはたいてできるだけ白く見せ、わざわざ青い静脈を書いてさらに青白く見えるようにすることもあったそうです。
形や大きさの違う黒いシルクのほくろを顔につけたりもしました。

 


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ヴィクトリア時代(1837~1901年頃)のメイク

 

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19世紀のヴィクトリア時代では、メイクは不作法とされていました。このため、女性たちの化粧は軽く白粉をはたく程度でした。

 

口紅や頬紅はふしだらと考えられ、女性たちは頬をつまんで赤みを出していました。長い髪は女性らしさの象徴でしたが、シニョンにまとめていました。

 

シニョン:束ねた髪をサイドや後頭部でまとめた髪型のことである。簡単に言えば、ポニーテールを丸くまとめたものである。

 

 


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コメント

  1. みさ より:

    こんばんは。
    現在、わたくしは大学生で、イギリス文化を先行しています。
    そこでゼミのレポートでイギリスの美について論述しようと考えております。
    調べるにあたって文献が必要なので、よろしければこの投稿の文献やソースを教えてください。
    拙い文章で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

  2. 59 より:

    大学での論文にあたり、イギリスのメイクの歴史について調べております。
    よろしければ、この記事の作成のさいに使用した文献などを教えていただきたいです。
    よろしくお願い致します。

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